北本駅
東京のソメイヨシノは3月19日に開花が宣言されました。今朝、上野公園のそれはすでにチラホラと咲いていましたので、あと一週間もすると満開になることでしょう。
さて、ソメイヨシノには少し早いこの時期、やってきたのは埼玉県は高崎線の北本駅。今日はここから、荒川の南側で外秩父山地の東に位置する丘陵地帯・比企丘陵を中心にポタリングします。
駅の外に出ると、予想に反して意外と寒いです。日中は17°Cまで上がる予報ですが、この時は10°Cちょっとしかなかったのではないでしょうか。そして風があります。都心の風速は2m/sほどだったので現地の予報を確認しなかったのですが、向かい風になりそうで、この時点で今日のコース取りは失敗だったと悟りました。しかしこれからまた電車に乗って移動するのはいやなので、予定の通りのコースを走ることにしました。
北本の自転車レーンを行くユッキー
北本駅からは駅前に伸びる通りを西へ向かいます。
東京オリンピックや道路交通法の改正などにより、各地に自転車レーンが増えましたが、この通りはかなり前からそれが設けられていたようで、車道と歩道との間にしっかりとした専用レーンがあります。
高尾阿弥陀堂
3kmほど走ると高尾阿弥陀堂に到着。
ここは源頼朝の異母弟である源範頼(みなもと の のりより)の妻亀御前を供養するために建てられたと伝えられており、その碑といわれる石塔があります。範頼は源平合戦では一ノ谷や壇ノ浦の合戦で活躍しますが、頼朝から謀反の疑いを掛けられ、伊豆の修善寺に幽閉され、梶原景時に攻められ亡くなったといわれています。このあたりの郷土史には、亀御前は荒川付近で夫の訃報に接して自刃したため、人々は供養のために石碑とお寺を建立したとあるそうです。
高尾阿弥陀堂鐘楼
このお寺には山門はなく、二層の鐘つき堂が私たちを迎えてくれました。
布袋尊とコテッチャン
ここは北本七福神めぐりポイントの一つにもなっており、大きな布袋さまがいらっしゃいます。
エドヒガン
阿弥陀堂のうしろには樹高13m、根回り2.9m、樹齢約200年というエドヒガンが咲いています。
エドヒガンは江戸彼岸と書くように、関東地方で彼岸ごろに咲く桜で、ソメイヨシノより少し早い時期に満開を迎えます。
エドヒガンの花
ソメイヨシノの親種の一つであり、花はそれよりやや小ぶりで可憐な印象です。
花びらの付け根にある「萼筒」がぷっくりと丸く、壺のような形に膨らんでいるのが特徴で、長寿な巨樹の一本桜が多いそうです。
高尾さくら公園
高尾阿弥陀堂にお参りしたら、その横にある高尾さくら公園に入ります。
枝垂れ桜
この公園には 30種類200本の桜が植えられています。様々な種類があるので、長い期間に渡って桜を楽しむことができます。これは枝垂れ桜で、8部咲きといったところでしょうか。
八重桜
これは八重桜。八重桜はソメイヨシノより後に咲く品種が多いですが、これは早いですね。
高尾さくら公園のハート形モニュメント
この公園は荒川を望む高台に位置しており、眼下にその流れを感じることができます。彼方に見える黄色は土手の菜の花。鮮やかな緑色は麦でしょう。
その荒川を望む眺望ポイントにハート形のモニュメントがありました。でもよく見ればこのハート、くっついていないじゃあありませんか。割れたハート? 😅
この公園には真っ白なコブシも咲いていました。春ですね。
高尾橋
高尾さくら公園で桜を楽しんだら、荒川に下ります。
そこに架かるのは冠水橋の高尾橋です。
高尾橋から見た荒川
東京湾付近の荒川の下流はかなり広いですが、このあたりの通常の流れは驚くほどに狭いです。高尾橋の長さが42.6mだそうですから、ここはせいぜい15mか20mといったところでしょう。
面白いことに「川幅日本一」の御成橋はこのすぐ上流にあります。
荒川河川敷を行く
高尾橋を渡ってまっすぐ行くと、桜で有名な吉見桜堤に出ますが、これはまだ咲き出していないと思うので、今日は荒川の土手ではなく、河川敷を通ってみることにしました。
糠田橋
このあたりが川幅日本一(2,537m)のところです。御成橋の写真は撮り忘れましたが、先に見えるのはその一本上流の糠田橋(ぬかだばし)です。
川幅は両岸の土手間の距離で、実際に流れている水の幅ではありません。河川敷内には様々な障害物があり、両側の土手を見通すことは困難です。もしその距離を感じたければ御成橋を渡ってみるといいでしょう。自転車で走って楽しいかどうかは別ですが。
明秋神社
糠田橋の下に明秋神社(めいしゅうじんじゃ)があります。
荒川は明治から昭和にかけて大規模な河川改修が行われました。川幅日本一はこの改修事業の結果できたものです。その広い河川敷の中になぜ神社があるのか。いえいえ、ここには神社ばかりか民家も立っています。それも何軒も。つまり小さいながらも集落(十数戸)が存在するのです。この集落は荒川の河川改修の際に取り残され、そのまま今日までそこにあるのです。
コテッチャンと荒川河川敷の菜の花
春です。菜の花満開。紫色の花はオオアラセイトウ(大紫羅欄花)でしょうか。
土手の菜の花
河川敷から荒川の土手に上ります。菜の花がすごいです。
吉見の土手沿いを行く
土手の外側に下り、次の目的地の八丁湖へ向かいます。
先に八丁湖がある小山
まだ水が張られていない田んぼの向こうに、小高い山が見えてきました。八丁湖はあの中にあります。このあたりの田んぼの水は、あそこにある八丁湖から引かれているんだと思います。
八丁湖
ちょっとだけ坂道を上って八丁湖に到着。
八丁湖は江戸時代に造られた農業用の溜池で、「八丁堤」と呼ばれる長い堤があったことからその名が付いたという説があります。また、湖の形が漢字の「八」の字に似ていたことから、八丁湖と呼ばれるようになったという説も語り継がれています。
桜の枝と八丁湖
八丁湖の周囲には桜の木がたくさんあり、もう少しするとそれが霞のように見えて幻想的な風景を作るのですが、この時その蕾は少し膨らんできてはいましたが、花はまだでした。
八丁湖の鴨
八丁湖の周囲は2kmほどで、ハイキングコースになっているので一回りしました。湖面では鴨がのんびりと泳いでいました。
八丁湖から吉見観音へ
八丁湖のハイキングを楽しんだら、すぐ近くの吉見観音へ向かいます。
吉見観音
吉見観音は岩殿山安楽寺といい、坂東三十三観音の11番札所にもなっています。
約1200年前に行基が「岩窟」に聖観世音菩薩を安置したことが始まりとされています。
安楽寺本堂
面白いことに、この近くの10番札所正法寺の山号もここと同じ岩殿山です。このあたりは露出した岩肌や天然の洞窟が多い地形です。古くからそうした岩場は神聖な場所とされ、「岩のある大きな殿(お堂)」という意味を込めて、どちらも「岩殿(いわどの)」と呼ばれるようになったようです。現在では両者を区別するために表記を分けることが一般的で、ここは「岩殿山」、正法寺は「巌殿山」を使うことが多いようです。
吉見百穴付近の森を行く
吉見観音にお参りしたら、田んぼや住宅地を抜け、吉見百穴(よしみひゃくあな)へ向かいます。
八丁湖からこのあたりにかけては比企丘陵の東端部で、だいぶ開発されてしまったものの、ちょっとしたアップダウンとこのような森がまだ少し残っています。
吉見百穴前のユッキーとサイダー
吉見百穴に到着。
ここは古墳時代後期(6世紀末〜7世紀後半)に造られた横穴墓群です。現在確認されているだけで219基の穴があり、これだけの規模で密集しているのは全国的にも珍しいようで、国の史跡に指定されています。
吉見百穴
この岩は凝灰質砂岩で、岩窟に観音様を祀った吉見観音と同じものです。これらは比較的柔らかくて掘削しやすい岩盤を利用して造られたのです。
この「掘りやすい岩の崖」が至る所にあったからこそ、古代人はお墓を掘り、後代の僧侶たちは修行の場や霊場として岩窟を利用したわけです。
地下軍需工場跡
ほぼ正面にある大きな入口のような穴は、第二次世界大戦末期に造られた地下軍需工場(中島飛行機)の跡です。時代とともにこの岩場は用途を変遷させてきたわけです。
天然記念物ヒカリゴケ
穴の中の一部には、自生するヒカリゴケが見られます。本来は冷涼な高山などに生える植物ですが、この横穴の中が一定の湿度と温度を保っているため、関東平野という珍しい環境で自生しています。これは天然記念物に指定されています。
吉見百穴から西を望む
吉見百穴の上に上って西を眺めると、すぐ手前には秩父連山の山々が連なり、その奥には奥秩父や奥武蔵の山並みが広がっています。
比企丘陵から続く外秩父の山では、堂平山や笠山、大慈山などが見渡せます。正面から南西にかけては、秩父を象徴する武甲山や、標高の高い山並みが見えます。空気が澄んでいれば富士山も見えるようなのですが、この時は残念。
吉見百穴のソメイヨシノ
吉見百穴の入口には一本のソメイヨシノがあります。このあたりはまだ咲かないだろうと思っていたのですが、この木はいくつか花が開いていました。
岩室観音堂
吉見百穴のすぐ近くには岩室観音堂(いわむろかんのんどう)が立っています。
名称に岩が付くように、ここも岩と関連があるお堂です。ここの最大の特徴は、崖の岩窟を抱え込むように建てられた「懸造り」という建築様式です。京都の清水寺と同じ造りですが、ここは規模がコンパクトな分、岩肌との一体感が強く、洞窟信仰の形がダイレクトに伝わってきます。現在のお堂は江戸時代の寛文年間に再建されたものだそうです。
並んだ石仏
言い伝えによれば、空海がこの地を訪れた際、岩窟に観音像を彫ったのが始まりとされています。
お堂に入ると左右の洞窟内にたくさんの石仏が安置されています。その数は合計で88体あるそうで、「四国八十八ヵ所」の霊地にたてられた本尊を模したものと言われています。
四国八十八ヵ所の石仏の一つ
これは憤怒相には見えませんが、頭の形からすると馬頭観音でしょうか。写真では下の文字が読み取れませんが、四国八十八ヵ所で馬頭観音を本尊としているのは第七十番本山寺だけですから、その写しなのかもしれません。
岩室観音堂御本尊前
岩室観音堂の御本尊は2階の厨子の中に安置されている一尺一寸(約33cm)の聖観世音菩薩だそうですが、その厨子は見当たりません。出張中かな。
この時はすっかり忘れていたのですが、1階の奥には岩をくり抜いた「胎内くぐり」があり、これが面白いことにハート型なのです。次に来た時は忘れずにくぐりましょう。
岩室観音堂前に咲く椿
椿は一般的には12月ごろから咲き出しますが、春咲きのものも多く、ここでこんな花が見られました。
咲いているのは一輪だけで、ほかはまだ蕾です。椿の花は常緑の深い緑色の葉っぱが背景になり、時々ドキッとさせるような美しさを感じさせることがあります。
市野川の土手を行く
岩室観音堂の石仏群を眺めたら、その前を流れる市野川の土手を上流方面へ向かいます。
滑川
支流の滑川沿いに入るとほどなく砂利道になりました。もっともこの砂利は硬く締まっているので走るのに支障はなし。
ユキヤナギ
滑川からさらに月中川沿いに入ると、道端に真っ白なユキヤナギが。春ですね〜
天真の回鍋肉
住宅街に入ったところでちょうど昼飯時になったので、ルート上にあった中華料理屋さんでお昼にしました。
わたしは一番人気メニューだという回鍋肉にしてみました。この回鍋肉、なかなか本格的でおいしかったです。
東松山市大谷
午後の部は武蔵丘陵森林公園方面へ、カントリーロードをどんどこ。
巨大なモクレン
ちょっと変わった建物の上に巨大な白い花が見えます。近づいてみるとそれはハクモクレンでした。このモクレンは私がこれまで見た中でも10本の指に入ろうかと言う大きさです。
谷津を行くユッキー
狭い谷津の縁をどんどこ行きます。
オランダ村
その谷津を突っ切る県道に出ると、先に妙な建物が見えます。これは我らがカビロがオランダ村と名付けた建物で、正式には大岡市民活動センターといいます。公共の建物なんですね。
案内板の解説によれば、この施設は東松山市がオランダのナイメーヘン市と姉妹都市提携を結んでいることにちなんで、オランダのレンガ造りの街並みをイメージして造られているとのこと。豪華な公民館なんですね。
大谷伝説の里コース
ここ東松山市には「ふるさと自然のみち」というウォーキングコースが設定されており、その一つに「大谷伝説の里コース」があります。これは鎌倉武士・比企一族の伝承や、地域の歴史的なスポットを巡るもので、写真は源頼朝の乳母である比企尼(ひきあま)にまつわる伝説の地である比丘尼山(びくにやま)付近です。
比丘尼山付近の桜
このすぐ西には武蔵丘陵森林公園がありますが、そこには入らず比丘尼山の西を北上します。すると畑の横にかなり大きな桜が咲いていました。
ハクモクレンの下を行くユッキー
民家の庭先のハクモクレンは、その真っ白な花びらをハラリハラリと一枚づつ落としています。
和田川が流れる谷津
武蔵丘陵森林公園の北側を流れる細い和田川の筋に下りました。このあたりは丘陵地が入り組んでおり、谷津と呼ばれる谷状の地形が多く見られます。和田川はその谷間を縫うように流れており、周囲には昔ながらの田園風景が広がっています。
ここからは「塩」の大榎を目指します。
向かい風に悲鳴を上げるユッキー
森の中や住宅地と違って谷津には遮るものがないので、風がビュービュー! ここはちょっと苦戦のユッキーでした。
杵屋敷
これはたまらんと「杵屋敷」で住宅地の中を行く道にシフト。ホッ!
麦畑と桜
谷津を乗り換え「郷」、「西」の集落の南側を行くと、青い麦畑の向こうの林の下に大きな桜が咲いています。
「西」の桜
道が突き当たったところで「西」の集落に入ると、ここにも桜が。とても立派です。
「塩」の森を行く
和田川の谷津を行けばほとんど平坦だったのですが、風避けのために山側に入ってしまったのでアップダウンが続きます。
「ここは風はないけど坂とダート!」 苦戦が続くユッキーでした。
「塩」の谷津
なんとか森を抜けて「塩」の谷津に下ってきました。谷津の中には青い麦が育っています。
塩の大榎周辺の麦畑
この一面の緑はとてもきれいです。そして山々は今か今かと芽吹きを待っているようです。中国の北宋時代の画家、郭熙(かくき)が説いた『山の表情』が完成するまでもう少しといったところでしょうか。
--郭熙『林泉高致』--春山淡冶にして笑うが如く
「塩」の大榎の下で待つコテッチャン
先を行っていたコテッチャンが榎の木の下で待っています。あの木が『塩の大榎』です。
塩の大榎
この木は、樹齢は約300年以上と推定されており、樹高は約7m、幹周りは4mを超えるようです。
塩の大榎見上げ
この榎は樹高だけ見るとそう大きな方とは言えないでしょう。しかし幹周りや立ち姿が素晴らしいです。
この時ここを通りがかった地元の方によれば、だいぶ昔に台風で大きな枝が折れてしまったけれど、それが復活して現在の姿になったそうです。
塩の大榎の足元のいぼ地蔵
塩の大榎の足元にはお地蔵さまがいらっしゃいます。いぼ地蔵だそうです。
この地蔵には体にできた「いぼ」を治してくれるという言い伝えがあり、かつては泥の団子を供えて祈願し、治ったらお礼に米の団子を供えるという習わしがあったそうです。今はお酒を供えるようです。 😁
塩の大榎周辺
大榎を眺め、お地蔵さまにご挨拶したら荒川へ向かいます。
塩古墳群
道脇にポッコリした小山があります。古墳ですね。このあたりには古墳がたくさんあり、「古里(こり)」という地名もありますから、かなりの歴史を持つ土地なのでしょう。
溜池の白鷺
このあたりには溜池もたくさんあります。特に、先ほど通ってきた滑川町周辺は「関東で最もため池(沼)が多い地域」として知られており、その歴史や重要性から、2023年には「比企丘陵の天水を利用した谷津沼(やつぬま)農業システム」として日本農業遺産に認定されています。
白鷺って目、ほそ〜 😆
安藤農園のヤギさん
いちご狩りの安藤農園は本日完売。その裏手では黒牛やヤギさんがたくさん飼われています。ヤギさんはいつでもほんわかな気持ちにさせてくれるので、好きです。ヤギのチーズも好き!
吉野川沿いの田んぼ道
荒川に流れ込む吉野川沿いの田んぼ道に入りました。この時期の田んぼは半分ほどが麦畑になっています。冬から春にかけて麦を作り、夏から秋にかけて米を作る二毛作ですね。水はけが良く、冬に「からっ風」が吹くこの地域の気候は、湿気を嫌う麦の栽培に適しているのでしょう。もうすこしすると麦がぐんぐん背を伸ばし、風にそよぐ青い海のような「麦の海」が見られます。
正面に鹿島古墳公園
吉野川沿いの田んぼ道の先には鹿島古墳公園があります。
鹿島古墳公園
鹿島古墳公園には約1400年前(6世紀後半〜8世紀初頭)に築かれた、直径10〜30mほどの小さな円墳が1kmにわたって連なっています。かつては100基以上ありましたが、現在はそのうちの56基が保存されているそうで、埼玉県の史跡に指定されています。
公園内は落ち着いた雑木林になっており、その中にポコポコと盛り上がった古墳が点在しています。ここは古墳のすぐそばまで近づけるのが魅力です。
鹿島古墳公園の桜と菜の花
桜と菜の花が満開。
オオアラセイトウ
この時期はオオアラセイトウ(大紫羅欄花)がたくさん咲いています。この花は諸葛孔明が陣を張ったときに真っ先にこの花の種を食用として播いたという伝説から、ショカツサイ(諸葛菜)とも呼ばれます。もう一つの別名はムラサキハナナ(紫花菜)で、これは「紫色の菜の花」とう意味で、菜の花(アブラナ)に形が似ており、野菜としての利用や種から油を採ったりもするようです。
旧・川本白鳥飛来地
鹿島古墳公園の奥には「白鳥飛来地 川本町」の看板が架かっています。何年か前まではここに白鳥がやってきていたのですが、前回来た時は川で工事がされていたこともあり、その姿はありませんでした。ついでなのでちょっと覗いて見ましょう。
明戸白糸の滝(荒川人工滝)
この下の荒川には「明戸白糸の滝(荒川人工滝)」があり、かなり人工的な構造物が目立ちます。そして予想の通り、白鳥はいませんでした。まあ3月もすでに下旬ですから、もうほとんどは北へ帰っている時期ですが。
現在の川本の白鳥飛来地はこの上流の植松橋の付近に移動しています。
鹿島古墳公園から押切橋へ
予定ではその植松橋を渡って、白鳥飛来地を覗いてから熊谷駅へ向かうつもりでしたが、方針を変更して、ここから直接熊谷駅へ向かうことにします。
押切橋から見た荒川
ここから熊谷までの荒川には3本の橋が架かりますが、どれも自転車に優しい造りとは言えません。荒川左岸には土手上に自転車道があるので、ここは一番最初の押切橋を渡って対岸を行くことにします。
荒川左岸の土手上を行く
押切橋付近の荒川左岸の土手上の道は一部舗装されていなかったり、途切れたりしていますが、概ね快調に行けます。
秩父鉄道
チンチンという踏切の音が聞こえたのでカメラを構えてスタンバイ。秩父鉄道の車両がやってきました。秩父鉄道はSLを走らせているので期待したのですが、残念ながらそれはこの時刻ではないようですね。
熊谷駅
今日は風を考えなかった失敗がありましたが、コブシやモクレン、ユキヤナギといった春の花、そして早咲きの桜が見られたし、土手の定番菜の花は満開と、なかなかよかったです。
