坂戸駅
春の定番コース、比企丘陵の周辺でつつじと牡丹を眺めましょう。やってきたのは東武東上線の坂戸駅です。駅前では真っ白なキク科の植物など、春の花が咲き乱れています。
今回は周回コースなので、時計回り、反時計回りのいずれでも良いです。いつもは風向きを考慮して回る方向を決めることが多いのですが、今日はほとんど無風なので、つつじや牡丹がきれいに見える時間帯を優先することにしました。外秩父山地の裾野にある越生(おごせ)の五大尊つつじ公園は東向きの斜面なので午前中が良く、比企丘陵の東松山ぼたん園は西向きの斜面なので午後がより良いので、時計回りで行きます。
浅羽野の田んぼ
坂戸駅を出たらまず関越自動車道をくぐり抜け、高麗川の土手を目指します。その土手下の田んぼは水が引き入れられ、もうすぐ田植えというところです。
高麗川の土手
この田んぼのすぐ先で土手に上れば、先には外秩父の山々が見え出します。
まず向かう越生の五大尊つつじ公園は、あの山々のずっと右手の裾野に位置しています。
若宮橋
ほどなく高麗川に架かる沈下橋の若宮橋を渡ります。
若宮橋を渡るサイダー
このあたりにはかつてはこうした沈下橋がたくさんありましたが、洪水で流されてしまい、残るものは少なくなりました。この橋は橋脚はコンクリートになり、地鋪板は人工木材になりましたが、それでもこうして現在までかつてそれがあった位置に架けられているのはうれしいです。
欠ノ上の田畑の間を行く
若宮橋を渡ったら、田畑の中を行くうねった細道を西へ向かいます。こういう道が好きだな〜
葛川に架かる小橋
すると細い葛川を渡ります。
誰が架けたのか、ここに架かる橋がまたいいですね。
葛川沿いを行くペタッチ
この葛川沿いには快適な小道が続いています。
道脇の田んぼは田植えが済んだばかりで、まだ弱々しい稲の苗がかろうじて水面から顔を覗かせています。
田植えされたばかりの田んぼ
その田んぼの上に奥武蔵から外秩父あたりにかけての山々が見えます。
鎌倉街道上道遺跡
葛川を離れて越辺川(おっぺがわ)に向かうと、道端に『鎌倉街道遺跡』と書かれた小さな標識があります。
この道は「いざ、鎌倉!」という時のために整備された鎌倉街道上道(かまくらかいどうかみつみち)の跡で、掘割状になっています。
掘割が残る道
鎌倉街道は軍事道路の性格が強かったので、敵に見つからないように掘割状にしたところが多かったようです。
この横は初々しい若葉の緑でいっぱいです。
越辺川沿いを行く
大類で越辺川を渡り、ここからはこの川に沿って西へ向かいます。
大高取山あたり
岩殿岩井線に並行する田んぼ道に入ると、正面左手に越生の大高取山(おおたかとりやま、376m)が見えます。右手奥のちょこんと飛び出たとんがり帽子は、小川町の笠山(かさやま、837m)。
笠山
道の向きが変わって正面に笠山。
越辺川の土手の桜並木
飯能寄居線に出たところで越辺川を渡り返して左岸を行けば、川沿いに桜並木の遊歩道があります。つい先日までここは見事な桜の花のトンネルだったでしょう。
公園の花々
ここは川から道路までの間が公園になっていて、春の花が咲き乱れています。
山吹
山吹大橋を過ぎると道はさらに狭くなり、今がちょうど見頃の山吹の花の間を行くようになります。
五大尊つつじ公園
越生の五大尊つつじ公園に到着です。五大尊は五大明王の尊称で、廃寺になった岩渓山長徳寺の境内堂の本尊で、不動・軍荼利・大威徳・金剛夜叉・降三世の五大明王像が祀られているそうです。この五大尊に隣接してつつじ公園が設けられており、毎年この時期はつつじ祭りが開催されています。
つつじの古木
現在は、つつじ12種1万株が植えられており、五大尊側には樹齢300年以上とされる古木もあります。
五大尊から越生の街を望む
急な階段を登って五大尊にお参りして振り返れば、下に越生の街が見えます。いつのまにこんなに登ったのでしょう。結構高低差がありますね。
五大尊つつじ公園を行くペタッチとコテッチャン
五大尊からはいったん下って、四国八十八箇所写し霊場コースや、西国・坂東・秩父を合わせた百観音写し霊場コースなどを通って公園側へ移動します。
色とりどりの五大尊つつじ公園のつつじ
五大尊側のつつじはヤマツツジの系統が多く淡いオレンジ色が主体ですが、公園側はこのとおり強い色のものが多く、非常に華やかです。
ペタッチは、「これまでこんなに見事なツツジは見たことないわ〜」
越生町大谷
五大尊のつつじに感動したら、次は比企丘陵の中でもその南部に位置する岩殿丘陵とも呼ばれるあたりにある物見山公園へ向かいます。
越生町あたりは外秩父山地に属するのだと思いますが、その北の鳩山町やときがわ町は比企郡であることからもわかるように、比企丘陵に位置するのでしょう。
新緑の柿の木
このあたりは丘陵地ゆえに、不用意に走ると丘越えをしなければならなくなるので、できるだけなだらかな道を選んで進みます。
これは鳩川沿いの小道で、柿の木がいい色になっています。これはまだ新緑といっていいでしょうか。
大きくなった笠山
道はどんどん向きを変え、あの笠山が大きく正面に位置するようになりました。この山はどこからでも良く目立つので位置関係を知るのにとても役立ちます。
新緑の中を行くペタッチ
木々の成長は早く、桜が終わると新緑ですが、その期間はとても短く、あっという間に過ぎ去ってしまいます。今日はなんとかその最後に間に合ったといったところです。
サイダーとペタッチ
ときがわ町玉川に出たところで谷戸を東へ向かいます。
鳩山町須江の谷戸を行く
この谷戸はスケール感がとても良く、私が大好きなところです。
狭まった谷戸
鳩山町の奥田で東松山越生線を渡ると一気に谷戸は狭くなります。
砂利道になる
そして道は車はちょっと無理かなと思える幅になり、砂利道になります。
森が深まる
そして周囲は森に。
JAXA 地球観測センター
突然道が開け、舗装路に出たと思ったら、その横に『地球観測センター』という文字が見えます。なんとこのうしろは、あの巨大なパラボラアンテナがいくつもあるJAXAの地球観測センターなのでした。
この立地が人工衛星からの電波をキャッチするのに都合がいいということですね。確かに周囲にはほとんど何もなく、丘陵地なので地盤もしっかりしています。この時期は木々が鬱蒼としていてパラボラアンテナをうまく写すことができませんでしたが、この施設は見学できるのでいつか訪れてみたいです。
鳩山町市民の森
地球観測センターの東は鳩山町市民の森です。この森の緑はとても美しいです。
この中を行く道は『巡礼街道』と呼ばれています。これは平安時代から続く「坂東三十三観音」の霊場を結ぶ参拝路だったからです。具体的には、第9番札所の慈光寺(じこうじ)と第10番札所の正法寺(しょうぼうじ・通称:岩殿観音)とを結ぶルートにあたります。慈光寺へは先日行きましたし、岩殿観音は今日これからお参りします。
物見山公園
市民の森を抜けたところにあるのが岩殿丘陵の最高地点である物見山で、ここもつつじがきれいです。
物見山公園に登るペタッチとコテッチャン
ここは標高が少し高いからか、つつじの花はあらかた終わっていましたが、品種によってはまだ見頃のものもありました。
物見山から東松山方面を望む
この山頂付近からは東松山方面が良く見えます。
岩殿観音
物見山を下りたら、そのすぐ下にある岩殿観音にお参りします。
このお寺は718年開山とのことなので、1300年以上の歴史を持つことになります。とてつもなく長い年月です。
鐘楼
鐘楼の屋根は茅葺きで味わいがあります。
参道
その鐘楼に上って北東を見れば、きれいな直線の参道が伸びています。
岩壁の石仏群
お堂の横は切り立った岩壁で、その下の方がくり抜かれて石仏がたくさん並んでいます。
岩壁の石仏群2
ここに並んでいる数多くの石仏は、「写し本尊(うつしほんぞん)」と呼ばれるもので、日本を代表する巡礼地である「日本百観音」と「四国八十八ヶ所」のそれぞれの本尊を模して作られたものだそうです。
これは五大尊にあった四国八十八箇所写し霊場などと同じように、ここにお参りすれば、それぞれの場所に行ったのと同じご利益があるというものですね。よく見ると、千手観音、十一面観音、如意輪観音など、一つひとつ仏様の種類や表情が異なります。
大銀杏とサイダー
岩殿観音には目を見張るものがもう一つあります。大銀杏です。樹齢はどれほどかは想像もつきませんが、700年超らしく、この巨大さ!
大銀杏の根っこ
そしてその根っこがまたすごいです。複雑に絡み合って、なんだかお伽の国の話にでてきそうな姿です。
JAXAの巨大なアンテナを見た後に、岩殿観音の岩壁に並ぶ無数の石仏や銀杏の巨木を眺めると、人間が「未知のもの(宇宙)」へ寄せる期待と、「目に見えないもの(仏教・死生観)」へ寄せる祈りの両方が、この丘陵地に集まっていることを実感できるかもしれません。
岩殿観音の参道を下る
岩殿観音からは上から見えた参道を下ります。
道端に咲くアヤメ
道端にはアヤメの花がひらひらと。「いずれがアヤメかカキツバタ」というように、アヤメに似た花にはカキツバタ以外にもハナショウブなどがあります。これらが咲く順番は、アヤメ、カキツバタ、ハナショウブで、アヤメはちょうど今頃です。
高本山峠へ
ここからは東松山ぼたん園へ向かうのですが、どこかでひと丘越えなければなりません。このあたりは都幾川(ときがわ)が一番低く、その南に岩殿丘陵が広がっています。その中に低い高本山峠があるので、これを越えることにしました。
高本山峠
この峠は北側から上ると急勾配でかなりきついのですが、南側からは距離も短く、勾配もそうきつくはないので、あまり問題ではありませんでした。
峠には眺望はなく、「高本山峠」と書かれた小さな標識が道路標識の支柱に取り付けられているだけで、あまりパッとしません。
高本山峠からの下り
しかし、峠からは豪快な下りが待っています。
都幾川の稲荷橋
ガーッと勢いよく下った先には都幾川が流れています。以前はこの峠道が稲荷橋に直接繋がっていたのですが、ここのところこのあたりの都幾川は土手を改修しており、土手を乗り越える形で橋に取り付くように変更されていました。
それで稲荷橋も改修されてしまったかもと思ったのですが、これは無事でした。この稲荷橋は沈下橋で、このあたりでは珍しく四国の四万十川にあるのと同じようなコンクリート造です。コンクリート造の沈下橋には木造のそれとはまた違った趣があります。
西明寺沼
稲荷橋を渡ったら東松山の北にあるぼたん園に向かうのですが、この先は市街地を抜けなければならないのがちょっと辛いところです。牡丹は東松山駅前の箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)でも見られるのですが、こちらは規模が小さく、ぼたん園にはかないません。
東松山ぼたん園入口
東松山では箭弓稲荷神社のぼたん園が有名だったこともあり、牡丹が「市の花」に制定され、この市の花をより広く普及させ、自然豊かなレクリエーションの場を提供するために1990年(平成2年)に東松山ぼたん園が開園しました。
東松山ぼたん園内通路
ここは大型遊具なども設えられた公園で、子供も楽しく遊べるようになっていることもあり、この日は大勢の家族づれで賑わっていました。
赤紫色の牡丹
ここには現在150種、5,000株の牡丹があるそうです。以前は300種、9000株という情報もありましたが、これはちょっとオーバーだったのかも。 😅
真っ白な牡丹
いずれにせよ相当な数の品種があるので、ここではとても全部は紹介しきれません。この時はすでに早咲きのものは終わって、遅咲きのものも辛うじていくらか残っているという状況でしたので、その中で綺麗だったものを。
この白い花を見て、ティッシュペーパーみたいと言っている人がいます。そう言えば半世紀ほど前、まだあまり物資が豊かではなかった時代には、お誕生日会などではティッシュペーパーで作った花を飾ったものでした。
芍薬
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は・・・」 これは美人を形容する言葉ですが、元々は生薬の用い方をたとえたものだそうです。それはともかく、牡丹によく似た花に芍薬(しゃくやく)があります。この園では通路に沿って芍薬が植えられ、その内側に牡丹という配置になっています。
黄色い芍薬
「立てば芍薬」というのはこの花の姿もよく表しており、芍薬の花はスッと伸びた茎の頂部に付きます。先の言葉はすらりとした立ち姿を連想させますね。
一方、牡丹の方は枝が横方向に広がる性質があり、中心ではなく横にずれた低い位置でどっしりとした大きな花を咲かせます。「座れば牡丹」と言うように、座って落ち着いている様子を連想させます。
豪華なピンク色の芍薬
シンプルで清楚な花があるかと思えば、このように花びらがたくさんあってさらにそこにグラデーションがかかって豪華に見えるものもあります。
ピンク色と白色の対比
牡丹は木なので二本の木は近づいてもそれなりの距離ができて花が並ぶことはほとんどありませんが、芍薬は草なので、違う種類の花が並びやすく、その対比がまた面白くもあります。
白い花と丸い蕾
芍薬の蕾はまん丸で可愛らしいです。牡丹は室内には飾りにくいですが、芍薬は一本を蕾のうちに花瓶に刺しても良さそうです。
清楚なピンク色の芍薬
同じ系統の色のものでも、花びらの枚数やその形状などによって、まるで違う印象になります。先ほどのピンク色のものは豪華でしたが、これはとてもデリケートで清楚な印象を受けます。
パフェ休憩
初めてここを訪れたペタッチは、「いや〜、こんなにすごい牡丹と芍薬、見たことないわ〜。来てよかった〜」
今日は最高気温が20°Cということでしたが、実気温はそれよりだいぶ高いと思われます。ちょうど良い塩梅に園の奥の方にパフェを売っている移動売店が出ていたので休憩です。
アタシらみんなアイスクリーム好き! 😊
うしろに比企丘陵
東松山ぼたん園で牡丹と芍薬に感動したら、比企丘陵を背に東松山駅前に向かいます。比企丘陵は広義には物見山公園や岩殿観音がある岩殿丘陵を含みますが、狭義には東松山ぼたん園や武蔵丘陵森林公園があるこのあたりのことを指します。
市野川の土手を行く
東松山の市街地の外側には市野川が流れています。この川沿いの散策路を東へ向かい、行田東松山線に出たところから市街地に入ります。
箭弓稲荷神社
東松山駅前の箭弓稲荷神社に到着。
ここの創建は古く、奈良時代の712年と伝えられており、元々は五穀豊穣の神(保食神)を祀ったのが始まりとされています。創建当初は「野久(のきゅう)稲荷神社」と呼ばれていましたが、平安時代の1030年に、源頼信によって現在の名に改められたという伝説があります。
江戸時代に再建された社殿は立派で、国の重要文化財に指定されています。
箭弓稲荷神社の鳥居
平安時代の中頃、下総の国の平忠常の乱を鎮圧に向かった源頼信が、この野久稲荷に立ち寄り必勝を祈願しました。すると、白狐に乗った神が「箭(矢)」と「弓」を授けるという縁起の良い夢を見ました。その後、頼信は見事に敵を討ち、その神恩に感謝して「野久」を「箭弓(やきゅう)」と改め、立派な社殿を建立したと言われています。
バットやホームベース型の絵馬
今日は、「箭弓」が「野球」と同じ読みであることから野球関係者が必勝祈願に訪れているようです。ここには、バット型やホームベース型の絵馬、グローブの形をしたお守りなど、野球にちなんだ授与品があり、非常にユニークです。
箭弓稲荷神社の庭園
先に述べたようにここはぼたん園が有名で、これは1923年(大正12年)に東武東上線の延伸を記念して寄贈されたのが始まりで、現在は約1,300株の牡丹が植えられているそうです。残念ながらこの時その牡丹はすでに終わっていました。
箭弓稲荷神社のつつじ
しかし、つつじはまだ見頃のものもありました。
延命(ながらへ)のフジ
現在のここの最大の見所は藤棚でしょう。樹齢約250年とされるこの藤は「延命(ながらへ)のフジ」と命名されています。風になびく藤の花はなんとも幻想的です。
箭弓稲荷神社の大鳥居
延命のフジに感動したら箭弓稲荷神社を後にして、出発地の坂戸へ向かいます。
都幾川の土手を行く
坂戸へは都幾川(ときがわ)〜越辺川と土手に自転車道が続いているのでこれを行こうと下青鳥へ向かいましたが、この土手はまだ工事中でした。国土交通省のWEBの工事箇所からは削除されていたのに・・・
仕方がないので東松山橋まで下の道を行って、そこから土手道に入りました。
島田橋
高野橋から先はまた工事中の箇所があるので九十九川水門まで下の道を行き、そこから越辺川の土手を行きます。越辺川には沈下橋の島田橋が架かっています。この橋はこの辺りではもっとも古い類の木造の沈下橋で、とても趣があります。長く残って欲しい橋です。
越辺川
越辺川のゆったりした流れと今日最初に行った外秩父の山々を眺めながら、坂戸に向かいました。
