2021

ツール・ド・荒川区  名所江戸百景5

開催日 2020年12月19日(土)
参加者 /サイダー
総合評価 ★★
難易度
走行距離 26km
地域 首都圏

コース紹介

荒川区をぐるり。日暮里で名物の団子と大福をいただいたら、夕やけだんだん、諏方神社、修性院と巡り、都電を眺めて、あらかわ遊園、千住大橋、下町らしい三ノ輪の商店街、日暮里繊維街と廻ります。広重の名所江戸百景からは六景を。


集合場所    日暮里駅(JR山手線)
集合時刻    08:50
解散予定場所  日暮里駅(JR山手線)
持物      健康保険証、緊急時連絡先(実家など)のメモ、ライト、チューブ
企画者     サイダー
決行案内    開催前夜
備考       


地図:Googleマップgpxファイル/GARMIN Connect/Ride With GPS

検討用map:1 2

発着地 累積距離 発着時刻 ルート 備考
日暮里駅 START 発09:00 一般道 下御隠殿橋(トレインミュージアム)
20種2,500本/日の列車が見える
羽二重団子 0.5km 着09:05
発09:20
一般道 餡団子/焼団子/いちご団子/一本302円
本店09:00-17:00/日暮里駅前店10:00-18:00
江戸うさぎ 1.0km 着09:25
発09:40
一般道 妖怪いちご大福/260円/09:00-17:30
夕やけだんだん 1.6km 着09:45
発09:55
一般道 商店街入口の階段
延命院 1.7km 着10:00
発10:10
一般道 シイの巨木/幹周5.4m/樹高15m/推定樹齢600年
諏方神社 2.2km 着10:15
発10:30
一般道 名所江戸百景『日暮里諏訪の台
修性院
しゅしょういん
2.5km 着10:35
発10:45
一般道 名所江戸百景『日暮里寺院の林泉
花見寺、谷中七福神布袋尊
イアナック 3km 着10:50
発11:00
一般道 カレーパン
荒川車庫 9km 着11:30
発11:50
一般道 都電の車庫
都電おもいで広場/無料/古い車両2台展示
ふく扇 9km 着11:55
発12:05
一般道 たこ焼き400円、たこせん100円
あらかわ遊園 10km 着12:10
発12:20
一般道 23区中唯一の公営遊園地
町屋 14km 着12:40
発14:50
一般道 Puja/03-3800-1636
千住大橋 16km 着14:00
発14:20
一般道 名所江戸百景『千住の大はし
汐入公園 18km 着14:30
発14:50
一般道 名所江戸百景『綾瀬川鐘か渕
石浜神社 19km 着14:55
発15:10
一般道 名所江戸百景『真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図
三ノ輪橋 21km 着15:20
発15:50
一般道 商店街ジョイフル三ノ輪
日暮里公園 23km 着16:00
発16:10
一般道 名所江戸百景『蓑輪金杉三河しま
日暮里繊維街 25km 着16:20
発16:40
一般道 繊維関係の店90店舗が並ぶ
日暮里駅 26km 着16:50
日の入り16:30/名所江戸百景:Wikipedia地図国会図書館デジタルコレクション
錦絵でたのしむ江戸の名所浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」荒川区観光

名所江戸百景『日暮里諏訪の台』(安政三年(1856年)五月 春の部)

歌川広重作 名所江戸百景15『日暮里諏訪の台』(ひぐらしのさとすわのだい)

諏訪台通りを北へ向かうと、西日暮里公園の手前に諏方神社があります。諏訪台の名はこの神社が起こりとされています。

この絵はその諏方神社から北東を眺めたもので、右手下に見える屋根は現在の山手線の線路の向こう側となる日暮里村らしく、そこから人が登ってくる坂道は今も残る地蔵坂でしょう。遠景の山は右が筑波山、左が日光連山で間違いないでしょう。

小山の上から遠くを眺めた花見の図、これは王子の『飛鳥山北の眺望』と画材は同じで、中景の田圃にほとんど何も描かれていないことも共通しています。当時の江戸はもうこのあたりから外側にはほとんど何もなかったということでしょう。この絵ではそんな田圃の中に黄色の稲叢が二つ置かれています。画面中央に鎮座する杉の木も二本、筑波山の嶺も二つで、これらはどこかバランスを取り合っているように感じます。

名所江戸百景『日暮里寺院の林泉』(安政四年(1857)二月 春の部)

歌川広重作 名所江戸百景14『日暮里寺院の林泉』(ひぐらしのさとじいんのりんせん)

諏方神社を出て、今はもう富士山が見えない富士見坂を下ると、北に修性院があります。江戸時代はその南に妙隆寺があり、北の青雲寺と3寺院が庭を競い合い、このあたりは花見寺や寺院林泉と呼ばれるようになったと云います。

日暮里は、古くは新堀または入堀と書かれていたようですが、江戸時代の中ごろには日暮里と表記されるようになり、春は桜、秋は紅葉が美しく、日の暮れるのも忘れるということから『ひぐらしの里』とも呼ばれたそうです。

この絵は真ん中の修性院を描いており、藍染川の谷から東を見ています。広重の落款のすぐ上に見える刈り込みの舟は、この寺の呼び物だったと云います。鮮やかな緑色の木々は春の色でしょうか。その中にピンク色の桜が咲き、なぜか真っ赤な紅葉も見頃。この絵には季節というものがないようです。

崖の上には門が見え、その左に三十番神堂だという建物が立っています。この門の先は諏訪神社がある諏訪台通りでしょう。現在このあたりは建物で埋め尽くされてしまっており、庭と呼べるようなものは見当たりません。当時とあまり変わらないのは地形くらいで、諏訪台通り側が高くなっているのがかろうじて建物の並びで感じられます。

東都名所『日暮里修性院境内之図』

広重はここを東都名所でも描いています。『日暮里修性院境内之図』では左下の柵に囲まれた本堂から少し登ると小さな布袋堂で、さらに登ると大きな三十番神堂に出ることがわかります。枝垂桜、大きな松、ツツジの灌木、そしてあの舟の形の刈り込み。この刈り込みは『梅木舟』と呼ばれたようです。

また、東都名所では『日暮里』も描いていますが、これは歌川芳員(うたがわよしかず)のとそっくり。

名所江戸百景『千住の大はし』(安政三年(1856)二月 冬の部)

歌川広重作 名所江戸百景103『千住の大はし

千住の隅田川(当時このあたりは荒川と呼ばれていた)に架かる大橋は奥州街道の江戸の出入口でした。江戸幕府は江戸防衛のため架橋を最小限に制限していましたが、この大橋は家康が江戸に入った4年後の1594年に架けられ、1661年に両国橋が架かるまで隅田川で唯一の橋でした。

この橋は何度も改架、改修が施されましたが、明治18年(1885年)に洪水で流失するまで一度も流失がなく、実に300年近く生き存えました。これは堅牢な構造に加え、仙台藩の伊達政宗が調達した腐れに強い高野槇を使ったためとされており、現在もその橋杭が残っているそうです。(参考:伊達政宗伝説の高野槙橋杭

この絵は荒川区側から隅田川の上流方面の北西を見ており、橋向こうが千住宿。遠景に描かれている山はその方角から秩父連山とする説が多いようですが、ヘンリー・スミス(広重 名所江戸百景/岩波書店)は日光連山としています。これはこの山の描かれ方の共通性からという以外に、ここが日光街道の出発点として持つ象徴的な意味を強調したかったために、雲で画面を上下に分け、二つの異なる視界を描いたのだろうと述べています。

名所江戸百景『綾瀬川鐘か渕』(安政四年(1857)七月 夏の部)

歌川広重作 名所江戸百景63『綾瀬川鐘か渕』(あやせがわかねかふち)

広重は名所江戸百景の隅田川遡上シリーズを『佃しま住吉の祭』で始め、その北の端を描いたこの絵で終えています。隅田川西岸から北東の綾瀬川との合流点を望んだものです。

地図で見ると川は大きく蛇行しており、上流側に荒川の記載があることから、この時代は隅田川の上流部は荒川と呼ばれていたことがわかります。つまり広重が描いたここは事実、隅田川の北の端だったわけです。当時、今の荒川(荒川放水路)はまだなく、綾瀬川がここで合流しているのもはっきりわかります。『鐘が渕』は東武伊勢崎線の駅名にもあるようにこの対岸あたりの地名で、この名は寺の鐘が洪水で流されたことに由来するもののようです。

綾瀬川には小さな橋が架かっています。これは現在の墨堤通りに架かる綾瀬橋の前身でしょう。絵を縁取りするように配されているのは合歓の木で、淡いピンク色の花がなんだかとってもモダンに見えます。舟の舳先、粋な網目柄の衣装の筏師は何をしているのか、ただ竿を川に突っ込んだまま立ち尽くしているよう。その上を白鷺が舞っているのどかな風景。

名所江戸百景『真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図』(安政四年(1857)八月 春の部)

歌川広重作 名所江戸百景36『真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図』(まつさきへんよりすいじんのもりうちがわせきやのさとをみるず)

隅田川西岸の真先稲荷明神社(現在は石浜神社内に遷座)の前、田楽茶屋で有名だった甲子屋(きのえねや)の二階から北東を望んだものとされ、遠景には筑波山が描かれています。丸窓と白い障子によって切り取られた外の風景と暗い室内の対比が秀逸。

花は白梅、そして室内の左隅に白い椿。ヘンリー・スミスは梅の花から、季節は真先稲荷の初午詣で(はつうまもうで)の頃で、祭礼で賑わう表の様子が連想されるとし、時刻は宵闇迫る頃で、江戸の通人はこのあと西の吉原へ向かうのだろうと述べています。また、真先稲荷は花魁の厚い信仰を集めていたとも。広重が描いた室内の絵にはこの絵に限らず、ひっそりとしたという以外にどこか、色っぽい秘めごとを含んでいるものが多いような気がします。

中景の木立の中には水神の森の神社の鳥居と灯籠。右奥へ延びるのは内川(うちがわ)と呼ばれた水路で、現墨田区の東白鬚公園の横にある木母寺に通じていたようです。さて関屋の里はと言えば、これは筑波山の下に見える一帯で、木母寺より北の隅田川左岸、現在の千住仲町から千住関屋町あたりで、江戸時代には風光明媚な土地として知られていたそうです。

広重はこのあたりを銀世界東十二景『真崎の大雪』でも描いていますが、こちらは隅田川から真先稲荷明神社を見たものになっています。

名所江戸百景『蓑輪金杉三河しま』(安政四年(1857)閨五月 冬の部)

歌川広重作 名所江戸百景102『蓑輪金杉三河しま』(みのわかなすぎみかわしま)

画題の蓑輪は現在の三ノ輪、金杉は金曽木(根岸)、三河しまは三河島で、ここでは三つの村名が並べられています。これはどう理解すればいいのか。ヘンリー・スミスは蓑輪と金杉から西ないし北西に広がる三河島を眺めたところとしていますが、三つの村の真ん中辺り、あるいは単にこれらの村の辺りともとれそうです。

近景に大写しの鶴。こうした構図は広重が度々使う手の一つで、ここではドーンと鶴を持って来ることで、『長寿を表わすおめでたい鳥という概念に訴えかけようとしている』(ヘンリー・スミス)そうです。今日はこの概念(鶴=おめでたい鳥)はかなり薄れた思いますが、半世紀ほど前までは確かにそうしたものが残っていたように思います。鶴は頭が赤いので、今日の日本では北海道に僅かしか生息していないタンチョウとわかります。

当時の三河島はタンチョウの飛来地であり、『鶴の御成り』という将軍が朝廷に献上する鶴を捉える鷹狩りの場となり、鶴の飼場があったそうです。この頃三河島と聞けば、鶴が連想されたと言っていいでしょうか。この飼場には鳥見名主がおり、当然ながら鶴の世話をするものがいました。中景で天秤棒を担いでいるのがこの世話係だろうと。鶴は囲いの中で飼われていたそうで、右端の木の根元に見えるのがそのための茅の柵らしいです。この飼場は三ノ輪交差点の西あたりにあったそうで、将軍は鷹狩りの折には観音寺で休憩したと云います。

この写真では判然としませんが、鶴の羽には空摺りが施されています。

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