郡山盆地の端っこで奥羽山脈の入口にある磐梯熱海温泉で朝風呂に浸かります。
この宿には数ヶ所お風呂がありますが、朝は露天風呂へ。その前にある内風呂には二種類の湯舟があり、一方は小さな浴槽で水風呂かと思いましたが、これは江戸時代から湯治に使われてきた36°Cというかなりぬるい源泉から引かれているもののようです。
温泉でさっぱりしたらバイキングの朝食をたっぷりいただき(←食べ過ぎ!)、出発準備を整えます。
今日はここから中山峠を越えて猪苗代湖の南岸を廻り、会津へ入ります。
中山峠まではずっと上りなので、電動アシストの調子が悪いレイナはここから猪苗代湖の北東岸にある上戸駅(じょうこえき)まで磐越西線で輪行することにしました。上戸駅には今日から参加のベネデッタも来ますから車内で会えるでしょう。
コテッチャン、サリーナ、サイダーの3人は自走で上戸駅へ向かいました。天気予報では今日は気温がかなり高くなるようで、風も強く7m/sという時間帯があるので、ちょっと厳しくなるかもしれません。しかも風は朝からずっと向かい風のようです。
磐梯熱海から五百川沿いを上って行きR49に合流したら、そこからは一本道です。
r49はそれなりに交通があるのであまり走りたくないのですが、上戸駅までは9kmほどなのでなんとかがまんできる範囲内でしょう。
r49には全長500mの中山トンネルがあります。
このトンネルができる前は山中峠を経由していたのでそちらを廻ろうと思っていたのですが、その旧道は通行止めになっていました。様子からするとこの旧道はおそらくそう遠くない時期に廃道になりそうです。
中山トンネルは比較的最近造られたものなので、自転車が通って不安がない程度の歩道が整備されていたので助かりました。
上り坂と向かい風に耐えて中山トンネルを抜けたら、それ以後はほぼ平坦です。
上戸駅の少し手前でR49を離脱し、田んぼ道を行きます。
この田んぼ道はR49と打って変わってまったく交通がありません。
道端にこんな石仏や石塔が置かれてました。こうしたものがあると言うことはこの道は古くからあるということですね。地名を見ると古屋敷や宮前というものがあり、この集落もそれなりに古くからのものであることを伺わせます。
磐越西線の線路に出たところでレイナとベネデッタが乗っている列車を待つことにしました。
5分ほどするとその列車がやってきたので、お〜い! と手を振りましたが、レイナとベネデッタの反応はありませんでした。
すぐに上戸駅に向かいますが、そこにレイナとベネデッタの姿はありません。
えーっ、どうしたの、2人とも乗り遅れた? それとも降り忘れたの? となりましたが、メイルを見ると、車内でなんと今日の夕方から参加するはずだったシロスキーといっしょになり、風が強いこともあり、シロスキーが計画していた猪苗代湖の北西岸を走るショートコースをみんなで走ることにしたんだそうな。
あ〜びっくりした〜
ということで、こちらも向こうも3人づつでそれぞれのコースを走り、うまくいったらどこかで合流しようということに。ここからはコテッチャン、サリーナ、サイダーのグループをS組(スタンダード組)、レイナ、ベネデッタ、シロスキーのグループをP組(ポタリング組)と呼ぶことにしました。
ということで、S組は上戸駅を出て田んぼの中を猪苗代湖へ向かいます。
猪苗代湖で最初に出たのがこの上戸浜。広くはありませんが静かで気持ちのいい浜です。
そしてその先についに磐梯山(1,816m)の姿が!
私たちの前にゆっくりと姿を現した磐梯山ですが、この山は1888年(明治21年)に北側で起こった水蒸気爆発により山頂部分が吹き飛び、現在見る二つ頂があるような形状になりました。今日これからしばらくは猪苗代湖とこの磐梯山が風景の主役です。
実は磐梯山の大規模な爆発は5万年ほど前にも表磐梯側で起きているようで、この時に川が塞き止められて猪苗代湖ができたと考えられています。猪苗代湖唯一の島である翁島は、その時に生じた流れ山の一つだそうです。
ここから猪苗代湖を時計回りに進んで行きます。
磐梯山をうしろに猪苗代湖の東岸を南下します。
浜路浜取水塔が見えてきました。この給水塔は郡山市の全給水量の約8割を供給している堀口浄水場へ猪苗代湖の水を送っています。
取水塔に近づくと、『オランダ釣り禁止』と大きく書かれています。オランダ釣りは糸の先に寄せ餌を入れたカゴを付け、擬似針となるビーズを付けた針を複数持つ仕掛けを用いた釣り方で、一度にたくさんの魚を獲ることができるそうです。これで釣るとすぐに魚がいなくなってしまうほど釣れるということでしょうか。
S組が浜路浜取水塔を眺めていた頃、P組は猪苗代駅に着き、自転車を組み立てて出発の準備をしていました。P組はこのあと猪苗代湖の北岸を西へ進み、旧有栖川宮家・高松宮家翁島別邸であった天鏡閣(てんきょうかく)や安積疎水(あさかそすい)開削事業のシンボル的構造物である十六橋水門などを見ながら会津に入る予定だそうです。
ちなみに安積疏水の基本設計をしたファン・ドールンはオランダ人です。この方とオランダ釣りとの間には何か関係があるのでしょうか。まあ、関係ないか・・・
浜路浜取水塔のすぐ先で小川を渡り、r9猪苗代湖南線から湖岸道路に入ります。
郡山から猪苗代湖へ抜ける道の一つである御霊櫃峠(ごれいびつとうげ、876m)を経る道は、ここの浜路の集落に出て来ます。
先ほど入った湖岸道路はその名の通りに湖岸を通ってはいるのですが、道と湖との間には木々が茂っていて湖面はあまり見えません。そこで適当なところで林を通り抜けて湖岸へ出てみることに。
抜けた先はこんなところ。
ここは舘浜というところのようですが、この時、猪苗代湖にはまったく人影がありませんでした。
ちなみに猪苗代湖は日本の湖としては4番目の大きさを誇っています。その面積は100km²ちょっとで、これは東京都の青梅市や千葉県の野田市とほぼ同じです。こうして見ると猪苗代湖の周囲が山に囲まれているのがよくわかります。
舘浜でしばしまったりしたら湖岸道路に戻って南下を続けるのですが、浜前で田んぼ道にシフトしてみました。このあたりの標高は500mちょっとと少し高いので、田んぼは昨日まで見てきた状態とは少し異なり、田植えはこれからというところが多いです。
ここからも低い山が見えますね。
猪苗代湖に流れ込む舟津川を渡ります。
猪苗代湖にはたくさんの川が流れ込んでいますが、水の出口はと言えば現在は大きくは2つで、その1つは十六橋水門がある阿賀野川水系の日橋川、もう1つは阿武隈川水系の安積疏水路で、前者は日本海に、後者は太平洋に流れています。こう書くと一見猪苗代湖は日本の大分水嶺を成しているように見えますが、事情は少し複雑です。先ほど浜前で見たように、この東側には山があるのです。
標高を見ると猪苗代湖は515mで山中峠は525m。人工的に造られた安積疎水は中山峠の下をトンネルで抜けて五百川に落ち、安積原野とも呼ばれた郡山盆地に給水したのです。この安積疎水が造られるまで、猪苗代湖から出て行く川は日橋川だけでした。つまり本来は猪苗代湖の水は日本海に流れて行くはずのものなのです。自然の大分水嶺は猪苗代湖より少し東側の中山峠や御霊櫃峠を通っています。
舟津川を渡るとすぐに舟津公園です。
ここには食堂や民宿が数軒ありますがこの時は営業していないようでした。
舟津公園のすぐ先には湖南港があります。この時そこには一隻の船も停泊していませんでした。どうやら定期船や遊覧船のようなものはここには就航していないようです。
しかしその桟橋の先には、磐梯山が猪苗代湖の中央に浮かんでいるように見えます。
湖南港を出るとその先でちょっとした上りになります。ここは小さな半島で、その先端付近には岩肌が剥き出しになった屏風岩があります。
この上り口に面白い看板が立っていました。『自転車通行できます』 これは一体なんなんでしょうかね。こういうところにあるのは大抵『自転車通行禁止』や『車両侵入不可』など、この先は通っちゃだめよ看板なのですが、通行できますは始めて見たような気がします。車と歩行者はどうなのと思ってしまいますが、それはもちろん問題なく通行できるのでしょう。
高度で35m上って(笑)ピークに達すると、猪苗代湖の湖面が下に見えます。ほんの少し上っただけですが、景色というものは変わるものですね。
ここから見ると猪苗代湖の水はとても青く見えます。
ピークを越えて湖岸の標高520mまで下ると景色は一変し、今度は小さな入り江を行くようになり、水は茶色になります。
地名に鬼沼とあるので、ここは猪苗代湖から分断された沼なのかもしれません。良く見れば先の方には砂嘴のようなものが見えます。
砂嘴を過ぎると再び湖水は青くなり、燦々とした陽の光を浴びながら進みます。
青松浜をかすめて田んぼの中を行き、中浜と秋山の集落を通り抜けます。
秋山の集落の外れを流れる常夏川の岸辺には菜の花がいっぱい。川の名は常夏ですが、ここはまだ春!
S組が常夏川を渡っている頃、P組は天鏡閣へ向かっていました。
天鏡閣は湖岸から少し入ったところに立っており、そこまではちょっとした上りです。P組で只一人電動アシスト自転車ではないベネデッタは必死にレイナとシロスキーを追いかける羽目に。
う〜、あたしも電動ほしい〜ぃ!
天鏡閣に着いた三人は見学はあとにして、なにはともあれお腹が空いたとお弁当をいただくことに。
今日は日差しが強くかなり暑いので、パラソルがあってよかった〜
一方のS組は常夏川が猪苗代湖に流れ込むところに広がる秋山浜でお弁当にしました。
ここは松林の先に白い砂浜が広がる素敵なところです。
お弁当を食べ終えたコテッチャンは一人、浜辺に打ち寄せる波としばらく遊んでいました。
そして、この湖はとっても広くて波もあるし、もしかして海じゃあないのかな・・・と、水がしょっぱいかどうかちょっと舐めてみるのでした。
少しまったりしたら秋山浜を出発します。
この写真を見ても分かりますが、この辺りは結構複雑な地形をしています。
小さな小志田の集落を通り過ぎると、その先で再び上りが始まります。
これまではずっと湖岸を進んでいましたが、ここからしばらくは湖岸に道がなく、金山という低い山を廻るようにして進んで行きます。
ピークは680m付近にあるので160mほどの上りです。ちょっとエッコラヨッコラして辿り着いたそのピークは郡山市と会津若松市の市境になっていました。
これで下りだと思ったら、この先にもう一つほとんど同じ高度のピークがあり、がびーん!
S組がピークに向かって喘いでいる頃、P組は安積疎水関連設備の十六橋水門を眺めていました。
十六橋水門は1880年(明治13年)に安積疏水事業の一環として猪苗代湖をダム化するために整備されました。阿賀野川水系の日橋川に設けられており、このゲートを調整することで安積疏水へ猪苗代湖の水を流したのです。当時は16の石造のアーチでできていましたが、大正期に建設された猪苗代第一発電所に併せて大規模な改修が行われたそうです。
S組は再びエッコラヨッコラし、なんとかもう一つのピークを乗り越えました。
そしてそこから下るとこんな田んぼの中に出ました。
この田んぼの先には浜という集落があり、飲料水の自動販売機がある民宿が一軒あります。
今日の猪苗代湖の南岸は補給ポイントがとても少なく、この一軒を頼りにしていたのですが、残念ながら当てにしていた自動販売機は壊れていました。今日はとても暑いので飲料水が尽きてしまったコテッチャンは何度もお金を自動販売機に入れ直すのですが、どうしても受け付けてもらえませんでした。サイダーが予備の飲料を持っていたので、これをコテッチャンに分けてあげてなんとかコテッチャンは喉の乾きを癒すことができました。
その少し先の崎川浜(さっかはま)で一休み。
猪苗代湖は浜辺に立つと大抵どこからでもそのほとんど全部が見渡せるのですが、山の位置が微妙に変わっていくのが面白いです。ここでは磐梯山は左の端に寄ってしまっていますね。
伸びやかな崎川浜の湖岸に満足のジャンプをするサリーナ。
ここでP組から連絡があり、十六橋水門を出て『会津藩二十二士の墓』へ向かっているとのこと。ここから『会津藩二十二士の墓』まではまだ大分あり、P組との合流はむずかしそうなので、宿で合流することにしました。
崎川浜を出るとまたまた上りです。
猪苗代湖の南岸には結構アップダウンがあるのです。
木々にまだ新緑の装いが残る中、その緑を楽しみながらゆっくり上って行きます。
少しエッコラヨッコラしてピークに到着。
これで猪苗代湖の上りは終了。
下りの途中からはまた青い猪苗代湖が見えます。
この先は石英安山岩の柱状節理でできている半島状の材木山で、その手前を廻って中田浜に下ります。(TOP写真)
中田浜にはレジャーボート用らしい浮き桟橋が二本、猪苗代湖に突き出ています。
浮き桟橋に繋がれたボートを眺めながら進んで行くと、今度はたくさんヨットが係留されているところに出ました。
ここは入り江を利用した中田浜マリーナです。
笹山集落の少し手前のオートキャンプ南からは磐梯山を隠すようにして猪苗代湖の北岸に鎮座するまあるい頭の名倉山が見えます。
その右には猪苗代湖で唯一の島、磐梯山の噴火による岩なだれで運ばれてきた流れ山の翁島あります。
笹山からは猪苗代湖を離れ、戊辰戦争で会津藩の白虎隊と薩長軍との激戦の地となった戸ノ口原をかすめ、会津のまちへ向かいます。先ほどP組が向かったと言う『会津藩二十二士の墓』はこの道中にあります。
『会津藩二十二士の墓』が近づくと道はダートに。
『戊辰の役殉難 会津藩二十二士の墓』は鄙びた道の横の林の中の小高いところにありました。左の墓石には『会津藩士16人の墓』、右のそれには『会津藩士6人の墓』と彫られています。
この墓は戦後、野山に朽ち果てようとしている会津藩士の遺体を哀れに思い、近くの集落の人達が遺体を回収して葬ったものだそうです。この上にもいくつかの墓石と供養塔がありました。
会津藩二十二士の墓を出るとすぐ、路面はアスファルト舗装になります。しばらく行って強清水でR294を越えると、白河街道の新道でかつてR49だった道に入ります。かつての白河街道には沓掛峠がありますが、この道はR294からずっと下り。この下り勾配が穏やかになると、宿場町だった金堀の集落を通過します。
金堀からまっすぐに下ると白河街道の滝沢峠ですが、その先はダートで私たちの自転車ではちょっときつそうなので、R49の旧道をさらに下ります。
この下りは幅員が広い割に交通はほとんどなく、勾配が適当で周囲は緑に囲まれ、かなり快適です。秋の紅葉の頃はさぞきれいだろうと思わせるところです。
下に会津若松のまちの北部田園地帯が見えてきました。
田んぼばっかり〜(笑)
下りがほぼ終わり、市街地の端の山裾を進んで行きます。
道が白河街道にぶつかると、いよいよ会津のまちに入ったという感が強くなります。
この白河街道をまっすぐ行き旧道に入れば、滝沢峠を経て金堀の集落に抜けます。
白河街道を僅かに下ると旧滝沢本陣の前に出ます。
ここは明日見学することにして、P組が待っているであろう宿へと急ぎます。
その頃 P 組は会津若松のマンホールカードをゲットしに行った帰りで、七日町で優雅にお茶をしていました。
しかしこのあと、シロスキーの迷子事件があり、宿へはS組より大分遅れて着くことに。
私たちの今宵の宿は会津の奥座敷と言われる東山温泉にあります。
東山温泉は鶴ヶ城から南東に3kmほどと街中から程近いものの、湯川(ゆがわ)を少し遡った山の中にあるので、ちょっと上らなけれればなりません。
東山温泉の開湯は8世紀後半とされ、かなり歴史があり、現在営業している旅館も大型なものが多いです。
さすがに今日では廃業した旅館などもあり、一昔前の繁栄はなくなっているように見受けられますが、まだ多くの旅館が営業しているのは立派です。
私たちは実は大きな施設は好まないので、できるだけ小さな宿を選びました。
これが今宵お世話になる有馬屋さん。
囲炉裏があるなかなか雰囲気の良い宿です。
夕食はその囲炉裏で岩魚や五平餅といったものが焼かれます。豪華ではありませんが、一般的な宿飯とは違ったセンスの良いものだと感じます。
今日はS組とP組と別行動になりましたが、明日はいっしょに会津若松を散策します。