以下は前回の記録
小山駅
2016年の花見企画第五弾は栃木県。先週の企画の折、コンタが栃木の桜は来週が見頃というので、緊急企画の発動となりました。スタートはJR宇都宮線の小山駅。
ここでは『おやま千本桜まつり』が行われています。この千本にはあまり意味はないようで、小山市内のあちこちの桜の名所で行われるイベントをまとめて、千本桜まつりと呼んでいるようです。
城山公園
駅前からメインストリートの祇園城通りを行けば、その両側には染井吉野より若干赤みの強い花を付けた桜が並んでいます。二日前の雨で東京都心の染井吉野は散ってしまいましたが、ここの桜はこれからです。
中世に栄えた小山氏の城跡である城山公園が近づくと、その桜は五分咲きほどになっています。きっとこれが思川桜(おもいがわざくら)でしょう。
城山公園より思川桜堤を望む
城山公園に入ればそこに咲くのは染井吉野で、これは散り始めていますがまだ結構残っています。
公園の一角の高台から思川(おもいがわ)方面を見ると、川向こうに巨大な建物が建ち、その下の堤がピンクになっています。あそこに咲くのが思川桜です。思川の畔に咲く思川桜。
思川の土手を行く
観晃橋を渡り思川の右岸に出て、先に見える思川桜の元へ向かいます。
思川桜堤
思川桜は土手の上ではなく中程に並んでいて、その下は遊歩道になっています。
思川桜その1
全体としてはまだ三〜五分咲きで蕾も多いのですが、中には七分咲き程度のものも。
思川桜その2
思川桜はこの地で発見されたもので、小山市の花にもなっています。
花弁は10片ほどで半八重咲き。染井吉野と八重桜のちょうど間くらいの時期に咲き、色は染井吉野より少し赤みが強い。
思川桜その3
木も花も柔らかい印象で、『はんなり』かな。
ちなみに『はんなり』の語源は「花なり」らしいです。
豊穂川沿いに入る
思川の土手を南下すると、それはその支流の豊穂川で途切れます。
ここからはこの豊穂川に沿ってしばらく北上します。
柴桜、菜の花、染井吉野
するとすぐ染井吉野の並木になります。ここは花吹雪で、川面には白い花びらがびっしり。
豊穂川沿いの自転車道を行く
豊穂川の左岸には自転車道があり、その足下には真っ赤な柴桜が。
この自転車道はだれも通らず、気持ちいい。
麦畑と栃木の山々
快適な豊穂川の自転車道が終わったので、畑の中を西へ向かい、巴波川(うずまがわ)の流れに乗り換えます。
ここの畑は初々しい緑の麦で、その向こうには、このあと上る太平山(おおひらさん)を含む山々が見えています。
巴波川
途中、いつものようにちょこっと非舗装路に突入したりもするのですが、なんとか巴波川に出ました。
巴波川に咲く桃
土手には菜の花と、鮮やかな三色の桃の花が咲いています。
この川を遡ると、自動的に栃木市内に入って行きます。
栃木の中心部
巴波川の枝の細い水路沿いから、栃木の中心部に出ました。
そこは再び巴波川本流となり、川面には竹竿で進む小舟が浮かび、その上にたくさんの鯉のぼりが泳いでいます。
幸来橋と塚田歴史伝説館
栃木は日光例幣使街道の宿場町であり、巴波川の水運により栄えた街でした。江戸時代の巴波川は流れが急だったため、両岸に舟を綱で引くための綱手道(つなてみち)が造られたそうです。
うしろに見える建物は、江戸時代後期より木材回漕問屋を営んできた豪商の塚田家。
蔵の街美術館
栃木にはたくさん見世蔵や土蔵が残っていますが、今回はここを。
現在『蔵の街美術館』となっているのは200年ほど前に建てられた土蔵で、通称『おたすけ蔵』。この通称は江戸時代末期、豪商だった善野家が貧しい人々のためにお金や米を放出したり、失業者対策として蔵を建てたことに由来するそうです。
栃木市役所別館
これは旧栃木町役場庁舎で、かつて県庁があった場所に建っており、周辺には県庁堀が残ります。
現在の栃木県は、廃藩置県後、宇都宮県と栃木県に分れていました。それが合併し現在の栃木県が誕生しますが、その当時の県庁所在地がここだったのです。
錦着山公園
栃木の中心部からは太平山に向かいます。
市内を出ると正面に見え出すのが、このぽっこりした錦着山公園。ここにもまだ大分桜が残っています。
永野川
錦着山公園の裾野を廻るようにして進めば、すぐ永野川の橋を渡ります。
この永野川の土手にも桜。
遊覧道路
永野川からは太平山遊覧道路と呼ばれる道になります。
この道は桜並木で、その数七千本! この桜は太平山の上まで4km続きます。
遊覧道路を行く
遊覧道路になると、道はわずかに上りに。
しかしこの序盤はごく緩い勾配なので、問題なし。
続く桜並木
染井吉野は一年にいっぺんしか咲きませんが、それでもこぞって植えるのは、この艶やかさがみんな好きなのでしょうね。
ここは全員感嘆のため息をつきながら、ゆっくりのんびり桜を眺めながら進みます。この道の桜は本当にすごい。
やってきた坂道
道脇がゴルフ場になると、これまであまり感じなかったペダルに抵抗を感じ出します。少し勾配が上がってきたようです。
遊覧道路に入って2km少々するとゴルフ場がなくなり、周囲は森になります。同時に桜並木もなくなり、道の勾配が一気に上昇。いよいよ本格的な上りになったのです。
桜並木が復活
道が急カーブを描くところからは増々勾配が上がり、ここはちょっとハヒハヒ。
そんなところは押してもいいのさ。ジオポタだからね。もうここまで来れば太平山の随神門までは1.5kmほどなので、ほとんど押しても20分もあれば上れます。
さらに上って行くと、一時なくなっていた桜並木が復活し、片側の空が開けてきます。
太平山神社随神門
そしてなんとか太平山神社の随神門の前に到着。
ニリンソウ
この階段横にはジオポタの花、ニリンソウが咲いていました。
ニリンソウは同じところから二輪、花が出るのです。ここではそれがはっきり見られます。
太平山神社へ
随神門の横に駐輪して、太平山神社にお参りです。
ここは急な階段の上りで、またハヒハヒ。
太平山神社
階段を上り切った先にある太平山神社はかなり立派で、大きなしだれ桜が満開でした。
この神社からは眺めもよろしい。すぐ手前には花吹雪の桜、その先に、先ほどまでいた栃木の中心部が見えています。こうしてみるとずいぶん上って来たんですね。(TOP写真参照)
眺めを楽しみながら、ここの茶屋でお昼に。
謙信平
目と身体に栄養を与えたら随神門まで降ります。ここからはもう下りだけ、と思ったらそうはいかず、謙信平までまだ上りがあるのでした。
もっともこれは距離にして200mほどだから、どうということはありません。
謙信平から南西を見る
謙信平の名は、かの上杉謙信が太平山から関東平野を見渡し、あまりの広さに目を見張ったという言い伝えから来ているそうです。
ここには茶店が何軒かあり、この桜シーズンは結構な賑わいです。茶店の先から南西を見れば、晃石山(てるいしさん)から馬不入山に掛けての稜線が見え、その先に三毳山(みかもやま)も。これらの山々の裾野には関東平野となる平地が広がっています。
謙信平からの下り
謙信平で一服したら、いよいよ待ちに待った下りです。
ここからは一気にビュビューンと。
初々しい新緑の山
若葉が芽吹いた山は美しい。
山と桜
山の中の桜も。
大中寺のしだれ桜
ぐわ〜んと下って太平山の裾野にある大中寺に到着。
ここは山門近くのしだれ桜がきれい。
大中寺の椿
この寺は上杉謙信が北条氏康と和議を結んだところだそうです。この和議のあと、謙信は太平山に登って関東平野を見渡したとか。
またここには、七不思議伝説なるものが残り、怪談「雨月物語」の青頭巾の舞台でもあるようなのですが、そうしたおどろおどろしい話より、境内に咲くきれいな大きな椿の花でもどうぞ。
太平山から晃石山の稜線
大中寺から下って池の畔からうしろを振り向けば、太平山から晃石山を繋ぐ複雑な稜線と、芽吹いたばかりの初々しい山の中に咲く白い桜が見えます。
ああ〜、春だぁ
白戸家戸長屋敷
ここからはもう平地。ちょちょっと進むと『おおひら郷土資料館』です。ここには実は二つの施設があります。一つは写真の白戸家戸長屋敷で、これが『おおひら郷土資料館』。これは一見の価値あり。江戸時代の大庄屋で、戸長屋敷とあるように廃藩置県後も戸長(村長のようなもの)の任に当たった名家です。
もう一つは『おおひら歴史民俗資料館』で、旧大平町の歴史的民族的資料を展示しています。各々100円で入場できるのですが、両方入るとお茶付きになるのだ。このお茶スペースがちょっとした休憩にもってこいなので、私たちは200円払ってここでまったり。
歴史民俗資料館横の桃の花
その横には素敵な桃も咲いています。
桃は桃で桜にない美しさがありますね。
ぶどう畑の中を行く
おおひら郷土資料館を出たら、ぶどう畑の中をどんどこ。
このあたりは葡萄の産地で、そこら中ぶどう畑なのです。
晃石山
日本の山の多くは針葉樹が植林されて広葉樹はあまり見られませんが、太平山から馬不入山にかけてのここの山にはかなり広葉樹が残っていて、この時期は見事な新緑に覆われています。
山を眺めながら進む
そんな山を眺めながらどんどこ行くと、
岩船山
あちこちが削り取られた岩船山が見えてきます。
この山で採れるは岩船石といい、土木資材として重宝される凝灰岩の一種で、昭和時代まではもの凄い勢いで採掘されていましたが、現在採掘が続いているのはごく一部のようです。最近は火薬を使った爆発シーンの撮影地として有名になっているとか。
みかも山
岩船山の次に見えるのは三毳山(みかもやま)。
この山の半分は公園になっており、カタクリ、アズマイチゲ、ニリンソウなどが自生しています。斜面一面を紫に染めるカタクリはきれいなのですが、そのピークは3週間近く前だったのでもう終わっているでしょう。ニリンソウは今が見頃かな。
みかも山横を行く
ちょっと風が出てきました。この分では渡良瀬川以降は向かい風になりそうと、三毳山に寄るのは止して先を急ぎます。
渡良瀬川
田んぼの先に車が走っているのが見えると、その先が渡良瀬川です。この土手の斜面は黄色い菜の花でいっぱい。
渡良瀬川の土手上には自転車道があるので、これを使って古河まで下ります。
東武線の鉄橋
この自転車道は遮るものがないので、案の定向かい風がきつく、ちょっとハヒハヒ。
対岸にグライダーが降りて行くの眺めながら進んで行くと、左手に桜が咲き出し、遠くに白い鉄橋が見えてきます。良く見れば鉄橋は二本重なっています。手前の鉄橋は東武線で、その向こう側にあるのはr9のようです。
土手を這い上る
r9の鉄橋を渡り渡良瀬川の右岸を行くとすぐ、r11の橋の袂に出ます。このr11を横切るのはいやだなと思って橋の下へ下りれば、その先は砂利道になり、上に復帰する道もなし。
ありゃどうしようか、と思っていると、先人が付けた獣道のような極細道が見つかったので、ここで自転車を押し上げます。これはジオポタでは良くあるパターン。
渡良瀬遊水池西の自転車道
r11のすぐ東で自転車道は二手に分れます。今回は渡良瀬遊水池の西を行く方を使います。いつの間にか山があんなに遠くなっている。
分岐のすぐ先にある藤岡渡良瀬運動公園にはカメラマンがたくさん集まっていました。このあとここでバルーンが上げられるんだそうです。ちょっと見てみたかったのですが、その時刻はだいぶ後ということなので、これは断念。
谷中湖
渡良瀬遊水池には三つの川が流れ込んでいます。今日使った、思川、巴波川、そして今走っている渡良瀬川です。この三本の川で分けられた領域がそれぞれ調整池としての機能を持っていますが、そのうちもっとも大きなゾーンにあるのが谷中湖。
向かい風にあえぎつつ進んで、なんとかその谷中湖に到着。この湖は上から見るとハート型でロマンチックなのですが、ここは実は足尾鉱毒事件と深い関係にあります。
渡良瀬川と古河のまち
谷中湖の周りをしばらく走り、南の端でこれを離脱するとすぐ、渡良瀬川に架かる三国橋の向こうに古河の街が見えてきます。
古河城跡を行く
古河は日光街道の宿場町で、古河城の城下町でした。
その古河城の本丸から三の丸にかけては、現在は渡良瀬川の河川敷になってしまっていて何もありませんが、出城の跡に建つ古河歴史博物館付近には、土塁と堀が残っています。
武家屋敷の塀
そしてそこから少し北には、武家屋敷の塀も残っています。
さらに古河には古河総合公園という素晴らしい公園があり、少し前まで桃まつりが行われていたのですが、本日は時間切れ。これはまた今度。
今日は思川桜に始まり、染井吉野の並木、山の桜、里の桜と、桜三昧でした。この季節はほかの花々もいっぱいで、山も里も美しい。栃木もいい街で、太平山からの眺めも素晴らしい。このコース、桜の季節は言うことなしの★★★!