いよいよキューバサイクリングの最終日です。今日はフロリダ海峡に面したプラヤ・バラコア(Playa Baracoa)から今回の旅の出発地の首都ハバナ(Habana)までです。
民宿で朝食をいただいたら浜に出てみます。砂浜は奥行きは浅いですがとてもきれいです。(TOP写真) さすがにこの季節の朝ですから海で泳いでいる人はいませんでしたが、貝をとっているおじさんが一人いました。
このビーチの横の東屋にはキューバ革命46周年記念のポスターが貼ってありました。
カストロらによるキューバ革命は1959年に成し遂げられています。こうした現政権寄りの政治的なポスターの多くは政府側によるものが多いわけですが、ここキューバはその例外で、ほとんどのものが一般の人々の手によるものだと思います。今でもカストロやチェはここでは英雄です。
朝の光は眩しい! 時刻は9時。時間設定の問題なのか、このあたりのこの時期の朝は遅く、この時刻でも太陽高度はかなり低くて眩しいです。
ここプラヤ・バラコアはハバナの西わずかに20kmというところにあり、近くには新しい住宅地区も開発されているようなところなのですが、人々はあまり儲けることに敏感でないのか、このように打ち捨てられたままになっている家もあります。
あっ、社会主義国だから家や土地は国のものなのかな? 売買できないのかも。
海岸から戻ってくると道端で移動八百屋さんが店を出していました。小さな屋台といった感じのものです。
見えるのはトマトやパイナップル、そしてびんに入っているのはビールではなく、トマトピューレです。
ここが私たちがお世話になった民宿。
オーナーのルイスとお母さんはとても親切。昨夜、夕食から帰ってコーヒーを飲めるところを探していたら、『何でここで飲まないの? コーヒーならいつでも言いなさいね。』とお母さんがごちそうしてくれました。
ルイスとお母さんに別れを告げたら、さあ、ハバナへ向けて出発しましょう。
ここからハバナ・ビエハまでは30kmほどなので、今日は余裕です。
少し行くと隣町のサンタ・フェ(Santa Fé)に入ったようで、道の両側に建物が増え、交通量が多くなってきました。サンタ・フェを出たところに、マリーナ・ヘミングウェイというヨットハーバーがある高級リゾート地があったのでに立ち寄ってみました。
この高級リゾート地には何本もの運河が造られていて、それに沿って住宅が並んでいます。
運河をヨットで行って家の前に乗り付けられるというわけですね。ここにはホテル『老人と海』なんていうのもあります。
マリーナの先端がどうなっているのかちょっと興味があったので、行ってみることにしました。
埠頭に造られた誰もいない道をしばらくヨットと併走して走ります。
ヨットとおいかけごっこをして埠頭の先端まで行きましたが、そこにはには特別なものはなく、海へ出るる口が開いているだけでした。
真っ青な海を眺めたらやってきた道を戻ります。
ここは先ほどまでいたプラヤ・バラコアとはまったく違った印象で、すべてが人工的に造られており、ちょっとシュールです。
マリーナ・ヘミングウェイを出たらハバナへ続くAv.5を飛ばします。もうこの先はほとんどハバナで、街中になります。高層の大型建築物が見え出すと、日本大使館を始めとする多くの国の大使館があるミラマール地区(Miramar)に入ります。時は正午。極めて特徴的な建物であるロシア大使館の近くのSuper-mercado70の横にあるカフェで一休み。
さて、ハバナの中心部へ向かいつつ適当なところで昼食にしようと、目星を付けたレストランを目指して行きます。
その途中でこんな車を見掛けました。キューバでは時々見るタンクローリーです。最初は何の車だろうと思いましたが、これは給水車です。キューバでは配水システムに問題があり、安定的な水の配給がややむずかしいようです。特に干ばつ時には高地とハバナ中心部で問題が大きく、給水車によって水が供給されることが度々あるようです。
やってきたのはcalle 10にあるちょっとしたお屋敷のようなレストラン。その名も "Paladar Calle10" これは『10番通りのレストラン』みたいな名前です。
キューバのレストランには国営のものと民営のものがありますが、パラダールは民営で、個人宅を改装した家族経営の小さなレストランを指すようです。
中に入ると気持ちのいい庭に設えられたバーがあり、飲み物がいただけるようになっています。
これは南国キューバのいいところですね。
室内に通されるとテーブルは緑の庭が見える窓辺で、ここも気持ちよし。
前菜はまず、ツナが載ったトースト。写真の手前のまるっこいやつ。おしゃれ〜
そしてセビチェ。
さすがにキューバでは完全な生魚を食べるのはむずかしいですが、魚介類のマリネのセビチェがあるのがうれしいです。
メインには、介類を詰めた魚とビーフをいただきました。満足!
食事をしている間、自転車は中庭に置いてもらっていたのですが、帰りにパラダールのスタッフが出てきて、これはいくらするんだ、譲ってくれとしきりに頼まれてしまいました。残念だけれど、まだ乗り続ける予定なので丁重に断りましたが。
このあたりには20世紀前半に建てられた建物が残っており、そんな一軒の玄関前に、真っ赤な花飾りが付いたアメリカン・オールド・カーが停まっていました。おそらくこれから結婚式があるのでしょう。
アルメンダレス川(Río Almendares)を渡ってハバナのベダード地区(Vedado)に入ります。
このイエロ橋(Puenta de Hierro)の先がベダート地区ですが、珍しいことにこには工場らしき建物がいくつか見えます。
ハバナではこれまで工場は旧市街ビエハ地区(Vieja)の南のハバナ湾に面したゾーンでしか見掛けませんでしたが、ここは海のすぐ近くの川沿いということで、水上交通を使った利点があるゾーンなのでしょう。
ベダード地区には広大なネクロポリス(Necrópolis=墓地)があるので覗いてみることにしました。
墓地やお墓は国や民族、宗教などの違いによって、その造りが少しずつ違うのが面白いところ。
そうは言ってもキューバは歴史的に見てもスペインの影響が大きいので、ネクロポリスもほぼ西洋のそれと同じです。墓石ではなく建物が建てられていたり、大きな彫像がたくさん置かれていたり。何も知らないでここにやって来ると、何のテーマパーク? と思うかもしれません。
著名人も多数ここに眠っているようですが、その中でも特に有名なのが、政治見解を述べるためにキューバで始めてラジオ放送を使ったエドゥアルド・チバスでしょう。カストロが権力掌握後にここの彼の墓で演説したことでも知られています。
さて、ネクロポリスを通り抜けたら、いよいよ旧市街へ向かいましょう。サルバドール・アジェンデ通り(Av. Salvador Allende)を行くと巨大なトレーラーが走っています。
このトレーラーのうしろには人が乗っていてびっくり。これはトレーラーで引っ張る大型バスで、通称カメリョ(駱駝)。二両連結でかなりの人が乗れるのですが、このバス、いつ見ても超満員。本数が少ないのかな?
4時半過ぎ、ハバナ・ビエハの民宿に着くと、『まあ〜! よく陽に焼けて!』 と、笑顔で迎えてくれたリセットとオルランド。
ここは出発時に泊まった民宿で、家に戻ったみたいでほっとします。
今日はキューバ最後の夜なので部屋で少し休憩したら、食事がてら散歩に出かけます。
東に向かって歩いて行き着いたのは、ビエハ広場(Plaza Vieja)。この広場の周囲にはレストランが何軒もあり、夜も賑やかです。
さすがにハバナ・ビエハはキューバでもっとも歴史があるところだけに、スペインコロニアル時代の建物がずらりと立ち並んでいます。
そうした建物は夜の明かりにも映えます。
夜のカテドラルも見ておこうと、カテドラル広場へ向かいました。カテドラルとその前の広場は夜も美しいのですが、これは残念ながら写真にできませんでした。
カテドラルに近い街角のレストランで、キューバ最後の夕食をとることにした。道に張り出したテラス席に案内されると、バンドが生演奏を始めました。サラダやパスタをいただきながらこの演奏を聴いていると、道を通りかかった老夫婦が立ち止まってダンスを始めました。この踊りが何とも決まっています! 動きはゆるやかですが、ダンスが体から自然に溢れ出てくるようです。キューバの人たちは音楽もダンスも大好きなのです。テラス席の客は思わず拍手。キューバ最後の夜のステキな思い出となったのでした。