今日はマタンサス州の州都であるマタンサスから国際的なリゾート地のバラデロまでの40km。昨日まで散々強風に悩まされてきましたが、この距離ならなんとかなるかな。
さて、まずは民宿の食堂でおいしい朝食を。フレッシュなオレンジジュースとたっぷりの果物は、パパイヤ、パイナップル、スイカ、バナナ。そして玉子はオムレツ(プレーン)。最後にゆっくりコーヒーをいただいたら、出発の準備をしましょう。
バラデロには連泊するのでリゾートは明日にし、今日はマタンサスを少し散策してから出かけることにします。首都ハバナとリゾート地バラデロの間にあるマタンサスは、ほとんどの観光客は素通りしてしまうところですが、歴史ある街並みがあり、またユムリ渓谷(Valle de Yumurí)という緑深い谷や洞窟など、見どころが結構あります。
民宿を9時過ぎに出発。ここにはもう一度戻って来るのですが、マリアネラさんと息子のルイスがひとまず送り出してくれました。
マタンサスの郊外のユムリ渓谷は自然豊かで先住民族の伝説が残る土地だそうです。そこまで行くのはちょっと無理ですが、街の北2kmのところにある高台から渓谷の入口が眺められるようなので行ってみることにしました。
まずは街中を突き抜けて進んで行きます。この街並みはまたあとでゆっくり巡るとして、先を急ぎます。
標高100mあたりまで上ると、南にマタンサスの街が見えるようになります。
さらに上ると、その向こうにマタンサス湾が見え出しました。
この高台には新古典主義様式で建てられた1875年設立のモンセラーテ教会(Ermita de Monserrate)があります。
壁は切り石積みで屋根は木とタイルでできていたようですが、現在は廃墟になっています。
このモンセラーテ教会の北西側は崖で、下にユムリ川が流れているのが見えます。このユムリ川の周囲がユムリ渓谷と呼ばれているところです。周囲は深い木々で覆われており、固有の植物種もあるそうです。奥地には森が開かれたところもあり、サトウキビやヤシが栽培されているようです。
このあたりの先住民タイノ族はスペインの征服者に虐待されるより死を選んだといわれ、高い丘から、スペイン語の『私は死んだ!』という言葉を模倣した『ユムリ!』という言葉を叫んで、谷にその身を投げたという伝説が残っています。ユムリの名の元としてはこの説ともう一つ、『白い川』、[yu]=白、[ari / uri]=川、という説があるようです。
ユムリ渓谷を眺めたら街に戻りましょう。
下りの途中、マタンサスの街とフロリダ海峡がよく見えるところがありました。
さて、街に戻ってきました。
マタンサスの設立は1693年で、すでに300年以上の歴史があります。歴史的な建造物としてはマタンサス大聖堂(Catedral de Matanzas)やサンセベリーノ城(Castillo de San Severino)、そしてリベルタード広場(Parque de la Libertad)周辺などが残っていますが、ここではそうしたものよりずっと新しいものの、ずらりと並ぶ普通の民家や商店を眺めるのが面白いです。
特に何の変哲もない、ペンキがはげ落ちた民家。これがなかなかに味わいがあるのです。
この通りは高台から海へ向かって落ちて行くので長い坂道が続きます。庶民にとって車は高嶺の花なので、多くの人が日常の足に自転車を利用します。坂道が多いこの街では、あちこちで自転車を押している人を見掛けます。
ここでも自転車の方が押していますね。(笑)
先へ行くと少し大きな建物が並ぶようになり、そこに1950年代のアメリカン・オールド・カーのタクシーが停まっていました。(TOP写真) これは現役のタクシーで、人々の足となっています。
繁華街にやってきたようです。ここには装飾的な歴史的建築が並んでいます。東京で言うなら銀座通りといったところでしょうか。
商店街はたくさんの人通りで活気にあふれています。
おなかがすいたら、ドラム缶を使った焼き立て、とろけるようなピザも売っていますよ!
こちらは肉屋。今日の日本ではまず考えられませんが、この店は半屋外でオープンエアです。キューバは暑い国ですが、エアコンや冷房設備は普及していないので、風通しを良くしたこうした小屋で商売をしているのです。
金網の上部からぶら下げられた肉の塊はまだ半分動物の姿をしています。
街の散策を終え、民宿に戻って荷物をピックアップしてマリアネラさんに別れの挨拶をしたら、マタンサスを出てバラデロへ向かいます。
マタンサスの街の出口にはこの街でもっとも古い広場で、新古典主義様式の建物が立ち並ぶビヒア広場(Plaza de La Vigia)があります。手前右の建物は1863年築のサウト劇場(Teatro Sauto)。
この赤い車は旧ソ連製です。キューバを走っている車は1950年代のアメリカ製が多いのですが、それに次ぐのが旧ソ連製です。アメリカと断交した1961年以降、キューバにアメ車は入ってこなくなったのでソ連製の車が使われ出し、それはソ連崩壊の1991年まで続きました。写真は1980年代のラーダ(LADA,ЛАДА)でしょう。当時のアメリカ製の車が流線型なのに対し、ソ連製は対照的に角ばっているところが面白いです。
サリーナのうしろを走っているのは自転車タクシー。キューバのタクシーは自動車か三輪の新しいココタクシー以外はなく、モーターバイクのタクシーはありません。そのかわり、こうした自転車タクシーが今でもたくさん走っています。
マタンサスを出ていよいよリゾート地のバラデロを目指して出発!
雲の間からお日さまが顔を出したので、海の色が鮮やか。いい気分。
今日も海沿いを走ります。そして、またも向い風!
しかし昨日までの経験があるので、これは想定内ではあります。
うしろに先ほどまでいたマタンサスの街が見えています。
こうして見るとマタンサスに坂道が多かった理由が良くわかりますね。
車は多くありませんが、ときどき大型の観光バスが私たちを追い越していきます。観光客を乗せてバラデロへ向かっているのでしょう。
道は今日もビア・ブランカ(Via Blanca)の一本道。道路の舗装状態は良いのですが、ひたすらまっすぐで風よけも日よけもありません。向かい風を受け、低速で黙々と走り続けます。
マタンサスを出てちょうど1時間。10kmほど走ったところにドライブインがあったのでちょっと休憩を。この先ロードサイドにはお店が少なそうなので。
ここはカニマル川(Río Canimar)の畔で、ボートで洞窟観光などが楽しめるのですが、『今日はちゃんとバラデロにたどりつかなくては!』と、これは断念しました。昨日のように運良くタクシーがつかまるとは限りませんからね。
一息付いたら再び向かい風の中を走り出します。
『この風、いったいいつになったら止むのかな〜』 と、相変わらずの風に悩まされるサリーナ。
このあと、カニマル川から9kmほどのところのカルボネラ(Carbonera)村で、休憩するために海岸に出てみました。カフェはありませんでしたが、ここで面白い男性に出会いました。彼はじっと海の彼方を見つめていたのです。何をしているのかなと思って聞いてみると、なんとアメリカが攻めて来るのを見張っているといいます。
始めは冗談だろうと思ったのですが、かつて間一髪という危機があっただけに、彼の話を聞いているうちに本気なのかもしれないとも思いました。目の前に広がるフロリダ海峡のすぐ向こう側はアメリカで、キー・ウェストまでなら100km少々、本土まででも200kmほどしかないのです。
想像していた通り、その後も道沿いにお店の類いは全くありません。午後3時にボカ・デ・カマリオカ(Boca de Camarioca)村に到着。ここでやっとカフェが見つかり、遅い昼食にありつくことができました。
ホッ!
バラデロまであと10km。まあこの距離ならなんとでもなるわい! と思ったのですが、風は止まずにますます勢いを増すばかり。
あ〜、きつい〜〜
なんとかふんばってペダルを回し続けます。
道が海から少し離れ内陸を行くようになると、川のようなものが現れました。これはバラデロの入口にあるラグーナです。ようやくバラデロに入ったのです。ラグーナの向こう側にはごく細い陸地があり、そこにリゾートホテルや高級住宅が立ち並んでいるのが見えます。
ボカ・デ・カマリオカからの10kmは意外に長く、結局1時間もかかってようやくバラデロに到着しました。
国際的リゾート地のバラデロでは民宿は禁止されているので、ホテルに宿泊します。ホテルは民宿の倍ほどの値段がするのですが、キューバで一度くらいはホテル泊も悪くはないかもしれません。予約していたホテルに荷を解き、モヒートで喉を潤したら、海岸の散歩に出かけます。
バラデロは幅1kmの砂州が20kmにも渡って続くところです。真っ白な砂浜がどこまでも…
『でも今日はちょっと寒いね〜』
海も荒れていて、シュノーケリングはまたしてもおあずけなのでした。
せっかく海辺にやってきたのでもうちょっと海を眺めていたいのですが、風が強いのでバルに避難しカクテルをいただきます。
モヒートはホテルでいただいたので別のものを。まだ夕食前なのでここは少し軽めにと、サリーナはピニャ・コラーダ、サイダーはキューバに敬意を表してキューバ・リブレにしてみました。両方ともキューバを代表する酒であるラムをベースにしたものです。
昼食が遅かったのでバルからはいったんホテルに引き返し、夜9時に改めてレストランへ向かいました。
牛肉のシャンピニオン・ソースと、もう一品はランゴスタ・カニ・鶏肉・豚肉のパエリャを。
明日はリゾートに励みたいと思いますが、暖かくて風がないといいなぁ〜