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ポー〜リバデセーリャ〜アルディネス

緑のスペイン 7

開催日 2015年08月07日(金)曇り
参加者 サリーナ/サイダー
総合評価 ★★
難易度
走行距離 35km

オントリアを出るサイダー
オントリアを出るサイダー

コース紹介

アストゥリアス州の小さな村ポーから、巡礼『北の道』を辿り、セーリャ川の河口のリバデセーリャまで。どこまでも続くカンタブリア山脈と緑の草原、そして時々大西洋を眺めながら、激しいアップダウンがある砂利道を進みます。

動画(04'26" 音声:BGMのみ)

Googleマップでルートを表示ルートデータ(gpxファイル)
総合データ(GARMIN Connect:ルート、高度、速度など)

発着地 累積距離 発着時刻 備考
Póo START 発09:00 泊:Hotel Villa Miramar(朝食込)
Celorio 3km 着09:25
発09:25
Punta Truenzo:両側に入り江がある岬
Niembru 7km 着09:40
発09:40
ビーチには寄らず
Playa de San Antolín 11km 着10:10
発10:10
ビーチ
Hontoria 14km 着10:30
発10:30
ほぼ行き止まりの村
Llames 22km 着11:10
発11:35
Bar休憩
Ribadesella 30km
31km
着12:30
発14:00
Río Sella
昼食:El Campanu
Cueva de Tito Bustillo 32km 着14:10
発16:50
見学14:45-、7.27€
受付と博物館は200m南
Ardines 33km 着17:00 夕食:La Guia
泊:Hotel La Llosona 66€(朝食込)
時差: -7h/日の出07:12、日の入21:37/為替レート:1€=140円/

ポーの宿の居間ポーの宿の居間

アストゥリアス州の小さな村ポー(Póo)の朝は曇り。

昨夜の天気予報では今日は雨とのことでしたが、少し良くなっているようで、曇り時々雨に。その雨も0.1mm/hというもの。日本の予報で雨は1mm未満は表示されないので、最初は1mmの間違いかと思いましたが、他の天気予報でも0.1mmなので間違いではなさそうです。スペインの雨の予報はどうやら細かいらしい。

ポーの宿を出発ポーの宿を出発

今日はリバデセーリャ(Ribadesella)までの30km強なので、たとえこれまでのようにアップダウンと砂利道が多くとも、まったく問題のない距離です。いざとなったら幹線道路に出て、リバデセーリャまでまっしぐらという手もあります。また、時間が合えばバスに飛び乗ることもできるかもしれません。

ということで、身支度を整えて自転車で出発。

巡礼者のための黄色い矢印巡礼者のための黄色い矢印

私たちはひとまず幹線道を避け、海沿いの道を行きます。で、いきなり砂利道からのスタートです。

巡礼路『北の道』のメインルートはこの南の幹線道なのですが、ここはサブルートになっているようで、巡礼者のための道しるべとなる黄色い矢印があります。

案内石案内石

さらに、ここはハイキングルートになっているのか、道端の石に、赤と白のペンキでそのルートであることを示すマーキングもされていました。

ポー村を出るポー村を出る

この砂利道を進んで林を抜けると、うしろにポーの村が見えるようになります。

ポー近くの大西洋ポー近くの大西洋

昨日まで同様、このあたりにはいいビーチやきれいな海岸がいくつもあるので、天気が良ければそれらのうちのいくつかを巡るつもりでしたが、今日は断念。

気持ちのいい田舎道が続く気持ちのいい田舎道が続く

天気はやはり微妙な感じで、空には明るいところもあるけれど、暗いところもあります。リバデセーリャまで持ってくれればいいけれど。

こんな天気ですが、緑が広がるこの道は気持ちいい。

セロルイセロルイ

セロルイ(Celorui)に到着。

街角の教会前広場には高いポールが立っていて、上にはスペイン国旗とアストゥリアスの旗、そしてその下にコウノトリの巣のようなものが付いています。このポール、いったいなんのためにあるのでしょう。

ここで『北の道』のメインルートに合流です。ここからはアスファルト舗装に。

入り江に建つ教会入り江に建つ教会

小さな村バロ(Barru)を通り抜けると、ちょっとした入り江があり、その畔に教会が建っています。

入り江を廻るサリーナ入り江を廻るサリーナ

この入り江は海岸からそう奥まってはいないのですが、ここまでかなりうねうねしているので、まったく波がありません。

そこに小さなボートが数隻浮かんでいます。

ニエンブレニエンブレ

入り江の先にニエンブレが見えてきました。この村は海のすぐそばにあるのですが、なんと家々は段状に並んでいます。こんなふうに、ここあたりは海のすぐ内側が丘になっていることがよくあります。

ここには良さそうなビーチがあるのですが、この丘を上らなければならないし、天気からしても行く価値なしと判断して、ここはスルー。

地道の巡礼路地道の巡礼路

この先で道は上りになり、内陸側を通っている高速道路を跨いで、さらに先にある幹線道に合流するのですが、これは遠回りな上に魅力的ではないので、高速道路の手前の枝道に入ってみました。

するとそこは、例によって地道でした。

巡礼路を示すホタテ貝の標識巡礼路を示すホタテ貝の標識

そしてここも上り。しかも途中から、どこかから湧き水が流れ出しているようで、道はぐちゅぐちゅに。これにはまいった。

この道にも巡礼路を示す標識がありました。ここはその中でももっとも有名な、ホタテ貝のマークが付いています。

打ち捨てられた教会打ち捨てられた教会

この標識がある地点が峠で、道はその先で下り出します。しかしこの下りがもの凄い勾配で、乗って下れないほど。よろよろとブレーキをかけながら下る始末。

この下りをなんとかこなすと、幹線道に合流。その脇には打ち捨てられた教会が建っています。かつてここを歩いた巡礼者の中にはこの教会にお世話になった人々も大勢いたのでしょう。

サン・アントリーンビーチサン・アントリーンビーチ

この教会のすぐ先で、サン・アントリーンビーチ(Playa de San Antolín)に出ました。

さすがに今日はこのビーチにも人影はありません。

アストゥリアスの旗が並ぶオントリアの民家アストゥリアスの旗が並ぶオントリアの民家

サン・アントリーンビーチの先で『北の道』は幹線道を離れ、その南側を行くのですが、これは地道なので、私たちはしばらくこのまま幹線道を進むことにしました。

そして『北の道』とは逆に、幹線道の北側にあるオントリア(Hontoria)に入りました。この村もこのあたりの他の村同様、特段何の変哲もない村ですが、庭先にアストゥリアス州の旗が吊り下げられた民家がいくつもありました。お祭りか何かがあったのかもしれませんが、このあたりはバスク州に限らず、郷土愛が強いことを感じさせられます。

オントリアから次の村へオントリアから次の村へ

オントリアは行き止まりの村でした。海岸へ向かう道があるはずと探しますが、それはとても自転車では行けそうもないものでした。村の西端までやってくると、怪しげながらもなんとか行けそうな道が見つかったので、これを進んでみることにします。

最初はガレガレで、行くのを止めようかと思うようなところでしたが、その先でなんとか乗って走れる道になりました。(TOP写真)

ラ・ペサ付近ラ・ペサ付近

ほどなく路面がアスファルトに変わり、そこからはまずまず快調に進んで行きます。

この内陸側には東西300kmに及ぶアストゥリアス山脈が横たわっています。その中核ともいえる2,000m級の山々を抱くピコス・デ・エウロパ(Picos de Europa)はこのあたりにあるのです。一瞬ここで見えている山が、その末端かとも思いましたが、ピコス・デ・エウロパは海岸から20kmほど内陸にあるようなので、これはその手前にあるものかもしれません。

リャメスのバルリャメスのバル

リャメス(Llames)に到着。今日は実は計画より一時間遅く出発したのですが、ここでちょうど計画のとおりの時間になりました。途中寄り道するはずだったビーチなどをすっ飛ばしたからです。

これで一先ず安心と、ここでバル休憩を。スペインではかなり小さな村にもバルがあるので、私たちのような旅をするものにとっては、大助かりです。

周囲は山周囲は山

バルを出ると雨がパラッとしています。降っているかどうかほとんどわからない程度ですが、念のためカッパを着込んで出発します。

リャメスを出ると、先ほど見えていた山がぐっと近くに寄ってきます。やはりあれはピコス・デ・エウロパではなく、出発地のポーから昨日見えていたシエラ・デ・クエラか、それに続く山のようです。

巡礼者巡礼者

クエーレス(Cuerres)の近くまでやってくると、巡礼者を見かけるようになりました。どうやら『北の道』に合流したようです。

巡礼をする人々はみんな長旅なので、寝袋やテントを持っていることも多く、たいてい大荷物を背負っているので一目でわかります。

狭軌鉄道の線路を渡る狭軌鉄道の線路を渡る

ここには鉄道が通っていました。スペインの一般的な軌道幅は広軌と呼ばれるものですが、ここのものはそれではなく、日本のJRより狭いのではないかと思えるものでした。ここをどんな列車が走っているのかちょっと興味が湧きますが、残念ながらこの時それを見ることはできませんでした。

『北の道』はこの線路を渡って進んでいます。

続く地道続く地道

道はこのあたりからまた地道に。

牧草地を行くサイダー牧草地を行くサイダー

その周りは牧草地で、時々牛が草を食んでいます。

リバデセーリャに入るリバデセーリャに入る

長かった地道が終わると間もなく、リバデセーリャに入ります。

ここで入った道は遊歩道のようで、少し行くと

カラフルな階段を下りる人々カラフルな階段を下りる人々

階段に。私たちのあとから、ちょっとした荷物を抱えた若者たちが下りてきました。

彼らは巡礼者ではなく、また一般の旅行者ともちょっと違うようです。彼らの正体はあとでわかります。

市役所市役所

この階段から少し行くと、ちょっとした広場に出ます。

この広場に面して市役所が建っているので、このあたりが街の中心でしょう。

サンタ・マリア・マグダレーナ教会サンタ・マリア・マグダレーナ教会

広場の先にはもう一つ広場があり、そこから延びる道の先にサンタ・マリア・マグダレーナ教会(Iglesia de Sta Maria Magdalena)が見えます。

ショーウィンドウショーウィンドウ

リバデセーリャはちょっとした街で、土産物屋やレストランがたくさん立ち並んでいます。

このショウーウィンドウには、りんご酒のシドラやぶどうの搾りかすから作られるオルホなどの瓶が並び、その前にはチョコレートなどで作られたおとぎの国の家が置かれています。

セーリャ川セーリャ川

リバデセーリャはセーリャ川(Río Sella)の河口にある街で、この川沿いも賑やか。

ここまで、雨はほんの一時だけで、まずまず順調に来ました。時は12時40分、ここで昼食にします。スペインの昼食は14時からですが、今日はその時刻には予約があるので、日本時間での昼食です。

バルでならこの時刻でもなにがしかは食べられるし、観光客相手のレストランは13時ごろからオープンすることもあるので、そうしたところを狙います。運良く自転車を停めた川辺で、食事がOKというレストランが見つかりました。

セーリャ川沿いのレストランセーリャ川沿いのレストラン

魚介のスープ、魚介のコロッケ、サラダとここは簡単なもので済ませました。

スープは特にカニの味がよく出ていて濃厚な味わい。これまで魚介のスープでおいしいと感じたのは地中海沿岸のイタリア、南フランス、そしてスペイン北部でしたが、ここのものもなかなかです。

コロッケはほんのりとした魚介の味が尾を引き、これもおいしい。簡単なわりには満足いくものでした。

セーリャ川沿いを行くサリーナセーリャ川沿いを行くサリーナ

道行く人々を眺めながらゆっくり昼食をとったあとは、セーリャ川を渡って、近くにある洞窟に向かいます。

高床式倉庫高床式倉庫

橋の西端のセーリャ川の畔には、このあたりに昔からある高床式倉庫が置かれていました。これは元はトウモロコシを入れるものでしたが、現在は住居の倉庫として使われていることが多いそうです

こうした倉庫があるのはカンタブリア山脈の北側の地域で、ガリシア州全域とアストゥリアス州の西部から中部にかけて多く見られるそうです。これは、ガリシア語ではオレオ(hórreo)、アストゥリアス語ではオル(horru)またはオリウ(horriu)と呼ばれるようですが、ここではHorreo Asturianoと紹介されていました。

高床式倉庫その2高床式倉庫その2

このあたりのものは木造ですが、これがガリシア州に入ると石造や組積造、またはRC造のものが多くなるそうです。数例を見ただけなのではっきりはいえませんが、アストゥリアスのものは平面形が正方形に近く大型で、ガリシアのものは長方形で細長く小型のようです。

そういえば、ポルトガル北部にもエスピゲイロ(espigueiro)という高床式穀物倉庫がありますが、これはガリシア地方のものとそっくりです。

左岸からリバデセーリャを見る左岸からリバデセーリャを見る

セーリャ川の左岸を南下して行くと、先ほど渡った橋とリバデセーリャが見えています。

ティト・ブスティーリョ入口ティト・ブスティーリョ入口

その橋から500mほどのところにあるのが、ティト・ブスティーリョ洞窟(Cueva de Tito Bustillo)。

ここは『アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器洞窟美術』として世界遺産に登録されたうちの一つなのです。

洞窟入口洞窟入口

現在アルタミラでは本物の洞窟に入ることができませんが、ここはそれが可能で、本物の壁画が見られるのです。かなり人気のようで、要予約。

一クループ15人程度でガイドが付きます。見学時間は案内では一時間となっていたと思いますが、実際にはもう少しかかりました。洞窟内部は撮影禁止なので、ここの壁画は Centro de Arte Rupestre Tito Bustillo からどうぞ。何万年も前に、何千年という時を隔てて描かれ続けた、何頭かの牛がいます。

チケットオフィスと博物館チケットオフィスと博物館

洞窟から200mほど南には、チケットオフィスと博物館が入った建物があります。

この博物館はかなり力を入れて作られているようで、ちゃんと見るにはそれなりの時間が必要です。私たちはここはさらりと。

アルディネスへアルディネスへ

ティト・ブスティーリョ洞窟の博物館を見たら本日は終了。宿のある隣村のアルディネスへ向かいます。

アルディネスアルディネス

アルディネスはリバデセーリャから2kmほどのところにある小さな村。

私たちの宿はメインロードから一本入った、激坂の上でした。

宿の近くのオレオ宿の近くのオレオ

そこには先ほど見たオレオが二つ建っていました。こんなふうに、このあたりでオレオはかなり頻繁に目にすることができます。

高い高いオレオ高い高いオレオ

17時、アルディネスの宿に到着。

私たちの宿にもそれはありました。これは柱の下に高い石積みの基礎があって、そこは現在駐車場やちょっとした作業スペースとして使われているようでした。ここは土地に段差があり裏側が高くなっているので、一方から見ると背の高いオレオに見えます。

ピコス・デ.エウロパ方向を見るピコス・デ.エウロパ方向を見る

こんにちは、と声をかけるも、宿からは返事がない。あれ、おかしいな、と10分ほどその辺をうろうろしていると、宿主のマリオが車でやってきて、『ごめんごめん、ちょっと買い物に行っていたんだ。待ったかい?』

他の客はまだチェックインしていないらしい。

ここはピコス・デ・エウロパの西の端のすぐ北側に位置しています。その方角には山が連なっていますが、ピコスはおそらくあの山の向こう側でしょう。

テントが並ぶセーリャ川の畔テントが並ぶセーリャ川の畔

宿からはセーリャ川も見えます。その畔にはテントがびっしり。見えているテント群はそのほんの一部です。これらのテントは、単に夏のひと時を過ごすために設営されたものではありません。

実は明日ここで、一年で最大のイベントとなるカヌーの世界大会が開かれるのです。これは世界中から集まったトップ選手によるレースと市民レースがあるようで、テントの人々はその応援と観戦のために集まってきているのです。街中の階段で見かけたのもこうした人々で、彼らはテントや折り畳みのテーブルといったものを運んでいたのです。

バルでシドラを飲むバルでシドラを飲む

今日はパラッと雨があっただけで、なんとか無事にアルディネスまで辿り着いたのですが、自転車はドロドロです。そこでまず庭先で自転車の洗車を。こちらもシャワーを浴びて、マリオからもらったビールで一休み。その後バルに繰り出します。

リバデセーリャ方面に歩いて最初にあったバルに入ると、青いアストゥリアスの旗のベストを着た人々が店先のテーブルに陣取り、乗り付けた車から大音量の音楽を流して盛り上がっています。明日にカヌーイベントをひかえた今夜はお祭りのようです。

ここではりんごの醸造酒シドラ(sidra)をやってみました。アストゥリアスのりんごを使ったシドラはDOP、シドラ・デ・アストゥリアス(Sidra de Asturias)を名乗ることができます。シドラは開封すると風味が長く持たないので一本売りです。二人で一本は多すぎるようにも思えますが、アルコール度数が5〜6%と低いので、まったく問題なし。

アストゥリアス色の建物からぶら下がるアストゥリアスの旗アストゥリアス色の建物からぶら下がるアストゥリアスの旗

バルでまったりしているところへ宿主のマリオもやってきました。どうやら一段落したようです。私たちはそろそろ夕食をと思っていたところなので、マリオに魚介類がおいしいくてあまり高くないレストランを紹介してもらいました。

そのバルレストランはリバデセーリャの街中なので、歩いてリバデセーリャに向かいます。道脇にアストゥリアスの旗をぶら下げた建物が目に留まりました。今日明日が特別な日だからこの旗が出されているのかどうかはわかりませんが、こうした風景はこのあともよく目にするのでした。

アストゥリアスの旗を背負う親子アストゥリアスの旗を背負う親子

リバデセーリャにはアストゥリアスの旗を背負った人々が大勢。

その中には親子の姿も。

バルレストラン内部バルレストラン内部

マリオが教えてくれたバルレストランはすぐに見つかったのですが、そこは入口からして人々で一杯。こんなところに入れるかな、と思っていたら、やっぱりレストランは予約で一杯だそうな。今日は特別な夜なのです。

ありゃま、どうしようか、と思っていると、バルの方になら席があるといいます。もちろん私たちはバルで一向にかまわないというと、すぐに案内されました。

ケルトの音楽隊ケルトの音楽隊

このやりとりをしている最中、賑やかな音楽が鳴り響いていたのですが、それはバグパイプと太鼓の楽隊によるものでした。ここに来るまで、どこかの村でこうした楽団を先頭にして練り歩くお祭りがやられていたのですが、あれはどこだったかな。

スペインの北部地域はケルト民俗と繋がりが深いといわれており、特にこのアストゥリアス州と隣のガリシア州はポルトガル北部と合わせて、時に現代ケルト国の一つに数えられるほどなのです。こうしたことからも、このアストゥリアス州がスペインの他の地域とは異なる文化を持っていることがうかがえます。

これから食するものの絵これから食するものの絵

さて、バルの片隅のテーブルに陣取った私たちは、ここでなにを食べようかとメニューに目を走らせます。その中に見慣れぬものを発見しました。

リャンパレス(Llámpares)。これはいったいなに? ということで、ウェイターに聞けば、彼はこんなちっちゃい貝だよ、とテーブルクロスに絵を描いてくれました。

リャンパレスまたはラパスリャンパレスまたはラパス

絵を見ても良くわからないけれど、とにかくやってみようと頼むと、出て来たのはこんなもの。フジツボによく似ていますが、フジツボに特有の頭の凹みがありません。あとでLlamparesを引くと、フジツボと書かれているものもあるけれど、良くわからない。

彼が描いた絵の隣にはLapasと書かれているのでこちらを引いてみると、『カサガイ』。これはどうやらカサガイというもののようです。日本では小笠原諸島の固有種でしかも天然記念物だというのですが、これは狭い意味でのそれで、一般的には貝殻が傘型をした貝の総称のようです。な〜んだ、そんなのならそこら中にいるではないか。でもまあ、岩にへばりついているこんな小さな貝を剥がして食べるということは、おそらく日本ではしないでしょう。

その味はというと、ごく小さなエスカルゴのようかな。それに加え、磯の香り、潮の味がいっぱいです。

満員のバル満員のバル

このバルには次々に人々がやってきて、超満員に。飲んでおしゃべりして、この夜は長くなりそうです。

さて、私たちの巡礼『北の道』は今日でおしまいです。明日はここリバデセーリャをもう一度散策し、海岸を離れてピコス・デ・エウロパに分け入ります。

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uploaded:2015-09-11