トレドからバスに乗り旅の締めくくりの都市、スペインの首都マドリッドに向かいました。
赤茶けた大地にポツポツとオリーブの木が生えているだけの荒野を2時間。すると突然、今までに見たことのないような風景が現れます。
マドリッドは、先のトレドはもちろん、旅の出発地パリとも、そしてスペインはカタルーニャのバルセロナとも違います。それなりの歴史はあるけれど現代的な建物が多く、とにかく巨大な都市です。
そのマドリッドの中でも目抜き通りといえるグラン・ビアの中程にあるカリャオ広場近くの宿に荷を解き、ぶらぶら散歩を始めました。広いグラン・ビアの通り沿いには立派な建物が立ち並び、とてもにぎやかです。
ここマドリッドは夜9時ごろまで明るいので王宮あたりまで行ってみることにします。
王宮の北にあるサバティーニ庭園の木々の間を縫って進めば、池の向こうにとても大きな王宮が現れます。さすがに夜は王宮の中には入れないので、見学は次の機会に。
ついでにとマヨール広場に行ってみました。
整った長方形のこの広場はとても広くて、2ブロック分くらいありそうです。その中にはカフェがいくつも出ているのでここでちょっと一休み。
これがマヨール広場の昼の顔。
4階建の堅固な建物がぐるっと広場の周囲を取り囲んでいます。
夕食にとマヨール広場の近くのLas Cuevasというレストランに入りました。
なるほどこの店はその名のとおり、洞窟のような造りのインテリアです。ここのバルで、ギターとマンドリンのような楽器の数人のバンドが陽気な演奏を始めました。この演奏に耳を傾けながら夜更けまで、ビールを片手にオリーブやイワシの酢浸けなどをつまんでいました。
翌日はアルタミラ洞窟の壁画が再現されている考古学博物館とプラド美術館巡り。
プラドの膨大な美術品はもの凄い。フラ・アンジェリコの『受胎告知』に始まり、グレコの『羊飼いの礼拝』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、ゴヤの『マハ』『黒い絵』、ムリリョの『無原罪の宿り』、ルーベンスの『東方三賢王の礼拝』、そしてボッシュの『快楽の園』、デューラーは『アダムとイブ』。あげればきりがない。別館にはピカソの大作『ゲルニカ』。もうへとへと!
疲れた頭はプラドの後ろにあるレティロ公園でも散策してすっきりさせましょう。私たちはアルフォンソ12世の像の前の大きな池でボート遊びです。
そして、ちょっと一杯とバルに入れば、上からぶらさがるハモン・セラーノ(生ハム)がいかにもスペインです。
立派な建物と街角の噴水。
ちょっと面白いものを発見。塗り込められた窓に窓枠と室内のだまし絵です。マドリッド子にはこんな茶目っ気もあるんですね。しゃれています。
サイダーはここで旅を終了して帰国。このあとサリーナはしばらくマドリッドで過ごすことになるのでした。
カスコロ広場から南へ延びる坂道には、日曜日にはぎっしり露天が並びます。蚤の市ラストロです。これは8月25日の日曜日の午前の様子。写真は壷やさん? 骨董ともがらくたともつかぬものがびっしり。ほかにも洋服やらアクセサリーやら動物やら、とにかくなんでもありで楽しいところです。
10月半ばのサンタ・アナ広場。この広場にはアクセサリーを中心とした露天がたくさん並びます。皮でつくったイヤリングやブローチなど、いろいろ凝ったデザインがあって楽しい。サリーナもひとつゲット。
スペインでは、10月に入ると夏時間から冬時間に移行。そして、マドリードは突然天候が変わります。あの日差しはどこへ行ったのか、冷たい風が吹き空も曇りがち。もうしばらくマドリードで過ごす予定のサリーナは、慌ててコートを買いに走るのでした。
P.S. by サイダー
一ヶ月の旅が終わり、マドリッドから乗り込んだアエロフロートの窓からはカステーリャの赤茶けた大地が見えている。とにかく楽しい旅だった。
カッと照りつける太陽。汗は出るか出ないかというくらいにすぐに乾いて、白い塩の結晶だけが皮膚の表面に残る。その皮膚はこんがり焼かれたローストポークの皮のように、茶色でパリパリ。皮膚の組織に沿ってもうすぐ裂けそうなひび割れが走っている。
バックパッカー御用達のアエロフロートの機材はツポレフといったか、猛烈に狭い。YS11を思わせるものがある。しかしそのエコノミーの席は一番前の数列だけ座席の前後間隔が広い。そんなばかなことがあるものか、とも思ったが念のため東京からの席は前から2番目ほどを予約した。そしてこれがそのとおりだったのにびっくり。
マドリッドからも運良くこの広めの席が確保できた。カステーリャの大地が見えなくなり、飛行機はソ連のモスクワに向けて飛行している。しかし突然、我が機は高度を下げ、一体なんだろう? と思う暇もなくどこかに着陸。機外に出されると、そこには銃を持った兵士がいる。いったいここはどこだ?
近くの人に聞けばどうやらベルリンとのこと。もちろん東ベルリンだ。給油のために立ち寄るとの案内があったそうだが、ベルリンに寄るなんて聞いていないんだがな。薄暗く閑散としたロビーでちょっと不安な時を過ごす。
しかしなんとか機は出発、モスクワに到着した。モスクワでは乗り継ぎで、東京への便は翌日。空港ターミナルの裏口のようなところから直接バスに乗せられ、ホテルと称するところに連れて行かれる。このホテルの入口にも銃を持った軍人がいる。
そしてである、このホテルと称する宿泊所の係員、到着するなり二人一組になれという。部屋は2人部屋らしいのだ。しかしこちらは一人旅、相手なんていないぞ、と交渉するが、まったく取り合ってくれない。ペアのできた人々は部屋の鍵を受け取りどんどん奥へ消えてゆく。さあどうする。。
隣で揉めている男がいる。わしはファーストクラスなんだ、当然一人部屋だろうが! とわめいているが、こちらも取り合ってもらえない。そんなんでこの男と相部屋にされてしまった。味気ない部屋で窓の外にはろくなものが見えない。
一夜が明けたが何もすることがない。東京行きは夜なのだ。もらったチケットで朝飯を食いぶらぶらしていると、どこからか、希望者はモスクワ市内のエクスカーションに参加できるらしいという情報が飛び込んで来た。何時に受付があるとか、定員は50人らしいとか。
これを逃す手はない。噂の時刻に受付に行くとノートが出され名前を書けという。もちろんすぐに署名して予約を完了させた。時は書記長ゴルバチョフがペレストロイカ(改革)を始めたころ。最近までこの市内のエクスカーションなどなかったという。
しかしである、まだまだ改革途中というところか。指定された時刻に玄関に行けば、同じくエクスカーションに参加する人々でごったがえしている。玄関先にはバスが停まり、名前を呼ばれた順に乗り込んでいる。半分ほどバスが埋まったあたりから、名前を呼ばれていないらしい人々も乗り込んでいるようだった。それをチェックしている係員もいない。そろそろ名前を呼ばれる頃だな、と思っていると、バスの様子を見に行った係員が戻ってくるなり、『今日はここまで。もうバスがいっぱい!』 と宣う。
『おいおい、俺はちゃんと予約したんだぜ。名前を呼ばれていないやつらが乗っていたじゃないか。そいつら下ろせよ!』 と残ったメンバーが抗議するも、係の女はヒステリックに、『とにかくおしまいなのよ。わたしのせいじゃないんだよ。バスがいっぱいなんだからしょうがないじゃない!!』と叫ぶ。こんなやりとりをしているうちに肝心のバスは出発してしまった。
こうしてエクスカーションに乗れなかった私たちは、ぶつくさ文句をたれるもなす術なし。外に出ようにも、出入り口には例の軍人が見張っていて一歩も外に出られない。軟禁状態だ。取り残されたメンバーの中に日本人が一組。『どうにもならないですね〜、ここはいっしょに飲みますか?』 と彼らに誘われる。
兄妹だという彼らとこのあとこの宿泊所のバーに向かった。まずはビール。これが色はビールっぽいのだが泡がほとんど立たない。これまで飲んだビールの中でも最低のしろもので『馬のしょんべん』と評したくなるほどのものだった。
『ビールはだめですね、ワインにしますかね。』ということでお次ぎはワイン、そして次は・・ 数時間をこのバーで過ごしているうちにエクスカーションの人々が帰ってきた。『赤の広場とか通ったけれど、バスからは一歩も外に出してもらえなかった〜』
飲んで飲んでまた飲んで。。夜になり東京行きの出発時刻が近づいてきた。空港まではバスに乗ることになっていて、玄関に集合する時刻も決まっている。『まだしばらく時間がありますね。』とさらに飲み続ける。そこに『○○さんと○○さん、いませんか〜 出発の時間ですよ。』とおばさんが探しにくる。○○さんと○○さんは私たちの名前じゃない。問題ないと飲み続ける。
そして玄関に集合する時刻がやってきた。やおら腰を上げ玄関に向かう私たち。しかし玄関にはほかに誰もいなかった! しはらくすると女が走ってきて、目を三角にして叫ぶ。『あんたら東京行きの人じゃないの? さっき人が探しにいったでしょうが!!』 という。
『さ〜て、誰かを探しに来た人はいたけど私たちじゃあなかったよ。私ら定刻にここに来て待っているんだけど?』 といえばこの女、今度は目を逆三角形にして叫ぶ。
『とにかくこっちに来なさい!!!!!』 と慌てた様子で玄関のほうに連れてゆく。
え〜、いったいどうなってんだ?
そこにやってきたのは、銃を持つ軍人を乗せたジープみたいな車。我ら三人は強制的にこれに乗せられてしまう。
『えっ、逮捕される・・』 目を見合わせてただ黙り込む三人。車は猛スピードでどこかに向かって走る。恐る恐る『どこに行くんですか?』と聞くも返事はなし。着いた先は空港ターミナルの裏口だった。ホッ。。これでなんとか帰れそうだ。
この話、実はこれで終わりではない。まだちょっとした続きがある。
ターミナルから飛行機に乗り込む途中、顔見知りになった旅行社の人に声を掛けられた。私たちがバスに乗っていなかったからどうしたのかと思っていたという。実はかくかくしかじかで・・というと、そんなのここでは日常茶飯だという。この御仁、乗り継ぎの便が確保できなくて、あの宿泊所に三日も足止めされていたという。こんなところにね〜 などといいながら飛行機に乗り込む。
私の席は例によって前から3番目くらいの広めの席だ。ところがそこへ行くと日本人のおばさんがデ〜ンと座っている。再度チケットを確認するがこの席に間違いない。そこでこの席は私の席だとおばさんにいうと、信じられない答えが返ってきた。
『アエロフロートはみんな自由席なの。だからここはあたしの席。』
チケットを見せるが一向に取り合おうとしない。仕方なく乗務員を呼んで事情を説明する。この乗務員、おばさんに席を替えるように言うが、おばさん、がんとして動かず。こちらを向いた乗務員はなんと、
『この人が席を立たないから、別の席に行ってください。』と言うではないか。
『ふざけるな、ここは俺の席だ!』と粘るが、もうこの乗務員も取り合ってくれず、どこかへ消えてしまった。先の旅行社の人に聞けば、アエロフロートは本当にほとんどが自由席なのだそうだ。まさかねぇ〜
こうして止むなく後ろの狭い席で東京まで窮屈な思いをすることになった。おばさんもおばさんだがアエロフロートもアエロフロートだ。もう二度とアエロフロートなんかに乗るもんか! プンプン!!
この数年後、知人がアエロフロートに乗った。自由席なんてことはなくて、例の宿泊所は場所が変わったらしく、森の中のなかなかいいところだったとのこと。モスクワのエクスカーションもなかなか良かったってさ。へ〜ぇ、そりゃあどうも。。