真夏のニューヨークでは、ハーレムでゴスペルを聴き、知人の家を訪ね、ミュージカルのキャッツを観てと、慌ただしい数日過ごしました。西洋文明の中では歴史の浅いニューヨークですが、それでもこの街並が形成され始めて200年以上が経ち、ここには歴史の積層さえ見ることができます。古い石造の建物、レンガ造、コンクリート造、そして鉄骨造とさまざまな造りのビルが林立しますが、ひときわ目を引くのはアール・ヌーボーの花、銀色に輝くクライスラー・ビルでしょう。
このニューヨークを午後の便で発ち、向かった先はメキシコ・シテイー。灼熱のラテン・アメリカだ!
『まもなくメキシコ・シテイーです』というアナウンスで飛行機の窓から下を見れば、これはびっくり、地球を覆い尽くすようにびっしりと建物が広がっている。大都市と言われるもののいくつかは見てきたけれど、ここまですごいのは初めてです。
夕方メキシコに降り立った私たちは、メトロで街の中心イダルゴに向かいました。イダルゴから歩いて10分ほどで着いたのはホテル・ニューヨーク。ここまで来て名前がな~って思いますが、観光の中心にあるので便利です。
通りにはドイツでは1978年に生産中止になったフォルクスワーゲン・ビートルのタクシーがわんさか。ここメキシコでは今もビートルが生産されていて、世界各国に輸出しているそうです。
タクシーには3種類あり、このビートルはボラれ度NO.1の悪名高きリブレという流しのもので、最下等。これ以外に、ブースのある決まった場所に待機している赤い色のシティオと、一流ホテルにいる大型のトゥリスモというものがあります。これら以外に決まったルートを走るペセロという小型バスのような乗り合いタクシーもあります。
メキシコ・シティーはこちらでは『ディーエフ』と呼ばれています。D.F.はDistrito Federalの略、つまり連邦区という意味です。そのD.F.の散策は、まずフアレス通りでアラメダ公園からソカロ(憲法広場)を目指すことにしました。このあたりは歴史的な建物と現代的な建物が入り交じった繁華街です。
アラメダはポプラ並木という意味だそうで、かつてはポプラ並木があったらしいのですが、現在はこんもりとした木に覆われ、噴水があちこちにあります。
フアレス通りがマデロ通りと名前が変わったところには『タイルの家』が立っています。外壁が美しいブルーのタイルで覆われた1596年造のスペイン・ムーア風の建物です。
江戸時代にはるばる日本からやってきた支倉常長らが、ここに宿泊したといわれています。
日本ではあまり見られなくなった靴磨き屋さんが、この入口の近くに小さな日除けを出して営業していました。
その奥では大きな水のボトルをたくさん運んでいる人がいます。
メキシコの水道水は飲料に不適なので、飲料用にはこの大きなボトルのものを使うのです。
『タイルの家』の斜め向かいにあるのがこちら、サン・フランシスコ教会。ホテルがニューヨークなら教会はサン・フランシスコときました。(笑)
ごてごてした装飾が特徴のチュリゲラ様式で、フランシスコ会が植民地の最初の本部として建てたものだそうです。なんと支倉常長らはここで洗礼を受けています。
クラシカルな建物が並ぶ通りをどんどん行くと、だだっ広い広場に出ました。ソカロです。
ソカロとは中央広場みたいな意味合いの言葉で、たいていどこの町にもあり、そこにはお役所やりっぱな教会があることが多い。ここのソカロの正式名称は憲法広場だそうで、だだっ広いのは大きな国家行事などに使うかららしい。広場も広いがそこに掲揚されている国旗も巨大。
ご多分に漏れずここにも立派なカテドラルがありました。
この建物、ギリシャの各様式、ゴシック、ルネッサンス、バロックとごちゃまぜ!
ソカロの周辺は宮殿、お役所、裁判所、豪華なホテルと立派な建物が勢揃い。そして広場の一角には土産物屋さんがびっしり。
どれどれと覗いてみれば小さなお人形さんがなんと10$。高〜い! と思ったらこの$ってペソ。1ペソは37円だから370円でした。
ここには自転車タクシーもあるようです。東南アジアでは良く見掛けますが、まさかメキシコにもあったとは。
あっ、これは普通の交通機関としてのものなのか、それとも観光用のものなのかはわかりませんでした。
こちらは個人商店街。小さなプラカードに商品名を書いて、みんなカテドラルのフェンス沿いにずらっと並んでいます。
なかには『鉛管』というものも。商品はどこに置いてあるのかほとんど見当たらない、というか、私たちにはどれが商品なのかわからないほどのものばかりです。
広場にちょっとした人だかりが出来ています。
なんだろうと思い覗いてみると、先住民族インディヘナらしい人々がなにやら始めました。
彼らはなにか儀式みたいなことをしたあとに、ちょっとしたダンスのようなものを披露していました。
ここメキシコには、こういった人々が暮らす村々がまだまだ数多くあります。
ソカロから北に5ブロックのところにあるのはサント・ドミンゴ広場。
ここは一見何の変哲もないただのコロニアル調の広場に見えますが、その足下に行くと、人がわんさか。
立派な建物の足下のアーケードには日本では見慣れぬ光景がありました。タイプライターを一つだけ載せた小さな机がずらり。
しばらく観察していると、この机の前にやってきた人が二言三言言うと、タイプの人はウンウンと頷いてキーをたたき出します。終わると、ハイよ〜、って紙を客に差し出します。隣の机ではタイプではなく肉筆で、かわいらしい便箋に手紙を書いてもらっている人がいます。
ここは代書屋なのです。メキシコでは聞くところによれば文盲率が10%もあるそうで、文字の書けない人々がここのような代書屋を利用しているようです。
ソカロのカテドラルの裏手にはテンプロ・マヨール博物館があります。
1913年にこの付近からアステカの遺跡が発見され、その後1979年にアステカ神話のなかでも重要なコヨルシャウキの像が出土したのです。ここがアステカ帝国の都、湖に浮かぶ都市テノチティトランの中央神殿だったのです。博物館にはここで出土した多くのものが展示されています。その展示によれば、ソカロのカテドラルや宮殿の下には、今なおテノチティトランの神殿群が眠っているとのこと。
ここでのお気に入りを一点挙げます。アステカの女神コアトリクエ。天の者つまり太陽、月、星の産みの親であり、炎と豊穣の女神、生と死そして生まれ変わりの女神。ガラガラヘビの頭を持ち、とぐろを巻いた蛇の腰巻きを着け、その食べ物はあらゆる生き物という、いかにも恐ろし気なものですが、この像は愛嬌たっぷりに見えますね。
もう一つ忘れてはいけないのは、アステカ・カレンダーともいわれる巨大な円盤『太陽の石』。
この直径は3.6mもあり、大聖堂の修復工事中に発見されました。中央は擬人化された太陽で、口から出ているのは人身供養用のナイフだそうです。太陽の周りにある4つの絵文字は既に滅んだ4つの太陽の時代を表しているといい、ジャガー、風、火の雨、水を示しているとか。
散歩に疲れ、喉が渇いたらジュース屋さんでフレッシュなオレンジジュースを。
この国ではフルーツはみんなとても安く、手軽においしいフレッシュなジュースが飲めます。
そして小腹が空いたらこれを。街角にはトルタ(サンドイッチ)やタコスを売っている軽食屋さんがたくさんあります。
これはトルタ・ハワイアーナ。サリーナは卵とチョリソ入りを。どちらも安く(3~4$/個)て、ムイ・リコ!(とってもおいしい!)
ソカロから南西5kmのほどのところ、広い並木道のレフォルマ通りの突き当りにチャプルテペック公園があります。
メキシコ杉が茂る小高いこの公園に上るとD.F.が見下ろせます。
日比谷公園の40倍ほどもあるこの公園には博物館そのほか様々な施設があり、場所によっては屋台がグワ〜と広がっていて、地元の人もたくさん。
2つほど博物館を巡るとお腹がぺこぺこ。ゾナ・ロサでレストランを探しますがどこも結構なお値段なので、ホテルに戻って近くの食堂に行きました。コミーダ・コリーダと呼ばれる定食のパエリャ、これとビールで50$/2人でした。昨日は17$だったのでちと高めですが。ビールは少し濃い色のボエミアというものが私たちのお気に入りです。黄金色のドス・エキスもまあまあかな。
メキシコの著名な建築家にルイス・バラガンという方がいます。そのいくつかがD.F.近郊にあるので行ってみることにしました。まず向かったのは南の方のトラルパンにある代表作の修道院です。その修道院へ行く途中にはメキシコの伝統的な民家がいくつか見られました。ちょっと荒っぽい外壁は赤茶色に塗られ、中庭を囲むようにしていくつかのブロックが繋がったような配置をしています。
目的の修道院は道行く人が少ない郊外にあり、たどり着くのにちょっと苦労しました。しかしなんとか見つけることができ、門を叩くと、出てきた修道院の修道女さん、『ここには、どなたも入れません!』
あ~残念、まあ修道院だからね~、とここは諦め、同じバラガン作のアルボレダスにある公園の池を見に行くことにしました。
地図で見つけたアルボレダスという名の所は住宅街のようで、それらしいものは見当たりません。通り掛かった人に写真を見せて聞くと、その方はじっと写真を見て考え込んでいる様子。しばらくしてこのおじさん、
『これはこの辺にはないよ。同じアルボレダスでもこれは全然違う所なんだよ!』 と言うではありませんか。
『えっ、え~。ここじゃあないの~』 愕と肩を落とすサイダーとサリーナです。修道院には入れず、今度は場所違いとはトホホ… この様子を見たおじさんが、
『君たち時間はあるかい? 良かったら車で連れて行ってあげるけれど。』 とおっしゃいます。お~、やった~、時間は充分にあるのです。ということでこのおじさんに連れて行ってもらうことにしました。おじさんはペドロといい、息子のパブロもいっしょに車に乗ってもう一つのアルボレダスへGO GO!
もう一つのアルボレダスは全く違う方向にあり、D.F.に戻って北西に向かいました。D.F.の出口にはバラガンのサテライト・タワーというコンクリートの塊のような塔が建っています。しかしこれはオリジナルの色ではなく塗り替えられてしまっているそうです。
車で走ること2時間。ようやくもう一つのアルボレダスの近くに到着したらしい。
まずロス・クルベスの乗馬クラブの池に行きましたが、こちらは会員制でメンバーしか入れないという。そしてアルボレダスの公園は見つかったものの、池は悲惨な状態。残念ながら今は水は抜かれ、ゴミ溜のようになっていました。
こうしてバラガンの建築巡りは不調に終わったのですが、親切にここまで連れてきてくれたペドロとパブロに感謝。
この日のお昼は時間がなくなり、街角の市でペドロたちと果物を買って食べました。サボテンの実がおいしい。果肉は柿のようでやわらかく、甘い果汁が口の中にグワっとあふれます。
ペドロがこの後はどうする? と聞いてきたのでルチャ・リブレ(メキシコのプロレス)を観たいと言ったら、これが大受け。メキシコではB級の娯楽として人気があるものの、観光客はほとんど行かないそうです。
ペドロたちはルチャ・リブレは観ないというので、D.F.まで送ってもらい、ルチャ・リブレの場所を教えてもらって分かれました。サンクス、ペドロ&パブロ。
さて、夕方からはそのルチャ・リブレです。会場はガリバルディ広場近くのアレナ・コリセオ。ちょっとごちゃごちゃしていて、昔の日本の寂れた映画館という感じ。試合開始のはるか前からものすごい人です。係りのおじさんの案内で席に着けば、廻りの人々はビールを飲んだりスナックを頬張ったりおしゃべりしたりと忙しそう。
照明が変わり、ようやく試合開始です。プロレスだから善玉と悪玉があり、登場の時から善玉には拍手や声援が、悪玉には罵声が飛びます。最初はあまり名の売れていない人が登場するのはどこでも同じようで、技は決まりが悪く、迫力もイマイチ。これを何組か繰り返すうちにだんだん盛り上がってきます。
超人気の、タイガーならぬパンテーラ(パンサーマスク)という善玉が現れるともの凄い声援です。隣のおばさん、口から泡を飛ばし、『パンテーラ、パンテーラ!』と大声の声援、両腕はグルグル廻して忙し忙し! 空手チョップだとかなんとかキックだとか、まあおなじみの技が繰り広げられます。ロープの上の悪玉が、やられてマットに転がっている善玉をめがけて飛び降りたら、最後の瞬間に善玉が飛び退いて、悪玉がマットにガチン、善玉の逆転勝利! おみごとおみごと!!
こうして楽しいルチャ・リブレとともに夜は更けて行きました。帰りのガリバルディ広場からは陽気なマリアッチが聞こえてきました。