2009

ランデヴー at 井の頭公園・野川公園 名所江戸百景4

開催日 2020年05月30日(土)晴れのち曇り
参加者 マージコ/マコリン/ムカエル/シンチェンゾー/サイダー
総合評価 ★★
難易度
走行距離 65km
地域 首都圏

野川公園でランデヴーの面々
野川公園でランデヴーの面々

コース紹介

東京の南西部の公園でランデヴー。蚕糸の森公園、井の頭公園、野川公園、深大寺、京王フローラルガーデンを。歌川広重の名所江戸百景からは、『せき口上水端はせを庵椿やま』『高田姿見のはし俤の橋砂利場』『井の頭の池弁天の社』を。

地図:GoogleマップgpxファイルGARMIN ConnectRide With GPS

発着地 累積距離 発着時刻 ルート 備考
播磨坂 START 発08:30 一般道 環三通り
江戸川公園 2km 着08:45
発09:00
園内路
一般道
神田上水関口大洗堰跡、園内自転車走行禁止
東京名所四十八景『関口目しろ不動』
名所江戸百景『せき口上水端はせを庵椿やま』
名所江戸百景『高田姿見のはし俤の橋砂利場』
早稲田大学
大隈講堂
3km 着09:05
発09:10
一般道 設計:佐藤功一、佐藤武夫
末広橋 7km 着09:30
発09:30
緑道
一般道
『神田川』歌碑
蚕糸の森公園 11km 着09:50
発10:05
一般道 さんしのもりこうえん
蚕糸科学技術発祥の地記念碑
井の頭公園 20km 着10:45
発11:05
園内路
一般道
名所江戸百景『井の頭の池弁天の社』
七井橋、西端に『御茶ノ水』
野川公園 29km 着11:55
発13:40
一般道 コンビニで弁当調達
深大寺 33km 着13:55
発14:05
一般道 閉門中
神代植物公園/500円/休園中
布多天神社 35km 着14:10
発14:20
一般道 布田五宿の総鎮守
京王フローラルガーデン
アンジェ
37km 着14:30
発15:45
多摩川CR
荒玉水道道路
500円
蚕糸の森公園 55km 着16:55
発17:00
一般道
播磨坂 65km 着17:50

日の入り18:50/名所江戸百景:地図Wikipedia国会図書館デジタルコレクション
古地図 with MapFan江戸百景めぐり錦絵でたのしむ江戸の名所浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」

2020年は記憶に残らざるをえない年になりました。新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) の世界的な流行です。日本でも緊急事態宣言が出され、外出の『自粛』を求められました。(自粛とは求められるものだとは知らなんだ。) 当然ながら私たちの活動も大幅に減少しましたが、先日、ひと月半に渡る緊急事態宣言が解除されたので、少しずつ活動を再開したいと思います。

さて、いきなり遠出のツーリングとはいきませんし、まずは鈍った身体を解さなければ。そこで、都心近くの公園をいくつか繋いで走ってみることにしました。いつもと異なるのは、特定の集合場所からみんなで走り出すのではなく、ルート上の適当なところでランデヴーすることにしたことです。

メインのランデヴーポイントは調布市の野川公園とし、そこに向けて各々任意の場所から適当な時刻に出発します。サイダールートは文京区小石川を出発し、井の頭公園を経由するというもので、これに途中マージコとムカエルが合流することになりました。

井の頭公園は江戸時代の初期に作られた神田上水の水源だったところで、この神田上水は明治34年(1901年)に閉鎖されるまで長きに渡り、江戸と東京の人びとに飲用水を供給し続けました。神田上水は現在の神田川で、今回の出発点の近くを流れているので、要所要所でこの川の様子を覗いていきます。

小石川播磨坂小石川播磨坂

スタート地点の文京区小石川の播磨坂の桜並木はすっかり深い緑色になっています。

もうすぐ夏ですね。

江戸川公園江戸川公園

高台にある播磨坂から坂道を下ってやってきたのは江戸川橋。

ここで神田川の流れに出会います。流れが神田川なのになぜ『江戸川』橋なのか。この疑問にはあとでお答えします。

神田上水取水口の石柱が移設されている付近神田上水取水口の石柱が移設されている付近

江戸川橋から神田川の上流左岸は江戸川公園になっていて、緑の多い気持ちのよい空間に遊歩道が設えられています。ここは自転車走行禁止なので、押してのんびり進みます。

入口から300〜400mほど行くと、遊歩道の北側に人工的なせせらぎのようなものが現れます。この東端に神田上水の取水口に使われたものだと言う石柱が移設されて残っています。

神田上水取水口の石柱神田上水取水口の石柱

神田川の上流部が神田上水だったころ、その水は江戸川公園の横の大滝橋付近にあった関口大洗堰で分水され、一方を上水用として水戸藩上屋敷(現在の小石川後楽園)方面へ流し、そこから水道橋に向かい神田川を掛樋で越し、神田・日本橋方面に給水していました。もう一方は余水として江戸川(現在の江戸川とは関係ない)と呼ばれる流れとなり、飯田橋で江戸城の外堀と合流し神田川となり、隅田川に向かいました。江戸川橋の名の由来はこの江戸川なのです。

堰の取水口には上水の流水量を調節するため『角落』という板が嵌め込まれていたそうで、写真はこの角落を受けた石柱を移設したものだそうです。

東京名所四十八景『関口目しろ不動』(明治4年(1871年))東京名所四十八景『関口目しろ不動』(明治4年(1871年))

昇斎一景が描いた東京名所四十八景の『関口目しろ不動』では、右上に画題の目白不動が立ち、左に神田上水の関口大洗堰が見えます。この堰から下流が江戸川です。右端にわずかに見えるのは、本当はもっとずっと下流の神田川に架かる掛樋なのではないかと思います。

堰はかなり立派な石垣で造られているのがわかります。この石は江戸城の外濠を通って運ばれたと考えられます。ここから1kmほど下流に石切橋という名の橋がありますから、そのあたりが石の荷上げや加工の場所だったのかもしれません。

現在このあたりにある『関口』の地名は、この大洗堰から来ているとも言われています。

『関口椿山荘』(令和二年(2020年))『関口椿山荘』(令和二年(2020年))

この写真に見える橋が大滝橋です。大洗堰はあのあたりにあったはずです。

現在、右上に見えるのは目白不動ではなく、高層化された椿山荘のホテルの頂部です。

江戸名所図会 4巻『目白下大洗堰』(天保7年(1836年))江戸名所図会 4巻『目白下大洗堰』(天保7年(1836年))

堰の様子が良くわかるのが長谷川雪旦が挿画した江戸名所図会の『目白下大洗堰』です。名称が異なっていますが、これは関口大洗堰を描いたものです。

堰の上は立ち入り禁止区域だったようで、柵が巡らされているのが見えます。上流側で画面上方へ行く流れが上水として使われるものでしょう。

名所江戸百景『せき口上水端はせを庵椿やま』(安政四年(1857年)四月 春の部)名所江戸百景『せき口上水端はせを庵椿やま』(安政四年(1857年)四月 春の部)

歌川広重は関口大洗堰のすぐ上流にある現在の椿山荘から細川庭園あたりを、名所江戸百景『せき口上水端はせを庵椿やま』で描いています。この画題は読み難いですが、関口(大洗堰)、上水端(神田上水の畔)、芭蕉庵(絵右の芭蕉と関係する庵)、椿山(絵右の山)、ということです。

ヘンリー・スミス(広重 名所江戸百景/岩波書店)によれば、このあたりは古くから椿が自生する景勝地として知られ、椿山(つばきやま)と呼ばれていたようです。描かれている草庵は近くの禅寺の離れの竜隠庵(りゅうげあん)で、このあたりに松尾芭蕉が住んでいたという話から、これはのちに芭蕉庵と呼ばれるようになったと。芭蕉は神田上水の改修工事に従事するために、このあたりに2〜3年間住んだようです。

この絵は駒塚橋あたりから上流を眺めたもので、椿山にはピンク色の花が見えます。椿山なので一瞬椿かと思いましたが、春の部にあることと樹形から見て、これは桜でしょう。川の向こうは田んぼですが、現在そこには早稲田大学が立っています。田んぼのさらに向こう側には早稲田の森らしきものも見えます。

絵本江戸土産 7編『関口上水端芭蕉庵椿山』(安政四年(1857年))絵本江戸土産 7編『関口上水端芭蕉庵椿山』(安政四年(1857年))

広重は絵本江戸土産の『関口上水端芭蕉庵椿山』で、これとほとんど同じ絵を描いています。

絵本江戸土産には手前の橋が描かれており、視点が川の対岸であることが名所江戸百景と異なりますが、この二点は同年に出版されており、とてもよく似ています。

『神田川端関口芭蕉庵椿山』(令和二年(2020年)五月 夏の部)『神田川端関口芭蕉庵椿山』(令和二年(2020年)五月 夏の部)

駒塚橋から神田川の上流を眺めるとこんなふう。

川のカーブは現在までほぼ広重の絵のまま残っているようです。

水神社水神社

ヘンリー・スミスも言っているように、この右手の高台には神田上水の守り神である水神を祀った水神社があります。

関口芭蕉庵入口関口芭蕉庵入口

そして芭蕉庵はこの水神社の東に、関口芭蕉庵として再建されています。

手前の塀のすぐ向こう側に見える大きな葉っぱは、芭蕉が俳号として用いたバショウでしょう。

胸突坂胸突坂

水神社と関口芭蕉庵を隔てる道は狭く、激坂です。

その名も胸突坂と言いますが、これは別名『水神坂』とも呼ばれるそうです。

関口芭蕉庵入口と椿山荘関口芭蕉庵入口と椿山荘

駒塚橋から神田川の下流を眺めると、左に関口芭蕉庵の入口が見え、その奥のこんもりした森の中に椿山荘のホテルが立っているのが見えます。

広重はこの近くで神田上水をもう一点描いているのですが、それは最後に。

早稲大学大隈講堂早稲大学大隈講堂

駒塚橋で神田川を離れ、新宿区の早稲田に入ります。早稲田と言えば、かの早稲田大学です。写真は早稲田大学のシンボル大隈講堂。

さて、神田川と聞いてある曲を思い出す人は私と同世代かそれより上でしょう。若い方にはこの話はわからないかもしれませんが、フォークグループの『南こうせつとかぐや姫』が歌い、大ヒットとなったのが『神田川』です。

『神田川』は喜多條忠が早稲田大学時代の思い出を元に作詞したものだそうで、歌の中に出てくる『二人で行った横丁の風呂屋』はとっくの昔に廃業してしまっていますが、このすぐ側の甘泉園の近くにあったそうです。

戸山公園戸山公園

大隈講堂の横をかすめ、戸山公園を抜けます。このあたりがかつて早稲田の森と呼ばれた辺りでしょうか。

アジサイがぼちぼち花を咲かせていました。

末広橋より末広橋より

大久保通りと神田川が交差する地点に末広橋が架かっています。

南には新宿の超高層ビル群の端っこが見えます。

『神田川』の歌碑『神田川』の歌碑

この末広橋の西詰にあるポケットパークの中に、ひっそりと『神田川』の歌碑が立っています。

 貴方は もう忘れたかしら

 赤い手拭い マフラーにして

 ・・・

末広橋付近の神田川沿いの遊歩道末広橋付近の神田川沿いの遊歩道

神田川の上流部には高田馬場付近を除くと、概ね遊歩道が設えられています。

この遊歩道は江戸川公園以外は自転車も通行可能なので、このままどんどこ川上に遡れば井の頭公園に辿り着きます。今回もなんとなくこの遊歩道に入ってしまったのですが、今日は環七と青梅街道の交点にある『蚕糸の森公園』が第一ランデヴーポイントなので、戻ってやり直し。

桃園川緑道桃園川緑道

大久保通りのすぐ南には桃園川緑道があるのでこれを行ってみます。

緑道は歩行者には最適ですがが、自転車だと交差する道がある度に車止めが出て来て効率が悪いので、すぐ遊歩道の横の道にシフト。この道も車の通りは少なく、問題なく進んで行きます。

東高円寺商店街東高円寺商店街

どんどこ行って東高円寺の商店街が出て来ると、第一ランデヴーポイントの蚕糸の森公園はもうすぐです。

蚕糸の森公園の正門蚕糸の森公園の正門

『蚕糸の森公園』は国の蚕糸試験場の跡地に造られた公園です。1911年(明治44年)から1980年(昭和55年)につくば市に移転するまでの70年間、ここで蚕糸の研究がされていたのです。

かつての施設はほとんどありませんが、青梅街道に面して縞模様の旧正門が残っています。

ここで、マージコとムカエルが合流、ランデヴー成功です。

旧守衛所旧守衛所

旧守衛所も管理所として修復保存されています。

桑の木桑の木

門を入ってすぐの左手には桑を植えた囲みがありますが、これは養蚕用の桑を再現したものだそうです。

蚕糸の森公園蚕糸の森公園

公園となってからもすでにだいぶ時間が経つので、木々は大きくて立派。

この木陰でちょっと涼みます。

成田東3丁目付近成田東3丁目付近

蚕糸の森公園から向かうは井の頭公園。

杉並区の住宅地の中を進んで行きます。

善福寺川緑地善福寺川緑地

善福寺川に出ました。善福寺池に源を発するこの川の周囲は善福寺川緑地として整備されており、散歩やジョギングを楽しむ人でいつも溢れています。

井之頭池を流れ出した神田上水は途中補助水源として、この善福寺川や妙正寺川などを合わせて関口大洗堰に向かって行ったのです。

立教女学院立教女学院

久我山に入ると立派な建物が現れました。立教女学院です。

ここは立教大学の系列の中学高校で、かなりの歴史があります。校舎と礼拝堂は1930年ごろの建築で、設計はアメリカ人の手によるものです。

久我山の通り久我山の通り

さらにこんな道を進んで、

井の頭公園の神田川井の頭公園の神田川

井の頭公園に入ります。

ここまで神田川は固いコンクリートの護岸でまったく楽しい姿をしていませんでしたが、ゆうやけ橋から上流はコンクリートがなくなって、かなり魅力的です。

今日はそれなりに気温が高く、子供たちは川に入って大はしゃぎ。

井の頭池の畔を行く井の頭池の畔を行く

井の頭公園内は自転車走行禁止ではないので、歩行者に気をつけながらゆっくり進んで行きます。

神田川の起点となる水門橋、そしてそのすぐ上にあるひょうたん池を過ぎると、流れはほとんどなくなり井の頭池となり、徐々にその幅を広げて行きます。

ボート池ボート池

井の頭池はその中央に架かる七井橋で東西に分かれ、通常だと東側の湖面にはボートがたくさん浮かんでいるのですが、この日それは0。

コロナウイルスの影響でボートは営業中止のようです。

北西端より井の頭池を見る北西端より井の頭池を見る

井の頭池の北西端までやってきました。

そこからの眺めです。右手より大きく張り出した中州によって、池は実際よりだいぶ小さく見えます。あの木立の裏側にも池は廻り込んであるのです。同じ理由で、この右手にある弁天社はここからは見えません。

江戸名所図絵 4巻『井頭池弁財天社』(天保7年(1836年))江戸名所図絵 4巻『井頭池弁財天社』(天保7年(1836年))

井の頭池は古くから豊かな湧き水があり、江戸時代には徳川家康の命により作られた日本初の上水である神田上水の水源となりました。この池は長谷川雪旦が挿画した江戸名所図絵に描かれています。その中央には『神田上水の源なり』とはっきり書かれています。

弁天社の位置などから見て、この絵は西の方から池を眺めたものです。上の写真はこの絵より視点は低く池に近く、方向的にはより左から見ています。

ここで気付くのは、現在七井橋が架かっている中州は江戸時代は今よりだいぶ小さかったのではないかということです。

『御茶ノ水』と呼ばれる湧水口『御茶ノ水』と呼ばれる湧水口

上の江戸名所図絵の本文には、ここには七箇所の湧水があり『七井の池』とも呼ばれ、言い伝えでは家康が水を汲んでお茶を入れるのに使ったとあります。その家康が水を汲んだとされるのが『御茶ノ水』と呼ばれる湧水口です。(写真右奥の四角いところ) 残念なことに現在は湧水量が少なくなったようで、ポンプで汲み上げているそうです。

続いて、三代将軍家光はこの池と水を気に入り、井頭と名付たとあります。それ以降、この池は井の頭池と呼ばれるようになったわけです。

井の頭弁財天井の頭弁財天

江戸名所図絵に描かれている井の頭弁財天に向かいます。

これは弁天さまを北から見たところです。

名所江戸百景『井の頭の池弁天の社』(安政三年(1856年)四月 秋の部)名所江戸百景『井の頭の池弁天の社』(安政三年(1856年)四月 秋の部)

歌川広重が、名所江戸百景の中で最遠の地、江戸の西端として取り上げたのが、井の頭池とその畔に立つ弁天社です。広大な池というより沼。そこに鷺が飛ぶのどかな風景。弁天社だけがここに人々の生活があることをかすかに感じさせます。

池の畔に立つ弁天社の起源は平安時代とされていますが、ここに描かれているのは家光により再興されたもので、それも関東大震災で被害を受け、現在の社は昭和初期に再建されたものになっています。

ヘンリー・スミス(前掲書)は、この絵には『違った方向から眺めた実景がおさめられている』と述べています。

その一つは『池を北西から眺めたもの』で、江戸名所図絵を下敷きにしたのだろうと。そしてこの視点に対し、『遠景の山なみと、 近景の弁天堂は、別の方向からの眺めである』とし、山並みについては日光連山や奥多摩方面の山の可能性を示唆しつつも、『「江戸名所図絵」に出ている一般化された山の姿を写しただけのように思える』としています。

井の頭弁財を太鼓橋側から見る井の頭弁財を太鼓橋側から見る

俯瞰で描かれたこの絵の視点に立つと、現在は鬱蒼とした木々に阻まれ、弁天社はまったく見えません。

そのうしろの池は絵のように広大ではなく、中景に描かれている右手から延びてきている中州は実際は反対側の左手にあり、その張り出しもより広大です。今日はここから見える山並みはないようです。

近づいて太鼓橋の前までやってくると、ようやくお堂が見え出しました。輝かしい緑の中で朱色が鮮やかな対比を見せています。切り取った絵を見てみると、なんとなく広重の絵に似ていなくもないかもしれません。

名所雪月花『井の頭の池 弁財天の社雪の景』(天保14年-弘化4年(1843年- 1847年))名所雪月花『井の頭の池 弁財天の社雪の景』(天保14年-弘化4年(1843年- 1847年))

ヘンリー・スミスは、お堂は南からの眺めであるとし、『シリーズ中、対象の姿を真正面から捉えた構図を使った唯一の例外』と述べています。

広重は名所雪月花でもこのお堂を描いており、それも真正面からの構図になっています。

絵本江戸土産 三編『井の頭の池辨財天社』(嘉永3年(1850年))絵本江戸土産 三編『井の頭の池辨財天社』(嘉永3年(1850年))

例によって広重は絵本江戸土産でも同箇所を描いています。

ここでは弁天社は斜めから描かれていますが、俯瞰であること、中景の中州が右から延びてきていること、遠景の山並みが大きく描かれていることなど、百景と共通する点が多い構図になっています。そう、この絵の山はほとんど特徴のないものに見えますね。

雪旦の江戸名所図絵はもちろん、名所雪月花も絵本江戸土産も名所江戸百景より以前の作であり、広重はこうした下敷きを充分に使って名所江戸百景を仕上げているように思えます。

井の頭公園の中を行く井の頭公園の中を行く

井の頭公園は吉祥寺駅から歩いて数分のところにある人気の公園なので、普段はかなりの人出があり、実際は広重の絵から感じるような田舎の風情とはだいぶ異なります。

しかし今日はその人出も少ない方だからか、どこかのどかな雰囲気を感じます。

下連雀下連雀

井の頭公園を出たら、次はメインのランデヴーポイント野川公園に向かいます。

下連雀の商店街を抜け、

生産緑地生産緑地

生産緑地と思われる畑や果樹園の横を通り、

野川公園北門付近野川公園北門付近

野川公園に入りました。

野川沿いを行く野川沿いを行く

野川公園はその名のとおり、野川沿いに造られた公園で、ここはとても広いです。

野川で水遊びする親子野川で水遊びする親子

ここでも親子が川に入って水遊び。

涼しそう〜

野川公園内を行く野川公園内を行く

野川公園は東八道路を境に南北に別れており、陸橋で東八道路を跨いで本園に入ります。

野川公園で弁当休憩野川公園で弁当休憩

公園近くのコンビニで弁当を見繕っていると、そこにマコリンが登場。

ランデヴーポイントに着いて陣地を確保すると、ちょうどそこにシンチェンゾーがやってきました。全員無事にランデヴーに成功です。

社会的な距離を保ちつつお弁当をいただき、しばしまったり。

野川野川

野川公園からはそれぞれのルートで帰途に着きます。北に向かうムカエルとはここで分かれ、他の面々は調布飛行場の飛行機を観に行くつもりにしていたのですが、うっかりこれを失念。

野川公園で至近距離から着陸体勢の飛行機を見たから、まあいいか。

野川沿いの遊歩道野川沿いの遊歩道

野川沿いに深大寺に向かいます。

野川は両岸に似たような道がありどちらを通っても良いのですが、たまたま右岸が工事中だったので今回は左岸を下りました。場所によって道は写真のような遊歩道になっています。

深大寺通り深大寺通り

深大寺通りに入るとさすがに有名寺の門前の通りだけあり、立派な並木道になりました。

深大寺参道深大寺参道

深大寺の正面参道に辿り着きました。

いつもなら行列ができるぐらいの賑わいを見せるここは、この日はめずらしく人がまばら。お店は開店しているところもあれば、閉めているところもあります。

深大寺山門前のシンチェンゾー深大寺山門前のシンチェンゾー

それもそのはず、肝心の深大寺はコロナウイルスの影響で閉門されているのでした。

深大寺のアジサイ深大寺のアジサイ

しかしこれくらいの人出だと、このあたり本来の静かさが感じられてとてもいいです。

お寺が閉門なら神代植物園も閉園中なので、マージコの提案で京王多摩川駅のすぐ側の京王フローラルガーデンアンジェで季節の花を楽しむことにしました。

深大寺から坂道を上るマコリン深大寺から坂道を上るマコリン

深大寺を出て坂道を上って行くと、ツツジがかろうじて残っているところがありました。

『今年はツツジ、観に行けなかったね〜』 と、サイダー。

布多天神社布多天神社

深大寺から1.5kmほど南下すると布多天神社があります。

この神社は布田五宿の総鎮守で、五宿天神とも呼ばれるそうです。

布多天神社社殿布多天神社社殿

境内では毎月第2日曜日に骨董市が開かれます。水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』では、鬼太郎はこの本殿裏の森に住んでいることになっているそうです。

それでかこの参道である天神通りは鬼太郎ロードとも呼ばれていて、その入口の柱の上には鬼太郎がおり、商店街のあちこちにねずみ男など鬼太郎に登場する妖怪たちがちりばめられています。

京王フローラルガーデンアンジュの池京王フローラルガーデンアンジェの池

さらに南下して京王フローラルガーデンアンジェに到着。ここは先週の半ばにようやく再開園されたばかりとのことで、入口で体温チェックがありました。

入口を入るとすぐ、モネの絵をイメージしたという睡蓮が咲く池があります。睡蓮はちらほらで、これからが本番といったところ。

園内にはたくさんの種類の花が咲き乱れています。

アジサイアジサイ

これはご存知ガクアジサイ。ピンク色の花に見えるのは本当の花ではなく装飾花と呼ばれるもので、顎片が大きくなったものだそうです。この装飾花の中心にあるのがいわゆる花なのですが、これは不完全なもので通常は種子ができないそうです。

装飾花に取り囲まれた中央にあって細かくごちゃっとしたもの、これも花です。こちらは両性花と呼ばれ、小さいながらも顎・雄しべ・雌しべ・花弁が揃った正常な花で、種子を作ることが出来るそうです。ちなみにガクアジサイのガクは『顎』ではなく『額』だそうです。これは中央の両性花を取り囲むように、額縁のように装飾花が配置されることから来ているそうです。

アルストロメリア アルストロメリア

アルストロメリアは百合水仙と呼ばれるようです。

南アメリカが原産で約50種が知られ、いずれもアンデス山脈の寒冷地に自生するそうです。なんだかアンデスに咲くこの花はイメージできません。どちらかと言えばアマゾンに咲いているような。

瘤がある花瘤がある花

名前はわかりませんが、花のすぐ下に瘤があります。

麦のような穂麦のような穂

麦のような穂です。

薔薇薔薇

真っ赤な薔薇。

薔薇はあらかたおしまいでした。

ヤナギハナガサヤナギハナガサ

ヤナギハナガサの花は5mmほどと、とても小さいです。

南アメリカ原産だそうですが日本にも帰化しているそうです。

アリウム・ギガンテウムアリウム・ギガンテウム

アリウム・ギガンテウム(Allium giganteum) だそう。

別名をハナネギ(花葱)とも呼ぶらしく、葱坊主に似た赤紫色の大きな球状の花です。この花もヤナギハナガサ同様、小さなたくさんの花からできています。ヒガンバナ科ネギ属の球根植物(多年草)だそう。

トキワマガリバナトキワマガリバナ

トキワマガリバナ(常磐曲がり花, Iberis sempervirens)でしょうか。

この花も複雑で、たくさんの花が集まってできています。

薔薇のアーチ薔薇のアーチ

薔薇のアーチがありました。

この先の芝生でしばしゴロン。

花に満足なマコリン花に満足なマコリン

『こんなにきれいな花がたくさん咲いているって、ここは凄いですね〜』 と、野を越え、山を越え、川を渡ってやってきたマコリンも満足そう。

多摩川自転車道多摩川自転車道

まったりと花を眺めながら京王フローラルガーデンアンジェを巡ったら、多摩川に出ます。

マコリンはここで橋を渡ってまた野山を越えて帰途に着きます。残った面々は多摩川サイクリングロードを下ります。

荒玉水道道路を行くマージコ荒玉水道道路を行くマージコ

シンチェンゾーはもう一走りすると言い、多摩水道橋で対岸に渡って行きました。

マージコとサイダーは狛江市の砂利の土手を行き、砧浄水場から荒玉水道道路に入り、どんどこ北を目指します。

面影橋駅面影橋駅

大宮八幡宮からマージコは北に進路をとり、サイダーは北東進を続けます。

私サイダーは、ほぼやって来た道を辿って神田川沿いの面影橋に出ました。ここには都電の面影橋駅があり、ちょうどそこに電車がやってきました。

面影橋面影橋

さて、面影橋という心乱される名の橋ですが、ここには夫だか恋人だかを失った失意の女が、川面に映る相手の姿を見てその身を投じたという伝説があるとのこと。

名所江戸百景『高田姿見のはし俤の橋砂利場』(安政四年(1857年)正月 冬の部)名所江戸百景『高田姿見のはし俤の橋砂利場』(安政四年(1857年)正月 冬の部)

広重が神田上水を描いたもう一点は、名所江戸百景『高田姿見のはし俤の橋砂利場』。ここでは上の面影橋辺りが描かれています。

画題のとおり、この絵には二つの橋が描かれています。ヘンリー・スミス(前掲書)によれば、広重の画題の付け方は最初のものが近いものを指すのが通例で、当時の切絵図(地図)では神田上水に架かる橋が姿見橋になっているといいますから、この絵は手前が姿見橋、奥の橋が俤橋(おもかげはし)なのでしょう。

姿見橋の先には黄色い田んぼが広がっていますが、これは当時氷川田んぼと呼ばれていたもので、画面中央の少し右の杉木立の中に見える屋根が氷川明神社、道を隔ててさらに右に見える大屋根はその別当寺である南蔵院。奥に続く道は鎌倉街道で、彼方に見える小高い丘は目白の学習院があるあたりだそうです。すると鬼子母神は赤くたなびく霞の中か。

この北側一帯では砂利が採れたので砂利場村と称したそうです。

面影橋から神田川上流を望む面影橋から神田川上流を望む

現在、広重が描いたあたりはと言うと、残念ながらコンクリートで固められた護岸の神田川以外は高層のビルしか見えません。

江戸名所図会 7巻『姿見橋俤のはし』江戸名所図会 7巻『姿見橋俤のはし』

ヘンリー・スミスは名所江戸百景の下敷きは長谷川雪旦による江戸名所図会の『姿見橋俤のはし』だろうと指摘しています。実際、そっくりと言っていいかもしれません。

面白いことに江戸名所図会では、手前の土橋の上方に『俤のはし』、右端に小さく描かれている板橋の上方に『姿見橋』の文字があります。当時の別の地誌には、神田川に架かる橋が同時に二つの名で呼ばれていたとあり、これらの橋名には混乱が見られる、としています。橋名については、明治時代に神田川に架かる橋が面影橋と正式に改められ、それが今日に至っているようです。

江戸名所図会の本文『大鏡山南蔵院』の項によればこのあたりに『鏡の池』という池があったことがわかります。スミス氏はここから、これらの橋は『影の映る橋』という意味を持つ名になったのだろうと述べています。面影橋の伝説はどうやらこのあたりから来ているようです。南蔵院は現在も面影橋の少し北に存在しています。

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