暑い夏が終わりやっと秋がやってきました。10月になって新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言は解除されて動きやすくなってもいます。この週末の天気はあまり思わしくなく明日は雨でこの日は曇り。しかしいい季節は短いので出かけることにしました。
先週は海を見たので山方面にしましょう。やってきたのは奥多摩の入口の拝島駅です。
この駅からは丹沢から秩父まで連なる山々が良く見え、さらにこの前来た時にはその上に富士山が見えたのですが、さすがにこれはこの日は残念でした。
コロナ以来あまり走れていないので、身体がまだ思うように動きません。そこで今日はリハビリ的にあの山の裾野あたりを軽く流すつもりです。
拝島駅から西へ1km行くと多摩川に出ます。多摩川にはご存知の多摩川サイクリングロードがあるのでこれに入って上流へ向かいます。
多摩川サイクリングロードは下流域は大変混雑していますが、このあたりまで来るとほとんど利用者はいません。ジオポタ貸し切り状態です。
土手上の道は概ね上の写真のように開放的なところが多いのですが、こんなふうに民家が迫っているところもあります。
多摩川サイクリングロードは羽村取水堰まで続いていますが、取水堰にはつい先日『矢川・ママ下湧水』の時に来たばかりなのでこれはパスし、そのすぐ下流に架かる羽村堰下橋で右岸に渡ります。
羽村堰下橋から上流方向を見ると羽村取水堰の投渡堰が見えます。あれはとても歴史ある堰です。
多摩川の右岸にも土手上に道が続いています。これを上流へ向かうとすぐ羽村市郷土博物館が現れます。
本来の予定ではこの博物館にちょっとだけ立ち寄るつもりだったのですが、サイダーの頭の中には別のことが浮かんでいたため、これを失念。通り過ぎてしまいました。
羽村市郷土博物館には多摩川や玉川上水関係の展示が多くされています。
またこの横の河川敷には牛枠(川の水の流れを制御する装置の一つ)がいくつかあるはずなのですが、ちらっと眺めた限りではそれを認めることはできませんでした。
羽村市郷土博物館のすぐ先で道は行き止まりに。ここには小川が流れて込んできていて、先へ続くのは獣道のような道なのです。
先ほどからサイダーの頭の中を占めていたのはここが通れるかどうかということでした。そのサイダーが少し先まで斥候してどうやら通れそうだとわかったので、強行突破です。
散歩をしていた地元のおじいさんが、『川に落っこちないように気をつけて行ってください。』と見送ってくださいました。
で、その川というのがこれ。まあなんとか渡りました。
獣道の先はゴルフ場で、さらにフットサルのグラウンドや畑などのガランとした空間が並びます。
住宅が現れるとすぐ大荷田川にぶつかり、大荷田橋に出ます。
ここからはr411滝山街道・吉野街道を行くのが一般的だろうと思いますが、この道は車が多いので大荷田川沿いを進んでみることにしました。
この道、民家があったのは入口付近のみで、小さな大荷田川橋を渡ると完全に山の中に入ります。
山道の上りですねぇ。
それでもこんなふうに柿の木が植えられていたりして、僅かに人の生活の匂いが残っています。
『電柱がなんか普通と違いますね〜』とシュンシュン。一般的な電柱はコンクリート製ですが、これは鉄製です。途中に節があるのは短い鉄柱を何本も継いで一本の電柱にするからです。山の中で大型の車が入れないようなところでは、こうした短い材料を搬入して現場で組み立てるのです。
薄暗い林の中に突入。
ここはどこ、私は誰?
このあと小さな畑と一軒の民家が現れます。小さいながらもここには集落があるようです。
さらにその先で枝道が山奥へ向かっています。このさらに上にも集落があるのでしょうか。あとで地図を確認するとこの道はピーク付近にある集落を越えて、多摩川まで下っていました。この時は来た道をまっすぐ進んだのですが、今度機会があったらこの道に入ってみたいと思います。
この枝道のすぐ先に妙なものが立っています。案内板には大荷田組膳椀倉とあります。現在ここの住所は長渕9丁目ですがかつては大荷田と呼んでいたようで、これは村で行われるイベントで使われる食器の倉庫です。黒っぽいところは古い材料で、黄色っぽいところは2020年(令和二年)に改修されたところです。
膳椀倉からさらに西へ進むとほどなく、とてもこの場所に似つかわしくない大きな建物が現れました。一部は病院なのですが、フィットネス、そして明星学園の文字も見えます。いったいこれは何なんでしょうか。
この病院から穏やかに上って秋川街道に出ました。ここからは秋川街道で一気に青梅に下ります。
豪快に下って行くと青梅のまちが見えてきました。
青梅の多摩川右岸には吉野街道が通っていますが、それは車の道なのでここからは山裾の道を使ってみます。
山裾の道は高いところを通っているため、多摩川の向こう側の山並みがきれいに見えます。
山裾の道が右に折れて下の道にぶつかると、その道には『調布西通り』とあります。
えっ、なんで調布なのって思いましたが、かつてこのあたりは織物が盛んであったため1889年(明治22年)の市町村制移行時に、その織物にちなんで調布村となったことによるようです。この近くの多摩川には調布橋という名の橋が架かっています。
青梅は山からおっこちるとすぐに多摩川となるので平地が極めて少ないです。そんなんで民家の庭先のこんなところにも畑が。
道はこの先で吉野街道に出ますが向かいにも同じような道が続いているので吉野街道を突っ切ってこれに入ります。
畑中にやってくるとそこに不思議な建物が立っていました。
少し古く昭和時代の中頃のものと思われますが、2階の壁が斜めになっており、そこに大きな硝子が嵌め込まれています。この硝子は採光を目的としたものだと推測しますが、いったい何に使われたものでしょうか。
多摩川には小さな川がたくさん流れ込んでいます。
ここもそうしたところの一つで周囲はかなり高い針葉樹に覆われています。
この針葉樹林を抜けると先に高い山が見えてきました。
あれは方向からすると御岳山(929m)あたりなのですが、その手前の日の出山(902m)かもしれせん。
『梅郷』の文字が見えるようになりました。青梅は梅で有名でしたね。この奥には梅園がありますが、その梅の木は病気になってしまったため2014年(平成26年)にすべて伐採され、新たに植え直されました。もう見られるくらいに大きく育ったでしょうか。
私たちは多摩川の右岸を走っていますが、それは気配は感じるのですがほとんど見えません。
梅郷から柚木町に入ったところで多摩川の川原に下りてみることにしました。
このあたりは『柚木の川原』または『山崎河原』と呼ばれるところで、カヌーやBBQの人たちに人気です。
こちらはカヤックですね。楽しそー!
実はここに下ったのは、かつてこのあたりに羽村市郷土博物館のところで述べた牛枠があったのを思い出したからなのですが、これは残念ながら見当たりませんでした。ここ数年間で川が氾濫するような台風が何度か来ているので、その時にでも流されてしまったのではないかと思います。
しかしここは、河原に下れば上流に架かる奥多摩橋がよく見えます。
奥多摩橋は1939年(昭和14年)竣工で土木遺産に選定されています。きれいな橋ですね。
さて、柚木の川原からは多摩川を渡って左岸に移動するのですが、ここは先ほど見た奥多摩橋の一本下流に架かる好文橋を使います。この橋は歩行者橋なので安全で快適です。
しかも川面までの距離が近いので流れがよく見えます。しかし近いとはいってもそれなりの高さがあり、高いところが苦手なシュンシュンは橋の真ん中を歩いて渡りました。
多摩川左岸に出るとそこを走っているのは青梅街道ですが、これも車の道なので青梅線をくぐってそれと平行する道を行きます。標識には『海禅寺通り』とあります。
この道は青梅街道とはまったく異なり、完全な生活道路で自転車でポタポタするには良い道です。
道脇にこんな農産物無人販売所がありました。現金収入は大事です。
通りの名になっている海禅寺が現れました。高い石垣がある立派なお寺さんです。
時はそろそろ正午なのでここでお昼にしましょう。
青梅街道に出たところに蕎麦屋さんがあったので入ってみました。切れのあるおいしいお蕎麦でした。写真はシュンシュンが頼んだかき揚げ付きの大盛りです。
午後の部はまずは多摩川を離れ成木川の筋へ向かいます。
海禅寺通りがおしまいになりいったん青梅街道に出たそのすぐのところから、r193下畑軍畑線に出る道に入ります。この道は距離は短いですが結構な上りでちょっとあへあへ。
道はあっという間に高度を上げ、下に青梅街道と多摩川が見えるようになります。
先に見える茶色のアーチ橋が軍畑大橋です。
上りが終わって道が平らになると、その両側に石垣が並ぶようになります。
これはそう古いものではないようですが、最近はコンクリートの擁壁が多いので、より柔らかい印象を受けます。
多摩川には無数の支流が流れ込んでいますがこれは平溝川。
小さな滝があって気分良いです。
上の写真の平溝川に架かる橋を渡るとすぐに下畑軍畑線に入ります。
ここからは下畑軍畑線をちょっと上って榎峠を越えます。この下畑軍畑線は車はそう多くはありませんが、センターラインにポールが立てられているので、車が追い越しできなくて狭くて走り難いです。
えっこらよっこらして榎峠を越え、今度は北小曽木川に沿って下って行きます。峠はすなわち分水嶺なので、先ほどの平溝川と北小曽木川とは異なる方面へ流れて行っています。
佐藤塚から松ノ木通りに入ります。この松ノ木通りを行くと成木川の筋に抜けます。その成木川の筋に出る直前にあるのが松ノ木トンネル(434m)です。このトンネルは全長がそう長くなく、車の通りも少ないので、あまり不安なく抜けることができます。
トンネルを抜けるとすぐに成木川に沿って走るr53成木街道に突き当たります。この成木街道沿いの集落はちょっとレトロで、なにかほっとする雰囲気があります。
さて、ここからしばらくはこの成木川に沿って下って行きます。
このあたりの地図を見ると気が付かれると思いますが、ここには成木街道に沿ってその旧道と思われる道が所々にあります。
交通量の増大に伴い道を拡幅する必要が出てくると、旧道を拡幅するか、それが叶わない場合は新しい技術でもって山を切り崩したりトンネルを掘ったりしてより広い新しい道を通します。ここでは何らかの理由によって新しい道が通されたところが多く、旧道が残ったと思われます。
こうした二本の道がある場合、スピード志向の方は新しい道を選ぶと思いますが、私たちは基本的には旧道を選択します。
旧道の多くには生活の匂いがへばりついているのです。そうしたものが好きなんですね、私たちは。
上の写真の道はかなり狭いですが、ここは二車線分の幅員がある広い道です。
単に旧道と言ってもそこには歴史の積層があり、上の写真は古い道でこの写真はより新しい道だろうと思われます。この横にはトンネルがあるもっと新しい道があるので、ここはまず上の写真のような古い道を二車線に拡幅し、その後しばらくしてから横に新たにトンネルの道を造ったと推測できます。
成木五丁目の信号まで下ってきました。松ノ木トンネルを抜けてからここまでずっと下りで快適でした。
ここは今まで横を流れていた成木川と、榎峠の先で出会った北小曽木川の落合で、これより下流は成木川となって流れて行きます。
ちょっと下って再び旧道に入りました。するとそこには田んぼがありました。
この時期、稲刈りは早いところではすでに終わっていますが、ここは晩生なようでこれからです。
この鄙びた道には名前が付けられていました。『安楽寺通り』。どこかに安楽寺があるのでしょうね。
成木川から少し上ったようで見晴らしが良くなりました。下には成木街道に沿った集落が見えます。
このあたりでちょっとお茶でもしたいね、という話になったのですが、もう少し行って飯能に入らないとカフェの類いはなさそうです。
ふと背後を見ると大きな杉の木のあるお寺さんがありました。これが通りの名になっている安楽寺です。
この門はお寺の門にしては少々変わっていて、長屋門風です。茅葺き屋根が草屋根になっていました。
大杉の下にもう一つ小さな門があり、その近くに茅葺きの小さな鐘楼があります。横に玄関が付いた本堂はかなりの大きさですが、この屋根は銅板葺きに替えられています。
安楽寺を出て下畑軍畑線から成木川沿いの小径に入るとそこにこんな古い石碑がありました。
この細い道は現在の下畑軍畑線が通る前はメインの道だったのかもしれません。
ここは下畑軍畑線の上の名である『下畑』で近くに畑神社があります。確かに畑がありますね。(笑)
ちなみにこの西には『上畑』があります。
下畑の東で成木川を渡ります。なかなかいい流れですね。
ここは飯能市ですが、地域的には狭山茶が有名なところで茶畑があちこちで見られます。
この茶畑は最後の四番茶の摘み取りを待っているところでしょうか。
加治橋で成木川は入間川に合流し、入間川となります。
その河川敷には短いながらも遊歩道が設えられているのでこれを行きます。
JR八高線の線路をくぐると広〜い阿須運動公園です。その向こうに横たわるのは加治丘陵。
あそこの裾野にムーミン谷があるのでその中でお茶するのはどうかと言うと、ムーミン大好きなシュンシュンの絶大な支持を得て即決定!(笑)
ムーミンはフィンランド人のトーベ・マリカ・ヤンソンによって生み出された妖精の一種で、ムーミン谷に棲んでいます。ここは『トーベ・ヤンソンあけぼの森公園』といい、そのムーミン谷を再現したものだそうです。
手前の青い小屋は『水浴び小屋』で、スナフキンが横で釣り糸を垂らしていそうな雰囲気がありますね。右手の青い建物がカフェで、サリーナとシュンシュンは巨大マグパフェを、サイダーはバナナとチョコのスムージーをいただきました。とてもおいしかったです。
この『きのこの家』はアプローチの正面にあるので真っ先に見えてくる建物です。
童話に出てくるムーミン一家が住む『ムーミンやしき』は鉛筆みたいな形だったと思いますが、視覚的にはこちらの方がインパクトがありますね。
これはまた別の建物で『子ども劇場』。この時はイベントが中止になっており、あまり人はいませんでしたが、なかなか楽しそうな空間です。
子ども劇場の屋上は周遊ルートの一部になっていて上れるようになっています。
その横の屋根には何だか面白い怪物がたくさん。これは屋根に登っちゃだめよ、のサインなのですが、とても楽しいですね。
ムーミン谷は意外と楽しくて2時間近くも居てしまいました。ということで今日はもうここまでいうことにして、これより飯能駅に向かいそこで上がりにしました。最後に入間川に架かるこんな沈下橋を渡りました。
今回のコースは実は牛枠を探すのが主な目的で、あとはあまり考えていませんでした。牛枠は結局みつからなかったのですが、のどかな山間の景色が楽しめて良かったです。