2024年の新年が明けました。今年は辰年、上昇気流を期待しましょう!
1月3日、今年のジオポタ走り初めは、その名も『辰ポタ』。都心部の“辰”にまつわる場所を巡ります。辰のご利益にあやかろうと、東京駅丸の内駅前広場に集まった11名と1匹、そしてカメラはいつものサイダー。
辰ポタの企画者はレイナ。事前試走でコース検討もお昼のお店もバッチリです。
しかし、実は前夜、愛車の空気を入れていてパンク。後輪なので自分で修理できない。。と参加をほぼ諦めていたのでしたが、レンタル自転車を調達して何とか到着。『お騒がせしました~』と笑顔。
さて、レイナに導かれて辰ポタの始まりです。
丸の内を東京駅に沿って北上し、北側のガード下をくぐります。
遅いイチョウの黄葉を踏みしめ、赤くて可愛い新・愛車にまたがり赤いウエアで颯爽と走るのはシュンシュン。
しばらく北の国に滞在し、赴任を終えて『自分へのご褒美に新車買っちゃったよ~』。何台目なんだい?
日本橋の日銀を過ぎ、再びガード下をくぐったところでレイナがストップ。『ここが最初の辰(龍)スポットです』。何やら柵に囲まれたコンクリートのようなものがあります。
どれどれ、と早速見にいくコムランとマージコ。これは龍閑橋。大正15(1926)年に造られた日本最初の鉄筋コンクリートトラスの橋だそうで、その一部がモニュメントとして残されています。
龍閑橋が架かっていた龍閑川は、現在は埋め立てられていますが、往時は神田と日本橋を分割する川でした。
そして、辰スポットのトップバッターとなった龍閑橋の名前の由来ですが、龍閑川の西端の町に旧幕府坊主の『井上龍閑』と言う人の家があったからとのこと。干支の『龍』ではないのね。
『あの柱の模様は龍では?』など言う者も出てきましたが、ちょっと違うようです。
龍閑橋親柱の裏側に回って狭い路地に入ります。薄暗く細い真っ直ぐな道が続きますが、ここはその龍閑川が埋め立てられてできた路地。
神田と日本橋の間に位置する運河であった龍閑川は、江戸時代の商品流通に大きな役割を果たしたそうです。『今は薄暗い路地だけどねえ』とサイダー。
龍閑川には11の橋が架けられており、その一つ『今川橋』の碑と説明板が路地の片隅にありました。
橋の名前は当時地元町人の代表であった名主の今川善右衛門に由来し、昭和25(1950)年の川の埋め立てと共に橋も撤去されました。ところで、江戸中期にこの近くの店で売り出し、評判になった焼き菓子が『今川焼き』なんだとか。
さらに幹線道路も渡りながら、龍閑川を埋め立てた路地が真っ直ぐ続きます。
この路地の右側が中央区、左側が千代田区。
そして、路地が昭和通りにぶつかる手前に小さな『地蔵橋公園』があります。
公園に立つのは『龍閑川埋立記念碑』。裏面には、龍閑川埋立の歴史が記されています。
続いて向かったのは日本橋小網町。角を曲がって細い小道に入ると、大勢の人が行列をつくっています。建物に囲まれた小さな社は『小網神社』です。
村の悪疫を鎮めた網師の翁を祀るこの神社、現在の社殿・神楽殿は宮大工による昭和4(1929)年の建築で中央区の文化財に指定されています。また日本橋七福神の福禄寿、銭洗いの井がある東京銭洗い弁天もあり、小さいながら参拝者で賑わう人気のスポットです。
そして、辰(龍)。『社殿入口の上に龍の彫り物がありますよ~』とレイナ。ついに、辰ポタらしい龍に出会うことができました。
ところで後で調べてみたら、これ以外に社殿向拝の左右には、強運厄除の『昇り龍』『降り龍』の迫力ある彫刻があったようです。残念ですが、人出も多かったし入口の龍を見られたのでよしとしましょう。
神社を出て、今度は北東の方角へ。ここは日本橋人形町、『甘酒横丁』という幟が立っています。『甘酒屋さんって、あったかな?』とコテッチャン。
明治時代、このあたりに『尾張屋』という甘酒屋があり、その小路を『甘酒横丁』と呼んでいたのが名前の由来とか。今日は正月休みで静かな雰囲気ですが、尾張屋の跡地には和菓子屋さん、そして鯛焼き屋、稲荷寿司などが並び、食べ歩きも楽しそう。横丁内の酒屋には、もちろん甘酒もあるそうです。
甘酒横丁から清洲橋通りに入るところに、間口一間半ほどの小さな店『港屋絵草紙店』がありました。
大正時代、竹久夢二が離婚した妻子の自立生活のために持たせた店が八重洲にあり、夢二のデザインした小物を販売していたそうで、その流れを汲むこの店では、版画や封筒、団扇、風呂敷などさまざまな夢二グッズを販売しています。
清洲橋通りを渡り浜町公園を回り込めば、そこは隅田川。橋の向こう側は江東区です。
新大橋を渡ります。“新”大橋といっても、最初に架けられたのは1693年、大橋と呼ばれた両国橋に続いて隅田川で3番目。対岸の深川に住んでいた松尾芭蕉は橋が架かる様子を句に詠み、歌川広重は名所江戸百景で『大はしあたけの夕立』として新大橋を描いています。
新大橋は架けては壊れ、焼け、その回数は20回を超えたそう。1912年に優雅なデザインのピントラス式の鉄橋となり、戦後も修理補強を行いながら使われていましたが、1977年に現在の斜張橋に架け替えられました。『旧』新大橋は、一部が明治村に保存されています。
江東区側に渡ったら、しばらく隅田川に沿って走ります。
川沿いといっても、高いコンクリート塀で隔てられているので、どうということはありませんが。
すると、左手に青い平屋根の建物がありました。
これは『江東区芭蕉記念館』。松尾芭蕉はこの辺りに住んでいたと言われ、芭蕉についての展示・資料、俳文学関係の図書室、貸し会議室などがあります。
『芭蕉は、ジオポタではヴァーチャルツアー奥の細道でお馴染みですよね!』とレイナ。
記念館の前の道の塀には、奥の細道の句が立て看板で紹介されています。『この看板はちょっと古びていて読みにくいなあ。。』と残念がるのはヴァーチャル奥の細道にハマったサリーナとコテッチャン。
今日は色々巡るから時間もないので、とこのまま次のスポットに移動しようとしていた面々ですが、『この先にいいところがあるよ』とサイダーが誘導。
川沿いの道が突き当たったら、自転車を置いて階段を上ります。
そこは、芭蕉庵史跡展望庭園です。小名木川が隅田川に注ぐ合流地点を見晴らす庭園には、芭蕉翁の像。そして、その先には清洲橋。
清洲橋は、関東大震災の復興事業として計画され、昭和3(1928)年に完成した鋼鉄製の吊り橋で、国の重要文化財です。近づいて見ると、鋼板を重ね合わせて留める無数のリベットの造形に、ただただ感動させられます。
『眺めもいいし、芭蕉翁にも会えてよかったね~』
というわけで、芭蕉翁を囲んで記念撮影。
この庭園を出てすぐのところには小さな『芭蕉稲荷神社』があり、ここは芭蕉の住んだ『芭蕉庵』のあったところとされています。
実は、『芭蕉庵』の正確な位置はわかっていないそうですが、1917(大正6)年9月の台風の際、ここから蛙の石像が出土し、地元の人々によって芭蕉稲荷が造営され、東京府がここを『芭蕉翁古池の跡』と指定したとのこと。
次に目指すスポットは、深川不動。
萬年橋を渡って小名木川を越え、清澄方面へ。
そして、清澄公園の横を走り抜けます。
後続を引くのは、久しぶりに登場したシンチェンゾー。年中テニス三昧のため、いつも変わらず日に焼けた黒い男、ウエアも黒です。
深川不動堂に到着したら、大勢の人の行列にまたびっくり。私たちの目的は本堂ではないので、ともかく不動堂の方へと進む。
この深川不動堂は千葉県成田市の大本山成田山新勝寺の東京別院で、開創は元禄16(1703)年とか。『深川のお不動様』と親しまれた寺院は、明治の廃仏毀釈、関東大震災、東京大空襲といった多くの困難を経て、昭和25(1950)年に本堂が再建されたそうです。
本日の私たちのお目当ては、こちらの『深川龍神』です。これぞ辰(龍)ポタ。
龍神は水を司る神として古来より多くの人々に崇められてきたそうです。3匹(頭?)の龍神が並び、中央の龍の口からは水が吐き出されています。
龍神様に何やら熱心にお願いしているのは、こちらも久しぶり登場のマコリン。
龍神様の水を受ける水鉢に『龍神願い札』を浮かべてご祈願すると、御札は水に溶けて願い事が龍神の許に届くそうで、この後マコリンは2つの願い札を浮かべて祈願したようです。
深川不動を出るとほどなく、本日のお昼処のピッツェリアに到着。まだ11時過ぎですが、開いているお店の少ない正月三が日を見越して早めに到着。さすがはレイナ、企画に抜かりなし。
今日はワンコ1匹が参加のため、ワンコ可のテラス席6人と、室内席6人とに分かれることになりました。フミリンに抱かれたワンコ、そしてテラス席の面々はちょっと寒そう。
熱々のピザがやってきた。うまし!
一方の室内席組。ぬくぬくとした室内でアイスのデザートまで堪能。テラス席のみんな、スマン。
昼食を終えて出発。東へ向かい、まずは木場公園を駆け抜けます。
木場公園は、材木関連業者が新木場に移転したのを機に整備された公園です。木場、平野、三好にまたがる総面積24.2haのこの公園は1992年に開園。地下には都営地下鉄木場車両検修場があります。
私たちはふれあい広場の小道を突っ切って、大横橋口で公園を出ます。
このふれあい広場にはバーベキュー広場やドッグランがあり、木場公園大橋を渡った北側には東京現代美術館やテニスコートもあって、近くに住んでいたら常連になりそうなステキな公園ですね。
木場公園を出て、横十間川親水公園に入ります。
企画者レイナが熟知するジオポタではおなじみの道。水辺の横をどんどん進みます。
続いて仙台堀川公園へ。運河沿いのサイクリングロードをマコリンが引く。
ここは仙台堀川の多くの部分を埋め立てて整備された3.7kmに及ぶ親水公園で、アオサギ営巣地なんかもあってジオポタが大好きな場所ですが、今日は途中で離れて南へ向かいます。
次はどこかな~、と楽しげに走るのはコテッチャン。
最近はポタのビデオ撮影にハマっているらしいけど、辰ポタもうまく映っているといいね。
そして倉庫群の並ぶ道をどんどん南下して、橋を渡ったらそこは夢の島です。
『バラエティに富む楽しいルートでしょ』とにっこりはマージコ。レイナをサポートしてこの辰ポタ企画を完成させた影の功労者です。
夢の島公園に入りました。ガラスドームの建物は熱帯植物園。
夢の島といえば、かつてはゴミの埋立処分場。その後、清掃工場が建設され、その余熱を利用した温室、体育館、水泳場などが整備され、緑豊かな夢の島公園となっています。
こちらは1998年に完成した新江東清掃工場。
その脇を通ってサイクリングロードに入ります。
ここは夢の島緑道公園サイクリングロード。右手の少年野球場をぐるりと回り込みます。
マージコに引かれて三角の敷地を回り込んだところの対岸は、江東区の新砂。
夢の島との間には新砂水門が設けられ、現在は橋はなく渡れませんが、将来つながる計画はあるらしい。
サイクリングロードは南へと続いています。東京湾岸道路・JR京葉線の高架下をくぐったら、そこからは新木場緑道公園。
今日は栃木から新幹線で駆けつけたベネデッタが快調に飛ばす。
左手には荒川の河口から東京湾が望めます。対岸の観覧車は葛西臨海公園、その先はディズニーランド。
海を眺めながら木々の間を走れる快適なサイクリングロードです。今日はジオポタ独占状態で、おしゃべりしつつのんびり走るサイダーとベネデッタ。
新木場は、木場の移転先として埋め立ててつくられた場所で、丸太を水に浸けて保管する貯木場もありますが、今はほとんど使われていません。
新木場緑道公園の南端の『いかりデッキ』に着きました。
ここから橋を渡って、さらに南の若洲へ向かいます。
今度は若洲海浜公園を走ります。
若洲は東側がゴルフ場になっていて、サイクリングロードはその脇の海側を通っています。松林の中を進むと、
サイクリングロードより海側の小道には、青い大きな絵が。『あれはクジラかなあ』とサリーナ。
ここは『海獣のみち』というそうで、道の所々にジンベエザメとかマンタとか、いろんな絵が描いてあります。人魚もいるそうな。人魚って海獣なのか?
サイクリングロードは木々の間を抜けていきます。
今日は大径車で参加のフミリン、いつものように背中のリュックに愛犬マッキーを担いで飛ばします。
若洲海浜公園も南端に近づき、右へカーブを描いたところで『おおお~!』と歓声が。
目の前に東京ゲートブリッジが現れました。
『これも龍に見えるでしょ!』と企画者レイナ。そうねえ、恐竜の骨格みたいかな。ともあれ辰スポットとして、東京ゲートブリッジを背景にポーズ。
ジオポタでは、東京ゲートブリッジ完成直後の2012年以来の訪問です。
せっかく来たからには、ゲートブリッジに上ってみよう。サイクリングコースをゲートブリッジの足元まで進めば、そこには『若洲昇降タワー』というエレベーターがあります。
自転車を置いて、エレベーターに乗り込みます。この東京ゲートブリッジ、残念なことに自転車では走れませんが、レイナはオープン直後のイベントの際に自転車で走ったとのこと。
上ってみると、かなり高いですね。こわ~。。この橋は、羽田空港の飛行機による高さ制限と、大型船舶の通過を可能とする桁下の高さ確保とで、トラス構造のこんな形になったそうです。
橋の向こう側は中央防波堤内側埋立地。まだ工事中・整備途中の埋立地で入ることはできません。
とりあえず、ジオポタ恒例のジャンプ! あれ、地面から足が離れてないよ、ユッキー。
左から右に行くほど、高所恐怖症の症状の重いことがわかります。
300mほど歩いたら、大多数のメンバーが『もうここでいいや~』とまったりする中、コムランとコテッチャン、マコリンは橋の中央まで遠征。
コムランとコテッチャンが指差すのは、ここは橋の中央、という説明図です。エレベーターからは800m、海面からは61m。おお、こわ~。。
傾きかけた陽を浴びるゲートブリッジ。
これほど大きな部材が滑らかに溶接されているのは驚きです。午前中に見た清洲橋のリベットもまた美しいけれど、技術の進歩と時代の流れを感じさせられますね。
ゲートブリッジを下りたら、今度は内陸の道路を北上し、再び夢の島方面へと戻ります。
砂町南運河を渡り、新木場へ。
そして、夢の島緑道公園から今度は西へ、辰巳の森緑道公園に入ります。
『次の辰スポットはここですよ』とレイナ。
芝生の広場を横切る小道の脇に、何やら並んでいます。
ここは、辰巳の森緑道公園にある十二支広場。十二支の像が並ぶ中、特に大ぶりの像は『辰』と『巳』。これが、その『辰』です。ちょっとひょうきん者な感じもありますね。
これは今年の干支そのものだね~、とみんなで記念撮影(TOP写真)。マコリンの指導の下、辰の像の後ろで辰のうねりを表現しようとするも、なんか変。ま、いいか(笑)
『次が最後で~す』と、辰巳の森歩道橋をカッ飛ぶレイナ。
前方には東雲の超高層が見えています。
辰巳の森緑道公園の辰巳駅に近いところにいたのがこれ、石を貼り合わせた辰のオブジェ。
丸みを帯びた体と顔、細長くない胴体に『牛じゃないの』などの声も上がりましたが、企画者レイナが『辰!』と一喝。そして、最後の辰と記念撮影です。
新年の辰ポタはここで終了。たくさんの辰にご挨拶できました。どうか良い年になりますように。
一旦解散後は、有志が豊洲駅前へと向かいます。東雲橋を渡れば、もう駅は近い。
そして、新年会へ突入。今年もたくさん、楽しく走れますように! カンパ~イ!
◆ひとこと by 企て人レイナ
新年の干支巡り企画第二弾は辰(龍)でした。
龍なら神社仏閣にいくらでもいるから簡単、と思いきや、見応えのあるところは初詣の人出で賑わってとても近づけないと気づき、大慌て。なまじ神社仏閣で馴染みのあるものだけに、他の場所で見つけるのにウサギより苦戦した、というのは企画者サイドの裏話。それでも、辰巳駅が東京駅近くにあったのは幸いでした。
後半の海沿いのサイクリングロードはいかがだったでしょうか?
よく整備された長い距離を走れる気持ちのよいコースですが、土地勘がなければあまり気づかれない穴場です。ぜひご紹介したくて、東京ゲートブリッジを龍みたい、とこじつけました。当日は寒くなるかと心配でしたが、まずまずのお天気に恵まれ、一安心。今年も楽しいポタがたくさんできますように。