今日はポレチュ(Poreč)からアドリア海沿いを南下し、リム・フィヨルド(Lim Fijord)を眺めたら、ポレチュと良く似た小さな半島のロヴィニィ(Rovinj)へ行きます。
ポレチュから30分ほど走ると、昨日やってきたゼレナ・ラグナ・ビーチに出ます。
ここは昨日はもの凄い人でしたが、まだ朝が早いこの時刻にはほとんど人はいません。このビーチはなかなか快適そうで、かなり長く続いています。昨日はここの入口で引き返してしまったのですが、もうちょっと奥まで行ってみても良かったかもしれません。
ここからは海沿いの遊歩道を行きます。
ラグナはラグーンの意味で、沖には小島がたくさん浮かんでいて、走るにつれその姿が少しずつ変わっていきます。
遊歩道の先に教会の塔が見えてきました。
あれはフンタナ(Funtana)という街のようです。
遊歩道がなくなったところで車道に出ると、道は穏やかに上っています。
街は大抵、高台にあるのです。
フンタナの先には小さな岬がいくつかあるので、その一つのサコヴ岬に行ってみました。岬からは、ラグーンに小島がたくさん浮かんでいるのが見えます。
そこに赤いスタンド・アップ・パドル・サーフィンに乗る人が現れました。
こちら側のビーチから海に入り、どんどん沖へ向かっています。小島巡りでもするのでしょうか。
しばし小島を眺めたら、喉を潤しに少し先にあるヴルサル(Vrsar)に向かいます。
まだ9時半なのに、この時の気温は31°Cとかなり暑いのです。
ヴルサル中心部の標高は50mほどなので、ちょっとギコギコ。
街の一番高いところにある中心の広場に着きました。
こじんまりした広場でカフェが一軒ありますが、ここは眺めがないので街の西側にあるマリーナに向かうことにしました。
ところが道がなかなかむずかしく、どこに行っても階段です。
しかたなく自転車を担いで階段を下ると、すぐ下にある小さな広場に出ました。
この広場からは車道があり、すぐにマリーナに到着です。
ヨットや漁船を眺めながら30分ほどテントの下で喉を潤しつつ休憩したら、リム・フィヨルドに向けて出発です。
ヴルサルから先は75号線の一本道で、この道以外選択肢はなし。車は想像よりは少なくてよかったのですが、周囲は森で眺望がまったくなく、すぐに飽きてしまいます。
リム・フィヨルドまでには標高130mの小さなピークを超えなければならず、道はずっと穏やかな上りです。
森が切れたところからリム・フィヨルドの対岸の丘がちらっと見えました。
こちらが森ならあちら側も森です。いえいえ、イストリア半島はその全体が森と言っても、そんなに大げさではないのです。
これまであまり見かけなかったのですが、ここに来てロードサイドにキヨスクのような小さな土産物屋が出てくるようになりました。
看板には、ホームメイドプロダクツ、チーズ、オリーブオイルとあります。
この土産物屋のすぐ先で道はピークを迎え、リム・フィヨルドが見えるようになります。
リム・フィヨルドは実は氷河が削り取ってできた本物のフィヨルドではなく、リアス海岸に流れ込む川の河口が連なってできたものだそうで、本来ならリム湾、またはリム渓谷と呼んだ方がふさわしいものです。
リム渓谷は35kmほどの長さがありますが、そのうちのフィヨルドと呼ばれるところは海岸から10kmほどで、深さは30m、最も広い部分は600mほどだそうです。
フィヨルドの両側には急な山が迫り、その最も高いところは100mほどになります。
100m以上ぐわ〜んと下って、リム・フィヨルドに到着。
確かにここはイストリア半島ではほとんど見られない地形で、小さなフィヨルドに似ていなくもありませんが、去年ノルウェイで世界最大規模のフィヨルドを見てしまった私たちは、あまり感動しませんでした。
湾内の水は汽水で、牡蠣やムール貝の養殖場になっています。湾の真ん中には二箇所レストランがあり、その一方で昼食にしました。
前菜に、海の幸三種のプレート。貝とエビのマリネ、アンチョビ、もう一品は・・・
メインは貝の盛り合わせを。食べ方はどうしますかと言うので、グリルをお願いしました。
昨日昼食でいただいた dondola というアサリに似たやつ、ムール貝、ホタテ貝、そしてこれまで食べたことのない kunjke。この kunjke は写真でスプーンに載っているもので、貝殻に藻が付いていて、小さな蓋を引き抜くと簡単に貝を開けられます。味はムール貝をより濃厚にしたような感じで、なかなかいけます。
ちなみにこの貝、日本では『ノアの箱舟貝』と訳されているようです。
リム・フィヨルドは標高0mなので、そこからは当然上りです。
この上りはちょっときつく、標高180mまでえっこらよっこら。
マトハンチ(Matohanci)の先で303号線に入るとどうやらピークを過ぎたようで、ロヴィニスコ・セロ(Rovinjsko Selo)でちょっとだけ上りますが、そのあとはずっと下りです。
アドリア海が近づくと道の両側は松並木になります。
この並木の下をぐわ〜っと下っていくと、
下に高い塔が見えだしました。
ロヴィニィに到着です。
あの塔は聖エウフェミア教会(Crkva sv. Eufemije)です。
ロヴィニィはイリュリア人が定住していたという先史時代からの歴史を持つ街で、古代ローマが街を占領して以来はこのあたりの他の都市と同様の運命を辿ります。
塔を目指して進んでいくと、街の北側の港に出ました。
ここにはモータボートやヨット、遊覧船などが停泊していますが、今日の出発地のポレチュほどの密度はありません。
この街は最初小さな島だったそうですが、ヴェネツィア共和国時代の18世紀の半ばに海峡を埋め立て、本土と繋げたそうです。
ポレチュ同様、ここもまたかつては城郭都市で市壁が巡らされ、現在もその一部が残るそうですが、ここからそれは見えないようです。時とともに都市が拡大され、壁の外側にも建物が建てられたのでしょう。
街のもっとも高いところに建つ聖エウフェミア教会の鐘楼はヴェネツィアのサン・マルコ寺院のそれを元にデザインされ、63mもあるそうです。その尖塔の上に立つのは聖エウフェミアの像。
この眺めを楽しみながら、しばしカフェでまったり。
一息ついたら街の散策に向かいます。
港の横はちょっとした市場になっていて、おいしそうな果物屋さんがありました。店のおじさんが、どうぞどうぞ、これを食べて見て、と葡萄を差し出してきたので遠慮なく頂きます。とっても葡萄の味がしておいしかったです。ごちそうさま。
旧市街に入ると、そこにはこれまでの都市の旧市街地と同様に古い石畳が続いています。
この石畳を見ただけで、もう何世紀も前の時代にタイムスリップしたような気分です。
どこでも旧市街の道はとても狭いです。
この街は観光地としてはあまり有名ではないと思うのですが、それでもかなりの観光客が来ているようです。
北の海岸から一本内側の道を進んでいくと、建物が途切れ海が見えました。
そこには小さな灯台があり、その先に帆船が浮かんでいます。あの帆船は遊覧船ではなく、どうやら本物の帆船のようです。
この灯台の先で道は二手に分かれます。一方は半島をそのまま廻って南に抜けるもので、もう一方は聖エウフェミア教会に続くものです。
私たちは聖エウフェミア教会に向かいますが、ここからは激坂!
よたよたしながら自転車を押し上げると、そこに18世紀に建てられた聖エウフェミア教会のファサードが現れました。
18世紀といえばバロックですが、この教会の外観はあまりごてごてとした装飾がなく、かなりシンプルです。実はこのファサードは20世紀中頃に、ヴェネチアンバロックスタイルで新しく造り直されたものだそうです。
教会の前には真っ青なアドリア海が広がっています。
内部に入るとこの装飾も外観同様で、空間全体はかなりすっきりです。
しかし装飾品はいかにもバロックで、中央の祭壇はこんな彫像で飾られており、
側廊の祭壇もバロック様式で、こちらは神殿風。
この教会に名を冠する聖エウフェミアは、言い伝えによれば、4世紀初頭に15歳で殉教したという少女で、800年頃に彼女の亡きがらが収められた石棺がコンスタンティノープルから消え、ここの海岸に打ち上げられたのだそうです。
その石棺というのがこれで、大理石でできています。
この石棺近くにはエウフェミアに関する絵が二点あります。その一つは、ローマ人がエウフェミアをライオンの群れの中に投げ込んでいるもので、もう一つはここの海岸に石棺が到着した様子です。
聖エウフェミアの物語を心に刻んだら、鐘楼に上ります。
まあどこでも大抵はそうですが、この鐘楼、かなり高いのにエレーヴェーターはなし。へこへこと上っていきます。
途中何度も休みつつ上った先には、素晴らしい景色が待っていました。これは内陸側、東の眺望。この付け根のあたりが18世紀半ばに埋め立てられて、陸続きになったわけです。
現在ではその埋め立てられ部分よりさらに先まで市街地が延びているのが分かります。
南には北より大きな港があります。
港の右手に見えるのはスヴェタ・カタリナ島(Otok Sveta Katarina)で、半島のすぐ沖に島があるのまでポレチュにそっくりです。
聖エウフェミア教会を見学したら宿にチェックインし、少し休憩したのち、夕食がてら街の散歩を続けます。
20時過ぎに宿を出て旧市街南部の広場にやってくると、そこには後期ルネッサンスの建築だという時計塔が建っています。この塔の中程にはヴェネツィアのシンボルの有翼のライオンのレリーフがあります。この街もまた、500年に渡りヴェネツィア共和国の支配下にあったのです。
この時計塔の向かいには17世紀のバルビ門(Balbijev Luk)が建っていますが、それから延びていたはずの街の壁はここには残っていません。
時計塔の横には大きな港が広がります。
すでに20時を過ぎていますが、まだボートから降りて来る観光客の姿があります。
街の北で見た港は埠頭で囲われておらず、どちらかというと大型船用で、こちらがマリーナのようです。
ここには小型のボートがびっしり。
レストランを物色しながら街をぶらぶらしますが、あらためてここの観光客の多さに驚かされました。
レストランはどこも超満員です。
時間つぶしを兼ねて、バタナ・ハウス(Batana House)というミュージアムに入ってみました。
バタナはこのあたりに特有の平底の木造船だそうで、近年グラスファイバー製のボートなどに取って代わられ、その数が著しく減少していることから、ここではその保存などの活動をしているようです。
この港にもバナタはあると言うので探してみました。これがそうです。一見どこにでもある船のように見えるし、日本には和船という平底の船があるのでさほど特別なものには感じませんが、ヨーロッパでは平底の船というのは案外珍しいのかもしれません。
ところで和船も絶滅危惧種ですね。もう半世紀ももたずに『絶滅』になりそうですから、日本でもその保存と製造技術の伝承を考えなくてはならないのですが。
バタナ・ハウスでしばらく時間を潰すも、一向に観光客の姿は減りません。ロヴィニィはかなり小さな街です。これだけの観光客を収容するだけのホテルは、いったいどこにあるのでしょうか。
もうちょっと人通りの少ないところでレストランを探そうと、宿の方へ向かうことにしました。
港を廻り込むようにして進むと、ライトアップされた聖エウフェミア教会の塔が見えます。
宿の入口までやってきた時、港に面したところでレストランが見つかったので、そこで夕食を。残念ながらテラス席ではなかったのですが、中に入ると、このレストランはけっこう有名なシェフがプロデュースしたものであることがわかりました。
前菜は grdobina のカルパッチョを。grdobina はどうやらアンコウらしいです。日本でアンコウといえば鍋か唐揚げが一般的ですが、ヨーロッパでは様々な調理法があります。しかしカルパッチョとは驚きましたね。日本ではまず見かけませんが、調べてみるとこちらではそれなりに料理として確立されているようです。
で、お味はどうかというと、柑橘系と豆が添えられており、かなりあっさりしたサラダのようなものと言えば良いでしょうか。正直言って、アンコウはカルパッチョには向いていないと思います。(笑)
メインは brančina。これはどうやらスズキのようです。スズキは焼いても煮ても蒸してもの何にでもなる魚ですが、ここはソテーで、ちょっとこってり系のソースで味わいます。アンコウがあっさりなのでちょうど良いバランスです。
ここロヴィニィは魅力的な街なのでできればもう一泊したいのですが、今回は残念ながらそうもいきません。明日はここを発ち、1世紀の円形闘技場があるプーラ(Pula)に向かいます。