デュエルンのキエフ便り 4
“ジオポタの匠”“風の旅人”として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。
2006年1月、デュエルンが愛車“轟カル号”と共に向かった先はなんとウクライナのキエフ。
ついにジオポタ・キエフ支部誕生!
この章はキエフのデュエルンから送られてきたメイルを一部改訂して編集したものです。 日付けの新しいものが上になっています。
(編集/サイダー、監修/デュエルン)
2006.07-2006.08
08月24日(木)2006年 クリミヤの真珠「ヤルタ」
きょう24日は建国記念日で祝日です。 Tシャツと半ズボンで街ポタに出たら、快晴にもかかわらず空気が冷たい! 慌ててアパートに戻り、長ズボンとウインドブレーカーに着替える。 街路樹の葉も茶色になり始め、秋の風情です。
さて、表題のヤルタですが、春のオデッサに続く二度目の黒海です。 日本のガイドブックにはクリミヤの真珠と書いてありました。 アドリア海の真珠とどちらが綺麗か興味のあるところです。
うっそうとした糸杉の森の背後に険しい岩山が迫っている。 岩の突端に建てられたツバメの巣と呼ばれるお城やヤルタ会談が行われた宮殿を望むことが出来る。
海岸に迫る岩山にへばりつくように別荘、ホテルが建ち並ぶところはアドリア海のドブロブニクと同じですが、自然景観はヤルタの方が雄大です。 リゾート地の規模も国の大きさに比例して大きく、大変な賑わいです。
プライベートビーチ:私のホテルのビーチはこの隣、すべて樹脂製の白いビーチチェアが備わっていました。
海岸線は延々とビーチです。 パブリックビーチとホテル等のプライベートビーチがあり、砂はなく、那智石のような小さい玉砂利です。 素足で歩くと焼けどするほど熱い。
緑もたいそう豊富で糸杉や見事な枝ぶりの松などの巨木がうっそうと生茂り、街路樹もシュロ、アカシア、月桂樹などが植えられていてすごく綺麗です。
黒海は青かった!
水は綺麗に透き通り、アドリア海にくらべて少し緑っぽい色をしています。 遠くを見ればやはり黒ずんで見える。 それでもオデッサとはかなり印象が違う。 場所によって何かの成分が違うのでしょう。
潮の香りがしないのと海草類がないのは同様です。 口に含んでみるとさほど塩辛くない。 塩分濃度は太平洋の半分以下だと思う。
この遊覧船に乗り海上からヤルタ見物です。 2時間程度のクルージングで700円と極めて安い。
ヤルタはもともとロシアの皇帝や貴族の別荘地で、当時の建物は博物館やサナトリウムとして利用されています。 クリミヤ半島は今でもロシア人による特別自治区で、ヤルタでウクライナ語は通じないそうです。 外国人観光客も多く、特にロシアの金持も大挙して来ているようで、ビーチや街中でロシアナンバーの高級車をたくさん見かけました。
海上からの眺めで興味を引いたのは、ホテルや別荘地からプライベートビーチに降りるロープウエイやエレベーターがたくさんあること。 それと建設途中で放置されたホテル、別荘がたくさん点在していることです。 旧ソ連時代に建設が始まり、ウクライナ独立と同時に工事がストツプし、そのまま放置されているらしい。
リヴァーディア宮殿のイタリー風パティオ
ここはロシア最後の皇帝ニコライ二世が夏の別荘として建てたものでシャンデリア以外の材料、石材、木材等はすべて現地産を使用したそうです。
当時の首都はモスクワではなくサンクトペテルブルグにあり、皇帝がここに来るには特別仕立の列車でシンフェロポリまで来て、ここから豪華ヨットでヤルタに向かったそうです。
ニコライ二世は周り大反対を押し退けて、ドイツの伯爵だか公爵だかの令嬢と大恋愛の末、国際結婚したことは有名ですが、カメラマニア、カーマニアでもあったらしい。
ロシア革命により幽閉され、一族すべて処刑されたが、この事実は旧ソ連最大のタブーであり、未だに何処に埋葬されたか謎となっている。
第二次世界大戦の終戦処理についての有名なヤルタ会談は、ここリヴァーディア宮殿の広間でルーズベルト、チャーチル、スターリンの3人により行われました。
海岸通り
左側がビーチです。 原宿のような賑わいです。
ビーチに寝そべり静かに本を読んだり、泳いだり、オープンカフェで海を見ながらビールを飲んだり、散歩をしながらウインドショッピングをしたり、レストランで食事をしたり!
本日の夕食はムール貝と玉ねぎをバターとワインで炒めたもので極めて美味でした!
日本にもこのようなリゾートがほしい! たとえば表参道の路の反対側がビーチになったような、ついそんなことを夢想してしまいました。
海岸通りではみやげもの屋や、このような似顔絵画きが店を並べ ている。
今回の旅の出費
夜行バス:往復2080キロ 7700円
ホテル一泊:朝食付(室内プール、プライベートビーチ付)7500円
クルージング:700円
締めて約15000円+レストランの食事、バールの飲物、水、アイスクリームなど。
08月23日(水)2006年 2,080kmのバス旅行
残暑のきびしい日本の皆さんには申し訳ないような過しやすい気候が続いています。 窓を閉め切った室内の温度が25度、湿度42%、外の気温が20度前後です。
さて、先日予告どおり夜行バスでヤルタに行ってきました。 キエフからヤルタまで片道1,040キロを18時間かけて走ります。 私にとって、昔乗ったロンドンからバルセローナまでの夜行バスに次いで2番目に長いバス旅行になりました。
真新しいバス:残念ながら3列シートではなく4列シート。行きは2座席を1人で専有してゆったり出来たが、帰りは満席。 停車中一服しながら寛ぐドライバー。運転は極めて安全運転で、タイのようにカーチェイスなど決してしない
バスは三菱のハイデッカーです。 クルーは3人の運転手とスチュワーデス1人、航空機同様に飲物、軽食のサービスと乗客の確認などを行います。 1人で18時間勤務はかなり過酷と思いました。 ただ乗っているだけでもしんどいものでしたから。
車内のモニターでは延々ロシアの映画(DVD)を放映していて、映画のことは詳しくありませんが、かなり映像技術が高いと感じました。 というのは、少し前こちらのテレビで日本映画のゴジラ(最新版)をやっていて、その出来の悪さに唖然としたばかりでしたから。
とある町でバスを待つ人々:勉強のため話しかけて見るがなかなか通じない
このバスにはトイレの設備がありますが、なぜか使えない。 拙いロシア語でクルーに聞いてみたが、どうやらこの長丁場では容量的にまったく間に合わないためのようでした。
2時間おき程度の間隔で各地のバスターミナルに寄ります。 そこで5分から15分間の休憩があり、途中乗り降りの客もけっこう居ます。 トイレはこの時に済ませますが、このトイレが凄まじい! きれいとか汚いとかの以前の問題で、メンタリティーの違いでしょうか? ウクライナのトイレを克服できれば、世界中何処へ行っても怖いものなし(笑)。
ひんぱんに現れるひまわり畑と防風林
道中は何処までも続くなだらかな穀倉地帯、ジャガイモ畑、とうもろこし畑、ひまわり畑、放牧場では牛が草を食んでいる。 ときどき川とも湖とも判別つかない水面が姿を現す。 途中の村や町は街路樹で被われ、なぜか果実樹が多くりんごなども実り、道端に落ちている。 路面電車やトロリーバスが走っている地方都市も通過しましたが、キエフのような建築ラッシュの街は無いようでした。 経済活動がキエフに集中しているのかも知れません。
クリミヤ半島に入ると景色は一変し、高い山が迫り、道もアップダウンと曲がりくねりの連続になります。
次回は再び黒海は黒いか?
08月12日(土)2006年 ウクライナの結婚事情
きょうはウクライナの結婚事情についての報告です。
以前、カチャが先月結婚した話はしましたが、正式にはまだ婚姻届も式もあげていません。もっか準備中です。 そのために結婚に関する様々なことを知るに至りました。
ウクライナ女性の結婚適齢期(日本では死語?)は早く、十代後半から二十代前半です。大学に進むと在学中に適齢期を迎えることになり、そのために学生結婚はごく普通のことのようです。
結婚式の手順は以下のようなものです。(織雅さんから聞いた話)
1.花嫁の友達が花婿のところに行って、花婿をいじめる。(意味不明)
2.花嫁、花婿が別々の車で結婚所(キエフ市はいくつかの地区に分かれていて、それぞれに婚姻を専門に扱う役所がある)に行き、婚姻届と簡単なセレモニーをやる。
3.ここから始めて二人は同じ車に乗り教会に向かう。
4.教会の式のあと、リムジンその他の派手な車で参列者とともに景色の綺麗な公園など巡り、最後はレストランで深夜までパーティーが続く。
きょうロシア語の勉強のあと教会に行き、式の費用など聞いて来ましたが、洗礼を受けるのに約1100円、それを写真に撮ると210円、ビデオだと320円の追加料金がとられる。式は8500円。
ウエディングドレスは日本同様ほとんどがレンタル。色は純白です。白は神の色、神聖な色、純潔の色ということで、初婚は全て純白に限られます。 再婚の場合はピンクと言っていましたが、だれも自分が再婚ですとあえて言いたくないでしょうから、白以外のウエディングドレスは見たことがありません。
カチャは月末か九月はじめに正式に結婚するらしい。 それに参加してくれという。ウクライナに来てよもや婚姻に列席することになろうとは思いもよらなかった。人生何があるか分らないものです。
もう一つびっくりする話、彼女は家事が苦手といつももらしていたので、料理の本でも買って勉強するのかと思っていたら、その解決策が私の想像を遥かに超えていて、なんと家政婦を雇ったという!
それにしても、八月はとても結婚式が多い。そして花嫁はみんななんと美しいことでしょう!
07月09日(日)2006年 フォークフェステバル
金、土、日の三日間、大規模なフォークフェステバルが開催されていました。 会場はペチェルスカ修道院の隣にある起伏の多い公園です。 最終日のきょうちょっと覗いてきました。
手作りの人形を売るおばさん:人形の顔一つ一つの表情が微笑ましい。
メインステージのほかに、数ヶ所の小さい特設ステージが設けられ、ウクライナ各地からはもちろん、外国からの参加もあり、ブルガリア、フィンランド、エジプトなど、日本からも虚無僧の尺八奏者が参加していました。 津軽三味線か太鼓ならば受けると思いますが、尺八はあまりにも地味な感じですね。
会場内は音楽や踊り以外に民芸品の製作、展示即売も行われ、大変な賑わいでした。
私がカメラを手にすると、どうしても若い女性ばかりを撮り、皆さんのひんしゅくをかうので、今回の写真は全てカチャの撮影によるものです。
小ステージではバグパイプと手回し弦楽器の演奏。 この楽器は始めて見るもので、ハンドルをぐるぐる回して何をするのか全く分からない。 知っている方教えてください。 演奏に合せてダンスが始まった。 観客も飛び入り参加する。
大人と子供が手をつないで、輪になって、何か言いながらぐるぐる廻るゲームもあります。 日本にもこんなのがあったような。
子供も大人もダンボールに飾りを付けたオリジナル帽子づくりに熱中。 子供たちが切り紙で動物をつくり、彩色して楽しんでいる。
おばあさんの人形、表情がいいね!
ここで覚えたてのロシア語をひとつ紹介しましょうか。
女の子 =ヂェボチカ
若い女性=ヂェブシカ
女性 =ジェンシナ
おばあさん=バブシカ
07月08日(土)2006年 アドリア海の真珠
週末を挟んで、3泊4日の短い旅行に行ってきました。 クロアチアの一番南にあるドブロブニクです。(年配の酒飲みには懐かしい響きです。)
スタリ・グラドの城門と衛兵:ここは遺跡であると同時に、現在も市民生活が営まれている街でもある。 文字通り「生きた遺跡」
金曜日の仕事を早目に切上げて、夕方のウイーン行きに乗り込みました。 到着が遅れて、ウイーンに着いた時は既に乗り継ぎ便の搭乗が始まっている時間でした。 しかし、セキュリティーチェックが長蛇の列。 やっと通過してゲートラウンジに滑り込むと、外のバスに乗れという。 巨大なバスに先客二人、奇妙な男女カップルで、何語か全く分からない言葉でケラケラ笑いながら話している。 運転手もいない。
メインストリート:通りに面して寺院や美術館、たくさんのレストランや商店が 建ち並んでいます。
しばらく待つと、小さな子供二人を連れた夫婦が乗ってきた。 奥さんはかなり美人。 運転手も現れて、やっとバスが走り出した。 この分では、セスナくらいの小型機かと不安になる。 しかし、横付けした飛行機はクロアチア航空のエアバスA320。 機内の満席の乗客は我々七人の到着をイライラしながら待っていた様子で、自分のせいで遅れた訳ではないけれども、小さい顔して座席につくと直ぐに離陸した。 なぜか、客室乗務員は全て男性で少しガッカリ。
港の堤にて:近くにいたおばさんにシャッターを頼んだら、幅10mぐらいしかないのに、カメラを構えたまま、どんどん後退していく、危ない、危ないと叫んでも構わず下がって行って、はらはらしながら撮ってもらったスナップです。
夜もとっぷり暮れた頃、やっとドブロブニクに到着。 クロアチアの通貨が何か知らないが、とりあえず100ドルを交換する。 EUに加盟しているからユーロかと思ったら、クーナというクロアチア独自のお金でした。
外に出たら、むっと暑い。 植生も糸杉など暖かい地方のものに変わり、キエフとはだいぶ雰囲気違う。 リムジンバスに乗って街へ向かう。 曲がりくねった海岸の道を30分ほど走ると、ライトアップされたあのスタリ・グラドが見えてきた。からだがゾクゾクするほど大感動!!
シーフードリゾット:海に来たからには、海の幸! ムール貝と海老、蛸、イカ、ご飯をイカ墨で味付けしたもの、極めて美味でした。
この先の街の中心と称するところで下車して、キオスクのおばさんにホテルの場所を聞くと、だいぶ先らしく、6番のバスに乗れという。 時刻表を見ると次のバスまでかなり間があるので止む無くここからはタクシーに乗る。 11時ごろやっとホテルに落ち着く。
典型的なリゾートホテルで、客室は値段の割にはプアーだけれども、レストランやバー室内プール、屋外プール、サウナ、アスレチックなどは充実していました。
フロントも超美人で対応もそつが無く、帰りはフライトの関係で早朝6時にはホテルを出なければならないので、モーニングコール、タクシーの手配を頼むと、朝食を一人分だけ5時までに用意しておくと云う。 感謝!
泊り客はヨーロッパ各地からのリゾート客で、老夫婦や家族連れ、若いカップルで占められ、私以外一人客はいないようでした。
極めて国際性に乏しいので、このような場所に一人ぽつりといると、居心地の悪さを感じます。
レストランの呼込み嬢:写真撮っても良いか!と聞くと、ケラケラ笑いながら応えてくれた。 皆さん、風土と同様に明るい。
翌朝、さっそくレンタルサイクルを探しに、あちこち訊ね歩いてやっとMTBを借りることが出来ました。 建物の奥深くにあり、なかなか見付らない訳です。 あまり繁盛していないようで、それもそのはず、ヨーロッパ人のリゾートの過し方は、ビーチで一日中寝そべっているか、心地よいカフェテラスでちびちび何か飲みながら、本を読んだり、居眠りしたりして過すのであり、ジオポタのように自転車であちこち、こま鼠のように走り廻ろうという発想はないのです。
ドブロブニクはアドリア海に面して、屏風のように迫る岩山の裾野に細長く発達した街です。 とりわけ城壁で囲まれ、海に突き出た街、スタリ・グラドは圧巻です。
ここの建物の壁は全てライムストーンで造られ、屋根はスペイン瓦です。岩山や大地は全てライムストーンで、石垣、歩道のペーブ、縁石、ベンチ、城壁にいたるまで全てがライムストーンで作られています。
街中花が咲き乱れ、これだけの条件が揃えば、街が綺麗なのは当然。
レストランのウェイトレス達:屈託がない。
クロアチアはウクライナから遠くはなれているけれども、民族的には同じスラブ系です。 その為に、顔立ちも似ているし、言葉も似ています。 しかし、さすがにヨーロッパ、キエフに比べると全てにおいて洗練されています。
膨大な写真を撮ってきて、アパートに帰ってから、パソコンに取り込んで見たら、写真全部がぼやけている。 大ショックです。 レンズに何かの汚れがべっとり付着していました。
*ライムストーン:石灰岩 いろいろな種類がありますが、日本で多く使われているものは、大理石よりも荒く、軟らかいものが多いようです。 素朴で温か味のある風合いが好まれていて、私の好きな石材です。