デュエルンのキエフ便り 5
“ジオポタの匠”“風の旅人”として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。
2006年1月、デュエルンが愛車“轟カル号”と共に向かった先はなんとウクライナのキエフ。
ついにジオポタ・キエフ支部誕生!
この章はキエフのデュエルンから送られてきたメイルを一部改訂して編集したものです。 日付けの新しいものが上になっています。
(編集/サイダー、監修/デュエルン)
2006.09-2006.10
10月15日(日)2006年 キエフ市内の交通
気温を計ろうと温度計をサンルームに出してみたところ、きょうの最高気温は9度でした。
さて、今回の話題はキエフの交通事情です。
キエフ中央駅
高架のラウンジを兼ねたコンコースと地下コンコースにより各プラットホームにアクセスします。 2階には教会のような荘厳な有料待合室があります。改札がないのでいつでもホームへ列車を見に行くことができます。 旧ソ連時代にはウクライナの文化人が迫害を受けた時期があり、この駅を設計した建築家もこのデザインに言い掛りをつけられて処刑されました。 ソ連時代に来なくて本当によかった! この駅は長距離と国際列車専用で近郊電車は右側の地下鉄と同じ駅舎から出ます。 さらに100メートルほど離れたところにも駅があり、かなり複雑です。
道路と車
キエフ旧市街の周辺には首都高のような高速道路網が廻らされて、ジャンクションを経て各方面に延びています。 有料道路はなく、すべて無料で自転車でも走れます。 朝夕は慢性的に渋滞が続き、日中でも工事や事故であちこちで渋滞が起きています。
キエフほど交通事故の多い都市をこれまで見たことがありません。事故が起きると警察の検分が終わるまで現状維持です。 だから余計渋滞する。 車の運転はかなり荒っぽい。 ガソリンの価格はリッター100円前後。 この国の所得水準からすると極めて高い。 車の値段も日本の2から2.5倍。 それなのにメルセデス、BMW、レクサスといった高級車がたくさん走っているし、ポルシェ、フェラーリもたまに見る。
どこも車が多いけれども排気ガスの臭いが気になるようなことはない。 日本と同様の車検制度があり、排気ガスもチェックされている。 しかしたまに車検に通りそうにないオンボロ車も見かける。 蛇の道は蛇! そのために故障で止まっている車はエンジントラブルなど生易しいものばかりではなく、車軸の折れたもの、車輪がとれて無くなった物などすさまじい。
横断歩道の数は少ない。 信号の付いたものは更に少ない。 交通量の多いところと歩行者の多いところはアンダーパスが標準。 この地下通路内は露天商が商いをやっていて賑やかです。 横断歩道での歩行者の横断は安心です。 歩行者優先は徹底しています。 上海のように右折左折車が突っ込んでくるようなことはありません。
道幅はどこも広く、1車線の幅も日本の基準よりも75センチ広いです。 旧ソ連の基準をそのまま使っています。 私の想像では戦車の通行を考慮しているものと思います。 歩道は更に広く、歩道上に駐車している車が多いのですがあまり歩行者の通行の邪魔にならない。 それほど広いです。 駐車禁止地区ではどしどしレッカー移動、クレーンのついたトラックの荷台に乗せて運び去る。
地下鉄
前にも書きましたが、キエフでもっともお気に入りが地下鉄です。 あの長ーーーいエスカレーターも良いし、一駅、一駅違う意匠も良いし、べらぼうに安いのも良い。 だからいつも混雑している。
キエフらしからぬこんなモダーンな駅もあります。
朝夕のラッシュ時は山の手線同様押しくら饅頭、それもまた良い! クレオパトラの如き美女を顔がくっ付くほどの距離から見ることができるし、日本人と違い、こちらの女性は満員の車内で自分の胸を腕やバックで覆ったりしない、強靭なバストでぐいぐい押してくる。 多くの場合は私の肩当たりにくるが長身の女性だと顔当たりにくることもある。 これまた極めて快感!!
バス
公営バスと私営のマイクロバスとがある。 公営バスの料金は地下鉄同様一律10円。 普通はバス停近くのキオスクで綴りになったチケットを買うが、車内で運転手から一枚づつ買うこともできる。 車内のあちこちにパンチャーが付いていて、自分でキップに穴をあける。 いくらでも不正乗車ができるが、その必要も無いくらい安いので誰もしない。
写真は私営マイクロバスで白と黄色があり、窓の数字は行先を示しています。 料金は公営バスの4倍はしますが(それでも安い)デマンドバスのように乗り降り自由です。 これらの公共交通機関を乗り継げば市内のあらゆるところに行けます。 しかしこれを乗りこなせるようになるには数年は掛かるでしょう。
公営バスはすべて低床ボディーでお年寄りや身体の不自由なひとには優しい造りになっている。 このバスは日本よりも数段出来が良い。 車輪以外の部分が全て低床フラットのバスもあり、エンジンがどこに付いているのか分からなかったが、後部に縦に積んでいるようです。 お年寄りや身体の不自由なひと、小さな子供連れ、乳母車のひとなどが多く利用しています。 貧しいひとやアル中の客も多いようです。
トラム
まだ乗る機会がないが、近々乗ってきます。 2両3両と連結したものが多く、女性の運転手もいます。 線路が錯綜しているところを自転車で渡るときは要注意です。 サイダーの二の舞にならぬよう降りて渡っています。
線路の敷設はこんな感じ、コールタールを塗った木製枕木をバラストで埋めてその上に石で舗装します。
トロリーバス
動力が違うだけで、他にバスと違うところはありませんが、走るときだけモーターが唸って全体的には静かな乗り物かと思っていたら、バス以上に騒音がうるさい。 コンプレッサーか何かが大きな音をたてて廻っている。 2両連結が多いようです。
ケーブルカー
観光用ではなくあくまでも交通手段。 料金は地下鉄、バス、トラム、トロリーバス全て統一料金です。 イタリアのように一枚のチケットで乗り継ぐことは出来ない。
タクシー
ここのタクシーはメーターが付いていない。 乗る前に金額の確認が必要。 多くの場合ボラれる! 金額に納得しなければ乗らないことです。 こういった心配をしなくて済むのが電話で無線タクシーで呼ぶ方法。 こちらは良心的でボラれる心配がないが、言葉が分らなければ出来ないので地元のひとに頼むしかない。 走っている普通の車がいつでも白タクになり得る。 だからヒッチハイクは出来ない。
09月18日(月)2006年 埋れた宝石リボフ
今回がおそらくウクライナ最後の輪行となるので、とって置きの地、リヴィフ(ロシア名リボフ、日本のガイドブックやホームページにはなぜかリヴィウと書いてある。ウクライナ人、ロシア人両方に聞いて見たがリヴィウでは通じませんでした。)に行ってきました。
リヴィフはポーランド国境に近い都市で、戦災を受けていない唯一の都市です。その為に古い都市の姿がそのまま残されていて、古き良き時代のウクライナに触れる事ができるそうです。戦災に遭わなかった理由は簡単で、戦争当時ここはポーランド領の属していたためでした。また、街の大半はユネスコ世界遺産にも登録されています。
グランドホテルの専用コーチ:雰囲気いいけれども大して立派ではない。昔シベリア鉄道でソ連を横断した時にアガサ・クリスティーの映画そのもの超豪華なコーチが何両か連結していたのを思い出しました。今になって思えば写真の一枚も撮っておけば良かったと悔やんでいます。
キエフから550キロ離れたリヴィフへ向かう夜行列車にはリヴィフの老舗ホテル(グランドホテル)の専用コーチを一両連結している。今回はそれを織雅さんに頼んで予約してもらいました。ホテルの予約同様電話だけで、予約してある証が何もない。車両の係りのひとに名前だけ名乗れば良いらしい。『何かトラブルがあれば私に電話してください』 織雅さんはそう云っておきながら先週はじめからエーゲ海の島に遊びに行ってしまった。
リヴィフ駅のホーム:列車がガラスのヴォールト屋根に近づいて行くときが鉄道の旅の醍醐味ですね! 左の銀色のドームが駅舎です。駅前広場は1階下にあり、各ホームは御影石と大理石で仕上られた地下道で結ばれています。
発車30分前には乗車するようにと、言われていたのにその時間が過ぎてもホームに列車は入ってこない、5分前になってやっとソロリソロリ入ってきた。長大な編成で20両まで数えたが後は嫌になった。
中ほどにグランド・ツアーと書かれた赤いコーチが確かに一両連結されている。乗り口にいた赤い制服の女性に名前を名乗ると、書類を確認するでもなく、どうぞ乗ってくださいという、別な男性スタッフに自転車を積んでもらい、中に進むが部屋番号を聞くのを忘れていた。ホームに戻り確認するとやっとこの女性が案内してくれた。
完全な個室でしたが、極めて狭い。 オデッサ行きの二人部屋を一人で占用したほうが当然ながら広く快適。 乗車料金はつまみや飲物の注文と同時に部屋で支払う。
まだ夜が明けきらない早朝にリヴィフ駅に到着。 ホームにはガラスのヴォールト屋根が架かり、鉄道ファンには堪らない雰囲気です。 駅正面の外観はビザンチン様式に似たデザインですが、内部空間はキエフ駅の方が荘厳です。
駅前のベンチで自転車を組立て、いざスタート!! 古い街だけに車道は徹底して石畳、歩道は粗いコンクリートブロック、小径車では走り難いことおびただしい。
国立オペラ劇場:こちらは明かにキエフよりも立派かつ規模も大きい。
ここに来る前に画いていたイメージは、こじんまりして古びた街並みと物静かな暮らし。
実際は建物こそ歴史的建造物に溢れているももの、街の規模はかなり大きく、人口も多く、多くの人々が街に溢れ、大変活気のある街でした。街の規模も建築も賑わいもオデッサよりは遥かに大きいです。
暮らしている人々はキエフに比べて更に泥臭く、女性は相変らず美しい。リヴィフの民族の構成は、大半のウクライナ人と多少のポーランド人で占められ、ロシア人はほとんどいないようです。アジア人もまったく見ない。
街角のキオスク:どれも凝った造りで、キエフのような粗末なプレファブは見かけない。
リヴイフは街が誕生してから今年で750年になり、それと関係があるのかないのか、街の至るところで道路や建物の補修工事が行われている。
ここもマロニエの街路樹が多く、栗の実そっくりな実が頭上から降ってきます。(マロニエは栗に似ているから付いた名前でしょうか?)
街のところどころにこのような中世の城壁が残っています。写真の城壁は武器庫が隣接して設けられていました。
ここも結婚式のシーズンなのか、あちこちの教会からおびただしい新婚カップルが生み出され、街はウエディングドレスの花嫁さんで溢れています。この光景とウクライナが世界一出生率が低いという統計とが私の頭の中ではどうしても一致しない。
裏町のカフェにて、ウクライナ語でコーヒーのことをカヴァといいます。
リヴィフではロシア語が通じないと日本のガイドブックに書いてありましたが、外国人が拙い片言のロシア語を使う分には何の問題もなさそうです。
リヴィフは街が古いだけではなく、博物館もののクラシックカーや馬車、馬まで走っています。
車の交通の激しい路を車を縫っての手綱さばきは相当な腕前とみました。後ろの花嫁さんはともかくとして、この御者は凛々しくカッコいいですね!!