パリから南フランスへ
1984年の年末から1985年の年始にかけての冬休み、9日間で南フランスからスペインを巡る旅を考えました。メインはバルセロナのガウディ、グラナダのアルハンブラ宮殿です。今回は女子4人旅。
旅の出発・終着ポイントはパリ。冬のパリはとても寒いのですが、シャンゼリゼから凱旋門へ、街路樹が纏うイルミネーションが綺麗です。
パリには夜到着し、1泊しただけで早々に南フランスへ。80年代に開通したTGVに乗って南へと下ります。
そして、到着したのはローヌ川沿いの都市アビニョン。ここでも街にはクリスマスのような電飾が取り付けられていますが、日差しは随分と穏やかです、
アビニョンはローマ時代からの歴史を持つ街で、歴史上その名が有名なのは『アビニョンの幽囚』ですね(近年では幽囚とは言わず捕囚と言うらしい)。1309年から70年間ローマ教皇庁がここに移されました。
教皇宮殿や司教館(プチ・パレ)、その周辺は中世の建物とその雰囲気が残り、歩いて楽しいエリアです。
そして、もう一つの観光名所はサン・ベネゼ橋、通称『アビニョンの橋』です。
12世紀後半にローヌ川に架けられたこの石橋は、かつては22連のアーチ橋だったそう。しかし、17世紀初めからローヌ川の洪水で崩壊した橋を補修できず、現在は4つのアーチが残るのみとなっています。
15世紀頃つくられたと言われる『アビニョンの橋の上で』という歌が世界的に有名。実際は幅が狭くて『輪になって踊る』のは無理だそうですが。
アビニョンから車でニームへ向かいます。その途中で立ち寄ったのは『ポン・デュ・ガール』。ガルドン川に架かるローマ時代の水道橋です。西暦50年につくられたというから凄い。
写真は上2層部分で、道の下に川に架かる最下層があり、計3層の建造物です。導水路がある上層は35の小さいアーチで支えられています。
そんな最上層の水の道に入ることができました。『ここを水が通ってはるばるニームまで行ってたんだね~』と感動の女子4人。
水源地のユゼスから50km離れたニームまで、1kmあたり約25cmの勾配で水を流すように設計されたのだそう。凄い技術です。
車で着いたニームでも、円形闘技場や神殿など古代ローマ時代の遺跡を見ることができます。本日はここで終了。
さて翌日、今日はバルセロナへの移動日です。まずは列車で2時間弱のナルボンヌへ。ここからバルセロナへの国際列車が発車します。
バルセロナまでは国境を越えて、列車で5時間以上。車中での食料を仕入れようと、ナルボンヌ中央市場(Les Halles de Narbonne)にやってきました。
市場には美味しそうなものが並んでいます。パン屋チーズ、パスタにピザ、スイーツとフルーツなどいろいろ買い込んで、いざ出発!
そういえば、今日は1985年の元旦でした。新しい年の門出を祝ってカンパ~イ! この1985年はすばらしい年になるわけですが、それはまだ先の話です。
バルセロナ
夜遅くバルセロナに到着し、翌朝からバルセロナの観光開始です。泊まったホテルは、新市街地のグラシア通りに近い絶好のロケーション。
バルセロナはローマ時代からの歴史があり、西ゴート、イスラムのウマイヤ朝、フランク王国と変遷を経て11世紀にカタルーニャ君主国となり、囲壁を巡らす中世都市として発展したそうです。旧市街『ゴシック地区』にはそんな雰囲気が残っています。
一方、19世紀の産業革命によって市域の拡張が必要になり、都市計画家イルデフォンソ・セルダが整備拡張計画を立案。それは、133.4m四方の正方形を一区画として碁盤の目のように南北に道路を整然と敷くもので、こうして、上空からの写真を見るとインベーダーゲームの四角が並んでいるような(古い。。)新市街地がつくられていったそうです。
そして市域の拡張整備が進められた後、1870年代から1900年代初めにかけてバルセロナで活躍したのがモデルニスモの建築家たち。その一人がアントニ・ガウディです。
まずは、グラシア通りのほぼ中央にある『カサ・バトリョ』。1877年建築の建物を、ガウディが1904~1906年にかけて改築したものです。青みがかった神秘的なファサードには、『ドラゴンの背中』と言われる屋根、仮面のようなバルコニー、骨のような窓辺の柱(TOP写真)。
また一部しか写っていませんが、左隣の建物も階段状の三角屋根ファサードが目を引きます。これは『カサ・アマトリェール』、ガウディと共にバルセロナを代表するモデルニスモ建築家の一人、ジョセップ・プーチ・イ・カダファルクが1898~1900年にかけて改築した建物です。モデルニスモ建築好きにはたまらない界隈ですね。
カサ・バトリョの中へ入ってみましょう。
白く丸みを帯びた壁は鍾乳石のよう。そこに埋まったような曲線の扉と窓。何かの生き物に飲み込まれていくような感じもします。
建物の中央には天井にガラスの入った光庭がとられています。
5層分の細長い空洞の内壁には微妙に色を違えた青いタイルが光り、まさに『海底洞窟』。
続いてグラシア通りを少し北上すると、『カサ・ミラ』が現れます。ガウディの設計で、1906~1910年にかけて建設されました。
カサ・バトリョよりかなり大きな集合住宅で、波打つ曲線の壁が交差点の角から両側へと続いています。
その建物に近づいてみれば、壁はざらざらとした質感を持ち砂を固めたよう。そして、バルコニーに絡みつく手すりはどう見ても海藻。
この外観は、地中海をイメージしてつくられたと言われています。
交差点に面した入口から中へ入ります。
鉄の桟にガラスの入った入口の門は、四方に腕を伸ばしたサンゴのようにも見えます。南からの光を受けて、建物内へと延びる光と影も美しい。
この壁と柱も鍾乳石のような曲線で構成されています。
門の奥でガラスの衝立で仕切られているのは管理人室でしょう。
カサ・ミラの光庭には、グラシア通りに面した部分の円形のもの(写真)と、プルベンサ通り側の大きな楕円のものとがあります。
丸い空に向かって窓が上へと延びていきます。
カサ・ミラを出て、その前のプルベンサ通りを北東へまっすぐまっすぐ進んでいくと、緑の公園の先に林立する塔が見えてきました。『サグラダ・ファミリア』です。
この教会、当初はフランシスコ・ビリャールという別の建築家が設計し1882年に着工しましたが、意見の対立で辞任し、1883年に若きアントニ・ガウディが2代目建築家に就任したのだそうです。
この南西にある4本の塔は『受難の門』という入口の上に聳え立つものです。
受難の門には最後の晩餐からキリストの磔刑、キリストの昇天までの彫刻が施されますが、この時点ではまだ未完。高いタワークレーンが石材を運び上げます。
ところで、サグラダ・ファミリアの前にある公園には人々が集い、屋台も出ていました。
その中で見つけたのがこれ。射的屋さんです。懐かしい~ 上には賞品が並んでいます。スペインにもあるんですね。
さてサグラダ・ファミリア。この1985年当時、内陣はなく、受難の門の塔の他には北東の『生誕の門』、それに続く壁の一部、そして地下聖堂があるのみでした。
写真は生誕の門を内側から見たところ。
そして、4本の塔を見上げたところ。
中央はゴシック教会の薔薇窓のようですが、放物線を描く形状、張り出したバルコニーや細い柱の列など、他では見たことのないデザインがこれでもかと迫ってきます。
横を見れば、壁に沿って足場が組まれています。そこに立つ十字架の上には veritas(真実)の文字が。
生誕の門は、ガウディの生前にほぼ完成した唯一の入口です。ここではエレベーターで塔に上ることができるので、早速上ってみます。
対面側の受難の門の足元には、たくさんの石材が置いてあります。これらの石材を一つ一つ積み上げていくわけですね。この時点で着工から約100年が経過しているのですが、まだまだ時間がかかりそう。『あと200年かかる』と言われています。
*その後、1990年代頃から観光客による入場料収入が増加し、またITの活用など技術の進歩によって進捗がスピードアップし、2026年に完成予定と発表された(2013年)。ただし、2020年新型コロナの影響により2026年の完成は難しいと言われている。(2021.1.20記)
受難の門の塔の向こうにバルセロナの西方面の街並みが広がっています。
塔の間の渡り廊下から上を見上げると、2つの塔の先端が見えました。
塔のてっぺんにはまわりに球が散りばめられた十字架が前後に2枚、そして、その回りには様々な色のタイルをモザイク状に貼り付けた飾りが取り付けられています。司教冠や指輪などのモチーフが表現されているらしい。
ここには、ころんとした花の形の石に金と黒のモザイク。
こちらの右上からは星が流れてきています。
そして、左上方に『生命の木』が見える。
『生命の木』は、いつまでも変わらない常緑樹の糸杉で永遠の生命を象徴しているのだそう。
そして、そのまわりには神に仕える信者を表す白い鳩が散りばめられています。
下りは螺旋階段をぐるぐると約400段下りてきました。
そして改めて正面から、これが『生誕の門』。門は垂れ下がる岩や生い茂る草木のような造形に覆われ、その中にキリスト誕生に関わる様々な場面の彫刻が置かれています。中央の『生命の木』の下の洞窟のようなところには、『聖母戴冠』の像。
大迫力のサグラダ・ファミリアでした。これからもっと高い塔が建つ予定ですが、見られるのはいつになるか。。
サグラダ・ファミリアをあとに、次にやってきたのはグエル公園。やはりガウディの作品です。1900~1914年にかけてつくられました。
ここは、ガウディのパトロンであった富豪エウセビオ・グエルとガウディが思い描いた自然と芸術の分譲住宅計画地で、その後、市の公園となりました。写真は入口を入ったところにある階段です。
正面の階段の上に張り出している広いテラスの縁は波状にうねり、そこにはカラフルなお皿などの陶器のかけらが貼り付けてあってとても楽しい。
このテラスから南側にはバルセロナの街並みが広がります。テラスは『ギリシア劇場』とも呼ばれているそうですが、それは下を見ると。。
太いギリシア風の柱が林立しているからですね。これらの柱がテラスを支えています。
写真ではわかりにくいですが、よく見るとコーニスの突き出た部分にライオンらしきものが吠えています。
グエル公園は傾斜地にあり、テラスや通路を色々な柱が支えている通路が面白い。
こちらはゴツゴツした石の柱ですが、上の方は逆円錐形に広がっています。その上の石の手すりには網状の手すり子に花台もついていたりと、なかなか繊細なもの。
テラス『ギリシア劇場』の東に下りると、斜めの柱が天井を支えるまっすぐなポーチがありました。
柱のつくりだす光と影の連続が印象的です。
今度はヤシの木が茂り、蔓草が垂れ下がる南国のジャングルのような雰囲気の場所になりました。
斜めの柱の上には別の荒々しい溶岩のような柱が被さって、かなりワイルドな雰囲気。進むたびに、独特の異なる雰囲気に浸れる公園でした。
ホテルに戻る途中、楽しげな八百屋さんを見つけたので写真を一枚。豆やアーティチョークなどが台の上に並び、天井から吊り下げられた商品もモールで飾られて華やか。
飾りはクリスマス仕様ってことなんでしょうか?
翌日。今日はバルセロナ・サンツ駅から昼過ぎの列車でグラナダへ移動します。というわけで、ちょっと時間は早いですが、バルセロナ最後の食事は海辺にあるバルセロネタのレストランでシーフードを。光溢れる砂浜に面した奥の席で、白ワインと新鮮な魚介類のランチ、たまりません~
ひたすらガウディに浸ったバルセロナ。これからまた列車での長旅ですが、明日はグラナダでアルハンブラ宮殿が待っています。