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グラナダ、パリ

フランス+スペイン(冬) 2

開催日 1985.1.4(金)-1985.1.11(金)

グラナダ アルハンブラ宮殿 アベンセラヘスの間
グラナダ アルハンブラ宮殿 アベンセラヘスの間

旅の紹介

◆  グラナダのアルハンブラ宮殿。豪華で繊細な装飾に覆われた壁や天井、池に映る美しい建物を訪ねれば、栄華の日々が陽炎のように立ち上る。魅力的な街並みのバエサを訪ね、パリへと戻ればまさかの5日間足止めで、止むを得ず観光三昧!

地図/グラナダ:Googleマップ

グラナダ

グラナダの朝グラナダの朝

グラナダの空に白い光が広がって、朝がやってきました。

昨夜グラナダに到着してホテルでゆっくりし、今日はこの旅のメインイベントの一つ、アルハンブラ宮殿を訪れます。

絵皿の店絵皿の店

ホテルを出て、お店の並ぶ通りを進んでいきます。

このお店には青い絵皿がたくさん積まれています。グラナダは陶器製造でも有名、グラナダ(ザクロ)の絵柄も定番です。

卵屋さん卵屋さん

ここは小さな卵屋さん。卵を売っているおばあさんが仲良しの常連さんとおしゃべりしています。

乾物屋さん乾物屋さん

ここは、豆、にんにく、唐辛子、魚(半干し)などいろんなものを売っています。しいて言うなら『乾物屋』か。

こんな材料を使った美味しいツマミが想像できますね。

鶏肉屋さん鶏肉屋さん

鶏肉屋さんには、たくさんのお客さんが並んでいます。今日の昼メニューはチキンのお宅が多いようですね。

チュロ屋さんチュロ屋さん

ここではチュロを売っています。スペインの朝食やおやつの定番の揚げ菓子です。

長いロープ状に円を描いて揚げて、切ったものを売ってくれます。チョコラーテに浸して食べる人も多い。

八百屋さん八百屋さん

そして八百屋さん。市場街は面白くてなかなか前へ進みませんが、そろそろアルハンブラ宮殿へと向かいましょう。

サンタマリア教会横を通るサンタマリア教会横を通る

アルハンブラ宮殿の入口は、要塞のような丘の南東端にあります。そもそも『アルハンブラ』とは、アラビア語で『赤い城塞』を意味するそうです。

入口を通って西へ進むと、修道院を改修したパラドール(国営ホテル)を過ぎ、サンタマリア教会とカルロス5世宮殿の横を通っていきます。このあたりはカトリックによるレコンキスタ後の建物。

ワインの門ワインの門

カルロス5世宮殿を過ぎたところに『ワインの門』があります。アルハンブラ宮殿の中でも最も古い建物の一つで、どっしりした感じの門に馬蹄形アーチ。12~13世紀のムハンマド2世時代建立と言われています。

それにしても、なぜ『ワイン』? これには2つの説があり、アラビア語の『赤の門』を発音が似ている『ワインの門』と混同した、あるいはここで16世紀半ばから免税ワイン市場が開かれた、だそうです。

メスアールの間メスアールの間

この門の少し北にあるのが、アルハンブラ宮殿の大きな見所の一つ、ナスル朝宮殿。その入口を入ると、まず『メスアールの間』があります。1319年に建てられ、政治の中心として裁判なども行われた場所だそうです。

薄暗い室内に目が慣れてくると、壁のタイルや柱頭に施された彫刻の美しさ、繊細さに目を奪われます。

アルバイシンの街並みアルバイシンの街並み

その奥のテラス(黄金の間)に行くと、アーチの向こうにはアルバイシンの白い街並みが見えます。景色を眺めてほっと一息。

アルバイシンはダーロ川を挟んだ対岸の丘陵地にあり、11世紀からイスラム教徒がつくってきた居住地区で、細い路地と白い壁、中庭のある邸宅など、その当時の雰囲気を今に伝えています。

天井の装飾天井の装飾

黄金の間の天井も豪華です。木組に金色の装飾が施されています。

黄金の間のパティオ黄金の間のパティオ

『メスアールの間』と『黄金の間』をつなぐパティオに出ました。四方を壁に囲まれた四角い空間で、壁には細かい装飾がびっしりと施されていて見応えがあります。

中央には大理石の小さな噴水。そして正面は二つの青銅の門。腰壁と門の周りの青や緑のタイルが美しい。

アラヤネスの中庭アラヤネスの中庭

東隣へ進むと、そこはコマレス宮。14世紀前半にユースフ1世によって建てられた宮殿です。この長方形の池のある美しいパティオは『アラヤネスの中庭』。

水面が鏡となって、アーチで軽快に構成されている建物を映し出しています。その後ろの重厚な石壁は、16世紀につくられたカルロス5世宮殿。元の景色が失われてちょっと残念ですね。

アラヤネスの中庭とコマレス塔アラヤネスの中庭とコマレス塔

では、逆の南側から見てみましょう。こちらは美しいシンメトリーで構成され、正面奥は高さ約50mの『コマレス塔』。

ちなみに『アラヤネス』とは、この池の両側に植えられた低木『天人花(テンニンカ)』のことだそうです。

ミフラーブミフラーブ

中庭の北のアーチのある柱廊の両側には小さな窪みが設けられています。お祈りをするミフラーブです。

この装飾がまた緻密ですごい。壁の腰の部分までは色タイル、そしてその上の壁はレースのような装飾で埋め尽くされ、ドーム状の天井は鍾乳石のような彫刻が。

レリーフのアップレリーフのアップ

ミフラーブの鍾乳石の基壇のアップです。この柱と植物のような細かい模様の中にアラビア語が書かれています。

レリーフのアップ2レリーフのアップ2

これは柱廊の壁の装飾です。植物に幾何学模様、そしてアラビア文字が組み合わされて複雑な文様になっています。

中央下にある盾はナスル朝の紋章で、『神のみが勝者である』と書かれているそうです。

大使の間大使の間

アラヤネスの中庭から、コマレス塔に入ります。ここは『大使の間』。その名前の通り、王が各国の大使と謁見する際に使われた場所だそうです。11m四方の正方形の部屋で、天井の高さは18m。

透かし彫りの窓が並び、周囲の壁は細かい装飾で埋め尽くされています。奥には馬蹄形アーチの透かし彫り窓を持つバルコニー。

大使の間の天井大使の間の天井

この天井がまた素晴らしい。写真ではちょっと暗くて見にくいですが、木造の天井は星空をイメージしたデザインです。

バルコニーの壁アップバルコニーの壁アップ

『大使の間』奥のバルコニーの壁。タイルもレリーフも、とにかく見事な仕事です。

レハの中庭レハの中庭

コマレス塔の東隣にある小さなパティオは『レハの中庭』。

緑と噴水のパティオは心が安らぎます。この反対側にはアルバイシンの景観が広がっています。

ライオンの中庭に入るライオンの中庭に入る

そして、ライオン宮にやってきました。ムハンマド5世によって14世紀後半に建てられた宮殿です。

宮殿の中央にある『ライオンの中庭』の周囲は、細い白大理石の柱に支えられたガレリアに囲まれています。

ライオンの中庭ライオンの中庭

中庭の真ん中には12頭のライオンに支えられた大理石の水盤があり、ライオンたちの口から水が流れ出ています。

中庭の東西方向の両側には東屋が張り出しており、そこに林立する細い柱、そして柱上部のアーチ壁は透かし彫り。華麗なる中庭です。

張り出した東屋張り出した東屋

これがその張り出した東屋。ベドウィン族のキャラバンのテントをイメージさせるとも言われています。

アベンセラヘスの間の天井アベンセラヘスの間の天井

中庭を囲む三方に豪華な部屋があります。まず南側には『アベンセラヘスの間』。(TOP写真も)

王の私的な部屋として壁に窓はなく、全面が装飾に覆われています。そして、鍾乳石飾りを施した星型の天井のドームにはただ驚嘆。16の天窓からの光を受けて、美しく浮き上がっているようにも見えます。

諸王の間の前室諸王の間の前室

続いて中庭の東にある『諸王の間』へ。ここには王の寝室があり、天井にナスル朝の10人の王が描かれているのでこの名前が付いています。

写真は前室。ここはアーチも鍾乳石飾り、そして壁はタイルと浮き彫りで豪華に装飾されています。

前室の天井前室の天井

さらに天井には、ここにも鍾乳石飾り。前室と言えども、さすがに王様の居所だけありますね。

二姉妹の間二姉妹の間

そして、中庭の北にある『二姉妹の間』へ。この名前は、部屋の中央の水盤の両側の床に敷かれた大きさ、重さ、色が全く同じ2つの大理石からきているそうです。

この部屋も天井です。八角形の天井には、またしても鍾乳石飾り。

二姉妹の間の天井二姉妹の間の天井

こちらの天井は大輪のダリアの花のようにも見えます。

ナスル朝芸術の絶頂と言われるライオン宮。東西南北の各部屋からライオンの水盤まで細い水路が流れるつくりは、コーランに書かれた天国の4つの川を表しているのだとか、水と建物が融合した豪華で美しい建築でした。

リンダラハの中庭リンダラハの中庭

ナスル朝宮殿の最後に訪れたのは、『リンダラハの中庭』。中央の水盤と周囲の緑が目に優しい。

パルタル宮へ向かうパルタル宮へ向かう

ナスル朝宮殿を出ると、その東隣にはパルタル宮があります。

パルタル宮は14世紀初頭のムハンマド3世の邸宅で、アルハンブラ宮殿の中でも最も古い宮殿だそうですが、その後のナスル朝の宮殿建設に伴って重要性を失っていったといいます。

貴婦人の塔貴婦人の塔

パルタル宮の『貴婦人の塔』が長方形の池にその姿を映し出しています。5つのアーチが美しい。そして背景にはアルバイシンの丘に広がる白い家々。

ユースフ3世宮殿の遺構ユースフ3世宮殿の遺構

パルタル宮の南は段差のある庭園になっていますが、ここにはかつてナスル朝の貴族の宮殿などが並んでいたといいます。そして写真のあたりには、ナスル朝13代スルタンのユースフ3世の宮殿があったのだそうです。

遠くに見える建物はヘネラリーフェ。後ほど訪れます。

庭園を上る庭園を上る

庭園には緑の通り道や水路が設けられています。そんな道を上っていくと、最初に通り過ぎたサンタ・マリア教会の前に出てきます。

カルロス5世宮殿カルロス5世宮殿

サンタ・マリア教会の西隣にあるのがカルロス5世宮殿。1533年に建設が始まったこの宮殿は、正方形の平面の中に丸いパティオが設けられています。

このシンプルな構成の建物は、スペインではあまり多くないイタリア・ルネサンス建築です。1階のパティオを取り巻く列柱はドリス式、2階はイオニア式。

ホテル・アルハンブラ・パレスホテル・アルハンブラ・パレス

カルロス5世宮殿を出て再びワインの門を通り、アルハンブラ宮殿の西の端、アルカサバへと向かいます。

その途中、南の方向に目をやれば、木々の向こうに赤く目立つ建物。これが私たちの泊まっているホテル・アルハンブラ・パレスです。ムーア調のデザインがちょっと作り過ぎ感はありますが、立地最高の高級ホテルでした。

アルカサバアルカサバ

アルカサバはアルハンブラ宮殿で最も古い部分で、当初9世紀に建てられた要塞をもとに、13世紀にアルハンブラ宮殿の城塞に改築したものだそうです。

西端にある13世紀築の『ベラの塔』に上って振り返れば、アルマス広場を挟んで左奥に14世紀の『オメナッヘの塔』。この塔は宮殿としても使われていたといいます。右奥にはカルロス5世宮殿が見えます。

ヘネラリーフェの入口ヘネラリーフェの入口

アルカサバを出て東の入口付近まで戻り、アルハンブラの城壁を出て丘の北西にあるヘネラリーフェへ。ここは『水の宮殿』とも呼ばれており、歴代の王が休暇を過ごした夏の離宮だそうです。

角刈りにアーチ型の穴が穿たれた糸杉の緑のトンネルを入っていきます。

下の庭園下の庭園

この辺りは『下の庭園』と呼ばれているところ。

かつては果樹園だったそうですが、緑の中に細長い池が北へと延びています。

アセキアの中庭アセキアの中庭

そしてヘネラリーフェの最大の見所、『アセキアの中庭』に到着。細長い池の両側から水が吹き出し、幾重にもアーチを描きながら池へ落ちていきます。

この乾いたアンダルシアの丘に豊かな水と美しい緑の庭園をつくっているのは、『王の水路(La acequia real)』と呼ばれる6kmの水路。ダーロ川から取水し、水道橋を渡りトンネルを潜ってこの庭園、そしてアルハンブラ宮殿を潤しています。

回廊から見えるアルハンブラの丘回廊から見えるアルハンブラの丘

日が傾いてきて、中庭の西に設けられた回廊から夕陽のアルハンブラの丘が見えています。とんがった塔はサンタ・マリア教会。

回廊の東屋回廊の東屋

回廊の中央には美しく装飾された展望東屋が設けられており、アーチの間からはアルハンブラの景観が広がっています。

すでに特等席を占めている人がいますね。

アルハンブラ宮殿の景観アルハンブラ宮殿の景観

西の丘の上に広がるアルハンブラ宮殿。

下の庭園を見下ろす下の庭園を見下ろす

こちらは、振り返ってヘネラリーフェの下の庭園を見下ろしたところ。角刈りの緑が並んでいます。その向こうにはアルハンブラの城壁の塔。

これでアルハンブラ宮殿とヘネラリーフェの見学は終了。繊細で豪華な宮殿の部屋の数々、池や噴水を使った美しい中庭など、さすがの見応えでした。

アルバイシンの路地アルバイシンの路地

日が暮れて訪れたのはアルバイシン。細い路地、白い壁を街灯の光が怪しく照らしています。

バエサ

バエサの街角バエサの街角

グラナダをあとにバスで130kmほど北へ。アンダルシアとラ・マンチャの境界に近い場所にバエサの街があります。

バエサは中世にムーア人の都市として栄え、1227年にカスティリャ王に奪還されました。16世紀になるとレコンキスタが終了し平和な中で織物生産で豊かになって、イタリア様式の宮殿、聖堂、広場などが建設されたそうです。そんな雰囲気が今に残る珠玉の街です。

雨のバエサ雨のバエサ

しかし、街に着いてみれば雨、しかも結構寒い。ともあれ街歩きに出かけます。

ハエン門とビジャラールのアーチハエン門とビジャラールのアーチ

ここはライオンの広場。中央にライオンの泉があり、南西角に『ハエン門とビジャラールのアーチ』があります。

1476年にカトリック女王イサベルの命によりイスラム教徒の城壁と門が壊された後、左のハエン門はカルロス5世の来訪に合わせて1526年に建てられ、王家の紋章で飾られています。また右のビジャラールのアーチは、王の軍のコムネーロとの戦いの勝利を記念して1521年に建てられました。

静かなバエサの通り静かなバエサの通り

静かなバエサの通り。まだまだ見所はあるのですが、この寒さでちょっと風邪気味になった私、この後は宿の部屋でゆっくり過ごすことになりました。残念ですが、致し方ありません。

白く細長い中庭白く細長い中庭

そんな帰り道、通りから見えたお宅の細い中庭。白い壁に青い通路、そして鉢植えの緑が飾られているのに目を惹かれて、写真を1枚。

バエサ郊外バエサ郊外

翌日、体調も回復してバエサからバスでマドリードへ向かいます。

この日は実はかなり慌ただしく、マドリードに着いたらそのまま夜行列車に乗り込んでパリに向かわなくてはいけません。いよいよスペイン、そしてヨーロッパともお別れです。

パリ

凍りついたストラヴィンスキー広場凍りついたストラヴィンスキー広場

翌朝パリに着き、シャルル・ド・ゴール空港から一路日本へ。。のはずでしたが、ヨーロッパを襲った大寒波により夜行列車は大幅に遅れてパリ到着。タクシーで空港に駆けつけた時に見たものは、乗るはずだった飛行機がちょうど離陸するところ。マドレ・ミーア!!

幸いオープンの航空券だったので予約を取り直したものの、帰国便は何と5日後(週3便しかない)。そんなわけで、大寒波のパリで思わぬ追加の5日間の休暇を過ごすことになりました。

凍りついたストラヴィンスキー広場2凍りついたストラヴィンスキー広場2

理由はともあれ、パリ観光開始。冷たい空気の中、1977年に開館したポンピドゥー・センターを訪れてみると、その横のストラヴィンスキー広場の泉は凍りつき、カラフルなオブジェがつららに覆われています。いかに寒いかが想像できるでしょう。

サント・シャペルのアプスサント・シャペルのアプス

外は寒くて街歩きを楽しむどころではないので、屋内の見所へ。シテ島にある13世紀ゴシック教会の傑作『サント・シャペル』にやってきました。

ルイ9世が聖遺物を納めるために建設したというこの教会の上層の礼拝堂に入ると、アプスを取り巻き両サイドを覆い天井まで伸びるステンドグラスから、色とりどりの美しい光が降り注いでいます。これらのステンドグラスは、様々な聖書の物語を表しています。

祭壇祭壇

祭壇はゴシックアーチが連続し、金色に輝いています。そして天井は濃紺に金色の星が散りばめられ、これも美しい。

サント・シャペルのステンドグラスサント・シャペルのステンドグラス

この見事なステンドグラスには、ただため息のみ。静かな礼拝堂に降り注ぐ光と色のきらめきに、時間を忘れて見入る私たち。

ノートルダム大聖堂の内部ノートルダム大聖堂の内部

続いてシテ島の南東へ。ノートルダム大聖堂です。1163年に着工、建物本体は1225年に完成しましたが、ファサードの塔やフライング・バットレスなどの工事が続き、最終的な竣工は1345年だそうです。

全長128m、幅13mの壮大な寺院の内部に入ると、両側に2層の側廊があり、その上部にステンドグラスが輝いています。

西の薔薇窓西の薔薇窓

写真は、正面入口にあたる西側を振り返ったところです。パイプオルガンの向こうに薔薇窓。

南の薔薇窓南の薔薇窓

これは南の側廊の薔薇窓。大きな四重円を84枚の美しいステンドグラスが彩っています。ノートルダム大聖堂にある3つの薔薇窓のうち、最も古く保存状態が良いものだそうです。

*2019年4月15日夜、ノートルダム大聖堂で火災が発生し、木造建築部分や屋根の尖塔が燃え落ちるなど大きなダメージを受けました。建物が修復され、また再び美しい姿を見られることを願っています。(2021.2記)

ヴェルサイユ宮殿のメルクリウスの間ヴェルサイユ宮殿のメルクリウスの間

別の日。今日はパリ郊外のヴェルサイユ宮殿へ出かけます。1682年にルイ14世が建てたこの宮殿は、広大な幾何学庭園に面して豪華なバロックの建物がでんと構えています。その建物のファサードは400mにもなるそうな。

そんな巨大な建物の中、ここは『王の大居室』。豪華な7つの部屋があり、写真のきらびやかな『メルクリウスの間』は元は王の寝室で、銀の家具で飾られていたそう。壁の肖像画はルイ15世です。

鏡の間鏡の間

そして、この宮殿で最も有名なのが『鏡の間』。テラスだったところを改装し、儀式や外国の賓客を謁見するために使われたそうです。当時高級品だった鏡が壁一面に惜しみなく張られています。そして豪華なシャンデリアの列。

こんな感じでパリやその周辺の有名どころの観光地を巡りましたが、予定外の5日間だったためフィルムの残りが乏しく、残念ながらあまり写真はありません。

その後、金曜日の便で無事帰国することができました。バルセロナのガウディの建築やグラナダのアルハンブラ宮殿の素晴らしさ、そしてパリの寒さが特に印象深かった冬の旅でした。

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