8702-3

バトゥ・パハ、シンガポール

タイ+マレーシア+シンガポール 3

開催日 1987.07.24(金)-07.25(土)

シンガポール ラッフルズホテル
シンガポール ラッフルズホテル

旅の紹介

◆  マラッカから更にバスで南下。1920年代の日本人ゆかりの建物が残るバトゥ・パハでは、茶室でのんびりとコーヒーを。旅の最終目的地シンガポールではラッフルズ・ホテルで優雅に食事とカクテルを楽しむも、翌日は買い物騒動で大慌て。

地図/バトゥ・パハ :Googleマップ

地図/シンガポール:Googleマップ

バトゥ・パハ

エンガン通りエンガン通り

朝8時発のバスでマラッカを出発します。バスはシンガポール行きですが、私たちは10時にバトゥ・パハで途中下車。

バトゥ・パハは、マラッカ海峡に流れ込むバトゥ・パハ川のほとりに1894年に新たに開発された町で、その水運を利用して後背地でのプランテーション開発が奨励されて発展しました。さらに20世紀初頭に日本企業によって鉄鉱石の鉱山も発見され、ゴム農園や鉱山で働く多くの日本人が住んだのだそうです。

ここは、川沿いに設けられた税関から町の中心部へと続くエンガン通り(Jalan Engan)です。

旧日本人クラブの建物旧日本人クラブの建物

その通りが始まる場所に、1920年代に建てられたこの建物があります。建物中央の屋根に立つ円形の見晴台がひときわ目を惹きます。

実は、かつてこの建物の3階に『日本人クラブ』があり、1920年代終わり頃に詩人の金子光晴がしばらく滞在したそうで、その様子が旅行記『マレー蘭印紀行』に描かれています。文学(元)少女のヨッちゃんが是非訪れたいということで、この寄り道となりました。

3階に日本人クラブがあった3階に日本人クラブがあった

 そのバトパハ河にそい、ムアにわたる渡船場のまえの日本人クラブの三階に私は、旅装を解き、しばらく逗留することになった。ゴム園にゆくにも、鉄山を訪ねるにも、ここは重要な足がかりである。

 『マレー蘭印紀行』金子光晴(中公文庫)より

岩泉茶室のある建物岩泉茶室のある建物

そして、その通りを挟んだ向かいにはピンクと赤の2階建ての建物があります。

金子光晴は、この1階にあるコーヒー店『岩泉茶室』で朝食をとるのを日課としていたのだそう。

岩泉茶室岩泉茶室

 その店に坐って私は、毎朝、芭蕉(ビーサン)二本と、ざらめ砂糖と牛酪(バタ)をぬったロッテ(麺麭)一片、珈琲一杯の簡単な朝の食事をとることにきめていた。

 『マレー蘭印紀行』金子光晴(中公文庫)より

岩泉茶室のおじさんたち岩泉茶室のおじさんたち

私たちもこの茶室に入ってコーヒーとロティをいただくことにしました。『ロティ』は小麦粉の生地をのばして折り込んで焼いたパンのようなもの。

のんびりコーヒーを飲んでいた先客のおじさんたちが『どこから来た』『日本人か』などと話しかけてきて、しばらくああだこうだとおしゃべりしました。

帰り際、記念に写真を一枚。『写真OKだよ』と笑顔で答えてくれたのに、あれ、途端に表情が硬いなあ。

路上の床屋路上の床屋

エンガン通りをちょっと散策してみましょう。

岩泉茶室の横では、床屋が開業していました。

イブラヒム通りの市場イブラヒム通りの市場

旧日本人クラブの次のイブラヒム通り(Jalan Ibrahim)では、カラフルなパラソルの下、市場が開かれています。

オシャレな黄色いオープンカーはお店なのか?

イブラヒム通りの市場2イブラヒム通りの市場2

市場では野菜や果物、そしてお惣菜なんかも売っていました。

市場の端には自転車タクシーが何台も停まってお客を待っています。

宝石屋さん宝石屋さん

このあたりの看板には『金』の文字が多くみられますが、何屋さんでしょうか。中央の建物の屋上両側では虎が吠えていますね。

看板に書いてあった英語の "Goldsmith" をあとで調べてみたら、マレーシアでは『中国人の宝石商』を意味するのだそうです。

看板建築看板建築

各商店は、1軒1軒ファサードを目立たせて工夫を凝らしていますね。日本で大正から戦後くらいまでみられた『看板建築』によく似ています。

並ぶ看板建築並ぶ看板建築

北向きに折れてペンガラム通り(Jalan Penngaram)に入りました。

更に『看板建築』がヒートアップ。隣とは絶対に違う目立つデザインに!という主張を感じます。

路地裏路地裏

そんな表通りですが、路地裏は飾らないサービス空間。洗濯物がはためき、モーターバイクが駐輪されています。

堂々としたコーヒー店堂々としたコーヒー店

スルタナー通り(jalan Sultanah)に出てきました。角のコーヒー店はかなり堂々としたつくり。ファサード上部中央に立っているのはトロフィーでしょうか。

さて、バスターミナルはこのすぐ先です。1時間ほどのバトゥ・パハの散策を終え、私たちは11時半発のジョホール・バル行きのバスに乗り込みました。

シンガポール

ラッフルズ・ホテルラッフルズ・ホテル

バスは14時にジョホール・バルに到着。ここでマレーシアからシンガポールへの出入国手続きを済ませ、またバスに乗ってシンガポールのバスターミナルに着いたのは15時過ぎでした。

そして徒歩ですぐに向かったのは、かの『ラッフルズ・ホテル』。ここまでチープな旅を続けてきた私たちですが、1887年の開業から100周年を迎えるこの魅力的なコロニアル様式のホテルには是非とも泊まりたかったのです。

ティフィン・ルームティフィン・ルーム

無事にチェックインして部屋でしばらく休憩したら、ホテルの探索開始です。

ここは、メインダイニングの『ティフィン・ルーム』。

ティフィン・ルームを見下ろすティフィン・ルームを見下ろす

柱の並ぶ白い空間の天井には大きな吹き抜けがあります。上階の吹き抜けからティフィン・ルームを見下ろしてみました。

テーブルが並ぶテーブルが並ぶ

真っ白なテーブルクロスと籐の椅子。優雅な時間が流れていきそう。

ビリヤード場が見えるビリヤード場が見える

そして、柱の脇を見ればビリヤードに興じる人々が。

吹き抜けの上階吹き抜けの上階

吹き抜けの天井にはトップライトが設けられ、優しい自然光が注ぎ込んでいます。

屋根を支えるトラス屋根を支えるトラス

屋根のトラスはハンマービーム。優雅な曲線のトラスの連続にはイギリスの香りが漂ってくるようです。

廊下の窓廊下の窓

廊下の窓はシンプルながら柱とアーチで装飾され、木枠の窓が南国の風を招き入れています。

中庭のプール中庭のプール

中庭には、緑に囲まれたプールがありました。周囲に植えられているのは、たくさんの黄色い花をつけたブッシィ・カッシア、大きな扇のようなオウギバショウ、ロイヤルパーム。白い花は何でしょうか。

一通り見物を終えたら、ティフィン・ルームでゆっくり夕食です。ビールにフィッシュ&チップスで喉を潤した後、ミックスグリル、エビのカツレツ、ビーフン、サラダをいただきました。雰囲気も最高で満足です。

水辺の巨大ホテル水辺の巨大ホテル

そして、夜の散歩。

海辺を歩いていくと、建物内に巨大な吹き抜けがあるというホテル、パークロイヤルコレクション・マリーナベイの巨大な姿が黄色く輝いています。右はマンダリン・オリエンタルホテル。

マーライオンマーライオン

その先には、白くライトアップされたご存知『マーライオン』。ライオンと魚が合体した不思議なこの像は、シンガポールの象徴です。

そもそも『シンガポール』という名前は、サンスクリット語で『ライオン(Simha)の町(Pura)』の意味だそうで、ライオンにまつわる伝説もあるようです。

朝のホテル朝のホテル

翌朝8時過ぎ、朝食をとりに部屋を出ます。

明るい朝日の差し込むホテルは、また昨日とは違った姿を見せてくれます。

テラスと中庭テラスと中庭

半屋外のテラス、そして芝生の中庭にもテーブルとイスが置かれ、ここで朝食です。

ロング・バーのテラスロング・バーのテラス

このテラスは『ロング・バー』の一角。白いテーブル、イスと緑のストライプの覆いが爽やかで涼しげです。

このロング・バーで有名なのは、ここで最初につくられたカクテル『シンガポール・スリング』。もちろん、昨夜いただいております。ジンベースの赤いカクテルには、パイナップルと赤いチェリーが添えられていました。

中庭とプール中庭とプール

ゆっくりと朝食を楽しんだら、今日はいよいよ旅の最終日。夕方の待ち合わせ場所を決めて、それぞれで買い物などを楽しむことにしました。

さて私サリーナですが、サイダーからオーディオ機器の購入を頼まれ大金(?)を渡されていたので、電器屋を訪ねてみることにしました。

スタンフォード・ハウススタンフォード・ハウス

その前に立ち寄ったのは、スタンフォード・ロードとヒル・ストリートの交差点にある『スタンフォード・ハウス』。

1904年に建てられたこの建物、当初はショッピングモールでしたが、1911年から2年間は上の2層がホテルの部屋が不足していたラッフルズ・ホテルのアネックスとなり、更に1920年以降は全体がホテルとして使用されました。

スタンフォード・ハウス正面スタンフォード・ハウス正面

建物の設計者は、ラッフルズ・ホテルと同じイギリスの建築家リージェント・アルフレッド・ジョン・ビドウェル。

デザインはビクトリア朝時代に流行ったヴェネチア・ルネッサンス様式だそうで、優雅なアーチ窓が連なり、建物の中央に半円形、両端に三角のペディメントが乗っています。

古い建物の密集した界隈古い建物の密集した界隈

コロニアル建築を見たら、次は混沌としたアジアの界隈へ。超高層ビルが建ち並ぶすぐ隣に、間口の狭い2階建てが密集しているところが面白い。

そんな街並みが続くアラブ・ストリートやリトル・インディアを歩きます。

古い建物の密集した界隈2古い建物の密集した界隈2

1階は店舗、2階は住宅の小さな建物が密集。

西の方にはチャイナタウンもありますが、こうしたエスニックグループの界隈はどのようにしてできたのでしょうか。

リトル・インディア近辺リトル・インディア近辺

1819年に東インド会社のスタンフォード・ラッフルズ卿がシンガポールに上陸し、ジョホールのスルタンの承認を得て商館を設立。そして1820年代には、町の土地利用が秩序立って進むようタウン・プランが作成され、エスニックグループごとに居住エリアも定められました。その影響が部分的に現在まで続いているのだといいます。

ラッフルズ卿は建築についても、防火の観点からブロック造や瓦などを推奨し、また店舗は1階の道路側に5フィートの歩行者通路をとることとしたそうです。

森林タワー(?)森林タワー(?)

さて、買い物です。ホテルでオーディオ機器の店が集まっているところを尋ね、『森林タワー』と教えてもらってそのビルへ。

そこは秋葉原のように電器店の集まっているビルで、2軒目で目的の品を発見。値段も何とか予算の範囲内です。ところが日本に送ると送料1万4千円もするという。悩んだ末に、重いけど自分で持って帰ることにしました。

店主は『昼過ぎの2時か3時頃来店してくれれば、用意しておくから』と言うので、それまでオーチャード・ロードをぶらぶら買い物などすることにしました。

オーチャード・ロード沿いの超高層オーチャード・ロード沿いの超高層

軽くお昼も食べて、スーパーマーケットで買い物をしているうちに2時になり、森林タワーの店に行ってみると『まだ品物は来ていない』と言う。いったんタクシーで他の2人との待ち合わせ場所に行き、事情を話して別々に空港に行くことにして、タクシーでまた店へ。

午後3時に店に行くも、またしても『品物はまだ来ていない』。空港には遅くとも4時には到着しないと間に合わない。かなり焦った私が『もう買い物はキャンセルする』などと叫ぶと、店主は店のヴァンを出すから一緒に倉庫に来いと言います。

倉庫まで行って、やっとのことで品物にご対面です。受け取ったダンボールを抱えてタクシーに乗り込み、一路チャンギ国際空港へ。

タイ航空での前菜タイ航空での前菜

タクシーが空港に到着したのは3時50分。ああ、何とか間に合いました。

しかし、ここからも苦難は続きます。税関で『そのダンボールは何だ』と言われ、シンガポールで買ったオーディオ機器だと言うと、『開けてみろ』。

ダンボール全開でようやく納得してもらった後、『ガムテープがない!』など焦りつつ何とか再梱包。荷物を抱えて搭乗口に進んだ時にはもう疲労困憊でした。

しかし、そんな私の苦労を天が見ていたのでしょうか。タイ航空の搭乗口でチケットを見せると、私たち3人には別のチケットが渡され、機内に入ってみれば、何と座席はエグゼクティブクラス! まあ、単なるオーバーブッキングで私たちの到着がちょっと遅かったからなのでしょうが、おかげでゆったりとした座席で美味しい食事とサービスを楽しむことができたのでした。

というわけで、シンガポールの思い出はほぼこのオーディオ機器買い物体験に尽きることになった私。帰ったらサイダーに大ご馳走させることを心に誓うのでした。

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