マドリード 9月
フランスとスペインの旅を終えて、私サリーナはこれから2ヶ月ほどマドリードでスペイン語の学校に通います。
滞在はホームステイ。料理上手なセニョーラと、キャビンアテンダントの娘(あまり家にいない)、そしてセニョーラの友人の女性が一緒に暮らしています。ここにホームステイするのは私とドイツからきた女の子アネッテ。
日曜日は『ラストロ』という蚤の市が開かれ賑わっているということで、アネッテと一緒に行ってみることにしました。
今は9月末ですが、相変わらずのいいお天気でまだ真夏のよう。道路いっぱいにテントで日陰をつくったお店が並んでいます。
洋服、カバン、小物、骨董みたいなものなど、色々なものが売られていて人出も多い。写真はおもちゃですね。少年がお父さんに何か買ってもらったようです。
こちらは本屋。前を行くアネッテは『何か買おうかな~』と物色中。
もちろんスペイン語の本ばかり。学校に通ったら、この難しそうな本も読めるようになるかな。
翌日、月曜日になりました。今日からスペイン語学校が始まります。学校はマドリードのど真ん中『グランヴィア通り』にあり、クラス分けのためのテストを受けたら、昼休みを挟んだ午後4時から学校主催の市内観光に出かけました。
まずはマヨール広場。4階建の建物が四角く並ぶ広場には15世紀からの歴史があり、現在の建物は1790年設計、1854年に完成したものだそう。中央にはフェリペ3世の騎馬像が設置されています。
マヨール通りを西に少し歩いたビリャ広場に面して『ルハネスの塔と家』があります。これはマドリードで最も古い家の一つで、15世紀のものと言われています。
建物の中でも最も古いのは写真の塔で、最上階にはアラブ風アーチもデザインされています。
写真は、その南にあるコルドン広場の建物。マドリードは、1561年にフェリペ2世が宮廷をここに移したことでスペインの事実上の首都となり、17世紀には新大陸からもたらされた富で繁栄し、多くの文人や芸術家を生み出していきます。
さて、そんなマドリードの歴史なども聞きながら王宮まで足を運んだら、市内観光終了。明日からは学生生活の始まり、楽しみです。
ところが私、クラス分け試験でかなり上のクラスに入ってしまい、授業が始まるとついていけず。早々に降格希望を出してクラス変更となりました。筆記試験だけは強い日本人なんです。
改めて入ったクラスはドイツ、フランス、スイス、スウェーデン、アメリカなどから来た10人ほどで、日本人は私一人。アットホームな雰囲気の楽しいクラスでした。
さて最初の週の金曜日の授業が終わり、午後は何人かで近くの公園『カサ・デ・カンポ』に出かけました。まずサン・アントニオ・デ・フロリダ教会でゴヤのパンテオンを見たら、オエステ公園からロープウェイに乗り、線路を越え川を越えて西にあるカサ・デ・カンポへ。
カサ・デ・カンポはスペイン最大の都市公園。以前は王室の狩猟場だったとか。
この広大な公園の中には遊園地や動物園、水族館などもありますが、この日はどこにも寄らず、ぶらぶら歩いて街の中心部へ戻り、バルでだらだら過ごします。『マドリードで生活している』感が出てきましたね。
マドリード 10月
翌日土曜日は、月が変わって10月1日。今日は現代美術館などのある中心部の北東エリアを一人で散策。
美術館から北へ歩いていくとモンクロア広場に出て、そこに凱旋門(Arco de la Victoria)がありました。この周辺の大学都市エリアは1936年にスペイン市民戦争の市街戦で破壊されており、その後大学都市の再建と共に、フランコ率いる反乱軍の共和国軍への勝利を記念して1950~1956年にこの門が建てられたとのこと。
ところで10月初旬のある日、ホームステイ先のセニョーラたちが空を見て、厳かに告げました。『今日から冬になる。。』
言葉通り、その日から曇り空に北風が吹き始め、『冬』が到来しました。10月を迎えるとマドリードの気候は一気に変わるのでした。写真は10月15日に友だちのカリナと買い物に出かけたサンタ・アナ広場ですが、人々は皆セーターやコートを着込んでいます。
サンタ・アナ広場はマドリードの中心部、ソル広場の近くにあります。周辺には劇場やフラメンコのタブラオもあり、バルやレストランで賑わっています。
今日は土曜日。広場には夕方から小物やアクセサリーなどの屋台が並び、なかなか素敵なデザインのものもあって、つい長居をしてしまいそう。
そして、スペインと言えばサッカー。私のホームステイ先はレアル・マドリードの本拠スタジアム『サンティアゴ・ベルナベウ』の先にあり、毎日学校に通うたびにバスで横を通っていました。一度は試合を見てみよう!
10月22日、レアル・マドリード対 F.C.バルセロナ。当日、友だちのマリちゃんとチケットを買おうとしたら、もう立ち席しか残っていませんでした。ともかくレアルのマフラーなどグッズを買ってスタジアムの中へ。立ち席はかなりのぎゅう詰めでしたが、何とか場所を確保します。
席はかなり上の方ですが、スタンドは傾斜がきつく人々の頭越しに何とか見えます。周囲は当然レアルのファンばかり。私のマフラーを見つけて『お、レアルのファンだね』と満足そうに頷くおじさん。いや、“にわか”ですが。。
そして試合は白熱。サンドイッチとビールを持参して行ったものの、試合中に食べる暇などありません。写真は勝利の瞬間、3-2でレアルが勝利しスタジアム中がお祭り騒ぎ。その晩は深夜まで歓喜のクラクションや歌声が止まず、帰宅した私がベッドに入る頃になっても続いていたのでした。
マドリード 11月
11月に入り、私のマドリード生活も残り3週間。週末はミニ旅行や映画、コンサートと遊んで暮らしていましたが、11月最初の土曜日は普段の生活シーンを写真に収めておこうと、カメラ片手に家を出ました。
私は学校まで写真のバス(ミクロブス)で通っています。学校までは大体30分ですが、道路が混んでいると40分以上かかることも。マドリードでは昼に家へ帰って食事する人も多いので、昼にも渋滞が起こるのでした。
バスの車窓から、いつも気になる建物がありました。サンティアゴ・ベルナベウの向かいにある低層の大きな建物『パラシオ・デ・コングレソス』です。ここでは大規模なイベントや国際会議などが行われます。その壁にジョアン・ミロのモザイク画。
建物は1970年に完成。そして1980年、陶芸家ジョセップ・リョレンス・イ・アルティガスがアズレージョ・タイルを使ってミロの絵の壁画を完成させたそうです。
その少し北に、10階建くらいの高層住宅が並ぶエリアがあります。ここらが私のホームステイ先。
高層住宅群といっても板状ではなく中庭のあるロの字型の建物で、通りに面した1階には店舗が並び、都心部の住宅地という感じ。
通りのすぐ向かいにはコンビニもあって、生活するには便利なところでした。
ホームステイ先のセニョーラは料理上手で昼食は言うことなしでしたが、晩ごはんは自分で調達しなければならないので、晩はコンビニのヨーグルトだけなんてこともよくありました。
そして、建物の少し奥まったところに上階の住宅への共用玄関があります。右手に各戸の呼び鈴があり、訪問者はそれを押して中の居住者に扉を解錠してもらいます。
ここは分譲住宅で、1階には『門番』さんがいて共用部分の維持管理を担っています。
夕方からは、いつものように遊びに出かけます。今日は映画『プレシディオの男たち』。ショーン・コネリー主演で、映画はまあ普通かな?
映画が終わったら、グランヴィア通りの北西端のスペイン広場(Plaza de España)へ。『ドン・キホーテ』作者セルバンテス像があるこの広場に面して、『トーレ・デ・マドリード』という37階建の超高層ビルがあります。
この142mのビルは1950年代に建設されたもので、建築後数年は世界一高いコンクリート建築、また1982年まではスペイン一高い建物だったとか。展望台からは、まっすぐ延びるグランヴィアとその周辺の夜景がよく見えます。また、左手の建物は『エディフィシオ・エスパーニャ』といって、これも1950年代に建てられた超高層建築。
翌日曜日。今日は日本に持って帰るお土産でも買おうかなと言っていたら、マリちゃんが『バリオ・デ・ピラール』というところに大きなショッピングモールがあるらしいと教えてくれて、2人で出かけました。
バリオ・デ・ピラールはマドリードの北部にあり、1960年代初めに開発が始まった郊外住宅団地です。
このショッピングモール『マドリード2』の中へ入ってみると、ガラス天井の吹き抜けがあり植物も飾られて、なかなか開放的な雰囲気です。
洋服やバッグ類、インテリア雑貨など色々なお店が入っています。
買い物で疲れたら、吹き抜けの広場のベンチでちょっと一休み。
いろんなお店に入ってみましたが、『お土産』という曖昧な目的のためかなかなか『これ』というものには出会えず、買い物は諦めて都心に移動することにしました。
ところで、ウインドウ・ショッピングをしていてどうしても気になったのが、下着屋さんのディスプレイ。
この感じ、下着屋さんでは定番ですが、どうしてこんなに引っ張るのでしょうか。。
メトロに乗って、セントロへと向かいます。扉はレバーを回すかボタンを押して開けるタイプ。そういえば、つり革ってないですね。
車内アナウンスは、『次の駅』(男声)、『ソル』(女声)という感じで、至ってシンプル。
マヨール広場に到着。この近辺でお昼を食べることにします。
11月の広場はしっとりと落ち着いて、9月末とは全く雰囲気が異なります。そんな季節による違いを感じられるのも、滞在ならではのことですね。1年間もいれば、さらに面白いのでしょうが。
食事を終えたらぶらぶらと東の方へ歩き、プラドー美術館に出ました。
ムリリョ広場を介して、美術館と南に隣接しているのが『マドリード王立植物園』です。
この植物園の歴史は古く、調査研究を目的として1755年にフェルナンド4世が別の場所に開設し、1781年にカルロス3世が現在の場所に移したとのこと。5000種類もの世界中の植物が植えられているそうです。
整然と区画された庭園に様々な植物が植えられています。もっとワイルドな感じの東京の小石川植物園の方が私の好みではありますが、大きく育った樹木群の間を歩いていると、とても癒されます。
植物を見たら動物も、というわけで、次の休日はマリちゃん、ベスと一緒にカサ・デ・カンポの動物園を訪れます。
緑豊かな公園のような動物園です。ここは池になっていて鳥が水浴びしていますが、よく見ると中央の島状のところに鹿のような動物が休憩していました。
こちらは茶色クマ。フカフカの毛並みです。
今日は青空が広がって気持ちのいいお天気です。ちょうど紅葉の季節、黄色い木の葉が芝生に散らばっていました。
そして、ここにはラクダ。
こちらにはベンガルトラ、動物界の王者です。堂々たる姿の写真を撮ろうとしましたが、お腹を出して昼寝中。。
ここにもゴロリとお昼寝中の動物が。白と黒の体はジャイアントパンダです。
パンダはマドリード動物園でも人気ですが、全く混んでいないのでゆっくり見物。
マリちゃんに、ベスと私とパンダの記念写真を撮ってもらいました。
ゆったりと広くて緑の多い動物園は、公園のように散策するのも楽しい。
ときどき檻の外でも動物に出会ったりします。ペリカンが園内通路を散策していました。
他にも園内でポリポリ何か齧っているのは、マーモットかな。
そっと近づいて写真を撮っていると、
『見つけた~』と男の子が駆け寄ってきて、慌てて退散するマーモットでした。
気持ちの良い午後を動物園でのんびり過ごしたら、夕方はバルでビールとつまみ、そのあとはお決まりの映画館へ。
そうそう、11月はマドリードでジャズ・フェスティバルをやっていて、よくコンサートにも行きました。マイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコックなど、ビッグネームも!
こんな暮らしを2ヶ月も続けていると帰りたくなくなりますが、そろそろタイムリミット。11月21日、名残惜しくもマドリードをあとに帰国の途につきました。
マドリードの異なる文化の中での暮らし、そして語学学校で多様な価値観の人々に出会い、短い期間ながら一緒に過ごすことができたことは、私にとってとても貴重な体験となりました。また、語学学校のクラスメートは若者だけでなく、中高年の方々も少なくありませんでした。彼ら・彼女らが楽しそうに授業を受けていた光景を思い出すと、今は年長世代になった私も、またあんな体験をしたいという思いが湧いてきますね。
カルメンおばさんのレシピ 『ガルバンゾー(ひよこ豆)のシチュー』(Potaje de Garbanzos)
ホームステイ先のセニョーラ、カルメンおばさんは料理がとても上手。そこで帰国を前に、美味しくて簡単な料理の作り方を教わることにしました。いくつか教えてもらった中で、カスティリャ地方っぽくて私が特に気に入っている『ガルバンゾーのシチュー』を紹介しましょう。
1. 材料(2人分)
玉ねき:中1個、ハモン・セラーノ:端っこを数枚、じゃがいも:2個、ガルバンゾーの缶詰:半分、チョリソ:2~3本、いんげん:5〜6本
*ハモン・セラーノ:よく『生ハム』と訳されますが、日本でよく見る透明な生ハムとは違います。バルで天井から吊るされているでっかいアレです。ここは炒めて煮込んで味を出すために使うので、切れ端で構いません。
(と言っても、そもそも日本では手に入らない、あるいは高いというのがありますね。私も普段はベーコンとか適当なハムで代用しています)
*チョリソ:スペインのソーセージの一種。スペインのチョリソを使うと独特の味が出て『これぞカスティリャ料理!』となるので、ぜひ一度は試してほしいです。でも、やっぱり売っていない、高いというのはあるので、私も普段は適当なソーセージで代用したり、時には鶏肉を使ったりします。それはそれで美味しい。
2. 作り方
・鍋でみじん切りにした玉ねぎをオリーブオイルで炒め、しんなりしたら小さく切ったハモン・セラーノを入れて一緒に炒め、続いて皮をむいて食べやすく切ったじゃがいも、1センチくらいに切ったチョリソ、適当に切ったいんげんも炒める。
・しばらく炒めたら水を加え(カップ2~3杯)、ガルバンゾーを入れ、塩少々入れて中火で煮ます。
・じゃがいもが柔らかくなったら味見して、塩胡椒で味を整えたら出来上がり。