10月16日 エル・エスコリアル
マドリード滞在も3週間が過ぎました。そろそろミニ旅行など。というわけで今日は、カリナ、ベスと私の3人でマドリードからバスで1時間ほどのエル・エスコリアルに出かけました。
ここには、広大な宮殿にして修道院の『王立サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル修道院』があります。写真の右が入口。
16世紀後半に国王フェリーペ2世の命によって建てられたこの建物は、ほぼ正方形で左右対称の平面構成で、入口を入ると大きな中庭があり、正面にドリス式列柱の教会の入口があります。
外観やこの中庭は、あまり装飾のないルネサンス様式。スペインでルネサンスといえば銀細工のような『プラテレスコ』を思い浮かべますが、これは至ってシンプルなデザインです。国王や建築家はイタリア、ドイツ、オランダを見聞し、この建物で新たな時代のスペインを表現しようとしたのだとか。
建物の中に入ってみましょう。この50mもの長いヴォールト天井の部屋は『戦闘の間』(Sala de las Batallas)。
壁面にはスペインが勝利した戦いのフレスコ画が描かれています。
一方、天井はティーカップの模様みたいに優雅。
これは植物や動物など様々なものを組み合わせた『グルテスコ』というモチーフで、古代ローマの装飾を起源とし、ルネサンス期以降広まったそうです。
続いて『フェリーペ2世の宮殿』。
木の美しい扉があり、また壁の一部がアズレージョタイルだったりするものの、意外にシンプルです。
宮殿を進みます。
寝室は教会の祭壇に隣接して小窓が設けられており、痛風に苦しんでいたフェリーペ2世がベッドからミサに参加できるようにしたものだとか。
1階に戻り教会へ入ると、最も奥の30mもの高さのある主祭壇に目を奪われます。
最上段にはキリスト像、その下には宗教画、そして金を被せた聖人たちの銅像がきらびやか。
そして、この建物で最も重要なものの一つが修道院の図書館です。ここには15〜16世紀の4万冊以上の貴重な蔵書があるそうです。
天井のフレスコ画はイタリア人画家ペッレグリーノ・ティバルディによるもので、文法、論理、修辞、算術、幾何、音楽、天文の自由七科を題材としたものだそう。大理石の床や木の重厚な本棚も美しい。
修道院・王宮の見学を終えて、その修道院と同じ名前の『サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル』の町をちょっと散策してみました。
ここはかつては小さな集落でしたが、この王宮・修道院の建設に伴って発展したのだそうです。写真は裁判所の時計塔が見えるコンスティトゥシオン広場。
この町の広場側と修道院との間に、修道院を囲むような立派な建物群があります。これらの建物には小さな教会や役所のオフィスが入っています。
手前の鐘楼はその小さな教会、そしてその奥の丸い屋根は修道院の聖堂のドーム。
この町はアバントス山の麓にあり、細い通りは緩やかな斜面が続きます。
そもそもこの地が修道院・王宮の建設場所として選ばれたのは、森や石など建設材料があり、山からの水が豊かな土地だったからだそう。
真夏には観光客も多いのでしょうが、今の季節はとても静か。洗濯物のはためく通りをぶらぶら歩き。
小さな町では、多くの通りから修道院のドームが望めます。ミニ旅行もそろそろ終わり。マドリードへのバス停に向かいましょう。
ちょっとややこしいのですが、修道院のある『サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル』の町の隣に『エル・エスコリアル』という名前の町があり、ここに鉄道やバスの駅があります。
修道院からそのエル・エスコリアルの駅までは、広大な公園の中を通り抜けて行くことができます。長い緑の並木道を駅へ。マドリード近郊の旅を楽しんだ日曜日でした。
11月11~12日 セゴビア
秋も深まってきた11月。今日から1泊2日でマドリードの90kmほど北にあるセゴビアを訪れます。今回の同行者はマリちゃんとベス。
午後2時にマドリードを出発したバスは、3時40分にセゴビアに到着。セゴビアの有名な水道橋を抜けて、町の中心のマヨール広場に到着しました。まずは広場の西にあるカテドラルへ。
大聖堂の中へ入ります。セゴビア大聖堂は『聖マリア・聖フルート寺院』といいます。1525年から建設が始まった後期ゴシックスタイルの建造物で、建設には50年もかかったそうです。
写真は回廊の中庭です。この回廊は、1521年に戦争で破壊された旧大聖堂から移設されたものだそうで、15世紀後半に建設されました。
回廊から中庭への出口に立つマリちゃんとベス。
細い柱の上に唐草のような模様が並ぶアーチ。このスタイルは『火炎式ゴシック』と呼ぶらしい。言われてみれば、模様は炎のようにも見えますね。
大聖堂の塔は、街で最も高い建造物。高さ約90mの鐘楼です。
頭頂の屋根部分は元はゴシック様式の木造だったそうですが火災で焼失し、現在見られるのは1614年につくられたものだそう。
今日はもう夕方なので本格的な観光は明日にして、とりあえず街の北西端のアルカサルあたりまでぶらぶらと散歩してみることにしました。
セゴビアは古代から人が住んでいたそうですが、11世紀に大聖堂が置かれてキリスト教徒が植民し、12世紀頃から羊毛や毛織物の取引で発展したそうです。街の中にはロマネスクの教会がいくつも建てられました。
そんな中世の趣そのままの細い路地。石畳の道をあてもなく歩いていきます。
通りを抜け出ると見晴台があり、北を見ると、まるで絵画のように美しい景色が広がっていました。
下には緑に囲まれたエレスマ川が東西に流れ、塔のあるベラクルス教会の横を北へ向かう道は荒野を横切り、カーブを描きながら次の街のサマラマラへと続いています。
ここからさらに西に進むと『これぞ中世ヨーロッパのお城』という姿のアルカサルがありますが、その観光は明日の楽しみにして、ホテルへ戻ります。
私たちが泊まることに決めたホテルは、マヨール広場の写真の建物の真ん中あたりにあります。ちょっと床が傾いている気がしないでもありませんでしたが、歴史を感じる雰囲気のいい宿でした。
その夜、夕食はローマ水道橋の足元にある有名店『メソン・デ・カンディド』へ。名物料理『コチニージョ・アサード』(子豚の丸焼き)は3人では食べきれず、お腹いっぱい!
さて翌朝。目覚めて窓から顔を出してみれば、バルコニーからすぐ右手にはゴシック尖塔に囲まれたカテドラルのアプスが見えます。
マヨール広場にあるホテルは、さすがのロケーション。
広場を隔てて向かい側に見える塔はサン・ミゲル教会。
この教会、以前は現在のマヨール広場内の位置にあったそうですが、広場の拡張のため1532年に取り壊され、現在地に建て替えられたそう。入口の門は、かつてのロマネスク様式のものを利用しています。
朝食を終えたら、本日のまち歩きを始めましょう。マヨール広場に下りて、カテドラルの横の道を出発。
カテドラルの先には、木々に覆われたメルセド広場があり、その広場に面してサン・アンドレス教会があります。
教会は、2つの丸いアプスなどが当初のロマネスク様式をよく留めています。
ところで、通りを形づくる建物の壁には、模様が描かれているものがいくつもありました。これは円を組み合わせたような凝った模様です。
まちなかの建物の壁にこんな凝った模様が描かれているのは、他ではあまり見かけません。どんな歴史があるのかな。
横の路地を覗きながら、ダオイス通りを西へと進んでいきます。
ダイオス通りの西端に到着したら、緑の公園へと入ります。
そして、公園の先に『アルカサル』の姿が現れました。
『アルカサル』は要塞、城といった意味です。ここにはもともと古代ケルト人の城があり、その城跡を利用して12世紀初頭に城が建てられ、王宮とされました。
手前の四角い大きな塔は、15世紀半ばに建てられた『ホアン2世の塔』。上部は牢屋として使われたのだそう。
この塔の足元からアルカサルの中へ入ります。
アルカサルは13~16世紀頃にかけて何度も改修・拡張され、カスティリャの王たちがよく訪れる住まいというだけでなく、王たちの就任式や結婚式などの式典も行われた重要な王宮だったそうです。
写真は『ガレラの間』の大きな窓。窓からは周辺の平原の景色がよく見えます。そして、この部屋の壁にはカスティリャの女王イサベルの戴冠式の様子が描かれています。
そして、玉座のサロンの八角形の天井は緻密な浮き彫りが金色に輝くムデハール様式で、豪華の一言。アルハンブラ宮殿を思わせます。
ステンドグラスに描かれているのは王家の紋章でしょうか。
部屋の外のバルコニーに出てみます。サリーナとベスがポーズ。
ここはお城の最も西にあたる『井戸のパティオ』。先端のとんがり帽子の丸い塔が、いかにも中世のお城っぽくていいですね。
このバルコニーからも、美しい景色を眺めることができます。(TOP写真も)
写真は北東方面を見たところ。中央奥の建物はサンタ・マリア・デル・パラル修道院、15世紀の建物です。紅葉する木々が美しい。
再び建物の内部を通り、出てきたのは『時計のパティオ』。その名前は西の壁の上部にある日時計に由来します。
最後に、入口の上の『ホアン2世の塔』に上ります。この塔は15世紀に建てられたものですが、下の方にそれ以前の塔のアラブ風の窓が残っています。
156段のらせん階段をぐるぐる上り、80mの塔の上へ。北西をみれば、城のパティオや円柱形の塔の向こうに荒野が広がっています。
そして南東を振り返ると、セゴビア旧市街の姿を一望に見ることができます。
緑の森の上の高台に建物が連なり、その中央に聳えるゴシックのカテドラル。あちこちに教会の塔も立ち、とても印象的な美しい景色でした。
アルカサルをあとに、今度は丘を下り、先ほど眺めたエレスマ川や教会を訪ねてみましょう。
城壁に沿って、中世にタイムスリップしたような石畳の道を下っていきます。
エレスマ川を渡る橋にさしかかりました。
素朴ないい感じの家が並び、その背後の丘の向こうに教会の塔が顔を覗かせています。
川を渡ったところの通り沿いの家。この感じ、いいですね。大好きです。
そして左手側を見上げれば、岩山の上に聳えるアルカサル。
あの場所を要塞やお城にしたいという気持ちはよくわかりますね。
ベラ・クルス教会に到着。13世紀のロマネスク様式の教会で、12角形の本堂に、塔と3つの半円形のアプスで構成されています。12角形は珍しい形ですが、ローマ時代の初期キリスト教の洗礼堂ではよく用いられたのだとか。
この教会は1216年にローマ教皇よりキリストが磔になった十字架の一部を授けられたそうですが、その聖遺物はサマラマラにある新たな教区教会に1692年に移され、現在もそこにあるそうです。
ベラ・クルス教会の西500mほどのところには、サンタ・マリア・デル・パラル修道院があります。エレスマ川のほとりにあるこの修道院は15世紀後半に建てられました。
その教会の最も奥にある木造の主祭壇は16世紀前半につくられたもので、最上部に十字架のキリスト、中央にマリアの像、そして周囲に最後の晩餐などのシーンが彫られています。
修道院の見学を終えたら、再び坂道を上ってセゴビア旧市街へと戻ってきました。
そこでまず訪れたのは、サン・エステバン教会。12世紀に建てられたロマネスク教会です。
教会の塔は高さ56mとロマネスク時代のものにしては非常に高く、アルカサルのホアン2世の塔からもよく見えました。イベリア半島で最も高いロマネスクの鐘楼なのだそうです。
*その後屋根が付け替えられて高さ50mとなり、バリャドリードのサンタ・マリア・ラ・アンティグア教会の塔と同じ高さになったそうです。2つの塔は『カスティリャのロマネスク塔の女王たち』と呼ばれているとか。(2021.1)
教会の広場に面した正面には、細い列柱のポルティコが設けられています。2本ずつ組み合わされた形の柱の柱頭には、ロマネスクの時代によく見られる人や動物のような彫刻が施されています。教会の内部は火災によって16世紀に再建されたそうで、バロック様式となっています。
サン・エステバン教会を見終わったら、もう午後2時。お腹もすいたので、マヨール広場のレストランで昼食にしました。スープ、サラダ、スペインオムレツとごく普通のメニューですが、とても美味しくいただきました。
昼食後、次はサン・マルティン教会にやってきました。この教会も12世紀初頭の建築で、石の柱にレンガを積んだ鐘楼はロマネスク・ムデハール様式。
教会の三方を2本組の柱に支えられたロマネスク様式のポルティコが取り巻き、また入口のアーキボルトは旧約聖書の人物像の柱に支えられ、スペインのロマネスク教会では最も大きな入口の一つだそうです。
サン・マルティン教会から南へ進み、旧市街の城壁を出て坂を下りていきます。振り返ると、左手にカテドラルの塔、右手にサン・マルティン教会の塔。
雲の間から少し太陽が出てきました。
そして、最後に訪れたのはサン・ミリャン教会。セゴビアにあるロマネスク教会の中でも、最も古いものの一つとされています。
その塔はロマネスク以前のムデハール様式で、11世紀の建築。それ以外の部分は1111~1126年に再建されたロマネスク様式です。
これまで見てきたロマネスク教会と同様、サン・ミリャン教会にもポルティコがあり、北面と南面に設えられています。
南北共に入口以外に10のアーチが並んでいます。柱頭の彫刻はかなり劣化しているものの、植物や寓話の動物などのほか、キリスト誕生のシーンなどが彫られているそうです。
セゴビアは水道橋やアルカサル、カテドラルという大きな見所があり、また美しいロマネスク教会の宝庫でした。
まだ訪ねていない教会もありますが、かなり歩いて疲れたので今日はここまで。教会のポルティコで一休みしたら、4時15分のバスでマドリードへと帰りました。
ところで、あとで見返してみたらセゴビアの水道橋の写真が1枚もない! 何という手落ちでしょうか。未見のロマネスク教会を含めて、また行かなくては~!