エストレマドゥーラ州の都市カセレスは、マドリードとリスボンを結ぶほぼ中間点にあります。古い城壁に囲まれた旧市街は中世からの街並みをほぼそのまま残し、世界遺産にも登録されています。エストレマドゥーラの観光のハイライトと言えるでしょう。
バスでカセレスに到着した私たち。旧市街に足を踏み入れたとたん、一刻も早く歩き回りたくなってしまいます。というわけで、早速散策に繰り出すと、路地の間に現れたのはサン・マテオ教会の鐘楼です。16世紀から建設が始まったゴシック様式の教会で、最終的な完成は1780年とのこと。
教会の先の路地に入ります。
サン・マテオ教会の細い路地を介した向かい側には、サアベドラ家の『サンデの塔』(Torre de Sande)。街の中にはいくつもの塔があります。
そして、サン・フランシスコ・ハビエル教会の横の路地を進みます。細い路地の先に突然教会があったり小さな広場があったりして、とにかく楽しい。
どうしてこんな街ができたのでしょうか。歴史を紐解いてみましょう。そもそも、カセレスには先史時代から人が住み、古代ローマ時代の植民地の歴史もあるそうです。
その後しばらく記録に登場しませんが、数世紀の経過後、この地はイスラム教徒による対キリスト教徒の軍事拠点となり、12世紀には城壁を巡らせ要塞となったそうです。しかし、レコンキスタにより13世紀にキリスト教徒が奪回しました。
奪回したカセレスには、主にスペイン北部からの移民を入植させたそうですが、権力者同士の争いが絶えず、塔を持つ要塞のような邸宅が建てられていったそうです。
15世紀末、事態の解決に乗り出したカトリック女王イサベルが王家直轄地とし、塔を壊す命令も出したとか。15世紀後半以降は新大陸からの富が流入し、教会や宮殿が建てられていったそうです。
すなわち、ムスリムによって街の基盤がつくられ、そこにスペインの入植者たちが邸宅をつくり、新大陸からの富が豊かな街並みをつくりあげていったということです。
入口アーチの上に紋章が掲げられている邸宅も多くみられます。それぞれの家の権力を誇っているようです。
サン・ホルヘ広場に出ると、正面にはゴルフィネス・デ・アバホの邸宅(Palacio de los Golfines de Abajo)の塔が建っています。
そして、その奥に見える塔はサンタ・マリア教会の塔。
サン・ホルヘ広場の南側には、サン・フランシスコ・ハビエル教会があります。1698年に建設が始まり、1755年に完成したこのイエズス会の教会はバロック様式。
広場から階段を上った高いところに建ち、両側に2つの塔を持つ堂々とした姿を見せています。
どの路地を歩いても楽しそうですが、とりあえず広場の北側を通る細い路地を東へ進んでみます。
路地の奥には旧市街地の外の丘が見えています。
石の壁に導かれるように路地を進んでいきます。
カルバハル邸(Palacio de Carvajal)にやってきました。ちょっと中を覗いてみましょう。
緑豊かな中庭があります。
そして、こぢんまりしたパティオからは丸い塔が見えます。
この館は15世紀の終わりに建てられましたが、丸い塔はアラブ風で、建設はレコンキスタの時代(1200年前後)まで遡るのではないかと考えられているそうです。
さて、カルバハル邸の西の通りの正面に見えてきたのはアルコ・デ・エストレーリャ。
15世紀につくられたこのアーチは、この先のマヨール広場から荷車等の通過を許可する関所のようなところだったそうです。
現在のものは、カルバハル邸への通行を便利にするため1726年につくり変えられたものだそう。
アルコ・デ・エストレーリャの旧市街側にはエストレーリャ(星)のマリア像が置かれ、それがこの門の名前の由来だそうです。そして、マリア様の足元にはカセレスの紋章を見ることができます。
エストレーリャのアーチに続く城壁は、南側へとまっすぐ延びています。
写真の小さいアーチはエストレーリャのアーチではありません。このアーチは、右の城壁から左の建物への通路になっているようです。
この写真の右がエストレーリャのアーチ。アーチをくぐって城壁の外に出てみたところです。
奥に見える塔はトレド=モクテスマ邸。この邸宅は15世紀に建てられ、16世紀の終わりに改修されたものだそうです。ちなみに『モクテスマ』という名前ですが、アステカの皇帝モクテスマ2世の子孫の系譜だとのこと。
再び城壁の中に入り、壁に沿って南下しつつ後ろを振り返ると、壁にくっついて左にぎざぎざ頭のオルノの塔(Torre del Horno)が見えました。これは、ムスリムの時代の12世紀の建築とのこと。
城壁沿いの南への道が突き当たって東へ曲がります。
その通りの途中にあるのが、1486年築のオスピタル・デ・ロス・カバジェーロス。聖職者や学生の救護所・宿泊所だったそうです。
通りの先のペレソス広場から細い路地を左へ、北へ向かうと、路地の壁の間から教会の小さな鐘楼が姿を見せました。サン・マテオ教会の小さい方の鐘楼です。
街歩きの最初の地点に戻ってきました。
サン・マテオ広場から今日の宿、パラドール・デ・カセレスのある通りへ。振り返ると、先ほど通ったサンデの塔が後ろに見えています。
カセレスのパラドールは、16世紀に建てられた邸宅を改修したもの。旧市街の中心で、本物の邸宅に泊まれるとはまさに感動ものです。詳しくはまた後ほど。
今度は旧市街の西側から出発。
これはアベールの塔(Torre Del Aver)。街の防御用で、12世紀のものだそうです。いかにも城壁の塔というシンプルで力強い感じです。
カセレスの旧市街は全体が赤茶色の石づくりです。そんな中で、街角の緑には癒されますね。
ときどき、各家の庭から溢れてくる緑も目を楽しませてくれます。
小さなペレロス広場に着きました。
北の路地を見ると、奥にサン・マテオ教会の小さな鐘楼が見えます。
広場から東へ少し進むと、左手に緩やかな階段があります。
その階段を上ったところにカセレス博物館がありました。15世紀に建設が始まり1600年に完成したベレタス宮殿(Palacio de las Veletas)を博物館としたもので、この小高い敷地には、かつてはムスリムのアルカサール(城塞・宮殿)があったと言われています。
ファサード中央に入口があり、その上の窓の両側にはバロック調の大きな紋章が掲げられています。この建物を所有していたトーレス家とウリョア家の紋章だそうです。
この博物館の最大の見所は、地下にある貯水槽。ムスリムの時代のもので、水槽に林立する馬蹄形アーチが不思議な光景をつくりだしています。
博物館を出発。途中で赤い瓦屋根の上に十字架と風見を見かけて、一枚パチリ。
東の城壁に沿って旧市街を北上し、左へ折れてアマルグーラ通りに入ります。
すると、正面に丸い塔がありました。カラバハル邸の塔です。おっと、街歩きの最初の頃に通りましたね。路地が迷路のようです。
そこで、道を変更して手前のグロリア通りを北上。
これまたかなり細い路地です。洗濯物が道の上に渡してあり、ちょっと親しみの持てる庶民的な雰囲気。
そして、カラバハル邸の街区をぐるっと反時計回りに回り、北側のティエンダス通りからサンタ・マリア教会へ。
サンタ・マリア広場に出てきました。教会は広場の東にあります。
このサンタ・マリア教会はカセレスで最も重要なキリスト教寺院で、15〜16世紀にかけて、13世紀の建物の上に建てられたゴシック様式の教会です。西のエバンヘリオの門から中へ入ってみます。
内部はゴシックの高いヴォールト天井に覆われた3つの身廊からなり、薔薇窓から光が差し込んで荘厳な雰囲気です。
このサン・ミゲルの祭壇は1551年につくられたもので、祭壇の上にカセレスの貴族の紋章が掲げられ、鉄格子の向こうにバロックの飾り台があります。
写真はありませんが、この教会の主祭壇の木造の飾り台は、プラテレスコ様式の特に豪華なもの。
教会の四角い鐘楼は16世紀のルネサンス様式で、頭の四隅に灯火台と彫像が設けられています。
しかし、灯火台の上にあるはずの彫像はどれも隠れて見えません。
4つの灯火台は、どれもコウノトリの巣に使われていたのでした。格好の営巣場所になっていますね。
ここだけでなく、たくさんの塔の上でコウノトリなどの野鳥が巣をつくっています。野鳥は保護されており、カセレスでは毎年野鳥フェスティバルが開かれるのだそうです。
パラドールに戻ってきました。16世紀に建てられた邸宅を使ったホテルは、とても落ち着いた雰囲気。
ポルティコのある小さなパティオを通り抜けます。
サロンには貴族の館を思わせる調度品などがあって、中世の気分に浸れます。
部屋の窓からカセレスの景色を眺めてみました。東の丘が夕陽に染まっています。
こちらはパラドールの前を通るアンチャ通りです。
向かいのお屋敷(Casa de los Paredes Saavedra)はゴシック風の窓。奥の塔は左がサンデの塔、右がサン・マテオ教会の鐘楼。
そして、窓から上を見上げれば、壁の紋章、その上の窓から木の枝が出ています。
私たちの部屋は、邸宅の塔の2階だったのです。
夜が訪れました。街灯を頼りに静かな街をそぞろ歩くと、ライトアップされた教会や邸宅の塔が幻想的に浮かび上がってきます。
うっすらと青く照らされたサン・マテオ教会の鐘楼。
そして、青白い光の中のサン・フランシスコ・ハビエル教会。
ゴルフィネス・デ・アバホ邸の塔の後ろにはサンタ・マリア教会。
塔の足元にはポツンと街灯がともっています。
ゴルフィネス広場からみたゴルフィネス・デ・アバホ邸の2つの塔。それぞれデザインは全く異なり、右の高い塔のてっぺんは屋根付きの見晴らし台、左の塔は繊細な装飾で覆われています。
それにしてもカセレスの旧市街、本当によくここまで中世の街並みが残ったものです。美しい邸宅や教会などがたくさん詰まった宝石箱のような街でした。
さて、これで1991年夏のスペイン・ポルトガルの旅は終わりです。スペインは前半のカスティーリャ・イ・レオン、後半のエストレマドゥーラと、どちらも観光的にはやや馴染み薄い地域ですが、それぞれに美しく個性的な街が粒ぞろいでした。有名な観光地からちょっと足を伸ばして、ぶらりと散策することをぜひお勧めします。それから、ポルトガルも穏やかで魅力的なところでしたが、何せ駆け足の訪問だったので、次の機会にはゆっくりと過ごしてみたいと思いました。