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カサブランカ~マラケシュ

モロッコ 1

開催日 1991.07.22(月)-07.23(火)

ジャマ・エル・フナ広場
ジャマ・エル・フナ広場

旅の紹介

◆  アフリカ大陸の北、イスラムの国モロッコ。旅の始まりはカサブランカ、ここにも歴史を感じるメディナがあります。列車で赤茶けた大地をひた走り、古都マラケシュに到着したら、まずはジャマ・エル・フナ広場で喧騒に包まれます。

地図/カサブランカ:Googleマップ

地図/マラケシュ:Googleマップ

カサブランカ着、そしてマラケシュへ

白いミナレット白いミナレット

リスボン発の飛行機で、モロッコのカサブランカに到着。モロッコは、リスボンで合流した友人のハルさん、ショコさんとサリーナの女子3人旅です。

3人ともモロッコは初めて、というより初のアフリカ大陸上陸です。そしてアラブ文化圏もほとんど経験がありません。どんな旅になるのか、ワクワク。

早速、建物に馬蹄形アーチ、そして白く高いミナレットを見つけて異国情緒を感じます。

メディナの主要な入口メディナの主要な入口

カサブランカの街に到着し、まちなかを少しだけ歩いてみました。最初に訪ねるのは、もちろん旧市街(メディナ)。

モロッコの多くの都市には城壁に囲まれたメディナがあります。メディナは、7世紀にアラブ人が北アフリカに進出した際につくった古い街だそうで、迷路のような路地が入り組んでいます。

写真の大きな門と馬蹄形アーチは、カサブランカのメディナの主要入口。アーチの上には繊細な浮き彫りの模様が施されています。

アーチをくぐるアーチをくぐる

そしてアーチをくぐると、ちょうど正面には緑の文様のミナレット、そして広場の周囲にはお店のブースが並んでいます。この城壁の外には大きな道路が通りビル群が建ち並んでいるのですが、城壁内に一歩入ると全く様相が変わります。

カサブランカの歴史を見ると、記録では11世紀にはここにアンファという名前の町があったそうですが、1770年にスルタンのシディ・モハメッド・イブン・アブドゥラーによって再建され、19世紀に入ると毛織物工業の発展によって繁栄し、フランスの援助により近代的な港がつくられたそうです。

シートに商品を並べるシートに商品を並べる

その後、1907年にフランスの占領地とされ、第二次大戦中はその港や空港が戦略的に活用され、欧米諸国の首脳による『カサブランカ会議』も開催されたそうです。

1956年、フランスはモロッコの独立を承認し、カサブランカはモロッコの経済と商業の中心的な都市として発展してきました。

そんなカサブランカの街並みはビル群が並びヨーロッパの都市のようですが、城壁内のメディナの中は古くからの歴史をずっと繋いでいます。広場では、ちょうどお店を始めたところなのでしょう。地面に敷いたシートの上に並ぶ商品は靴下のようです。

路地に入る路地に入る

両側に並ぶお店の日除けに覆われた路地を入っていきます。光と影のコントラストが強烈です。


商店が並ぶ商店が並ぶ

ずらりと並ぶ店の周りを人々が行き交い、交渉し、おしゃべりに夢中になっています。

メディナの端メディナの端

メディナの端に出てきました。

日暮れが近づいてきたので、メディナの散策はここまでにしてホテルへ向かいます。

マルシェ・セントラルマルシェ・セントラル

ホテルへの途中、モハメッド5世通りを歩いていると、1つの街区全体に広がる大きな建物がありました。

『マルシェ・セントラル』、つまり中央市場です。

市場の入口市場の入口

この市場は、フランス植民地時代の1912年にコロニアル建築が並ぶエリアの中心地に建てられ、この近辺で当時の雰囲気を最もよく残しているところだといいます。

市場の入口は、やはり馬蹄形のアーチの門です。もう夕方なので、残念ながら中には入りませんでしたが、歴史ある市場の散策は面白そうです。

カサ・ヴォヤジャー駅のホームカサ・ヴォヤジャー駅のホーム

翌朝、私たちは列車でマラケシュへ移動します。

カサ・ヴォヤジャー駅のホームに入ると、たくさんの乗客が列車の到着を待っています。

家族連れ家族連れ

子どもを連れた家族も多く、夏休みの帰省といったところなのでしょうか。

あ、ビジネスマンもいますね。出張かな。

列車を待つ夫婦列車を待つ夫婦

たくさんの荷物を持って列車を待つ夫婦です。

よく見ると、女性の両手には赤茶色の複雑な模様が描かれています。

ヘンナの刺青ヘンナの刺青

『手の模様がステキですね』と見ていると、写真を撮らせてくれました。

これは、ヘンナ(Henna)という植物の染料を使って描いた "刺青" です。女性たちはお祭りや結婚式などの際のオシャレとして、ヘンナの刺青を行うのだそうです。手を洗ったりしているうちに1週間くらいで消えるのだとか。

車窓から見た農家車窓から見た農家

そうこうしているうちに列車がやってきて、マラケシュへ向けて出発。マラケシュまでは約3時間。

駅を出て街を過ぎ南下していくと、次第に景色が荒涼としてきます。そんな中で農家を見つけたり小さな村があったりすると、つい夢中で写真を撮っている私たちです。

同室になった親子同室になった親子

そんな私たちを見て、同じコンパートメントの2人の男の子連れの男性が、『いい景色が見えるよ』などと身振りで示してくれます。

優しそうな男性とかわいい男の子たち。話をしたいのですが、こちらはアラビア語もフランス語もダメ。お父さんは英語はダメ。3人でジェスチャーを交えてもうまく通じず、諦めた後でサリーナが何げにスペイン語を呟くと、『な~んだ、スペイン語ができるの』とスペイン語でお父さん。大笑いしたあとは、いろいろと情報を教えてもらいました。

スペイン語を勉強していてよかった、と思うサリーナでした。本当は、モロッコではフランス語の方が断然いいのですけどね。

井戸に集まる井戸に集まる

列車は赤い大地を進み続けます。

丘の上には小さな村が見えます。手前の井戸に集まって水を汲みあげる人たちがいました。

荒野の植林地荒野の植林地

赤茶色の荒野に緑の木々が植えられています。こんな緑を育てるのは大変なことでしょう。

ウムエルビア川ウムエルビア川

すると、豊かな水を湛える川とその岸辺の緑が目に飛び込んできました。荒涼とした景色が続いていた中、ほっと一息です。

カサブランカ=セッタ地方とマラケシュ=サフィ地方の境界を流れるウムエルビア川でしょう。

赤茶色の集落赤茶色の集落

そこから先は、さらに乾燥した赤茶色の大地の景色が続いています。

そして、赤茶色の集落は周囲に溶け込んでいます。周りにある土を固めた日干しレンガでつくっているのでしょう。

塀に囲まれた集落塀に囲まれた集落

そんな村がまた現れました。今度はぐるりと塀が囲み、塀の上には装飾のようなものがいくつも乗っています。

荒野に現れた門荒野に現れた門

突然、荒野に現れた馬蹄形アーチの立派な門。

小さなモスク小さなモスク

白く四角い建物が3棟。これらはモスクでしょうね。

サボテンの向こうに集落サボテンの向こうに集落

再び赤茶色の土の集落。前にはサボテンがたくさん生い茂っています。

こんな風景を飽きることなく眺めていると、いつの間にかマラケシュが近づいてきました。

マラケシュ着、ジャマ・エル・フナ広場へ

マラケシュ駅マラケシュ駅

カサブランカから南に約240km、マラケシュ駅に着きました。ここは終着駅。

駅は旧市街の東側にあり、まずは旧市街の端にあるホテルに向かいます。

ホテルに到着ホテルに到着

12世紀に築かれたという城壁内に入り、ヤシの木に導かれてホテルに到着してみてビックリ。このホテル・ラ・マムーニアは、入口からしてものすごくゴージャスです。

入口とドアマン入口とドアマン

エレガントなドアマンに導かれてレセプションへ。

モロッコの旅のホテルはすべて日本で予約済みで、いつもの旅とちょっと勝手が違いますが、たまにはいいでしょう。

ホテルの部屋ホテルの部屋

ラ・マムーニアは1923年から続くホテルで、世界中から多くの旅人を迎えてきたそうです。著名人としては、ウィンストン・チャーチル、フランクリン・ルーズベルト、その他、セレブが大勢。

部屋に着いて、バルコニーに出てみました。

ホテルの庭園とメディナホテルの庭園とメディナ

すぐ下には緑の庭園、そしてその先には旧市街メディナの密集した家並みが見えています。この閑静なホテルがメディナの中にあるとは信じられません。

ホテルの広い庭園は、18世紀にスルタンのシディ・モハメッド・イブン・アブドゥラーが息子の結婚祝いとして与えたものだそうです。今でも当時のオリーブの木が実をつけているのだそう。

パティオパティオ

では、ホテル内を探検。

繊細な模様を描いたアーチに囲まれ、中央に水盤のあるアルハンブラ宮殿のような美しいパティオがあります。こうしたデザインはアラブ・アンダルシア建築と言うそうです。

青いプール青いプール

そして、暑い日差しが照りつける中に涼しげな青いプールがあります。これは気持ちよさそう。

プールにはあとでゆっくり浸かることにして、まずはメディナ歩きを開始しましょう。

馬車とミナレット馬車とミナレット

さすがは豪華ホテル、入口の前にはムードある馬車が何台も停まっていますが。私たちは、徒歩でホテルのすぐ前に見えた高いミナレットを目指します。

アトラス山脈麓の丘陵地にあるマラケシュは、1062年にムラービト朝のユースフ・ブン・ターシュフィンによって創設されました。マラケシュという名前は、ベルベル語で『神の国』を意味するそうです。

クトゥビア・モスククトゥビア・モスク

マラケシュは、キャラバン隊のサハラ砂漠越えルート上にあり、ムラービト朝はここを拠点として勢力を拡大し、モロッコ全土を制しイベリア半島まで進出しました。

城壁に囲まれた首都として発展したマラケシュですが、ムラービト朝は1147年にアトラス山脈に起源を持つライバル民族に倒され、街はほぼ破壊され、ムワッヒド朝により街が再建されたのだそうです。

公園を抜けるとクトゥビア・モスクに到着。高い塔はそのミナレット。

クトゥビアのミナレットクトゥビアのミナレット

クトゥビア・モスクはムワッヒド朝のカリフ、アブー・ユスフ・ヤーコブ・アル・マンスールによって建設され、1190年代に完成。ミナレットはムワッヒド朝の様式で、砂岩の石造だそうです。この高い塔が12世紀の建築とは驚きです。

その高さは、塔の上に乗る8mの尖塔を含めると77mにもなります。マラケシュのシンボルとして、この周囲では高層建築が禁じられており、この塔は29km離れたところからも見えるとか。

道路を渡る道路を渡る

ムワッヒド朝の時代には、マラケシュはイスラム文化の中心地として栄え、アラブ世界中から著名な文化人たちが集まったそうです。それは1276年、ベニメリン王朝に倒されるまで続きました。

私たちは次に、原付、自転車、馬車、自動車が行き交う道路を渡り、名高いジャマ・エル・フナ広場に向かいます。

ジャマ・エル・フナ広場に到着ジャマ・エル・フナ広場に到着

ジャマ・エル・フナ広場に着きました。この広場はメディナの心臓部であり、あらゆる方角から細い路地がここに集まってきています。

広場の横にはショッピングモールのような赤い建物があり、その前方には黄色いテントを被った露店が並び、どちらもお店にわんさかと商品が積まれています。

帽子屋さん帽子屋さん

こちらでは男性用の帽子をつくりながら売っています。いろんな模様がありますね。

屋台の食堂が並ぶ屋台の食堂が並ぶ

さらっと歩いたあと、ジャマ・エル・フナ広場の全体像を眺めてみることにしました。広場の南に面してカフェがあり、その2階のテラスから広場がよく見えるのです。

赤い2階建てのショッピングモールの前では、大きなテーブルと椅子を並べた屋台の食堂がたくさん店を開いています。肉が焼ける匂い、そして煙が立ち込めています。

建物のカフェ建物のカフェ

赤いショッピングモールの方は、1階に商品を山積みした商店が見えますが、端にはカフェがあり、その2階もテラス席になっています。

広場に並ぶ露店広場に並ぶ露店

そんな露店の店は、右手の方の細長い広場の奥まで続いています。黄色や青の日除けのテントがずらりと並ぶ。(TOP写真も)

そして、さらにその周りを囲んでいるたくさんの赤い屋台があります。

生オレンジジュース屋さん生オレンジジュース屋さん

赤い屋台にはオレンジが山と積まれています。生オレンジジュース屋さんです。

それにしてもこの屋台、多いですね。ここでは『飲み物』といえばオレンジジュースなんでしょうか。

ナッツ屋さんナッツ屋さん

オレンジジュース以外の屋台を発見。ナッツ類のようです。ナッツをつまみながら広場をぶらぶらするのでしょうか。

大道芸の人垣大道芸の人垣

そして、屋台群の南側の広場中央部に目をやると、いくつか人垣ができていました。大道芸に集まっているのです。

その中で最も人を集めていたのがこれ。前の方に子どもたちが座り、その後ろを二重三重に大人たちが取り囲んでいます。人が多すぎて何をやっているのかよく見えませんが、ものすごく盛り上がっています。

曲芸の始まり曲芸の始まり

こちらはまだ始まったばかりか、あまり人が集まっていません。

衣装を着た子どもたちが曲芸を始めているようです。

広場を眺めるカフェ広場を眺めるカフェ

そんな騒然とした広場を高みから眺める観光客。私たちもそこに混じって、お茶しながらくつろいで広場を眺めます。

広場の奥にはモスクのミナレット。

カフェの近くのモスクカフェの近くのモスク

このカフェテラスのすぐ近くにも、広場に面してモスクとミナレットがあります。ざっと見渡しただけでも、広場には3つのミナレットが見えました。

馬車でホテルへ馬車でホテルへ

広場をしばらく眺めたら、今日はマラケシュのイントロということで、そろそろホテルへ戻りましょう。

せっかくなので、馬車でお姫様気分を味わいつつ帰ることにしました。明日は、さらにマラケシュのメディナの奥へ、スークや王宮の周りをじっくり巡ります。

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