マラケシュ
ホテルの朝はとても静かです。朝食のレストランへと向かう途中、プールの脇を通ります。
青い水面が、緑の屋根の建物をきれいに映し出しています。
朝食を食べ終えたら、早速3人で外へ。まずは昨日も行ったジャマ・エル・フナ広場へ出かけます。
広場が活気づくのは夕方近くからです。まだあまり屋台などは出ていませんが、そんな広場に何と『ヘビ使い』がいました。笛やタンバリンの音と共に鎌首をもたげています。うぎゃー。。怖くてあまり近づけないサリーナ。
路上で1枚の絨毯を売っている男性。袋に入れた果物を前にして座っている女性。楽しげに歩く若い女性たち。
まだ本格的な商売の始まっていない広場では、のんびりとした時間が流れています。
たくさんの種類の豆を積んだ店があったので覗いてみました。
炒ったソラマメなどつまみで食べるようなものもあれば、煮込み料理に使う緑の豆などもあります。モロッコ料理は豆のスープや煮込みなど、豆料理がとてもおいしいですね。
そして、ジャマ・エル・フナ広場から路地の奥のスークに入ります。細い路地の両側の建物の屋根から、日除けが渡してあります。(TOP写真も)
『スーク』とは市場のことですが、各路地に密集して同種の商品を売る店がたくさん集まっています。ここでは、絨毯や衣類が集まっていますね。
路地は、時にこんな馬蹄形アーチの門を抜けていきます。
民族衣装ジュラバの人たちが行き交う路地に、私たちも分け入っていきましょう。
店の壁にも屋根にも、これでもか、とばかり絨毯が広げてあります。絨毯が日焼けしてしまわないかなあ。
そんな路地を抜けてたどり着いたのは、ベン・ユーセフ・マドラサです。『マドラサ』とはイスラムの神学校のことだそうで、隣にあるベン・ユーセフ・モスクに付属しています。
このマドラサの創設は14世紀ですが、ベニメリン王朝からマラケシュを奪ったサアード朝のスルタン、アブダラー・アル・ガリブによって16世紀に再建されました。
ここでは、最盛期には800人以上もの神学生が学んでいたといいます。
マドラサは、木造に漆喰壁、そして美しいタイルで構成されています。建物の中央には大きなパティオがあります。その壁に施された繊細な装飾には目をみはるばかり。これぞアラブ・アンダルシア建築。
植物の文様と文字でしょうか。下はタイル、そしてその上は漆喰の浮き彫りです。そんな装飾がパティオの壁をぐるりと覆っています。
壁面を飾る小さなアーチはプチ鍾乳洞のような天蓋、そして壁には繊細なレースのような模様。
アーチに囲まれたパティオの中央には、沐浴のためのプールがあります。学生たちは、お祈りの前にここで身を清めたのだそうです。
建物の中へ入ってみましょう。
薄暗い建物内部ですが、天井近くに並ぶ窓から漏れ入る光で、その壁にも繊細な装飾が一面に施してあることがわかります。
そして、こちらの壁にはかなり立体的な漆喰の装飾。イチゴ、じゃないかな? 何かの実のように見えますね。
2階に上ってみました。木の手すりの吹き抜けを挟んで、学生たちの寄宿舎だった小部屋が設けられています。このこぢんまりした吹抜けの回りを歩きながら瞑想したのでしょうか。
このマドラサは、1956年まで実際の学校として使われてきたのだそうです。
かつて、学生たちもここから眺めていたであろうパティオ。
2階の学生たちの部屋は簡素なものですが、アーチの窓、その下半分を覆う木の格子柵が、外の光を切り取ります。
こちらは1階の建物の透かし扉を介して見たパティオ。
光と影と繊細な装飾がつくりだす光景に、時の経つのを忘れて浸ったベン・ユーセフ・マドラサでした。
そんな静寂のマドラサを一歩出ると、たちまちスークの喧噪に包まれます。
路地を走り回る子どもたち、揺れるように歩くジュラバの人々。この先の路地を曲がると何に出会えるのでしょう。
まず遭遇したのはパン屋さん。丸いパンを長い棒で大きな深いかまどに入れて焼いていきます。
そして、細い路地は小さな子どもたちの遊び場です。珍しそうにこちらを見ている子どもたち。
家の扉からは、子どもたちが弾けるように次から次へと駆け出していきます。
そんな路地が突然開けて、大きなモスクが姿を見せました。
狭い迷路のような路地の世界、それに大きなモスクが混在しているのが面白い。
モスクの前を行く女性。目だけを出している黒い衣装。
店先で面白いものを発見。このショーウインドウに飾られたものは何でしょうか。実はこれ、伝統的な歯磨き・歯ブラシなんだそうです。
ちぎって、噛んで、シャカシャカ歯をこするもののようですが、詳細は不明。
お店の棚にはたくさんの瓶が。これらは化粧品だそうです。
粉のもの、固形物、色とりどりです。世界中どこに行っても、女性たちの美への関心は高いものですね。
おっと、危ない。路地では少年たちがサッカーに夢中。でもカメラを向けたらちゃんとポーズしてくれました。
どこへ抜けるのか先が見えない路地。その暗がりで密談(?)する男性2人。
近所のおじさんたちの四方山話なんでしょうが、こんな路地のかげだと、何となく怪しげな雰囲気が醸し出されますね。映画の見過ぎ?
賑わいのある通りにたどり着きました。
買い物客が行き交っています。大きな袋を2人で運ぶ女性たち。重い根菜類を買ったのでしょうか。
アーチをくぐるとさらに賑やかになり、通りの両側にお店がたくさん並んでいます。
そして、左側にあるお寺のような雰囲気の入口はというと、、
ここは公共の水場のようです。水を汲みにやってきた男性たち。柱や天井の装飾はなかなか凝っています。昔からある水場なのでしょう。
こちらのお店では、緑の葉っぱが山と積まれ、袋詰めにされていました。この葉っぱはミント。フレッシュでさわやかな香りが漂います。
モロッコでは、お茶といえばミントティー。大量に入れた生の葉っぱのちょっと青臭くスッとする香り、そして甘いミントティーは、日差しが強く乾燥しているモロッコの街歩きではやみつきになります。
再びジャマ・エル・フナ広場に出てきました。ちょうどお昼どき、眺めのいいレストランでお昼にしましょう。
昼どきの広場は人もまばらで、食べ物屋台などもまだ出てきておらずのんびりしたもの。
広場に面したモスクには人々が集まっています。お祈りの時間なのでしょう。
昼食の一コマ。食事はいつも大盛りで驚かされます。この日の最初のメニューは豆のスープですが、サラダのような付け合わせがずらりと並べられました。
野菜がたくさんですね。基本的には野菜リッチでとてもおいしいです。
さて、昼食を終えてホテルに戻って休憩したら、午後はプールでまったりと過ごします。
そして夕方は城壁外で食事。その途中の路上にはラクダたちが佇んでいます。ラクダの背に乗って散歩する観光客を待っているんですね。
明日は街の南部を観光後、車で南のアトラス山脈の麓まで足を延ばします。
翌日。今日はまずメディナの南側にある建物を訪ねます。
最初に訪れたのは、バヒア宮殿。19世紀の終わりに建てられたこの豪華な宮殿は当時の大宰相の私邸であり、宮殿の名前は妻の一人の名に因むのだとか。
この大きなパティオを囲むのは24人の側室の部屋なのだそう。
そして、4人の妃たちのスペースは、特に見事な装飾に覆われています。繊細な装飾アーチ。
部屋の入口には美しい木の扉と透かし彫り。彫刻、彩色された木の天井も美しい。
緑溢れるパティオもあります。
また違ったデザインの美しい部屋。透かし彫りから光が漏れ入ってきます。
この宮殿は、どの宮殿よりも大きく、そしてイスラムとモロッコの芸術の粋を集めたものを意図したそうで、庭園の面積は8,000㎡にもなるといいます。
バヒア宮殿を出て、サアード朝の墳墓群を目指して西へ歩いていくと、そのすぐ近くの城壁にアグノウ門がありました。
これはマラケシュにある19の門の一つで、ムワッヒド朝時代の12世紀につくられました。馬蹄形アーチに縁取り模様が美しく、外側にコーランが記されているこの豪華な門は、スルタンが使うものだったといいます。
アグノウ門のすぐ近く、サアード朝の墳墓群は、サアード朝のスルタン、アフメド・アル・マンスール(1578〜1603)の時代の霊廟です。
この霊廟は、アラウィー朝のスルタン、ムーレイ・イスマイルによって17世紀の終わり頃から壁で取り囲んで閉鎖されていましたが、その後1917年にフランス人によって再発見され、修復されたのだそうです。
浮き彫りの美しいアーチの入口を入ってみましょう。
最も有名なのがこの部屋。イタリアのカッラーラの白大理石を使った12本の柱で支えられたこの『12円柱の間』には、アフメド・アル・マンスールとその息子、後継者たちが埋葬されています。
大理石の柱は漆喰や木でつくられた美しい繊細な彫刻のアーチを支えています。
そして床には幾何学模様のタイル、壁にはタイルと漆喰による緻密な模様が描かれています。
こちらはサアード朝の王族の墓。鍾乳洞風の細かい装飾アーチの重なりに惹きつけられます。
このサアード朝の墳墓群には、サアード朝時代の王族約60名が埋葬されているそうです。
アスニ村
午後、私たちは車をチャーターして、マラケシュから南へ約50kmのアスニ村までドライブすることにしました。アトラス山脈の麓まで行って、ベルベル人の村を訪ねてみようと思います。
アスニ村は、アトラス山脈の最高峰ツブカル山(4,167m)への登山の拠点でもあります。マラケシュを出ると次第に山が近くなってきて、途中でちょっと小休止。
そこには井戸があり、水汲みの人が休んでいます。
周囲は荒野、そして羊を追う女性。
途中、丘の斜面に家々が建ち並ぶ集落がありました。
泥で固めた家は周囲の土と同じ赤い色をしています。
車を停めてもらい周囲を見回してみると、壁のように立ちはだかる赤い丘の斜面を斜めに横切る道があり、牛たちが下ってくるのが見えました。
丘を越えて、こちらの川沿いの草場まで食事に来たのでしょうか。
あたりに見える緑の多くはウチワサボテン。いかにも乾燥地です。
村の女の子がいたので写真を撮らせてもらいました。
斜面に並ぶ家は、日干しレンガを泥で塗り固めてつくっており、開口部だけは補強のためでしょう、白い石灰が塗られています。それが窓や入口を際立たせて、ちょっとユニークな景色を見せています。
緑の大部分はサボテンですが、作物としての利用もしているのでしょうか。
再び車を走らせると、次第にそびえ立つ壁のようなアトラス山脈がはっきり見えてきて、回りに緑も増えてきました。アトラス山脈から流れ出る川沿いにはトウモロコシ畑などもあります。
そして、丘の中腹にアスニ村が姿を現しました。
『ベルベル人の村』ということですが、そもそもベルベル人とは?
ベルベル人は北アフリカ一帯に昔から住んでいた人々で、モロッコでは人口の半数を占めるそうです。ということは、モロッコではかなりメジャー。あとの半数はアラブ人。
11〜13世紀のムラービト朝、ムワッヒド朝はベルベル人が興した王朝で、この時代にイベリア半島に入ったのも彼らだそうです。
ということで、伝統的な集落を訪問します。石を積んで泥で固めた赤い土の壁面。
土壁は、石や日干しレンガに藁と泥と水を混ぜてつくった泥を塗ります。屋根には木が渡してありますが、そこにも泥を被せます。
こうした土壁は分厚く断熱性能がいいので、外が暑くても中は涼しいのだそうです。
村の女性に導かれて、生活の場へと足を踏み入れさせてもらいました。
収穫した作物の選り分け作業をしたり、洗濯物を干したりする作業場でしょう。
そして、煮炊きする台所。中央にはとても簡単な竃。そして素焼きの壷、鍋が並んでいます。伝統的なシンプルな生活が続いていることがうかがえます。
短い滞在を終えてアスニ村をあとにしました。
曲がりくねった道でいくつもの丘を越えると、マラケシュまでは赤い大地をほぼ一直線に進みます。
さて、今日の夕食はモロッコの代表的な料理を。
有名な煮込み料理のタジンは、肉と豆などの野菜の旨味が凝縮されていて、文句なくおいしい。右はひき肉とスパイスを混ぜて焼いたもの。アラブな香りがしますね。
明日はマラケシュを離れ、首都のラバトへ移動します。