アンベール城
ラージャスターン州の州都ジャイプル(Jaipur)。ここはジャイ・シング2世(Jai Singh II)により1727年に造られた都で、ジャイプルは『ジャイの町』という意味だそうです。プルには城壁に囲まれた町という意味があり、実際ここには10kmに及ぶ城壁が巡らされています。
ここはピンク・シティとも呼ばれます。それは街全体がピンク色だからです。このピンク・シティを巡る前に、まず街の北10kmほどのところにあるアンベール城(Amer Fort or Amber Fort)へオート・リキシャーで向かいました。
アンベール城はジャイプルに遷都される前のアンベール王国の都アーメール(Amer)に築かれたお城です。
このあたりには8世紀ごろからヒンドゥー教を信奉するラージプート族が住んでいました。彼らは丘陵地帯に多くの砦を築き、異民族の侵入に備えました。その砦の一つがこのアンベール城です。
アンベール城は17世紀にムガル帝国アクバル軍司令官ラジャ・マンシン(Man Singh I)により増改築が施され、その後ジャイプルに遷都されるまでここは150年に渡って都として繁栄しました。この150年の間、建物はずっと増改築され続けたそうです。
アーメールの外れのマオタ湖(Maotha Lake)までやってくると、その向こうの丘の上にジャイガル城(Jaigarh Fort)とアンベール城が見えます。ジャイガル城はアンベール城を守るためにジャイ・シング2世によって1726年に建てられたもので、これら二つは地下通路で繋がっています。
アンベール城にはかなり長い壁面が続いています。
お城まではオート・リキシャーでは行けないことになっているようなので、歩いて行くことにしました。頭の上にはきれいな布がぶら下がっています。シルクのように見えますが、このあたりの産業でしょうか。
下の池から城までは標高差150mほどあり、急な坂が続きます。上り出すとすぐアンベール城が見えてきました。
質実剛健、堅牢な城塞という感じです。
この坂道をえっこらよっこら上っていると、向こうから象さんがゆっさゆっさ。
これが噂に聞く象タクシー。帰りはこれにしましょう。
アンベール城の外壁は砂岩で出来ており、屋上には小塔チャトリが載っています。
だいぶ上ってきました。北を見ると集落の向こう側の山に城壁が見えます。
どこまで続いているのかはわかりませんが、万里の長城によく似ています。
アンベール城は階段状に4つのゾーンに別れており、下から上に行くに従ってマハラジャの私的空間になっていきます。
下から登って来ると一番下のゾーンにある太陽門(スラジポル, Suraj Pol )の前に出ます。
太陽門の中は大きな広場ジャレブ・チョウク(Jaleb Chowk)で、これは兵士が集まる場所という意味だそうで、戦闘から帰還した軍隊が勝利のパレードをするための場所でもあったようです。
周囲の建物は兵舎だったそうです。
この広場には屋台というかキオスクというか、そんなものが出ていて、ナッツや豆を売っていました。見たことのないものばかりでした。
太陽門の反対側にも小さな門(Chand Pol =月門)があり、この時は象が出入りしていました。
太陽門はマハラジャとその騎兵隊、もしくは要人のためのもので、その他の人々はこの月門を使っていたのでしょう。
大きな広場の南側のすぐ上にある二つのチャトリの間にある印象的な階段を上がると、ライオン門(Singh Pol, スィン・ポール)があり、これをくぐると二番目の広場に出ます。
ここは宮殿の入口ゾーンで、ディワニ・アーム(Diwan-e Am, 公謁殿)とガネーシャ門があります。
ディワニ・アームは一般の人々がマハラジャに謁見したところ。
柱梁構造のオープンな建物で、柱は外側は砂岩で出来ていて基本的に二本一組、内側は大理石で出来ていて単独で立っています。
この内側の柱のさらに内側はホールになっており、マハラジャはここで執務をしていました。
柱梁構造は基本的に木造の工法であり、北方の文化の影響が見て取れます。柱頭と肘木のように柱から持ち出された部材には凝った彫刻が施されていて、蓮や象のモチーフが見られます。
ディワニ・アームのテラスからは街が一望に出来ます。
下に見えるのはマオタ湖に浮かぶケサール・キャリ庭園(Kesar Kyari Garden)。
この広場の正面にあるガネーシャ門(Ganesh Pol)は絢爛豪華。外壁に施されているのはフレスコ画です。
この建物はマハラジャのプライベート・パレスへの入り口です。
門の上部はソーハグ・マンディール(Suhag Mandir, Suhagは幸運、Mandirは寺院)で、王族の女たちがジャレスと呼ばれる格子状の大理石の窓を通して、ディワニ・アームで開催された行事を鑑賞していました 。
ガネーシャ門の真ん中の大イーサーンには、ヒンドゥー教の神様で人生のすべての障害を取り除き財をもたらすというガネーシャがいます。
足下にはもちろんネズミも。ガネーシャの乗り物はネズミなのです。象がネズミに乗るってのも面白いですよね。
ガネーシャの横の小イーワーンの方は動物ではなく植物です。そして外壁はまさに花柄模様。
ここは、幾何学的な模様と植物をモチーフとしたムガール帝国のイスラム様式に、ガネーシャからもわかるようにヒンドゥーのそれが加わっています。そしてラージプート族によるラージャスターンで育まれた様式が融合したと言えるでしょう。
さて、ではマハラジャのお宅を拝見しましょう。ガネーシャ門を入ると三番目の中庭(Aram Bagh , アラム・バーグ)に出ます。ここがお城の中核部です。
この中庭はこれまでの二つとは異なり、アラベスクな緑の庭園で池もあります。ここはディーワーニ・ハース(Diwan-i-Khas, 内謁殿)でもあったようです。
庭を挟んでシーシュ・マハル(Sheesh Mahal, 鏡の間)とも呼ばれるジャイ・マンディール(Jai Mandir、勝利の間)とスク・ニワス(Sukh Niwas, 王の私室)があります。
門から見て右側にあるのが王の私室であるスク・ニワス。
スク・ニワスの壁はラージャスターン様式の一つであるブーンディ様式(Bundi style)の壁画で飾られています。深い栗色、濃い青、オフグリーンという色調が特徴です。
この建物は当時としてはハイテクで、夏の暑さ対策として空調システムと水による冷却システムを備えていました。壁の中に見える植物をモチーフにしたパネルはその通気口です。
ドアは白檀でできており、空調システムを通していい匂いが周囲に広がります。
回廊と室内の間の壁上部と天井には植物のレリーフがあります。
王の私室の両側には王妃の部屋が並んでおり、建物の奥の通路はこのさらに奥にある巨大なハーレムゾーンに繋がっています。
中庭を挟んでスク・ニワスの反対側にあるジャイ・マンディールの壁と天井には細かい鏡がびっしり。
壁は格子柄でその中に草花が描かれています。
天井の装飾は幾何学模様でイスラム的。
天井と壁の取合い部はお星さまきらきら!
回廊から室内への入口はスク・ニワスにあったのと同じような尖塔アーチがあり、ここにも植物が彫られています。
壁のニッチはちょっと変わった形で、中にも外にも植物が見えます。
壁下部の腰は大理石で、幾何学的な模様の象嵌と植物のレリーフ。
部屋への出入口には2タイプあり、これは主要な方のそれ。
ここではゴシック的にも見えるアーチが描かれています。
アーチをくぐって室内に入ると、ここがジャイ・マンディールの中核部。色ガラスをはめ込んだ壁と細かい鏡が貼られた天井が見事。
外側の壁は鏡張りで植物が描かれていましたが、ここは色ガラスで、しかもスク・ニワスで見た壷や器の模様が大多数を占めます。
天井にびっしりと貼られた鏡は凸面状で、ろうそくの明かりの下で明るく光るようになっているそうです。
ここがシーシュ・マハル(鏡の館)とも呼ばれるのも頷けます。
ガネーシャ門の上部のソーハグ・マンディールを見てみましょう。
イスラム的な多弁アーチを持つこの小さな建物の外壁は、きれいな花柄模様。
大理石透かし彫りのジャレスの中央に見える小窓は、王が凱旋したときに花を撒くためのものだそうです。洒落てますね〜
これはジャイ・マンディールの上にあるジャス・マンディール(Jas Mandir)のジャレスで、ソーハグ・マンディールのものとほぼ同形ですが、すこし単純化されています。
宮廷の女たちはこうしたジャレスや小窓から、アーメールのこんな景色も見ていたのでしょう。
そうそう、ディーワーニ・ハースの上にはもう一つの中庭があり、それを取り巻く部分は城でもっとも古い部分であり、ゼナーナ(Zenana)と呼ばれるハーレム・ゾーンとして使われていました。そこには、12人の妻と側室が暮らしていたそうです。
これでアンベール城の見学はおしまい。帰りは象タクシーに乗ります。
きれいにお化粧された象に乗るハッちゃん、サリーナ、サイダー。象の毛って針みたいに尖っていてちくちくするんですねぇ。
象タクシーからの眺め。すごく高いのです、象さんの上は。
ちなみに象さんは立派な生身の生き物。おしっこもうんこもします。それもところかまわず。象さんの近くを通るときは注意しないと、こういったものを大量に浴びることになりますゾー。
象タクシーでアーメール村に下ったらジャイプルの街に戻ります。
これは通りがかりの車窓から。湖の中にぽっかりと浮かぶジャル・マハル(Jal Mahal, 水の宮殿)。18世紀にジャイプルを造ったジャイ・シング2世により増改築されたものだそうですが、現在は外観しか見られないとのこと。アンベール城と同じような砂岩で出来ているようです。
風の宮殿(Hawa Mahal, ハワ・マハル)
さて、ジャイプルに戻ってきました。
ジャイプルについてはあまり知らなかったのですが、ラージャスターン州の州都だけあり、それなりの賑わいがあります。車は多くありませんが、スクター型のモーターバイクは結構走っています。
ジャイプルはピンク・シティーと呼ばれていることは冒頭で紹介しましたが、それは建物がみんな赤っぽい色をしているからです。
なぜそうなったのかと言うと、それは19世紀のこと、インド皇帝となるヴィクトリア女王の息子がこの地を訪れた際に、街の建物をピンク色に塗ったのがきっかけだそうです。
そんな旧市街のほぼ中央にこの街の象徴とも言うべき『風の宮殿』(Hawa Mahal, ハワ・マハル)が立っています。
ハワ・マハルは18世紀の終わりに建てられました。5階建、高さ15m。シティ・パレスの一部として増築された部分です。ヒンドゥー教の神クリシュナに捧げられたため、クリシュナの王冠の形をしています。
その名の通りにハワ・マハルは風通しの良い宮殿で、通りに面してたくさん窓が設けられ、そこから宮廷の女たちが街を見られるようになっています。
その窓の数は何と、953!
これは当時の王室の女は見知らぬ人に見られたり、公共の場に出てはいけないという厳しいパルダ(Purdah)という制度があったからですが、まあなんと多くの女がここには居たことでしょう。
『風の宮殿』は正面から見るとこの写真のように華やかで豪華なのですが、
ちょっと横から見ると、その奥行きのなさにびっくりします。
これでよく倒れないものだと関心するくらいに、薄い!
並んだたくさんの窓には美しい透かし彫りがあり、小窓が付いています。
この小窓を通して風が吹き抜けるのです。まさに風の宮殿ですね。
さて裏側はどうなっているでしょうか。これは頂部の裏側です。
黄色っぽく見えるところは塗装が施されていない元の砂岩が見えているところ。アーチは出入口でそこからが部屋です。その手前に見える木製の手摺は先の部屋へ行くための廊下で、一番こちら側に階段が見えます。
各部屋は部屋というほどに広くはなく、ニッチと言った方がいいくらいでしょうか。ここで宴会をしながらのんびりパレードを見る、とはいかないようです。
もっとも、下層階の部屋はこの手前が室内の廊下になっていて、部屋間の側壁がないところもあり、もうちょっと広々としています。
一番端の部屋は人が一人か二人、ようやく入れるくらいでしょうか。
ハワ・マハルの正面は道路側のように見えますが、実はその反対側です。そこには中庭があり、次の写真に見える宮殿に繋がっています。ここはゼナーナ(Zenana)と呼ばれるハーレム・ゾーンです。
横の塔状部分を除くとこの中庭側から見たハワ・マハルは4階建で、道路側と同じピンク色のデザインが中央部に見えます。つまりは風の宮殿は表と裏の両側を向いているのです。この2階にはきれいな色ガラスが入った窓があります。
周囲を見渡せば、丘の上にずっと城壁が巡らされているのに気付きます。
すぐ下にはハワ・マハルの裏側に広がる宮廷部分が見えます。
そしてその向こう側にはジャンタル・マンタル(Jantar Mantar)が。
ジャンタル・マンタルはジャイ・シング2世がインド北部の5か所に建設した天体観測施設で、それらのうちここジャイプルのものがもっとも大規模だそうです。
12の観測機器があり、ここから見える三角形のものは高さ27.4mの日時計サムラート・ヤントラ。時計としての精度は2秒(驚くべき精度!)ほどで、斜面の先は北極星だそうです。
旧市街の城壁の中は都市計画されて造られており、碁盤の目状に整然とした道が走り、立派な建物が立ち並んでいます。当時ここまで計画された都市はかなり少なかったと思います。
建物はみんな赤っぽい色の砂岩で造られていて整った姿をしています。この色はピンクと言うより薄いレンガ色というか、オレンジに近いものが多いようですが、中には黄色っぽいものもあります。
これは想像ですが、この近くで産出する砂岩には赤っぽいものと黄色っぽいものがあり、この街がピンク色に塗られた時は、このうちの赤っぽいものを原料とした塗料が使われたのではないでしょうか。
ハワ・マハルの見学を終えたらレストランを探しつつ、その辺をぶらぶら。
路上にはお店がいっぱい出ています。これは靴の修理屋さんですね。
床屋さんも営業中。外でやってもらったら気持ちいいでしょうね。
昼食を終えたらシティー・パレスへ向かいます。
シティー・パレス
大通りの門をくぐると、見えて来たのはジャレブ・チョウクの入口に立つドラム・ゲート(Naqqar Khana ka Drawaza) 。上にマンディールのようなものが載っているこのゲートは、その名からすると、時刻や王族の帰還を知らせる音楽が演奏されるためのものでしょう。
ここはインド。路上には牛がのっそのっそ。その牛の横を巨大なものが通過したと思ったら、それはなんとラクダでした。ラクダってでっかい!
ジャレブ・チョウクの先にはウダイ門(Udai Pol)があります。
この門は草花の装飾文様がびっしり。両側の小イーサーンにはマハラジャらしき人の姿が見えます。
両側に象さん像があるのはラジェンドラ門(Rajendra Pol)。
ここからが宮殿の中核部で、赤いターバン姿の門番が変なやからがやって来ないか見張っています。
ここには現在の宮殿以外にも、かつて政治の中心地として機能していた建物がたくさんあります。
その一つ、迎賓館のムバラク・マハル(Mubarak Mahal, 縁起の良い宮殿)は英国統治時代の19世紀後半に英国人建築家の手によって建てられました。
2階のバルコニーには木造建築のような極めて細い柱と唐草模様の透かし彫りの手摺が見え、1階のポーチには周囲を繊細な装飾で覆われた尖塔アーチがあります。驚くべき密度の彫刻!
これはムガール帝国とラージプート、そしてそれにヨーロッパの建築様式が融合してできた、繊細で美しいコロニアル・スタイルの建物です。
ムバラク・マハルの北側にはディーワーニ・ハース(Diwan-i-Khas, 内謁殿)を含むサルヴァト・バードラ(Sarvato Bhadra)があり、二つの銀の船が見られます。この壁は真っ赤。
ここは公共エリアと王室の私邸の間にあり、伝統的にジャイプルのマハラジャの戴冠式などの重要な私的行事に使用されてきたといい、今日でも王室の祭りや祝い事に使用されているそうです。
さて、ジャイプルの王様が現在も住んでいるのがこのチャンドラ・マハル(Chandra Mahal)。
ここはシティー・パレスでもっとも古い部分で、1727年から1734年にかけて建設されました。白く輝く7階建の建物で『月の宮殿』という意味を持つそうです。
その前は中庭(ピタム・ニワス・チョウク, Pritam Niwas Chowk)で、これに面して四季とヒンドゥー教の神々を表わすという装飾された4つの美しい門があります。蓮門、緑門、バラ門などがありますが、中でもとりわけ秋とヴィシュヌ神を表すという孔雀門(Peacock Gate)が見事です。
この宮殿の1階は博物館になっており、様々な絵画、鏡張りの部屋、見事な内装が見られますが、残念ながら撮影禁止です。
さて、シティー・パレスの見学を終えたら、宿までぶらぶら。
ここは学校の前のようで、子供たちと先生らしき人が出てきました。
彼女たちは大学生でしょうか。きれいなお嬢さんが門の前にずらり。
そこに物乞いをする男が。
まだあまり車が多くないここでは、荷物運搬の主役はらくだと牛。この牛さん、かなり痩せていますが大丈夫?
さてさて、ホテルに戻ったらゆっくりする時間もないまま、空港へ向かいます。次はブルー・シティーこと、ジョードプルです。