ラージャスターン州のジョードプル(Jodhpur)。 この町は1459年にマールワール王国のジョーダー王(Jodha,在位1438-1489)によって建設された都で、その名はこの王の名にちなんでいます。城壁に囲まれた町という意味の『プル』が付けられているように、10kmほどの城壁で囲まれています。
旧市街の家屋の壁が青く塗られている事からブルー・シティーとも呼ばれていますが、周囲には赤茶けた大地が広がっています。
それはなんと砂漠! タール砂漠です。こんなところに砂漠があるなんて。インドは広いですね。
私たちの宿は現在もマハラジャが住むウメイド・バワン・パレス。旧市街から外れた砂漠の入口にぽつんとあります。
そのゲートに設えられた紋章はマールワール王国のものです。現在のマハラジャはジョーダー王の子孫ということになります。
鷹のような鳥が描かれたこの紋章、いかにも強そうですね。
これがマハラジャの宮殿です。
世界最大の私邸とも言われているそうですが、これが個人の所有とは本当に信じられません。
1943年に完成したこの建物は、左右対称で中央にドーム。そして四隅に塔が立ちます。
このデザインはまさに宮殿ですね。
外壁はすべて砂岩で出来ています。赤すぎず白すぎず、丁度いい色合いです。
もちろんこの石はこの辺りで採れたもので、大地の色とまったく同じ。
建築様式的には、インド・サラセン 、 クラシック・リバイバル 、 アールデコなどが融合しているようですが、破綻しておらず、調和が取れています。
さて、中に入ってみましょう。
玄関ではこんな門番が出迎えてくれます。
ラウンジエリアの床は大理石、壁は砂岩。
この写真でははっきりしませんが、各所にアールデコ調の装飾が施されています。
チッチなホテルに満足のサイダーとサリーナ。
エントランス・ロビーの天井
ラウンジ上部のドーム天井。
大食堂として使われているマーワー・ホール
こうしたインテリアはインド・デコと呼ばれるようです。
中庭があり、
それを通り抜けるとテラスに出ます。
テラスの先は広々とした庭園で、この日は何か催しが行われていました。
楽団が演奏し、きちっとした身なりの方が大勢集まっています。
庭の芝生の上には大理石の神殿のようなものが立っています。
ここで何が行われるのか聞いたところ、今日はマハラジャの誕生日なので、パーティーが開催されるんだそうです。
しばらくテラスでお茶をしていると、そこにターバンを頭に巻いたマハラジャさんが登場! ターバンを巻いているということは、この方はシーク教徒でしょうか。このマハラジャさんはこの建物の上階に住んでいます。そこはもちろん一般人は立ち入り禁止。
マハラジャさんがやってきたことで、このあと誕生祝賀パーティーはどんどん賑やかになっていくのでした。
パーティーを眺めつつ少しまったりしたら、マハラジャの館を出てオート・リクシャーで旧市街にあるメヘラーンガル砦(Mehrangarh Fort)に向かいます。
この砦は遷都と同時にジョーダー王により建設が始められたもので、20世紀半ばにマールワール王国がインドに統合されるまで、マハラジャの居城として使われました。ここは現在も先ほどのマハラジャが所有しているそうです。
砦は高さ120mの丘の上に築かれました。建物の高さは36mありますが、ここから産出した砂岩で造られているのと形が有機的なためか、遠目では丘に同化して見えます。
砦の下に着いたら、距離にして300mほどのかなりきつい坂道を登って行きます。この途中、城壁のあちこちに黒っぽい染みのように見える穴がいくつか見られますが、これは砲撃の跡だそうです。
この砦は7つの堅固な門で守られています。ジャイポール、ロハポール、ファテポール、アムリタポール、ドッドカングラポール、ゴパルポール、ベルポールがあります。いずれも本格的な軍事的な門であることがわかる面構えをしています。
正面玄関のジャイポールはマハラジャマンシンが侵攻に敗れた後の1808年に造られました。
写真のロハポール(Loha Pol)『鉄の門』はゾウが突進できないように道を90度曲げた先に造られています。
この門のすぐ内側には、レリーフ状になった小さな手形が二組あります。これはサティ(sati )・マークあるいはサティ・ストーンズと呼ばれるもので、殉死したマハラジャの妻の手形です。ここにある手形は1843年のマハラジャ・マンシンの死に遡るそうです。
サティの習慣はヒンドゥー教の信仰に古くからあり、ラージャスターン地域で広く行われていました。 妻は婚礼用の服に身を包み、夫の火葬の時に炎にその身を投じたそうです。
この行為は1829年にイギリスによって非合法化されましたが、ジョードプルでは1953年に行われた記録が残ります。
砦の内部はかなり複雑で、たくさんの建物があります。
ここには、金箔が貼られた壁と天井を持つぎんぎんギラギラのフール・マハル(花の宮殿)、ラージプート様式のモーティー・マハル(真珠の間)、王の執務室シーシュ・マハル(鏡の間)、王の私室プール・マハル(華の間)、豪華でタイルが美しいターカト・スィン(1843-1872)の居室ターカト・マハルなどがありますが、これらはすべてが単独の建物ということではなく、全体の中のどの部分がどの部屋なのかは複雑で良くわかりません。
この中庭が宮殿でもっとも見応えのあるところです。
この外壁にはとても細密な彫刻が施されています。
こうしたものは往々にしてゲテモノ趣味に陥りがちですが、インド建築の多くはそう感じさせない繊細さがあります。
同じようなデザインでも場所によりちょっとずつ装飾が異なります。
当時の宮殿には必ずハーレムがありました。そのゾーンに王以外の男が立ち入ることは禁止されていました。この掟を破ったものには死か去勢という罰が待っていたようです。
たしかここがハーレムだったかな。
ここは客人たちがマハラジャに謁見したモーティ・マハル(真珠の間)。
色ガラスの窓が華やか。
内部には博物館もあり様々なものが見られますが、撮影禁止です。
これはそれ以外のところに展示されていた剣のコレクション。
マハラジャの自宅ウメイド・バワン・パレスは非常に良く手入れされていますが、このメヘラーンガル砦には傷みが見られます。マハラジャといえども、これだけのものはそう簡単に修繕はできないようです。
ここに鳥がとまっていますが、これはマハラジャの紋章にあった鳥にとてもよく似ています。なんという鳥でしょうか。
この砦は少なくとも500年に渡り増改築が施されてきました。
ですからその時代時代で異なるデザインがされているわけですが、裏方のこんな小さな階段もそれなりに味があります。
砦はかなり広く、屋外スペースもたくさんあります。
ここは現地の方もやってくる観光地のようで、サリーやサルワール・カミーズ(パンジャビ・ドレス)姿の女性も結構いました。
この地方は冬でも昼間はかなり暑く、この日は30°C近くあったと思います。
そんな時にはスカーフが重宝しますね。
砦ですからね、大砲です。
砦の上からジョードプルの街を眺めてみます。
遠方、街のずっと先にマハラジャの館ウメイド・バワン・パレスが見えます。写真では判然としませんがその先はタール砂漠です。中央左に見える塔はジョードプルのシンボルとも言える時計塔(Ghanta Ghar)。
ジョードプルはブルー・シティと呼ばれますが、こうして見ると青い建物はそう多くはありません。
視線を少しずらすと、積み木のような小さな建物がたくさん。
それらのうちの5割程度は水色をしているようです。
さらに視線をずらすと、城壁が街を取り囲んでいるのが見えます。
ぐっと近くを見てみると、確かに青い建物も見えます。
この街の建物が青くなったのは、蚊を寄せ付けない塗料が青く変色したためとか、暑い気候の中で少しでも涼しく見えるようにしたからといった説があるそうです。
メヘラーンガル砦を出て旧市街を散策したら、マハラジャの館ウメイド・バワン・パレスに戻ります。
宮殿の玄関先にはこんな音楽隊がいました。
このあたりのラージャスターンの砂漠には独特の音楽を奏でるポパと呼ばれる楽師がいると聞きますが、この人々もそれでしょうか。
宮殿の中では宿泊者向けのサービスでか、シタールとタブラによるインドの伝統音楽が演奏されていました。
インド音楽、これはなかなかいけますね。
さて、今日はこれからデリーに飛ばなければなりません。あ〜急がしや〜