サンフランシスコ
1993年夏は、友人のハルさんとアメリカ合衆国の4つの都市を巡る旅です。サンフランシスコ、ロサンゼルス、シカゴ、ニューヨークと、どれもお馴染みの有名な大都市。アメリカは初めてなので、初心者コースということで。
最初にサンフランシスコを訪れ、まずはその象徴とも言うべきケーブルカーを見物。1873年の開業は世界最古のケーブルカーだそうで、ここは端っこのパウエル・マーケット通り駅。一方向にのみ進行する車両のため、転車台で向きを反転させます。
レトロな車両は観光客に大人気。山登りの一般的なケーブルカーとは違い、線路の中央の溝の下に敷設されたケーブルが時速9マイルで移動しており、それを掴んで走り、停まる時には離してブレーキをかけるんだそうな。
ケーブルカーはパウエル通りを北へ進んでいきます。
前方には海、そしてアルカトラズ島の先のエンジェルアイランドが見えています。サンフランシスコといえば坂、映画のカーチェイスでもお馴染みですね。クリント・イーストウッドのファンである私の場合は『ダーティ・ハリー』かな。
メイソン通りに入り南を見ると、坂道の通り沿いには小綺麗な住宅が建ち並び、南には緑の山並みも見えています。
この辺りは『ノブヒル』というところで、高台の高級住宅地だそうです。こうした住宅はビクトリアン・ハウスと呼ばれ、イギリスのビクトリア女王時代の19世紀後半頃に建てられたものとのこと。
そして北を見れば、やはり下り坂。ほんとに高台です。
前方の左手に見える赤レンガの建物は、ケーブルカー博物館。この博物館は、実際にケーブルを動かしている発電所と車庫の建物内にあって、巨大な滑車がケーブルを動かしているのを実際に見ることができるとか。
クレイ通りに入って東へ進むと、通りの両側にはビクトリアンハウスが並んでいます。
そして前方には、1969年に完成した針のような『トランスアメリカ・ピラミッド・センター』が見えます。この建物の計画が公表された時には『こんなオベリスクみたいな建物はサンフランシスコには似合わない』という声が多くあがったそうですが、今ではサンフランシスコの超高層群の景観に欠かせないものになっているといいます。
クレイ通りをしばらく下りると、中華街のエリアに入ってきました。
ここはパウエル通りとの交差点ですが、ケーブルカーの停車場には漢字表記が見られます。
中華街的なお店がどんどん出現します。
そんな通りを北西に、また坂を上っていきます。本当に坂の多い街で、そこに碁盤の目のような通りが交差しているからちょっと不思議。
そして、ノブヒルの北にあるロシアンヒルにやってきました。『ロシアンヒル』という名前は、この丘の上にかつてロシア人の墓地があったからなのだそう。
ロシアンヒルには、とてもユニークな『ロンバート通り』があります。写真は、アジサイの咲く通りの坂の上から東側を見下ろしたところ。はるか前方右手に見える塔はコイトタワー。
ここには、いろは坂のミニ版のようなジグザグ道が設けられています。ロンバート通りのここ1街区分は勾配が27度もあり、何とか車で下りられるようにしようと、1922年にこの8曲がりのくねくね道をつくったのだとか。もちろん一方通行。
続いて、北東にあるテレグラフヒルのコイトタワーに到着。
ここからは、北に埠頭のピア39のマリーナ、そしてアルカトラズ島、エンジェルアイランドがよく見えます。
南を見れば、金融街の超高層群がずらりと並んで姿を現します。やっぱりトランスアメリカ・ピラミッド・センターは目立ちますね。
サンフランシスコ市内の北東部を巡った今日の散策はここまで。明日はサンフランシスコと対岸の海辺を巡ります。
さて、サンフランシスコで私たちの泊まった宿は友人のアメリカ人オットマッタの推薦で、彼に予約してもらったユースホステルです。フォートメイソンという海辺に近い公園のような緑環境の中にあり、しかも街の中心部に近いバツグンのロケーション。
安くて快適で、全く言うことなしです。
すぐ北は海。そして、横にはイースト港のヨットハーバーがあります。
そんな海辺から、今日はまず東へと散策開始。
この辺りにはマリーナ・ディストリクトという美しい住宅地が広がっています。
実はこの場所、1906年のサンフランシスコ大地震からの復興を記念して開催された1915年のサンフランシスコ万博会場だったところだそうです。
白を基調にパステルカラーの明るい雰囲気の住宅が建ち並んでいます。
道路は碁盤の目ではなく少しずらしてあったり斜めに交差したりと、車がスピードを出して通り抜けすることもなく住宅地の落ち着いた雰囲気を維持できるよう工夫してあります。
五叉路の角地の住宅は、ちょっと特徴的なデザイン。
住宅はビクトリアン・ハウスを踏襲したデザインもありますが、アール・デコ風もよく見られます。
アメリカでは、1920年代に高層建築をはじめとしてアール・デコ建築が一大ブームとなっており、それらが小規模な建築にも取り入れられたのでしょう。
そして、マリーナ・ディストリクトの西端には、池を囲むようにつくられた『パレス・オブ・ファイン・アーツ』があります。中央には丸いドームのモニュメント。
これは1915年のサンフランシスコ万博会場に建てられたモニュメントで、来場者の希望により万博後も保存されたといいます。古典様式のこの建物は、1960年代に木造スタッコからコンクリートに建て直され、市民の憩いの場として親しまれているそうです。
パレス・オブ・ファイン・アーツの半円弧の建物に入ってみました。現代アートの展示があり、何やらヒモを引っ張ってみるサリーナ。
奥にあるのは大きな天使像。これは常設のもののようです。
次に、私たちはバスでゴールデンゲートブリッジを越えて、サンフランシスコの対岸のサウサリートへ。
サウサリートは海に面した開放的な街で、目の前に気持ちの良い海辺の景色が広がっています。しばらく港からの景色を楽しみましょう。北東のフェリー桟橋の向こうには、リチャードソン湾を介した先の岬が見えています。
南東を見れば浮橋のレストラン、そのはるか向こうにサンフランシスコの市街地が。
さらに左側にはサンフランシスコの金融街、そしてサンフランシスコ=オークランド・ベイブリッジが伸びています。
サウサリートの緑の丘には、見晴らしの良さそうな戸建て住宅が並んでいます。
高い建物はなく、落ち着いてくつろげる街です。この海辺でゆっくりお昼をとることにしました。
そして、昼食後はサウサリートの丘を散策。
建物は戸建て住宅主体で、集合住宅も高さが抑えられています。緑も豊富で、しっかりした建築規制によって住環境を守っているのでしょう。
小さなかわいい教会があったりして、絵になる街でした。
帰りはフェリーで海を渡り、サンフランシスコの港まで。
サウサリートを出てしばらくすると、右手にゴールデンゲートブリッジ(金門橋)が見えてきました。橋の全長は2,737m、1937年の完成で、1964年にニューヨークのヴェラザノ・ナローズ橋が完成するまではスパン世界一の吊り橋だったそうです。
サンフランシスコが近づいてきました。優雅なヨットも浮かんでいます。
こうして眺めると、サンフランシスコはやはり丘の街ですね。
フェリーが到着したのは43・1/2埠頭。フィッシャーマンズ・ワーフにあります。フィッシャーマンズ・ワーフは古くから漁港だったところで、新鮮な魚介類のレストランや屋台が軒を連ね、そして蝋人形博物館や海洋博物館、ショッピング街などもあって観光客で賑わっています。
ユースホステルも近いので、今日はこのあたりでウインドウショッピングしたり魚介をつまみに美味しいサンフランシスコのビールを飲んだり、ゆっくり楽しみましょう。
夕焼けが広がる海。『いいとこですね~』『明日は少し遠出しましょ』などと、アンカースチームのクラフトビールを片手におしゃべりを続け、夜は更けていきます。
モントレー、カーメル
翌日。今日はちょっと足を延ばしてモントレーとカーメルに行くことにしました。モントレーはサンフランシスコから南に200kmほど、モントレー湾の南端に位置しています。
歴史をみると、モントレーは、スペイン植民地時代の1770年にアルタ・カリフォルニアの州都に定められ、メキシコ領となった後もカリフォルニアに入る船荷の唯一の税関として機能しました。1848年の米墨戦争の終結に伴いカリフォルニアはアメリカに割譲されることとなり、その数年後に州都は他の都市へ移りますが、モントレーのダウンタウンにはこの間に建てられたカリフォルニア初の劇場や公共施設などが保存されているそうです。
そんな歴史地区にも興味を惹かれますが、私たちの今日のお目当ては『モントレーベイ水族館』。海に繋がっているデッキで説明を受けます。
自然保護や教育にも力を入れるこの水族館は1984年、イワシ缶詰工場跡地に建設されました。かつて漁業で繁栄したモントレーでは、乱獲により漁業関連産業が1950年代に壊滅。『フィッシュ・アー・バック!』を掲げて開設したモントレーベイ水族館は、モントレー湾の海の生態系を紹介するさまざまなユニークな展示が大変な人気となっています。
この海に繋がっているデッキから、モントレー湾で暮らす動物や鳥たちをたくさん見ることができます。写真ではちょっと見にくいですが、岩の上にはアシカがいます。
そして、水辺にはたくさんの鳥がいます。海の魚を狙って飛び回る鳥もいれば、、
岩場の間をつついて餌を探している鳥たちも。カモメやミヤコドリの姿を確認。デッキから自然の姿をそのまま見られるのは素晴らしい。
そして館内では、ジャイアントケルプの森を小さなイワシから大きなサメまでが泳いだり、楽しい展示がたくさんあります。美しいクラゲがパフパフと泳ぐ姿などは、時間を忘れてハマってしまいそう。とても見応えのある水族館です。
次に訪れたのは、モントレーの南に隣接したカーメル(Carmel By The Sea)。美しいビーチがあり芸術家が多く住む町として有名です。私サリーナとしては、『クリント・イーストウッドが市長をしていた』ということで記憶に残っている町ですが。
ここでは、町の南端にある『カーメル・ミッション』(Mission San Carlos Borromeo de Carmelo)を訪問。
18世紀後半、スペイン国王が植民地メキシコのカトリック宗派フランシスコ会に対してカリフォルニアにミッションと砦を建設するよう命じ、1769年から1823年にかけて太平洋岸に21のミッションが建てられたそうです。
『ミッション』とは宗教センターであると同時に文化、農業活動の中心として、先住民への布教および技術や文化の伝授を図っていたそうで、教会や神父の住戸、兵舎、作業場、台所、工房などの建物を回廊でつないで構成されました。
このカーメル・ミッションは2番目に建設されたミッションで、1771年の完成。ここにカリフォルニアのミッション全体の統括本部が置かれていたそうです。
しかし、スペイン人がもたらした伝染病により先住民の人口は減少し、さらに1821年のメキシコのスペインからの独立によってミッションは衰退しました。多くのミッションの修復・復元が始まったのは1930年代以降のことだそうです。カーメル・ミッションには、当初の鐘と鐘楼がミッションの中で唯一現存しています。
赤い瓦に白い壁。カリフォルニアでよく見られるそんな建物の始まりは、スペインのミッションだったというわけです。
再びサンフランシスコ
そして翌日。サンフランシスコの最終日です。
今日は、市内のミッション地区など南側を回ってみようと思います。メキシコなど南米からの移民が多いと言われている地区です。
その前に、南への坂道を上ってアラモスクエアへ。このあたり一帯は高級住宅街で、『ビクトリアン・ハウス』と呼ばれるカラフルな住宅が建ち並んでいます。
ビクトリアン・ハウスの特徴って何でしょうか? 円筒形とか三角屋根とか色々あってよくわかりません。あとで調べてみたら、19世紀後半~20世紀初頭の英国のビクトリア女王時代に建った建築で、ゴシックやバロックなど過去の様式を装飾的に用いたものを指すのだそうです。
こんな住宅もあります。半地下があり、広い階段で玄関にアプローチするタイプが多いですね。
そして、住宅地の中の200m×250mほどの敷地がアラモスクエアの公園となっています。こんもりした丘に芝生と木陰のある気持ちのいい公園です。
公園から北東を望めば、金融街の超高層ビル群を背景にビクトリアン・ハウスが並んでいます。(TOP写真も)
有名な写真撮影スポット、というわけでサリーナとハルさんも写真を撮ってもらいました。
サンフランシスコに数あるビクトリアン・ハウスの住宅の中でも、これらのペディメントを持つカラフルな住宅の連続は『ペインテッド・レディ』と呼ばれ、最も有名なんだとか。1800年代末の建築です。
さて、そこからどんどん南へ進み、ミッション地区に入ります。
ドローレス通りを南へ進むと、2つの高い塔を持つ大聖堂と、小さめの教会が並んでいました。これが『ミッション・ドローレス』(Misión San Francisco de Asís)です。
スペイン領時代の1791年に6番目のミッションとして建てられたのが、左の三角屋根の教会。右の塔とドームのある大聖堂は1918年の建築です。
大聖堂の内部は3身廊を持つ十字形の平面で、高い天井の上部に設けられた窓のステンドグラスからは赤い光が差してきます。
そして、こちらは古い方のミッション・ドローレスの内部。長方形の平面はシンプルですが、祭壇奥の飾り台や3色に塗り分けられた天井など、美しい装飾が目を惹きます。
この建物は、カリフォルニアの21のミッションの中で唯一建設当初から変更されておらず、1906年の大地震にも耐えた数少ない建築なのだそうです。
ミッション・ドローレスの南側には墓地があり、建物の建設に携わった先住民たちも眠っているのだといいます。
ミッション・ドローレスから、さらに南へと進みます。19世紀後半、ミッション地区はサンフランシスコの郊外として野球場などレクリエーションに利用されていましたが、1906年の大地震後に居住者や事業者が増え、1940〜60年代にはメキシコ移民が多く住むようになったそうです。
1970〜80年代、西側エリアには若い中産階級の人々、そしてゲイやレスビアンの人たちが流入し、新たな文化発信の場となっていきます。
一方、ミッション通りを中心とした地区では中央アメリカや南アメリカ、中東、フィリピンなどさまざまな移民が流入し、中南米をはじめとした多様な人々が住む街となっています。
周囲にはメキシコ料理店が多く、建物の壁や塀に描かれたラテンアメリカ文化を表現する壁画もよく見かけます。
それでは、ここでメキシコの昼食を。ここは『ラ・タケリア』といって、タコスやブリートなどのファーストフード店です。
ファーストフードとあなどってはいけません。『ブリート』とはトルティーリャにチリコンカルネなどの具材を入れて巻いたものですが、アルミホイルに包まれてホカホカと出てきたブリート、ものすごく美味しくて感動。この昼食のコストパフォーマンスは驚くべきものでした。
この界隈を歩いているとスペイン語が飛び交い、ラテンアメリカ系の店が軒を連ねています。
写真はラテンアメリカの食材を揃えるお店。
そして、建物の壁には鮮やかな壁画。
そこに、メキシコの旗を掲げた若者たちを乗せた賑やかなトラックがやってきました。
何かのお祭りでしょうか?
ミッション地区を北上し、サンフランシスコ市の中心部、シビックセンターの広場にやってきました。
正面に見えるネオクラシックの建物が市庁舎です。現在の建物は大地震後の1915年に完成したものです。
広場ではファーマーズ・マーケットが開催され、人々で賑わっています。
この『ハート・オブ・ザ・シティ・ファーマーズ・マーケット』は、小規模農家を支援し低所得者にも新鮮な食料を安く供給することを目的として、1981年より非営利で運営されているものだそうです。
この変わった形の野菜は何でしょうか。
トマトやキュウリ、タマネギなどが箱いっぱいに並べられています。
こちらは果物です。ネクタリン、ぶどう。
そしてキノコ。おや、椎茸が "SHIITAKE" として売られています。
このマーケットは週2回、日曜と水曜に開催されるそうです。
大都会の街の中心でこんなマーケットが開催されているとは、とてもうらやましいことですね。
そこから少し東に進み、フォース通りにある『アンセル・アダムス・センター』に入ってみました。
アンセル・アダムスの厳しくも美しい自然の風景の写真を静かに鑑賞することができます。(*2001年に閉館)
そして、もう1本東のサード通りではサンフランシスコ近代美術館が建設中でした。レンガに円筒が突き刺さったようなデザインはマリオ・ボッタの設計です。
アメリカで最初に訪れた都市サンフランシスコ。いろいろな街角を歩き回り近郊も訪れて、明るく健康で開放的な雰囲気とともに、創設からの歴史、そして変貌する街の現状も少し伺うことができた4日間でした。さて、明日は次の都市、ロサンゼルスに移動します。