ついに東海岸までやってきました。ここはニューヨーク!
朝起きて外を眺めると、素晴らしい緑の景色が広がっていました。そう、私たちの泊まったホテル『サン・モリッツ・オン・ザ・パーク』は、セントラルパークのすぐ南というすばらしい立地にあるのです。
マンハッタン島のまん真ん中に位置する南北4km、東西0.8kmの長方形のセントラルパークは、大都会のオアシス。19世紀の半ばに、将来の都市化を見越して憩いの場を提供しようと計画されたそうです。
公園の周りには、この環境の恩恵を受けようという高級マンションが並んでいます。
1930年に建てられたこのホテルは、家具などもちょっとレトロな雰囲気です。
さてニューヨークの散策は、セントラルパークの東にある『フリック・コレクション』から始めることにしました(写真なし)。この美術館は実業家ヘンリー・クレイ・フリックの旧邸宅で、主に彼が収集した美術品が展示されています。観光客はあまりおらず、ゆっくりと鑑賞することができます。
セントラルパークに入ってみましょう。ここには緑の中に数カ所の湖があり、また施設としてはスケートリンクや庭園、屋外劇場などもあるそうです。
ジョギングや自転車を楽しむ人たちも多い。
公園を北へ進むと、巨大なメトロポリタン美術館があります。コリント式の柱が並ぶ壮大なファサード。
アメリカ人に芸術と芸術教育をもたらそうと1870年に開設したこの美術館は、先史時代から現代に至る世界的なコレクションを誇っています。
そして五番街をさらに北へ歩いていくと、街角に突然白くて円形が重なったような建物が現れます。グッゲンハイム美術館です。
鉱山王ソロモン・R・グッゲンハイムは1939年、自ら収集した現代アートのコレクションを収蔵する美術館を別の場所に開館します。その後、1943年にフランク・ロイド・ライトに設計を依頼し、1959年に完成したのがこの建物。
白いコンクリートの円と四角の外観はインパクト大。カタツムリとかオウムガイとか呼ばれているそうです。
設計案が施主のグッゲンハイムに承認されたのは1949年。さらに竣工まで10年かかったのですが、その原因の一つはニューヨーク市が前例のない形態の建築物に対して、なかなか許可を出さなかったからだとか。
では、早速中に入ってみましょう。
天井の低い入口を通り、受付を過ぎると、
巨大な円形の吹き抜けが現れ、劇的な空間構成に驚かされます。丸い天井のガラスからは淡い陽の光が差しています。
入場者はここからまずエレベーターで最上階へ行き、作品を鑑賞しながら螺旋状のスロープを下りてくるというわけです。ライトの代表作の一つ。
美術館を出て、五番街を南へと戻ります。メトロポリタン美術館を過ぎたところにあったのは、『ウクライニアン・インスティテュート・オブ・アメリカ』。
この建物は実業家イザーク・D・フレッチャーの邸宅として1897年に建てられたもので、まさに『邸宅』という雰囲気。現在はウクライナの文化や芸術を紹介するセンターとなっています。
セントラルパークの南端に戻ってきました。
セントラルパークの南辺に沿った59th通りには、私たちの泊まっているホテルを含め、この環境を楽しもうというホテルなどの建物がずらり。写真左は1907年に建てられたプラザ・ホテル。
ここからニューヨークの中心へ、五番街を南へ歩いていきます。
43th通りとの交差点から東を見ると、おお、クライスラー・ビルが姿を見せました。華々しいアールデコの頭の形ですぐわかりますね。通りの正面はグランド・セントラル・ターミナル。
さらに南へ進んだところにエンパイア・ステート・ビルがありました。1931年に完成したこの102階のビルは、長らく『世界一高いビル』でした。
アールデコのデザインで、外観は結構地味に見えますが、内部は大理石の床とか壁のレリーフとか、なかなか楽しいです。早速展望階へ。
高い! 北東方面を見ると、ちょっと膨らんだ板状のメットライフ・ビル、そして右にはご存知クライスラー・ビル。その奥にはイースト川に架かる白いクイーンズボロ橋が見えます。
眼下にはセットバックしたビル群が並び、レゴを積み上げたみたいです。
南を見れば、ロウアー・マンハッタンにワールド・トレード・センターのツインビルのシルエット。1970年にエンパイア・ステート・ビルを抜いて世界一高いビルとなったワールド・トレード・センターですが、まさかこの旅の8年後、2001年9月11日にテロによって崩壊してしまうとは。。
右手に小さくリバティ島と自由の女神像があるのがわかりますか?
エンパイア・ステート・ビルを出たら五番街を少し北へ戻り、42th通りを東へ。左手のクラシックな建物はグランド・セントラル・ターミナルです。
1913年に完成したこの駅舎の南面ファサードは3つの大きなアーチ窓を持ち、列柱に支えられて凱旋門のようです。
ターミナルの建物の中へ入ってみましょう。メイン・コンコースは84mx37mの大空間で、天井高さは38m。
ヴォールト天井の両側にはアーチ窓が設けられ、自然の光を招き入れています。
ターミナルの東隣にはガラスに覆われたホテル・グランド・ハイアット・ニューヨーク、その隣がクライスラー・ビルです。
外装にステンレス鋼を初めて大量使用したビルなのだそうです。頭頂部のアール・デコの王冠は、まさに『アメリカ』ですね。
クライスラー・ビルは77階建。1930年に完成し、エンパイア・ステート・ビルが完成するまでの11ヶ月間は世界で最も高いビルでした。
セットバックを繰り返す建物のセットバック階の一つ31階の四隅には、神話のマーキュリーの羽のついたヘルメット型のオブジェ、そして61階の八方に突き出ているのは鷲のオブジェ。
写真は42nd通り側のビルの入口です。三角模様はビルの頂上の王冠を飾る三角窓のイメージですね。
エレガントでちょっとポップなイメージのクライスラー・ビルは、アールデコの傑作、そしてニューヨークのアイコンとして、人々に愛されています。
さて、本日の散策はミッドタウンのこのあたりまで。明日はマンハッタン島の南端まで出かけます。
翌日。マンハッタン島の南、ロウアー・マンハッタンの金融街にやってきました。まずはトリニティ教会です。
教会の歴史は古く、最初のトリニティ教会は1698年に建てられたそうです。三代目となる現在の教会の建物は1846年に完成したゴシック・リバイバル様式です。写真は教会横の墓地。中央にある彫刻の塔もゴシック様式ですね。
トリニティ教会の正面から東へ、高層ビルの足元に延びる通りが『ウォール街』。写真はウォール街から見たトリニティ教会の尖塔。
あまり広くない通りをビジネスマン・ビジネスウーマンと観光客とが行き交っています。
そして、ウォール街から南のブロード・ストリートを見れば、列柱とペディメントの古典的建物が。これが『ニューヨーク証券取引所』、世界最大の証券取引所です。
ニューヨーク証券取引所は1817年に設立され、この建物は1903年に完成したもの。
ウォール街を東へと進みます。ビルの足元ではサンドイッチや果物などを売る屋台が出ています。忙しいビジネスパーソンが、ここらで今日のランチを買うんでしょうね。
振り返ると歴史ありそうな建築が並んでいますが、右手前の大きな柱が並ぶビルは『60 ウォール・ストリート』という50階建の超高層ビルで、1989年に完成。
このビルは、1900年代前半の建物が並んでいた敷地を統合して新たに建てられたもので、通りに面したところは周囲の景観に合わせてクラシック、ポストモダンのデザインとなっています。
ウォール街の突き当たりはイースト川。今度は川沿いのサウス・ストリートを北東へと進みます。この先にはサウス・ストリート・シーポートがあります。
サウス・ストリート・シーポートは19世紀にはニューヨークの玄関港として賑わっていましたが、その後ミッドタウンに船着場ができたためさびれてしまったそうです。その近くの通りにも、ウォール街のすぐ近くと思えないような古い小さなビル群や空き地が見られます。
このエリアの歴史を活かしつつ、観光客を呼び込める街として再生しようという動きが1982年から始まりました。
ここには19世紀初頭の赤レンガの建物を使って1967年に開設した『サウス・シーポート・ミュージアム』があります(写真左)。その向かいにある『フルトン・マーケット』(写真右)は、1822年からの歴史を誇る魚市場を、多くのレストランも備えた商業施設として再生したもので、新たな観光スポットとして脚光を浴びています。
こちらは、フルトン・マーケット・ビルのサウス・ストリート側です。
フルトン魚市場は、アメリカでも最も古い魚卸売市場の一つと言われています(*魚市場は2005年にブロンクスへ移転)。
この周囲には、歴史を感じさせる赤レンガの建物が残っており、修復され、レストランなどに活用されているものも見られます。フルトン・マーケット・ビルの効果が周囲へ伝播、拡大進行中という感じ。
サウス・ストリートの高架を潜って、船着場の方に出てきました。ここは『ピア17』という船着場です。
ウッドデッキの横には緑の屋根の楽しげな建物が。
その緑屋根は『ピア17』というショッピングモール。フルトン・マーケット・ビルの再生とともに建設され、1983年にオープンしました。
ここにはビュッフェ形式のレストランや様々な店が入り、華やかです。そして、帆船が浮かぶ桟橋も歴史を感じさせる演出。
ここ繋留されているのは、歴史ある本物の船です。
その一つ、この赤い船体に白で『アンブローズ』と書かれている船は、1907年から1932年までニューヨークやニュージャージーの港と外海とを結ぶアンブローズ海峡に設置された灯台船だそうです。
さて、ここから地下鉄でミッドタウン方面へ。42ストリート・ポート・オーソリティ駅で下りて、42nd通りを西へと歩きます。
途中、ちょっと古そうなレンガ壁のビルがありました。壁を塗ったり旗を立てたりオシャレな雰囲気。こうした古めのビルには、前面窓に取り付いた非常階段をよく見かけます。『ファイア・エスケープ』というそうで、雰囲気があって映画にもよく出てきますが、実際に窓から出てここを下りるのはかなり怖そうですね。
42nd通りの西のつきあたりはハドソン川。そして、ここにある桟橋がマンハッタン島一周クルーズを行っている『サークル・ライン』の出航地点です。
観光客を目当てに露天のお土産屋さんも並んでいます。
このクルーズは所要2時間半、マンハッタン島を反時計回りにぐるっと一周します。
クルーズ船は風に吹かれていい気持ち。港を出ると、すぐにエンパイア・ステート・ビルが見えました。写真左の川辺にある緑のガラスの建物は、1986年に完成したジャヴィッツ・コンベンション・センター。
そして、しばらくするとロウアー・マンハッタンの超高層ビル群が近づいてきました。
川沿いには、眺望を楽しもうというアパートやマンションが積み木のように並んでいます。
ここがマンハッタン島の南端。超高層の足元にある緑はバッテリー・パークです。
バッテリーは『電池』ではなく『砲台』で、1683年にイギリス人がここにあった砦に大砲台を備えたからだそうです。
ここで、マンハッタン島から少し離れて南のリバティー・アイランドへ立ち寄ります。ご存知、自由の女神が待っていました。
自由の女神像は、アメリカ合衆国の独立100周年を記念して独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され、1886年に完成しました。1892年に近くのエリス島に移民局が設置されると、ヨーロッパからの移民は自由の女神を眺めながらアメリカへの第一歩を踏み出すこととなり、自由の女神像は、アメリカが彼らを歓迎している希望として映ったのだそう。1986年の100周年を迎える前には修復も行われています。
マンハッタン島の南端を回り込んで、今度はイースト川へ入っていきます。左には、今は失われてしまったワールド・トレード・センター。
そして、午前中に訪ねたウォール街へと続く川辺の界隈。
サウス・ストリート・シーポートの界隈。桟橋にある赤い壁・緑の屋根の建物は、先ほど訪れた商業施設『ピア17』です。
その先に見えるブルックリン橋は、イースト川に架かる固定の橋としては最初の1883年に開設したもの。
クルーズ船はイースト川を遡り、ミッドタウンにやってきました。
クライスラー・ビルが見えますが、その手前の3本の煙突は何でしょうか。こんなところに工場があるのかな?
板状の国連事務局ビルが現れました。39階建のこのビルは1952年に完成。
超高層の事務局ビルの他に、その足元に円形ドームを持つ総議会場ビルと、イースト川の高速道路の上に張り出した理事会議場ビルが建てられ、さらに1961年には左に見える図書館が完成しました。
アッパー・イーストサイド。古いオフィスビルや超高層アパート・オフィスビルなどが混在しています。
この後、船はハーレム川に入り、ヤンキースタジアムなどを経由しながらどんどん北上します。そして高層ビルは少なくなり、川沿いには緑の公園や工場・倉庫などが現れます。
左へ曲がってスパイテン・ダイヴィル川に入れば、もうマンハッタン島の北端です。ハドソン川との境に架かるスパイテン・ダイヴィル橋は鉄道橋。橋の中央部に可動部分があり、中央を軸に65度まで回転し、両側に30mずつの水路を開くことができます。
鉄道は1日に30本ほど通り、一方、この水路は主に今乗っているクルーズ船などを通すため、年間1,000回以上(ということは1日平均3回程度)開かれるのだそうです、
ハドソン川を南下して、出航地点まで戻ってきました。楽しいクルーズでした。
さて、ミッドタウンに戻ってきたのでタイムズスクエアに立ち寄りましょう。ビルの壁面いっぱいの巨大広告。そんなのが、周囲にたくさんあります。
企業の広告がビルを埋め尽くしている繁華街です。周辺には劇場も多く、それらの看板も派手で賑やか。
『タイムズスクエア』という名称は、1904年、交差点南側正面にニューヨーク・タイムズ本社ビルを建設したからだそうです(写真とは交差点の反対側)。
上の写真の北正面ビルの足元に『Tkts』があります。これは、ブロードウェイやオフ・ブロードウェイのミュージカル、芝居、コンサートなどのディスカウント・チケットを販売するブースです。
せっかくなので、私たちも本場のミュージカルを見ることにしましょう。というわけで、今宵は初心者でもわかりやすそうな『キャッツ』を。
タイムズスクエアから西へ散策を続け、パーク街へ出てきました。
現在のグランド・セントラル・ターミナルが建設され線路が地下を通る以前は、このあたりには鉄道線路や車庫などがありました。空いた土地は『ターミナル・シティ』として開発され、建設されたビルの一つが写真のヘルムズレイ・ビル(1929年)。また、後ろの59階建のメットライフ・ビル(1963年)は、以前は『パンナム・ビル』として『兼高かおる世界の旅』の扉に出てきてお馴染みですね(知ってますか?)。
パーク街を北へ進むと、聖バルトロメオ教会があります。以前の教会は別の場所にあり、ロマネスク・リバイバル様式だったそうです。現在の建物(1917年完成)はビザンチン・リバイバル様式ですが、信徒たちの要望に応えて従前の建物の門と扉を移設しています。
今日の散策は終了。夕食はどこにしようかな。ところで、アメリカの食事は評判が良くないのですが、私たちは友人のオットマッタから教えてもらった『ザガット』(Zagat)というレストラン・ガイドのおかげでハズレなしでした。
さて、ニューヨークの3日目が始まります。ハルさんは帰国し、今日からサイダーが合流です。
本日最初に向かったのはニューヨーク近代美術館(MoMA)。1929年に創設されたMoMAは1939年に現在の場所に移り、1950~60年代に建築家フィリップ・ジョンソンにより拡張され、屋外に彫刻庭園がつくられました。
大都会の中の水と緑の溢れる一画は、美術館を訪れる人たちだけでなく街行く人たちにも憩いの場を提供しています。
1984年にはシーザー・ペリの設計による大規模な改築が行われ、ガラスのエスカレーターのあるガーデン・ウイングが増設され展示面積も2倍になったそうです。
写真左奥がガーデン・ウイング。
こんなところに山羊がいた! ピカソの彫刻『雌山羊』。
美術館の展示は素晴らしく、近代以降の巨匠の傑作が目白押しです。『世界で最も優れた近代美術の美術館』と言われるのも頷けます。
ところで私たちが訪れたのは1993年ですが、その後MoMAはさらなる拡張を計画し、国際コンペで選ばれた建築家谷口吉生の設計により大規模増築が行われ、2004年にリニューアルオープンしています。
さて、この日の午後は、宿泊する民家のあるJFK空港の近くまで移動します。そこは友人オットマッタの実家。実は、たどり着くまでに色々と騒動があったのですが、その話はまた別の機会にでも。
翌日は、ニューヨークの最終日です。今日はまたマンハッタン島に戻り、マンハッタン北部のハーレム地区のツアーに参加します。
黒人の街、治安が悪い、観光客は行ってはダメ、などとガイドブックには書いてありますが、近年は地域を少しずつ再生しようという取り組みも行われていると聞いており、またヒスパニックの人たちなど新たな移民も住み始めているらしい。バスツアーでその一端を見学しましょう。
ハーレムの歴史を見ると、1600年代半ば頃この地に入植したオランダ人がオランダの町ハーレムにちなんで『ニュー・ハーレム』と名付けたことから始まっています。18世紀半ば頃はニューヨーク市の富裕層の別荘地だったそうです。
南北戦争が終わった19世紀終わり頃からユダヤ系移民やイタリア系移民の人口が急速に増え、ハーレムとミッドタウン、ロウアー・マンハッタンをつなぐ鉄道が開通したこともハーレムの発展を加速。
そして、20世紀初頭には南部諸州の黒人たちが大量に東部へ移動し、ハーレムに流入します。1920年代には黒人街となって、ジャズ・ミュージシャン、小説家、画家などのアーティストが活躍し、アフリカ系アメリカ人の文化が花開いたのだそう。
このあたりには19世紀末~20世紀前半頃に建てられた建物も多いのでしょう。アパートの壁は石張りで、新ルネサンス様式のポーチやコーニスがあったりします。
そして、古いアパートには半地下のような住居があるのも特徴的。これは『ガーデン・アパートメント』とか『ガーデン・フロア』とか呼ばれ、家賃が安く上階とは玄関が別というメリットもあるそうな。
ツアーバスが停車した所は、125thストリートにある『アポロ・シアター』です。
1913年に建てられた『アポロ・シアター』は、1934年に黒人のエンターテイナーを雇うニューヨークで唯一の劇場として再オープンし、黒人文化の象徴的存在となったとか。
ここで毎週水曜日に開催される『アマチュア・ナイト』は歌手やダンサーのプロへの登竜門。ここからダイアナ・ロスやジャクソン5、スティービー・ワンダーなど数々の大スターを輩出してきたといいます。
アポロ・シアターの前に集まっているのは歌手の女性たちなんでしょうか。
街を歩く人たちの大半はアフリカ系。大きな建物は少なく、店舗もほとんどが個人商店のようです。
食料品店が並んでいます。中華料理店もありますね。
続いて126丁目のマウント・モリアー・バプテスト教会にやってきました。教会の建物は1888年築だそうで、石造りの新ロマネスク様式。教会の前には大勢の人たちが集まって中へと入っていきます。
私たちも一緒に中へ。すると、教会の中でミサに続き、掛け合いのようなやりとりが始まります。参列している観光客にも『みんなはどこから来たんだ~』と投げかけがあり、『オーストラリア!』『ベルギー!』などと応えると、『おお~』と拍手が起こる。何だか気持ちよい。サリーナも『日本!』と叫んで『おお~』と拍手をもらいます。
こうして始まったゴスペル、歌声に聴きほれたり一緒に歌って盛り上がったり、楽しい時間でした。歌っていたARCゴスペル・コアーは、地域の薬物依存症の治療を経済的に支援する活動なのだそうです。
再び街並みを散策。歴史を感じさせるアパートも多く、ちょっと凝った感じのデザインのものもあります。
セントラルパークのすぐ北、とても便利ないい立地に思えるのですが、地域イメージの問題で開発の波がやってこないのか?
そんな街角で、ときどき修復が進みつつある建物を見かけました。ニューヨーク市では中低所得層の手が届く住宅が不足しており、1980年代後半からハーレム地区などで、差し押さえなどで放置されていた既存住宅の改修が進められているそうです。
1990年代に入ると徹底的な治安改善政策が行われ、居住環境が急速に改善してきたというハーレム地区。歴史的な街並みやコミュニティのつながりの強さを活かせれば、とても住み心地の良い街になっていくように思えます。
ハーレム・ツアーを終え、ニューヨーク市の繁華街中心部に戻ってきました。林立するビルの間に見つけたのは楽しい通り道『マックグロウ=ヒル・ウォーターフォール』。滝の下のトンネルを潜れます! 1970年代につくられたというポケットパークと滝、そしてトンネル。いかにも涼しげでオシャレ。
そもそも『ポケット・パーク』の始まりは1967年にミッドタウンにつくられたペイリーパーク(Paley Park)なのだそうで、こちらのステキな小公園にも滝があります(トンネルはないです)。
さて、これで今回のニューヨーク、そしてアメリカの旅は終了です。初心者コースの4つの大都市巡りでしたが、それぞれに個性的で見所も多く、アメリカは若い国だと思っていましたが歴史も深いなあと感じました。