シカゴの朝、快晴です。私たちの泊まっているホテルはミシガン・アヴェニューを挟んでグラント・パーク、さらにはミシガン湖に面しています。
この素晴らしいロケーションを楽しもうと、朝のジョギングを開始したサリーナ。ミシガン湖に向かう途中、グラント・パークの中をシカゴから南をつなぐ鉄道が走っています。道路の下を線路が通り、正面には青空に摩天楼。いいじゃないですか~
そして、ミシガン湖の湖岸に到着。湖にはヨットがたくさん浮かんでいます。北をみれば、昨日のクルーズ船から見た超高層が林立しています。
気持ちよくちょっとだけジョギングして、あとはウォーキング。広くて緑豊かな公園と湖、ダウンタウンのすぐ隣に豪華な自然の空間があるとは羨ましいなあ。
さて、今日はシカゴの中心部から列車でちょっと移動します。ホテルからシカゴ・ノースウエスタン鉄道(CNW)の駅に向かいますが、その途中で1箇所、シカゴ川の南運河を渡ったところにあるユニオン・ステーションを訪ねます。
シカゴのユニオン・ステーションは、10年の建設期間を経て1925年に開設。外観は四角い箱にポルティコを支える巨大な列柱が並ぶネオクラシック様式です。
この建物の中央にあるのがグレート・ホール。大理石の柱が並んだクラシックな雰囲気のこのホールは2,200㎡にも及ぶ待合室で、大きな木のベンチが並んでいます。
そして、ホールの天井は湾曲したガラス。ここから淡い日の光が差しています。壮大な神殿のようなつくりですが、ピンク色の大理石やクリームがかった壁の淡い色合いがやさしい。
この建物の東ブロックには、運河に面してやはり古典様式のコンコースの建物があったそうですが、1969年に壊され、代わってそこには超高層オフィスビルが建てられました。
見学を終えて、3ブロックほど北のCNWの駅に到着。私たちは、ここから15分ほどのオークパーク駅へ向かいます。
列車は2階建。写真を撮っていたら、駅員さんが『シカ~ゴ!』と愛想してくれました。
オークパーク
オークパークに到着。この郊外住宅地は、1889年に建築家フランク・ロイド・ライトが自ら設計した家とアトリエを建て、その後1909年までに25の建築を残したところです。
ライトの建築を巡る街歩きは、まず駅に近いユニティ教会から。写真の左に見えるのは、道を隔てて向かい合った別の教会の塔です。
装飾のないコンクリートの壁面の上部には、ギザギザ模様の柱を介して窓が見えます。そして四角いプランター。
1906年に建てられたユニティ教会。その中に入ってみましょう。
入口は、コンクリートに挟まれた感じの低い木の扉です。
教会の内部に入ると、クリーム色の壁と木の造作の高い天井の空間が現れます。それほど大きな空間ではありませんが、上に延びる壁や木の縁、そして照明が高さを意識させます。
上部の窓からは柔らかい光が差し込みます。
正面の中央には説教台。かっちりとした四角い造作を組み合わせ、微妙に色を違えた壁も感じ良いです。
そして、説教台の背景となる壁は縦の直線で埋められ、引き締まっています。
高い天井からすーっと伸びて吊り下がっている照明の四角や丸のデザインは、ちょっと日本的な雰囲気もありますね。
ユニティ教会を出て、ライトの自邸へと歩き始めます。
オークパークはシカゴ市の西に隣接した町で、シカゴ大火後にシカゴ郊外の住宅地として急速に発展したそうです。緑豊かな通りには戸建住宅が並んでいます。こちらのお宅はクイーン・アン様式、1890年築だそうです。
そのお隣。三角の切妻のデザインが凝っている邸宅。
広い庇が延びているライト風の邸宅。
そして、フランク・ロイド・ライトの自邸兼アトリエに到着。最初にこの自邸を建てたのは1889年、ライトが22歳の時のこと。その後、部屋を増やしたりスタジオが追加されました。
写真は北側の道路から見たところ。右の手前が彼自身のオフィス、左の8角形の建物は14人が働く設計製図室だったそうです。
プランターに挟まれたスタジオの入口を入ると『フランク・ロイド・ライト 建築家』と彫られた表札があり、その上には友人の彫刻家リチャード・ボックによる彫刻が置かれています。
スタジオの前に並ぶ柱の頭には木、本と、建築設計図面を挟んだ2羽のコウノトリの彫刻が。これも彫刻家リチャード・ボックによるものだそうです。
そして、こちらは敷地の南側に建つ住宅。西の道路から入口を見たところです。残念ながら中には入れませんでした。
ライトは仲間と共に、このオークパークのスタジオで『プレーリー・スタイル』と呼ばれる多くの住宅の設計を行いました。
続いて、この近くのライト設計の住宅を訪ねていきましょう。個人の住宅なので、外観を眺めるだけです。
ライト自邸から少し西に進んだところにあるのは、ウォルター・H・ゲイル邸です。ライトが独立して初めての作品だそう。建物の雰囲気は自邸によく似ています。
そして、こちらはネイサン・G・ムーア邸。広い敷地の芝生の中で、外からもよく眺められます。
1895年に建てられたこの住宅は、施主の要望によりチューダー朝様式とされたそうで、全体的にはあまりライト風には見えませんが、その後の改修の機会にライトはプレーリー・スタイルの要素を付加したのだそうです。
庭に面した南側。前面に庇が延びて、横に広がるバルコニーなどは、いかにもライトのデザインです。
ムーア邸のすぐ南隣には、エドワード・ヒルズ・デ・カーロ邸があります。
既存住宅の1906年の全面改修だそうですが、広い庇や四角い線など、ライトの特徴が明確に表れています。
ムーア邸とヒルズ邸の向かい側には、アーサー・ヒュートレー邸(TOP写真も)。このあたりはライトの住宅の屋外展示場のようですね。
ヒュートレー邸は1902年に建てられ、ライトがプレーリー・スタイルを表現した初期の事例の一つと言われています。
そして、大きな木に囲まれたこの住宅は、1909年に建てられたローラ・ゲイル邸です。
クリーム色の外壁を茶色の縁取りが引き締めています。
広いバルコニーはキャンティレバー。ライトがキャンティレバーを際立たせた最初の作品だそうです。
こうしたつくりは、その後の超有名な傑作『落水荘』を思い起こさせますね。
こちらは、ピーター・ビーチイ邸。元はネオゴシック様式のコテージだったそうですが、1906年にライトが全面改修しました。
この住宅では、改修後のデザインにマッチするよう、ライトが家具デザインも行ったそうです。
オークパークで最後に訪れたのは、フランク・トーマス邸。
1901年に建てられたこの住宅について、ライト自身が『プレーリー・ハウスの最初の住宅』と言ったそうです。
水平方向を強調して延びる庇。両側のプランターの入口を入るとアーチのエントランス。
ヒュートレー邸とも同じ要素を見ることができます。
そして、右側の突き出た部屋の上部にはめ込まれた3つの窓。カッコいいですねー。
シカゴの中心部からほんの15分ほど、緑豊かなオークパークはライトの住宅の博物館のような素晴らしいところでした。
さてシカゴのダウンタウンに戻ったら、今日もナイトライフを楽しみましょう。今宵はブルース、音楽とともにシカゴの夜は更けていきます。
シカゴ ニア・サウスサイド
翌日。今日はシカゴの最終日、夕方の飛行機でニューヨークへ移動します。
それまでの時間はホテルから徒歩でダウンタウンの南側、ニア・サウスサイドをゆらりと散策します。まずやってきたのは、フィールド自然史博物館。
この博物館は、1893年のシカゴ万博の出展品を展示する施設として始まり、その後、1921年に建てられた新古典様式の現在の建物に移転しました。
ここは、自然史にちなむ豊富な収蔵品を誇るとともに、多彩な教育・研究プログラムを提供しています。
エントランスを入ると、まず巨大な恐竜の全身骨格模型が迎えてくれてかなりインパクト大。この恐竜はティタノサウルスの一種だったか?
現在の地上で最大の動物、象と比べてみると、この恐竜がいかに大きいかがわかりますね。
展示は地球上の生物の誕生から進化、人類の歴史、地形と鉱物の世界など、どれも興味が尽きません。
そして、これはさまざまな『サイズ』を体験するプログラム。自分で触ったり動いたりして体験できるのは面白い。大きい、小さいとは、一体どういうことなのかを学びます。
博物館を出て次に向かったのは、プレイリー・アヴェニュー。フィールド自然史博物館から1km少々南にあります。
この通りには1800年代後半から裕福な人々がここに住み始め、1871年のシカゴ大火以降は邸宅の並ぶ最もオシャレな界隈と言われたそうです。写真はキンバル邸。
キンバル邸は、1892年に完成したピアノ製造事業者ウイリアム・ウォレス・キンバルの邸宅です。
連なる形の屋根、花崗岩の壁とレリーフなど、まるでヨーロッパのお城のよう。
キンバル邸のプレイリー・アヴェニューを挟んだ東側には、グレスナー邸があります。ヘンリー・ホブソン・リチャードソンの設計で、1887年完成。
ビクトリア朝様式がほとんどのこの時期の住宅建築において、装飾を抑えたロマネスク風(リチャードソニアン・ロマネスクと呼ばれるそう)の外観と中庭のあるプランは革新的で、19世紀の重要な住宅建築の一つだとのことです。
グレスナー邸の南側には、かつては邸宅が並んでいましたが、現在は公園になっています。
公園の柵に、ここにあった邸宅を説明する看板が取り付けられています。
その公園の南端にあるのはキース邸、1871年の完成です。フランスの邸宅のようなデザインですね。
プレイリー・アヴェニューはこの住宅の前でいったんクルドサック(袋小路)になっており、車の通り抜けがなく静かに散策できます。
そして、公園の中央西寄りにはクラーク邸があります。1836年に建てられたこの住宅は、現存するシカゴ最古の住宅と言われています。
建物の東西両面は、ペディメントをドリス式の柱が支えるギリシア風、中央には鐘楼のような見晴台のような部屋が乗っています。元はこの近くのミシガン・アヴェニュー沿いにあったそうですが、1977年にシカゴ市が買い取り現在地に移築したそうです。
クルドサックの南側にある赤レンガの建物は、マーシャル・フィールド・ジュニア邸。
1884年に建てられたというこの邸宅は今は使われておらず、かなり傷んでいます。(*その後外観を残して再生され、コンドミニアムとされたようです)
これらの写真の建物もプレイリー・アヴェニュー近くで見かけました。
かつて、通りの両側に大邸宅がずらりと並んだというプレイリー・アヴェニュー。シカゴのダウンタウンのすぐ近くに個人の大邸宅を残し続けるのはなかなか難しいでしょうが、地域の歴史を感じられる『プレイリー・アヴェニュー・ディストリクト』として一部が保存されているのは素敵なことだと思いました。
さて、シカゴ観光もこれでおしまい。次の目的地のニューヨークへ、そろそろシカゴ・オヘア空港に向かいましょう。