香港
社会主義国ベトナムは、1980年代後半からのドイモイ政策により民間経済活動が盛んになり、1990年代には西側諸国や中国との友好外交政策を進めてきました。1994年から成田とホーチミンを結ぶ直行便の飛行機が開設されるなど、日本からのベトナム旅行も脚光を浴びつつありました。
ベトナムって面白そう!食べ物もおいしそう!というわけで、1997年6月、サリーナは友人のリカちゃんと一緒に約1週間のベトナム縦断旅行を計画。まずは飛行機でハノイへ。
ところが、乗り換えの香港の天気はかなりの荒れ模様です。香港のカイタック空港といえば、林立する超高層ビル群をかすめて飛ぶスリル満点の空港。こんな嵐の中でちゃんと着陸できるのかと不安に思っていたら案の定、隣のマカオ空港に着陸することになりました。そして、その日は乗り継ぎできずマカオ空港でお泊まり。
旅は出だしから波乱含みですが、『マカオはポルトガル領、おいしいワインがあるんですよね〜』とリカちゃん。その夜はなぜかワインで盛り上がりつつ更けていきました。
翌日。結局1日遅れでハノイへの便に乗ることになり、それまでの時間で少しだけ香港を歩きます。
というわけでやってきたのは九龍半島の尖沙咀。時計塔の前の広場に来てみると、赤や青の龍の飾り付けの真っ最中です。今日は1997年6月14日、あと2週間ほどで香港は中国に返還されるのです。そのための式典かお祭りの飾り付けなのでしょう。
大通りをぶらぶら歩いていて見つけたこの建物は何でしょうか。『新婚大会堂』と書いてあります。結婚式場?
そして、ソールズベリー通り沿いのペニンシュラホテルの前に出てきました。
ホテル前の通りを隔てた海側に、中国調の門のようなものが準備されつつあります。これも返還の式典に関係する門なのでしょう。
海辺にやってきました。正面に香港島の中環〜湾仔あたりのビル群が見えています。
中央の筒が3方に突き出ているような建物は、香港会議展覧中心(コンベンション・アンド・エキジビション・センター)です。第一期棟は1988年、第二期棟は1994〜1997年にかけて建てられ、この第二期棟で香港返還式典が行われるとのこと。
ビル群の間の通りを歩いてみると、建物から通りへ垂直に突き出るいかにも香港らしい看板は健在です。
でも1985年に最初に香港に来たときに比べると、数はかなり減ったような気がします。
これは、香港の中国返還を祝うネオンサインか。
祝賀の横断幕とともに、懸念を示しているらしき横断幕も。
再び時計塔の広場に戻ってきました。7月1日の返還の日に向けて、龍の飾りが空を見つめます。
偶然にも、中国に返還という歴史的な出来事の直前の香港を歩くことになった私たち。短い散策を終えて空港へと向かいます。
ハノイ
夕方ハノイに着き、その夜は水上人形劇を見に行きました。写真はありませんが、長い竿につけた糸で操る人形劇はなかなか楽しく、その後、独特の動きをリカちゃんとサリーナとで真似っこしては盛り上がりました。
さて翌朝。ハノイ観光は今日1日のみなので、早速街歩きスタート。通り沿いのお店からは美味しそうな匂いが漂います。人々の生活が外まで溢れ出ていて、俄然、街歩きのワクワク感が高まります。
私たちもどこかで朝食をとりましょう。
とりあえず進んでいくと、鮮やかな花束が目に飛び込んできました。お葬式用の花輪のお店のようです。
あたりでは、小さな店や露店が準備を始めています。花を積んだ大きなカゴを乗せた自転車が通り過ぎていきます。
こちらは肉やハーブなどの具を葉っぱに包む作業中。何だかわからないけど美味しそう。
道路を渡ろうとすると、自転車やオートバイが切れ目なく走ってきます。
車はほとんど見かけず自転車が多く、なかなかの混雑ぶり。子どもを乗せて3人乗りなんかもよく見かけます。
7世紀頃、中国の唐による南方支配の拠点としてベトナムの中心都市となったハノイは、その後、一時その重要性は低下したものの、11世紀にベトナム北部に興った李朝の都とされて繁栄したそうです。
19世紀の終わりにフランスに占領されるとフランス領インドシナの中心地となり、その後、1940年の日本の仏印進駐、1945年のベトナム民主共和国の独立宣言、さらにベトナム戦争を経て1976年に南北ベトナムが統一され、ハノイはベトナム社会主義共和国の首都となりました。
写真の建物には1926年と書かれており、フランス統治時代のものであることがわかります。かなり傷んではいますが、歴史を感じさせる佇まいです。
通りでは、天秤棒を担いでやってきた人たちが腰をおろし、露店がどんどん開いていきます。
そんな街角で、鮮やかな服のおばさんの店からは湯気が立ちのぼり、美味しそうなフォーの香りが溢れてきました。
フォーの本場はハノイです。『ここにしよう!』と店に入るサリーナとリカちゃん。
米粉のベトナム麺を茹でて、香草と鶏肉を入れてスープをかけたらできあがり。
テーブルで別皿に盛られたパクチーなどを加え、ライムをたっぷり絞っていただきます。この『フォー・ガー』(鶏のフォー)、めちゃくちゃ美味しいです~。ベトナムって素晴らしい。
美味しい朝食を終え、街歩きを再開。すげ笠の人たちが行き交う通りを進みます。
緑の並木が鮮やかな大きな通りに出ました。車はほとんど走っておらず、自転車かオートバイです。自転車タクシーも見られます。
こうした大通りはフランス統治時代に整備されたものなのでしょう。
駅前の通りにやってきました。このピンク色のホテル・ドンロイは1952年創業だそうです。
通り沿いには間口の狭い建物が並び、日本の町家のようです。
間口の長さに応じて税金が決まるので、短冊形の細長い敷地・建物が多いと聞いたような気がしますが、どうなんでしょうか。
駅前の通りを北に進んでいくと、鉄道の線路にぶつかりました。
列車の本数は少ないので、線路は通路になったり露店を開いているところもあって、使い方が時間で動くダイナミックな感じが面白い。
この辺りはとても賑やかで、通りには自転車やオートバイが溢れています。
信号がないところを渡るのは、慣れないと一苦労。地元の人たちは、川の流れに身をまかせるようにゆらゆら、スイスイと渡っていきます。
ディエン・ビエン・フー通りに入り北西へと進んでいくと、ベトナムの国旗を掲げる塔がありました。
この塔は1812年に見張り台として建造されたものだそうで、高さは33m。
このあたりは政府関係の施設が多いようですね。スローガン入り看板を見かけました。絵が懐かしい感じ。
そして、その先には木々に囲まれた邸宅のような建物が並んでいます。
これらは外国大使館のようです。かつての邸宅を使っているのでしょう。
緑の芝生の広場に出てきました。ここはバーディン広場、そしてその前のギリシア神殿を思わせるような建物が『ホー・チ・ミン廟』です。
近づいてみると、長蛇の行列ができています。ホー・チ・ミンが亡くなったのは1969年。このホー・チ・ミン廟は、その後、ベトナム当局が2年をかけて1975年に完成したそうです。
私たちも中へ。ホー・チ・ミンの遺体が安置されており、立ち止まることはできずぐるっと回って出てきます。
ここからは東へ、旧市街を目指して歩きます。
途中にあった楕円の花輪のお店。店先に下がっている赤い布には仏様の絵があり、◯に西の文字が見えます。お葬式の時に使うもののようで、『西』は『西方極楽』を示すらしい。
こちらはお店がいくつか集まるモールのようなところです。
ちらっと覗いてみると、池の中の岩山の足元に怪しげなポーズで寝そべるカエルが。
いろいろ寄り道しながら、旧市街の中にやってきました。果物屋さんには、赤いタンロン(サボテンの一種)、ぶどう、チリモーヤなどが積まれています。
チリモーヤは南米原産の果物で、スペインで食べたことがありましたが、ベトナムにもあるんですね。
この辺でお昼にしましょう。朝のフォーは軽いので、すぐにお腹が空いてしまうのでした。
やってきたのは、リカちゃんが選んだ『チャーカー・ラボン』というお店。旧市街の真ん中にあり、ハノイの名物店だそうで、『チャーカー』は雷魚の切り身と野菜をスパイスで炒め、香草やピーナッツ、ビーフンなどと一緒に食べる料理です。
お店はチャーカーを楽しむ人たちで満杯、地元の人たちの人気店なのです。
雷魚ってどうなのよ?と思っていましたが、それ自体は淡白で、いろいろな野菜とタレのブレンドでとても美味でした。
お腹がいっぱいになったら、旧市街の探索に出かけます。さまざまなお店がごちゃまんと並んでいて、とても楽しい。
ここは結婚式などのお祝いグッズ屋さんですね。赤やキラキラの飾り、ハートマークのカード、赤いお線香などが並んでいます。ベトナムでは今は漢字を使っていませんが、こういう行事的なところには漢字がたくさん残っていますね。
北に進んで、ドンスアン市場の周辺にやってきました。この集合住宅の足元1階には野菜や乾物などの小さな店が集まった市場が広がっています。
それにしても、上階のバルコニーはいろいろな形で使われていて面白い。トタンのようなものを張り出して使っているところは、落ちないかとちょっと心配になります。
足元の市場に入ってみましょう。
手前の店では、女性が茹でたタケノコを使いやすく切ってザルに入れて売っています。その向こうでは、ザルに入れたパイナップルやキュウリ。
こちらの大きなカゴには、干しエビや煮干しなど、干物がたくさん並んでいます。
ここではイカや魚の干物が店頭に並ぶ。炙ってビールのつまみにしたい。
スズメダイのような魚の干物。
店先の歩道は作業場です。こちらの女性は豆を選り分けているところ。
道路の上での店開きも当たり前。ここで売っているのはつるのついた緑の実です。何でしょうか。それから葉っぱが綺麗に並べられています。
今度は食器屋さんがずらりと並んでいるエリアです。お皿、お碗、カップなどがわんさか積まれています。
店の前で、ザルに入れて花びらのように並べられているティーカップ。お買い得品なのでしょうか?
天秤棒で運んでいるのはシュロか何かで編んだ手提げかごです。ちょっと欲しかった。
次はアクセサリーや化粧品を売っている店が並ぶエリア。いろいろなものが店先にぶら下がっています。
並木があってちょっと涼しげな店先では、読書に夢中の人々も。
ぶら下がっているのは髪飾り。そして、細長い店内にはネックレスやヘアバンド、その他諸々。
ここでは間口の狭い衣類の店がずらりと続きます。よく見るとそれぞれの店に専門性があるようで、一番手前は男性のズボン、次はTシャツ、その次は水着のようです。並び方にもう少し一貫性があるといいのでは、と思いますが。。
その次に出たところでは、店の前に石板や甕のようなものが並べられています。
そして、店頭には石板のサンプルが。写真が入ったり、金や白の文字が彫られています。
そう、ここは墓石屋さんです。店の前では、男性たちが黙々と墓石に文字を刻む作業を進めていました。
旧市街をうろうろし終わったら、ホテルへ戻ります。その途中にあったこの建物は、ハノイのオペラハウス。現在は修復作業中のようです。
このオペラハウスはフランス統治時代の1911年に、フランス人建築家によって建てられたそうで、デザインのモデルはパリのオペラ座なんだそうです。
さて、ハノイ観光はこれで終了です。自転車主体の街は喧騒の中にもどこかゆったり感があり、時にフランスの香りが漂い、そして旧市街はどこの街角を覗いてもとても楽しいところでした。短い滞在を終え、私たちは今晩の夜行列車に乗り、車中泊を経てフエに向かいます。