フエ
朝、夜行寝台列車はフエ駅に無事到着。この列車はホーチミンまで行くので、駅にはこれから乗る人たちもたくさんいました。
駅では荷物運びの人たちが待機していて、私たちに愛想してくれます。何となくのんびりムードでいい感じ。
フエ駅を出てホテルへと向かいます。ベトナムの中部に位置するフエは、19~20世紀にかけての阮朝(グエン朝)の都だったところです。
1801年に阮朝の創始者であるザーロン帝がフエを都と定め、19世紀の終わりまでに王宮や郊外の帝陵の建設が行われました。1883年にフランスに占領された後も阮朝の皇帝はフエの宮殿に住み続けていましたが、1945年に皇帝バオダイ帝が退位を宣言して阮朝は滅亡したそうです。
ホテルを確保し、今日はレンタサイクルで王宮をはじめ市内の近場を観光します。が、その前に腹ごしらえ。
ここの名物は『ブンボーフエ』、訳せば『フエ風牛肉汁ビーフン』。太めの米粉の麺に牛肉と野菜、そして唐辛子もきいたピリカラの汁そばです。そのままでも辛いのですが、小皿に追加用の唐辛子が添えられています。結構濃厚な味で、ハノイのフォーとは随分違いますね。
さて、自転車でまずは王宮へ向かいます。フエの街はフォーン川を挟んで北の旧市街地と南の新市街地に分かれており、橋を渡って旧市街エリアの王宮へ。
フエ王宮は、縦・横それぞれ600m強、濠と城壁に囲まれた約3.6k㎡の広大な敷地に王宮の他いくつかの建物が点在しています。川に近い南側にある立派な『午門』が王宮の正門です。この門は、1805年に初代皇帝ザーロン帝によって築かれた見張り台を2代皇帝ミンマン帝が改築して1833年に完成。『午』は南の方位を意味しているそうです。
午門の北側正面にあるのが太和殿。ここで皇帝の即位式などの朝儀が行われたといいます。
太和殿は1805年にザーロン帝によって建てられ、1833年にミンマン帝が改修。1968年のベトナム戦争中のテト攻勢で破壊され、現在の建物は1970年に再建されたものです。
柿色の二重になった屋根が水平方向に広がり、格式ある中に開放感も感じる建物です。
屋根の上には左右に龍が向かい合い、その中央には玉。屋根や柱のさまざまなところに龍の装飾が見られます。龍は皇帝を象徴するのだそう。
これは太和殿の建物を取り囲む柵ですが、陶製の焼き物が組み込まれていてなかなか凝っています。
絵付け陶器のかけらがはめ込まれているのも面白い。
太和殿の北には、右廡・左廡という2つの建物が向かい合っています。これらは高級官吏の詰め所だった建物だそうです。写真は左廡。
屋根の飾りの中央は『龍』、それとも『鹿』?
さらにその北には、皇帝の政務および生活区画として周壁で区切られたエリアがあります。
ここにあった建物は1947年のフランス軍との交戦により失われてしまったそうで、周壁が残っているのみです。
次に、王宮敷地内の南西にある『世廟』へ。写真は世廟の周壁の門『世廟門』です。
なぜか世廟エリアでは建物の写真を撮り忘れてしまいましたが、1821年に建てられた世廟にはグエン王朝の歴代皇帝の位牌を祀っています。
世廟門を入るとまず現れるのが顕臨閣。世廟の前閣で、三層になった小ぶりの建物です。
建物の前には青銅製の鼎がいくつも置かれています。鼎には動植物などの模様が描かれており、写真のような模様もありました。『波羅蜜』とは仏教用語にありますが、果物のジャックフルーツのことでもあるそうです。
そして、実際のジャックフルーツも発見。
王宮内の見学を終えて、次はドンパ市場に行ってみることにしました。
ドンパ市場自体はコンクリート2階建ての広い建物ですが、その周辺が面白い。市場のフォーン川に近い側の道路を、座り込んで前にカゴを置いた露店やテントで覆った店がぎっしりと埋め尽くしています。
こちらの店先のカゴにはおいしそうな果物が。リュウガン、タンロン、マンゴスチン、チリモーヤなどなど。
ここでは、青いバナナがたわわに実った先端丸ごとの塊がたくさん並べられています。購入単位はこの塊でしょうね。
ここには醗酵調味料などが置いてありますが、見事に積まれているのはエビの絵が書いてあるペーストの瓶。エビの調味料か。
いろんな種類の豆。カラフルできれいです。
そして果物屋さんのステキな笑顔。南国フルーツがたくさんきれいに並んで美味しそうです。
このあとドンパ市場に入り、サリーナもリカちゃんも衣類の購入に走ります。うまく交渉できたかな。。
市場を出て本日最後に立ち寄ったのは、新市街にあるフエ大教会。1960年前後に建てられたローマカトリック教会だそうです。西洋建築のような中に、ベトナムのテイストが入り混じっていますね。
ホテルに戻り自転車を返し、昨日は夜行寝台列車だったので今宵はホテルでゆっくりくつろいで過ごします。ついでに、こんな衣装も着たりして。。王族の美女たち(笑)
さて、明日はフエ郊外のボートツアー。ボートに乗って帝陵やお寺を巡る予定です。
フエ郊外 帝陵巡り
今日は、ボートに乗ってフォーン川を遡り、グエン王朝歴代皇帝の陵墓やお寺を巡る一日ツアーです。
川辺のボート乗り場にやってくると、かわいくペンキが塗られたボートが何艘も停泊し、子どもも含め、家族で出航準備をしています。
いざ出航! ゆるやかに流れる川の両側には濃い緑の木々が生い茂り、川辺には物資を運搬するボートの姿も見えます。
まず最初の見学スポットに到着。ボートを下りて800mほど歩きます。
ボートには、私たち以外に5〜6人の欧米人の観光客が乗船しています。操縦するのはお父さん、目的地まで案内してくれるのは、利発なラオちゃん。
周囲はのどかな田園風景で、水牛とすれ違ったりするのも楽しい。
ほどなく、蓮の花咲く池に到着しました。ここがグエン朝3代皇帝のティエウチー帝陵です。
帝陵は、中国の明・清朝時代の陵制を参考にしているそうで、どれも河か池を前面に持ち、拝庭、碑亭、段台状テラス、寝殿(礼拝殿)、石棺の5つの要素から構成されているのだそう。
1848年に造られたティエウチー帝陵は、寝殿である表徳殿と陵墓が東西に並列配置されています。
まずは表徳殿の方へ。蓮池に面したこの門構え(牌坊)の反対側に進むと、鴻沢門、そして表徳殿があります。
これは南西側にある表徳殿への入口『鴻沢門』の階段。龍が迎えてくれます。
門をくぐった先にあるのが『表徳殿』。
王宮でも見たベトナムの伝統的な建築様式で、ここにはティエウチー帝と皇后の位牌が祀られています。
そして表徳殿の横からは、池を介して北東の方角にこんもりとした緑の陵墓が見えます。
次に陵墓の方へ。広い拝庭には、帝霊を守護する文官・武官・象・馬などの石像が向かい合わせに配置されています。
拝庭、碑亭、そしてその先には徳馨楼という建物があって陵墓に至る構成ですが、徳馨楼はベトナム戦争時に破壊されたそうで、現在はその基壇のみが残っています。
帝陵を囲む壁もなく、緑の木々と池に包まれた自然の中で静かに佇むティエウチー帝陵でした。
ボートに戻ってさらに上流へ。次に訪れたのは第2代皇帝ミンマン帝(在位1820〜41)の帝陵。
ミンマン帝陵は先ほどのティエウチー帝陵と異なり、帝陵は壁に囲まれ、入口から陵墓までが直線で配置されています。写真は拝庭から見た『顕徳門』。
顕徳門は寝殿の前門で、2階に楼閣が設けられています。
門の中央扉は皇帝専用として閉じられており、左右の門から入ります。
寝殿である崇恩殿を過ぎ、回りに巡らされた澄明湖を渡った先にあるのが『明楼』。中国的な絵画のような景色を見せています。
ミンマン帝陵は、主要な建造物が700mの真っすぐな参道の上に配置されていますが、それぞれの場所で雰囲気が異なり、特徴的な景色が展開します。
明楼の先には新月池があり、橋を渡った先にこんもりと丸い陵墓がありました。池は、皇帝の崩御を表す三日月型で造られています。
ミンマン帝の時代はグエン王朝の最盛期だったそうで、その整った帝陵はこのツアーの中でも大きな見所の一つとなっています。
そして、ミンマン帝陵の川の対岸やや下流にあるのが、第12代皇帝カイディン帝(在位1916~25)の帝陵。1931年完成。
ミンマン帝の時代から約80年が過ぎ、フランス占領下でフランスに擁立され親仏的だったというカイディン帝の帝陵は、建物構成はそれまでの帝陵と共通ですが、デザインは全く異なるバロック様式を組み入れたもの。建物はフランスから輸入した高価な鉄筋コンクリート製なのだそうです。
拝庭には向かい合わせで2列の石像が置かれ、前列は文官・武官、後列は兵士像です。
楕円形の基壇の上に建つ碑亭。柱を飾る龍の瞳はフランスワインの瓶の底なのだとか。
そしていよいよ寝殿(礼拝堂)の『啓成殿』。これぞフランスバロック風です。
楕円のアーチが連続し、その上部を細かい装飾が埋め尽くしています。
装飾は龍など中国風のモチーフをデザインしていますが、このアーチや装飾過剰な感じはまぎれもなくバロック様式。
啓成殿の中に入ります。天井には九龍が描かれ、壁面には色とりどりのモザイクによる装飾が施されています。
そして、この室内には金箔を施されたカイディン帝像が置かれ、その地下9mに皇帝の遺体が安置されているそうです。
壁のモザイク装飾が鮮やかで美しい。表装された中国画のようなこのモザイクは四季の花々を表現したものだそうで、写真は右が春、左が夏。
モザイク装飾には、中国の陶器の他、日本のビール瓶もどこかに使われているそうな。
再びボートに乗ってフォーン川を下ります。到着したのは第4代皇帝トゥドゥック帝(在位1847~83)の帝陵。大きな蓮池に面して陵墓と寝殿(礼拝殿)が並列に配置されています。また、池のほとりには2つの木造の榭殿があります。(TOP写真も)
ここはトゥドゥック帝の存命中に完成しており、生前には離宮として使用されていたそうで、池を中心とした美しい風景を楽しめるようにつくられています。
池のほとりの冲謙榭へ渡るアーチ橋。池ではピンクの蓮の花が咲いています。
そして、トゥドゥック帝と皇后の位牌を祀る『和謙殿』。
フエの市街地へ戻る途中、ボートはもう一箇所の岸辺に立ち寄ります。
そこは、1601年に建立された仏教寺院『ティエンムー寺』です。その八角形七層の塔は3代ティエウチー帝が1845年に建てたもので、フエのシンボルとして人々に親しまれているそうです。
このお寺には、鮮やかなアオザイに身を包んだ女性グループが観光に来ていました。目の前のフォーン川と山並みとの風景もすばらしく、思わず一枚パチリ。
お寺の敷地内では、子どもたちがサッカーで遊んでいました。同じグレーの衣装は、お寺で修行する子どもたちでしょうか。
お寺の門を入ったら夕陽が差してきたので、振り返ると門と塔の姿がくっきり浮かび上がっています。
ところで、ここで思いがけない出会いが。途中の道で前方からやってくる女性の姿に見覚えがあります。何と、知り合いのイズミちゃんでした。建築家の彼女はホイアンの街の修復作業の支援に来ていて、今日はたまたまフエを観光していたとのこと。これにはお互いビックリ。夕食を一緒にする約束をして別れます。
ティエンムー寺の見学を終えたら、フエの街はもう間もなくです。
岸辺には、夕涼みに来た子どもたちが勢いよく川に飛び込んで遊んでいました。
ボートツアーも終わりに近く、今日一日私たちを案内してくれた一家も舳先でくつろいでいます。
妹たちと遊ぶラオちゃん、お世話になりました。
そして夕食です。教えてもらっていたアンプーというレストランで、イズミちゃん、カメラマンさんと合流。
生ビールでカンパ〜イ。4人で囲むベトナム料理、そしてベトナムでの生活や修復の仕事などの話が弾みます。
カメラマン氏が撮ってくれた美女ツーショット!
さて明日、私たちはフエを離れ、ホイアンに向かいます。イズミちゃんたちからホイアンの情報も仕入れ、さらに楽しくなりそうです。