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北京

北京、大連 1

開催日 1998.07.08(水)-07.10(金)

紫禁城
紫禁城

旅の紹介

◆  中華人民共和国の首都北京。約3000年の歴史を持つこの都の中心部で歴史を感じる街区を歩き、紫禁城の城門や宮殿の建物群を訪ねます。翌日は郊外へ。明の皇帝の陵墓を見学した後、壮大な万里の長城を上り下りしつつ絶景を楽しみます。

地図:Googleマップ

北京市内

北京飯店からの眺め北京飯店からの眺め

1998年夏、友人が中国の北京を訪問するというので、便乗してサリーナも父(タック)と一緒に北京と大連を旅することにしました。サリーナの亡き母は少女時代を大連と北京で過ごしており、色々と話を聞かされてきた父がぜひ一度訪ねたいと言っていたので、サリーナはお供です。

空港から北京市内への交通はかなり渋滞しており運転も荒く、いきなり車線変更など日常茶飯事。『すごい運転だね~』と言いつつ到着したのは市内の真ん中の北京飯店です。『飯店』はホテルのこと。

北京飯店の部屋北京飯店の部屋

北京飯店は天安門広場のすぐ近くにある高級ホテル。1900年に開業し、世界の国賓や著名人を迎えてきたそうです。

現在の建物は1974年に建て替えられたものだそう。部屋でくつろぐタック。

長安街長安街

翌朝。ホテルのバルコニーから下の長安街を眺めると、まだ車は少なく2両連結のバスが走っています。

道路の向こうの街区には結構緑も多くみられます。

北京飯店北京飯店

では、早速市内の散策に出かけましょう。

これが北京飯店の玄関です。15階建、客室は全部で1,097室の巨大ホテル。

王府井の街区内へ王府井の街区内へ

まずはホテルから長安街を1ブロック東へ進み、その北側の王府井(ワンフーチン)へ。

ここから北へ1km続く王府井大街の界隈は、明代の王府(貴族の住宅街)であり、甘い良質の井戸があったことが『王府井』の名前の由来だそう。現在の王府井大街は、北京の "銀座" のようなショッピング街。

今朝の散策の同行者はヨッシー&アケちゃん夫妻。タック、サリーナと4人で大通りから小さな店が並ぶ街区内へと進んでいきます。

公衆トイレ公衆トイレ

北京の "銀座"『王府井』の裏側には、昔の雰囲気を残す通りがありました。

いきなりですが、これは公衆トイレ。いろいろ噂は聞いていましたが、『どれどれ』とサリーナとアケちゃんが入ってみると。。やっぱり噂通り、溝に沿って並んで用を足す形態で、個別のブースはなし。あえなく打ちのめされて退出する2人。さすがにハードルは高かった。

街角の医院街角の医院

北京の中心部にあって、このあたりは静かな落ち着いた雰囲気で、木々の緑も多くみられます。

通りかかったのはクリニックのようです。口腔科、眼科などと書いてあり、『牙科』は歯科のことですね。

医院の入口医院の入口

医院の入口は正統派中国様式ですね。赤い柱と緑の屋根。そして、壁は灰色のレンガです。

中国北部の伝統的家屋建築に『四合院』があります。その基本は中庭を東西南北4つの棟が取り囲むスタイルの住居で、北京市内にもよく見られるということなので、ここもそうでしょうか。

肉まんづくり肉まんづくり

さて、そんな街角でホカホカと湯気をたてているお店を見つけました。

男性が肉まんの下ごしらえを店頭でやっています。粉に水を混ぜたタネを切り分けていきます。

肉まんを蒸す肉まんを蒸す

そして、その横では女性が大きな蒸し器に入れて、ホカホカに蒸しています。

『美味しそうだね~』というわけで、ここで小休止することにしました。

テラス席で食事テラス席で食事

肉まんに加えて、とろみのあるスープの麺も注文。路上のテラス席で麺と肉まんをいただくヨッシー&アケちゃんとタック。

八百屋さん八百屋さん

この飲食店の並びには、八百屋などのお店もありました。

建物の前の歩道いっぱいに野菜が並び、道にはみ出すものも。のんびりした通りだから、問題ないのでしょう。

野菜野菜

並べられている野菜はピーマンやナス、生姜などお馴染みのものも多いのですが、ナスが丸っこいね!

果物屋さん果物屋さん

こちらは果物屋さん。モモ、ブドウなどの向こうに丸くて大きなスイカが山ほど積まれています。

印刷屋さん印刷屋さん

お店などを覗きながら、次の目的地の天安門広場方面へと歩いていきます。

途中で見つけたこのお店、印刷屋さんのようですが、漢字が微妙にわかるようなわからないようなで面白い。『激光打字』って光速くらい素早いワープロ打ち? 『金』が3つ重なると、何を意味するのでしょう?

アーさんが合流アーさんが合流

さて、大通りの長安街に戻り、西へ進むと天安門広場です。ヒゲのアーさんが合流し、私たちはここから旧紫禁城、故宮へと入るわけですが、その前に北京の歴史を少々。

北京は、古くは春秋戦国時代の紀元前1045年に燕の国が都とし、『薊』(けい)と呼ばれていたそうです。その後、金、元、明、清の各王朝がここに都を置き、中でも元代の『大都』はモンゴル帝国の中心として、13~14世紀の世界最大の都市だったといいます。

天安門天安門

元が滅びた後、明の永楽帝は1403年に大都のやや南を中心に首都再建に取りかかり、地名を『北京』と改めました。明の次の清王朝もこの地を都とします。

明・清時代の北京は外城、内城、皇城、紫禁城の4重の構造で、皇帝が居住し政治・文化の中心となった『紫禁城』、それを取り囲む庭園や寺院、皇族の住居などのある『皇城』、その周りには役人などが住む全周20kmの『内城』、そして内城に隣接した南に庶民の住む『外城』があり、これらはそれぞれ城壁に囲まれていたそうです。

午門午門

これらの巨大城壁や城門の多くは、中華人民共和国成立以降、都市開発のために取り壊されました。天安門は紫禁城(故宮)の正門で、現在の建物は1970年に建てられたものですが、その880m南には『内城』の門である正陽門があり、これは1400年代に建てられたものだそうです。

天安門を通り、さらに端門をくぐると、目の前には紫禁城の正門『午門』が立ちはだかります。高さ38m、壁の厚さ36mという巨大なもの。

太和殿太和殿

午門を通り、さらに太和門を過ぎます。『壮大な門ばかり続くね~』などと話していたら、やっと見えてきたのは太和殿。現存する中国最大の木造古建築なんだそうです。(TOP写真も)

太和殿は、創建1420年、その後、清時代の1695年に再建された紫禁城の正殿です。皇帝の即位式など、重要な儀式は全てここで行われたのだとか。あの映画『ラスト・エンペラー』の即位式の場面にも出てきましたね。

階段の龍の彫り物階段の龍の彫り物

白大理石3層の基壇の南には3つの階段が設けられ、中央の階段は皇帝用なのか、我々は入ることはできません。その真ん中には雲の中を優雅に泳ぐ龍の彫り物がみられます。

創設当初の太和殿はもっと大きかったのですが、1695年の再建の際には明代の大きさの約半分とされたそうで、上の写真のように、元の大きさの基壇に比べて建物が小さいことが見てとれます。

鴟吻と神獣、仙人鴟吻と神獣、仙人

太和殿の屋根の降り棟の上には獣頭の形の鴟吻(しふん)が乗り、そこから10体の神獣が並び、そして軒先には鳳に乗った仙人が配置されています。

これらの装飾は、神獣の数はこれより少ないものの太和殿以外の建物や城門にも見られます。

大きな鉢大きな鉢

太和殿の基壇を上り建物の側面に回ると、そこには大きな鉢が2つ。その取手をくわえているのは虎でしょう。

2つの鉢の間を通った先の小さな門をくぐり、同じ基壇上の中和殿、保和殿へと進みます。

乾清門乾清門

保和殿の北には、内廷への入口『乾清門』があります。

この門から北の内廷は、皇帝以外は宦官を除き男子禁制のいわゆる“後宮”。権力者男子のこうした欲望を反映した建物は世界中で見られるわけですが、美女三千と言われ、中国の大奥は何ともすごいスケール。

東一長街の入口東一長街の入口

内廷へは、乾清門の東西にも小さな入口があります。

そこからは、乾清門の北に続く乾清宮などの建物を取り囲む塀に沿って、東一長街と西一長街という南北に続く通路があり、内廷の各所につながっています。

内廷へ入る際の靴カバー内廷へ入る際の靴カバー

私たちは、ここから内廷に入っていくことにしました。

すると、入口で靴の上に被せるカバーのようなものを渡されました。泥靴で入っちゃダメよ、ということでしょう。

東一長街東一長街

門をくぐると、そこは東一長街。両側を塀に隔てられた200mほどの通路がまっすぐ走っています。赤く高い塀に切り取られた細長い道に入ると、何か抽象画の中にでもいるような不思議な感覚を覚えます。

この印象的な場所は、映画『ラスト・エンペラー』で溥儀が自転車で走るシーンに使われました。

この東西の通路を介して、西と東のそれぞれに皇帝の妃たちの居所『西六宮』、『東六宮』があります。

乾清門の獅子乾清門の獅子

さて、内廷の正門『乾清門』に戻ってきました。その入口の両脇には獅子が鎮座しています。

この門の北には、皇帝の執務所兼住宅の『乾清宮』、皇后の冊立の儀式が行われた『交泰殿』、明代には皇后の居所、清代には満州族の儀式や皇帝の婚礼そして結婚初夜を迎える場であった『坤寧宮』の3つの建物があります。

九龍壁の龍九龍壁の龍

広い紫禁城の中、乾清門から東へ進んだところにある寧寿宮(皇極殿)の『九龍壁』にやってきました。

高さ3.5m、長さ29.4mもの壁に、陶磁器製の九頭の浮き彫りの龍が海の上を舞っています。写真はそのうちの一頭の青い龍。ちょっとひょうきんで可愛い。この九龍壁の制作は1772年、清朝の乾隆帝の時代とのこと。

皇極殿への門をくぐり南を見る皇極殿への門をくぐり南を見る

九龍壁から門をくぐって北へ進むと皇極殿や寧寿宮、養性殿などの建物があり、いくつかの建物では工芸品の展示などが行われています。

紫禁城の中で、この辺りは静かな感じ。

景山公園から見た紫禁城景山公園から見た紫禁城

広大な紫禁城を北へ出て堀を渡ると、その正面は景山公園です。

丘を上ったところにある見晴台『万春亭』に到着すると、一同『おお~!』と歓声。ちょっと霞んでいるのは残念ですが、紫禁城全体の壮大な景観が目の前に広がっています。

夕食のレストランの前夕食のレストランの前

紫禁城の観光を終えて、いったんホテルへ戻って休憩。かなり歩いてちょっと疲れました。

そして本日の夕食は、北京在住の中国人の友人ワンちゃん夫妻に予約してもらったレストラン。『港湾美食城』とは、かなり美味しいものが期待できそうな名前ですね!

円卓を囲む円卓を囲む

円卓を囲み、懐かしのワンちゃん夫妻と語り合いながら豪華な晩餐の始まり~。さすがに地元の人のお勧め店、とても美味しいです。

今日は北京の真ん中を観光。懐かしい感じの街並みをぶらぶら歩き、そして巨大な紫禁城には驚かされました。明日は郊外、万里の長城観光です。

万里の長城

北京飯店B棟などが並ぶ北京飯店B棟などが並ぶ

翌朝、ホテルの前で郊外へ行くミニバスを待ちます。我々の泊まる北京飯店A棟の隣には、10階建の北京飯店B棟、北京貴賓楼飯店が並び、ちょっと重厚な雰囲気。

ミニバスで北京郊外へ向かうのは、アーさん、ヨッシー、アケちゃん、そしてタックとサリーナの5人。

*北京飯店B棟は2005年より『ラッフルズ北京ホテル』

長陵の観光用の皇帝の輿長陵の観光用の皇帝の輿

まず、北京市の中心から50kmほど北にある『明の十三陵』に到着。きらびやかな観光用の皇帝の輿が通ります。

明の十三陵は、明の皇帝のうち13人の陵墓群です。そのうち、観光客に公開されているのは第3代永楽帝(在位1402-24年)の『長陵』、第13代隆慶帝(在位1566-72年)の『昭陵』、第14代万暦帝(在位1572-1620年)の『定陵』の3つ。最古、最大の陵墓『長陵』を訪ねます。

長陵の明楼長陵の明楼

第3代永楽帝は明朝でも最も重要な皇帝で、長陵は円形の陵に向かって南の入口からいくつもの門や祾恩殿が並んでいます。

前の写真は『祾恩門』。そして、陵の最も近くにあるのがこの写真の『明楼』です。高い基壇の上に聳え立つ明楼の前には、石の『五供』が供えられています。

万里の長城に到着万里の長城に到着

さて、明の十三陵をあとに30kmほどミニバスで北西へと走れば、いよいよ『万里の長城』! 時代を重ねるごとに延伸や新建設を繰り返し、万里の長城の現存する人工壁は全長6,200km以上もあるとのこと。

長城の建設が始まったのは、中国が統一された秦の始皇帝時代(紀元前210年頃)。その後、漢の武帝(紀元前100年頃)など歴代王朝が拡大と延長を繰り返し、明朝の時代に完成したといわれています。

途中からの急階段途中からの急階段

長城の観光で最も一般的なのは『八達嶺長城』。北京からアクセスしやすく、明代に改修されているので保存状態が良いとのことですが、観光客でかなり混んでいるらしい。

そこで、まずミニバスが運んでくれたのは近くの別の長城。正確にどこだったかは忘れましたが、確かに人は多くはない。これならゆっくり観光できるね~と言っていたら、すぐにえらい急な階段が立ちはだかってきました。『こ、これを登るの?』と動揺を笑いで誤魔化すタック。

階段を随分上った階段を随分上った

そんな階段が延々と続く。息が上がって手すりにもたれるタックとアーさん。上から写真を撮るのも結構ビビりそうな勾配です。

一歩一歩、休み休み上っていきます。

さらに階段が続くさらに階段が続く

目的地はこの急勾配の小山の上の『敵台』です。敵台とは、戦闘時の拠点となるよう壁の200~300mごとに設けられたもので、見晴台としてその上に望楼が設けられることもあります。右の奥の山上にも敵台が見えます。

階段はまだまだ続く。。

小さな見晴台小さな見晴台

その途中に黄色い旗のはためく小さな見晴台があったので、ちょっと小休止。

よく上ってきました。あと一息です。

最後の急階段最後の急階段

最後の急階段を上れば、ついに目的地の敵台に到着。

入口付近の建物がかなり遠く、小さく見えます。

うねる長城の壁うねる長城の壁

頂上の敵台から見下ろすと、曲がりくねった壁はさながら龍が空を舞っているよう。

壁はかなり高くつくられており、高いところは10m以上ありそう。明代長城の壁は平均7.8mの高さがあるそうです。材料は主にレンガ、そして壁面内部は土が詰め込まれたとのこと。

長城の両側の壁長城の両側の壁

この敵台の先にも壁と敵台は続いていますが、ヒルクライムは十分堪能したということで、来た道を戻ります。

長城の通路の両側には壁が設けられ、高い方は敵側。敵側の壁には一定間隔で切り込みがあり、ここから矢を放ったり銃を打ったりしたのでしょう。

北二楼へ向かう北二楼へ向かう

ミニバスに戻ったら、次の長城へ。今度は『八達嶺長城』です。ここは万里の長城の中で最も有名で一般的な観光地で、さすがに人も多い。

八達嶺長城の入口からは、長城が南北の両方向へ延びています。日本のガイドブックでは入口から北は『女坂』、南は『男坂』と書かれており、北の『女坂』の方が坂が緩いと聞いて、全員北へと出発。最初はほぼ平坦で、元気に歩いていきます。北二楼が見えてきました。

北四楼北四楼

『さっきの方がキツかったよね~』『ここは結構楽チン』『さすが、女坂』などとしゃべっていたら、北四楼の前に長い階段が現れました。

これはかなり難敵そうです。どうしようか。

北四楼と記念写真北四楼と記念写真

とりあえず北四楼とともに記念写真をパチリ。ここは、いかにも『万里の長城』という風景ですね。

北三楼へと下る北三楼へと下る

階段上りは先ほどの長城で堪能したので、もういいか。。ということで、ここから引き返すことにしました。

ちなみに『北四楼』は標高858m、最高地点の『北八楼』は、何と標高1,015mなのだそう。

工芸品の工房工芸品の工房

万里の長城観光はこれでおしまい。さすがは万里の長城、こんな険しい山々の上に延々と雄大な壁を築くとは、まさに世界的な遺構。私たちが歩いたのはそのごく僅かな部分に過ぎませんが、壮大なスケールと迫力を感じ取ることができました。

そして、北京市内への帰り道。ミニバスは途中で工芸品の工房と店、漢方薬の店に停まり、そこでお土産品の販促が行われます。

漢方薬店では、白衣の科学者のようなおじさんによる電気実験のパフォーマンス(何故?)の後、さらに白衣の男性と看護師風の女性が数組登場し、『あなたの脈を取るだけで、健康状態をピタリと当ててお勧め漢方薬を紹介』という佳境に入っていきます。ついつい漢方薬を購入する者も出現。意外にあとで話のネタになる面白い体験でした。

さて、2日間で北京市内と郊外の有名どころを観光したら、タックとサリーナは他のメンバーと別れ、飛行機で大連へ向かいます。

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