大連 旧日本人街
北京から大連にやってきました。黄海に突き出た遼東半島の先端にある大連は、1898年からロシアが港湾都市として開発を始め、1904年の日露戦争の後には日本に租借権が移り、満州の主要都市として多くの日本人が住んでいました。
大連で宿泊したのは『大連賓館』というホテル。街の中心の中山広場にあるこのホテルは1914年にオープンしたもので、戦前は『大連ヤマトホテル』といって、南満州鉄道の沿線に建てられたホテルの一つでした。
ルネサンス様式で建てられたこの建物は、現在も3つ星ホテルとして運営され、エントランスホールや宴会場は当初のままの装飾を見ることができます。
入口を入ると、シャンデリアの下がる豪華なエントランスホール。
天井には金色に輝くレリーフと、雲の舞う天井画。
この建物、『大連ヤマトホテル』としては3代目で、初代の建物は現存しませんが、2代目の建物は後ほど訪ねます。
こちらが中山広場から見た大連賓館の全貌です。
ホテルの前の中山広場は直径213mの円形広場で、帝政ロシアの統治時代に建設されたそうです。ここから10本の道路が放射状に延びています。
そんな歴史のある中山広場は日本統治時代には『大広場』と呼ばれ、1908年から1935年までの間に広場を囲んでルネサンスやゴシックなどの様式で10棟のシンボル的な建物が建設されました。
それらは現在、『大連中山広場近代建築群』として保存対象となっています。写真の3つのドームを持つ建物は『旧横浜正金銀行大連支店』(1909年)、今は中国銀行遼寧省分行として使われています。
こちらの建物は『旧大連市役所』。1919年の建築で、現在は中国工商銀行大連市分行。
デザインには日本建築の要素が取り入れられているそうで、塔屋は京都祇園祭の山車をイメージしたのだとか。
旧大連市役所は私たちが泊まった大連賓館の隣にあり、写真は大連賓館から建物の西側を見たところ。
放射状道路に沿った建物のウイングは正面棟から広角に折れているので、正方形の塔屋とは向きがずれていますね。
中山広場は市民の憩いの場になっていて、散策する人、座っておしゃべりをする人、それから体操(太極拳かな)する人も。
夕方の風景はまた面白いのですが、これは後ほど。
中山広場から中山路を西へ250mほど進むと『友好広場』があります。
元は『西広場』と呼ばれていましたが、1950年代に中国とソビエト連邦の友好を記念して『友好広場』と改名したそうです。中央の巨大なボールは1996年につくられたもので、夜はいろいろな色にライトアップされるらしい。
そんな道をどんどん西の方角へと歩いていきます。街角にはスイカの山が。
大連市は植民地時代に新しく開発された都市で、ロシア統治時代に商港と新市街を建設することが決定され、『ダルニー』と呼ばれていたそうです。その後1904年に日本軍が占領し、満州国の経済拠点として位置づけられ『大連』となったとのこと。ロシア統治時代にドイツ人技師によって建てられた建物があり、日本統治時代の建築にも影響を与えたのだそうです。
市の西側で旧日本人街の雰囲気を探してみましょう。ここは『民政街』という通りです。
このあたりの通り沿いには1階が店舗、そして2階以上が集合住宅となっている建物が並んでいます。
モルタル壁の一部にタイルは貼られ、ちょっと雰囲気を出していますね。並んでいる煙突は、オンドルのような床暖房用の練炭の煙を排気するものでしょう。
少し細めの路地を入っていきます。何だか懐かしい雰囲気。
外から住宅を眺めていたら、おばあさんに『どうぞ、入って』と手招きされました。
かつてこの辺りに住んでいた日本人が訪ねてくることもあるのでしょう。住宅の部屋の中まで快く見せてくれました。
白いタイル張りの台所です。ホースでガスを引いたガスコンロが2台。
こちらは寝室。きちんと整頓されていますね。比べて我が家、いきなりはお見せできないなあ。
そして、ここは裏にある暖房用の練炭を炊くかまどです。
大連の冬は寒く、マイナス10度くらいになることもあるらしい。しっかりした暖房設備は欠かせないものなのです。
住宅街のお店はどんなものがあるのかな、と覗いたら、ここはビデオレンタル店でした。
この店は、看板に『汽車配件』と書いてあります。自動車部品のことらしい。どうりでタイヤが置いてありますね。
でも、整備工場という雰囲気ではなく事務所のような雰囲気で、部品調達のお店なのかな。お兄さんは笑顔を向けてくれました。大連の人たちはやさしいですね。
家の前で遊んでいる女の子たち。髪飾りでオシャレしてますね。そしてゴム跳び、懐かしい~。
果物屋さんがありました。山盛りは、またまたスイカです。他にはバナナ、桃、小さなウリなどが置いてあります。
小さな通りを介して低層アパートが並びます。ここで長屋のような親密なコミュニティが形成されていたのでしょう。
今度は戸建住宅のエリアに入ってきました。同じつくりの住宅が並んでいます。社宅だったのでしょうか。
歩道に洗濯物が干してあるのも何だかのどかな感じ。
カメラ片手にウロウロしていたら、また『お入りなさい』と声をかけられました。
お言葉に甘えて門を入り、家の中へ。
かわいい女の子が2階の自分の部屋を見せてくれました。
造り付けの家具もあって、なかなかいいお部屋ですね。
そして、こちらが招き入れてくれたおばあさん。タックも一緒に記念撮影です。
玄関の壁は下半分が板張り、上半分が漆喰で、その間に8角形の木枠の飾り窓が設けられていてちょっとオシャレ。
天井には照明の周りが漆喰のレリーフになっています。円の中に描かれた模様はチョウチョ?
天井も高く、ちょっとハイレベルな暮らしがあったことが伺われます。
再び集合住宅です。中央のアーチが入口ですね。
壁の一部はタイル張り、またモルタルで菱形などの模様が描かれていたりと、職人の仕事を感じます。
そんな街角の歩道で干してあるのは洗濯物だけではありません。魚の干物も干してあります。
そして、こちらの集合住宅はどうでしょう。雰囲気は同潤会アパートにとてもよく似ていますね。
大正~昭和初期の建築なのでしょう。
ここでも『どうぞ入って』と声を掛けられました。天井が高く、二段ベッドをつくってあります。
大通りに出てきました。中央には路面電車の線路があります。並木の歩道の両側には2階建の建物が軒を連ねており、何となく生まれ故郷の北九州市を思い出すサリーナです。
さて、ここからは次の目的地へ向かいます。旧日本人街の中でも高級住宅地であったという南山エリアです。
大連の中心部から南の丘のふもとにかけて広がっている南山エリア。ここには戸建住宅が並んでいます。
煙突のある茶色いレンガ壁の三角屋根の住宅は、ドイツ風なんでしょうか? 洗濯物は歩道に。庭は小さいのかな?
茶色い壁の住宅がこちらにも並んでいます。三角屋根はかなり急勾配。
日本にも、明治末〜大正、昭和初期くらいの似たような雰囲気の洋館がわずかに残っていますが、こんな風にいくつもの洋館が並んでいる風景は見たことがありません。
そしてこちらにはもっと大きな建物。中央に階段で導かれたガラスのホールのようなものがあります。
住宅ではなく、何かの会館とか集会施設でしょうか。
こちらは住宅。大邸宅ですね。眺めていたら、またしても『どうぞ入って』と招いてくれます。みなさん、やさしいですね。
お言葉に甘えて、お宅訪問。
玄関脇にはちょっとしたベンチと壁には丸に三角でデザインされたのぞき窓があいています。訪ねて来た人とちょっとおしゃべりするスペース、という感じでしょうか。
今はベンチにかめなどが置かれています。漬け物かな?
台所はかなりクラシック。建てられた当時から変わっていないように見えます。
そして、ここは寝室。高い天井からレースのカーテンが下がり、邸宅の名残を留めています。
窓は寒さ対策で二重になっています。
そんな街角を歩いていると、広角V字型のお屋敷風の建物がありました。門柱には『大連市青年総合会』と書いてあります。中国共産党青年団の施設です。
この建物は、実は『日本陸軍奉天特務機関大連派出所』だったものだそうです。特務機関とは、占領地域で諜報・宣撫工作・対反乱作戦・秘密作戦などを行っていた組織。
その門扉は、幾何学模様や曲線を組み合わせた凝ったデザインです。
門を入った先には、イオニア式の柱に支えられた玄関ポーチがありました。特務機関というよりは、外国公館のようなイメージです。
玄関回りまでなら見学していいですよと言われ、中に入ってみます。
玄関の床は美しいモザイクタイルが敷き詰められています。
そして、正面の階段が2階の部屋へと導いています。これらの部屋で、特務機関による数々の謀略工作が練られたのでしょうか。
さらに散策を続けます。通りにはピンクの花をたくさんつけた街路樹がきれいです。
大連といえばアカシアの花で有名ですが、アカシアの花の季節は5月末〜6月だそうなので、これは違うのかな?
ここにもちょっとクラシックな感じの建物がありました。
レストランで、車寄せや円形に張り出した建物など高級そうな雰囲気もありますが、『カラオケ』という看板も出ています。
中に入ってみると、円形の部屋には高い窓に美しく飾ったカーテン、そしてシャンデリア。ここで優雅な晩餐会が行われてきたのでしょう。
さて、南山エリアをあとに、今度は街の南西にある星海公園へ。星海公園は、満鉄が1909年に総合リゾート地として開発した『星ヶ浦』という場所でした。
日本統治時代、この周辺には清朝旧皇族や政府関係者など有力者たちの別荘が建ち並んでいたそうで、海水浴場もつくられました。砂利浜に出てみると、海水浴を楽しむ人々の姿があります。そして、その向こうには遊園地が見えます。
海辺をバックに記念写真を撮ってもらいました。曇り空で霞んでいて残念。
泳いでいる人はそれほど多くありませんが、潮風に吹かれながら散策したりおしゃべりをして海辺の雰囲気を楽しんでいます。
浜辺の砂利は、当初の開発の際に丸い石を選んで運んできたのだとか。
そろそろ夕方、星海公園からホテルのある中山広場へと戻ってきました。
中山広場では、中央の円になっているステージの周囲にたくさんの女性たちが集まっています。音楽とともにリーダー格の女性が円形ステージの真ん中に進み出てきたら、ダンスの始まりです。
ちょっと着飾っている人もいます。女性ばかりですが、みなさん思い思いに楽しそうにダンスを踊っていますね。
右手奥に見えるのは、『旧大連民政署』(大連警察署)。現在は遼寧省対外貿易経済合作庁が使用しているとのこと。赤レンガの壁に白っぽい花崗岩、そして中央に時計塔が立っています。
大連には旧満州時代の公的な建築や住宅がそれなりに残っていて、サリーナの亡き母も見たであろう景色を眺めることができました。住まいを快く見せてくれた居住者の方たちにも感謝です。しかし、中心部では超高層建築の建設もどんどん進んでいるようで、公共建築はともかく老朽化した一般住宅が今後残っていけるかどうか。。
旧ロシア人街
翌日。今日は中国の最終日、大連の旧ロシア人街を散策することにしました。ところで大連賓館での朝食のおいしいこと!おかゆに小皿がたくさんついてきますが、特にお気に入りはモヤシを軽く炒めたような小皿。こんなに上品な味わいが出せるのかと感動しました。
そして、中山広場から北西へ、上海路を歩いていきます。写真は、上海路が鉄道路線を渡る橋の手前にある『チャイナ・ユニコム(中国連通)勝利橋営業庁』です。この建物は日本統治時代には『大連中央郵便局』だったもので、1929年の建築。
鉄道線路をまたぐ渡線橋は、日本統治時代には『日本橋』と呼ばれていたそう。現在の名前は『勝利橋』です。
勝利橋を渡ったところからが『旧ロシア人街』。19世紀末に大連で都市開発を始めたロシア人が最初につくったエリアです。正面に、とんがり屋根の印象的な建物があります。この建物は、1900年に東清鉄道汽船会社の社屋として建てられたものだそうで、東清鉄道とは、ロシア帝国が満州に建設した鉄道路線です。
日露戦争(1904年)の後、東清鉄道の長春以南の南満洲支線は日本に譲渡され、南満州鉄道(満鉄)となりました。この建物は、日本統治時代は『日本橋図書館』となり、今は『大連芸術展覧館』として使われています。
ただし、現在の建物はいったん取り壊されて復元されたもので、大連と姉妹都市の北九州市の門司港にこの建物のレプリカがあります。そのレプリカを参考に復元されたそうで、どこかで見たなと思っていたら、門司港だったんですね。
大連芸術展示館からやや角度を東寄りの北東へと視線を向けると、300mほどの直線道路が通り、その両側に歴史を感じる建物が並んでいます。ここが旧ロシア人街の中心部。
この大通りのつきあたり正面には、広場を遮るように堂々と建つクラシックな建物があります。(TOP写真)
建物には『大連自然博物館』という看板が出ていますが、実はロシア時代にダルニー(大連)市役所として建てられ、その後満鉄の事務所となっていたものを1909年に大連ヤマトホテルとしたものだそうです。このすぐ隣にあった初代ヤマトホテルからの2代目、その後、私たちが泊まっている3代目ヤマトホテルに移転する1914年まで使われたのだそう。
この大通りには、19世紀末頃につくられたと思われる2階建+屋根裏くらいの建物が並んでいます。写真の建物はバロック風、それぞれ意匠を凝らして色もカラフル。
通りから少し入ったところにあるこの赤い壁に白い縁取りの建物は、『大連船舶技術学校』です。
1900年の建築で、ロシア時代には『ダルニー市政庁官邸』だったそうです。
こちらの住宅は2階の壁が木組みで装飾的です。バルコニーがあったり出窓があったりと、色々な要素で飾り付けています。
ちょっといろいろくっつけ過ぎな気も。。
帝政ロシア時代を思い起こさせる大通りの街並みです。
大通りから脇道を覗いてみると、路地にはたくさんの露店が並んで市場のようになっていました。朝市なんでしょうか。
リヤカーで運んできて、野菜や魚などいろいろなものを売っています。
別の脇道に入ると、そこにもロシア時代のものらしき住宅が並んでいます。
裏道を抜けていくと、
勝利街という通りにも、こんな住宅がありました。こちらはきれいに保たれて、レストランか何かになっています。
よく見ると、前の写真の建物とそっくりなデザイン。同じ設計でいくつか住宅を建てたのでしょう。
旧ロシア人街の見物を終えて、帰路につきます。
勝利橋(旧日本橋)からは、並ぶ線路の向こうに大連駅のホームが見えました。
この勝利橋には、元の橋の両側に歩行者用の鉄橋がつくられているのですが、そこに座るおじさん1人。前に体重計が置いてあります。お金を払うと体重計測できるらしい。いろんな商売があるものだ。体重を量ってみるタック。お代は2角也(2角=0.2元=3.2円)。
大連の観光はこれでおしまい。ホテルから空港に向かいます。
さて、空港での一コマです。お土産店巡りをしていると、とあるお店できれいな縞模様の石の碁石入れの中に、透明感のある白と深緑の碁石が置いてありました。タックは囲碁好き、碁石に魅せられてそこから一歩も動けず。『ほんとに欲しいのね?』と念を押されたあと、サリーナの交渉で無事ゲットすると、タックは機内でもずっと手放さず大事に家に持ち帰ったとのこと。いいお土産ができてよかったですね。