四度目の正直の浜名湖! 過去三度、台風に震災、そして天候不順でことごとく潰れてきた浜名湖企画は、ついに四度目にして実現の運びとなりました。
浜名湖は東京と大阪のちょうど真ん中あたり。東西から弁天島駅に集結したメンバーは11名也。
あれ、ジークがいない! かつて『忘れ物大王』の異名をとったジークは今度は『乗換え間違い大王』となり、豊橋からさらに『新幹線』に乗って弁天島を目指したそうな。ジーク、弁天島駅は在来線の東海道線なんよ。
ということでジークを待つ間、他の面々は弁天島海浜公園へ。ここは浜名湖と遠州灘を区切る今切口のすぐ内側にある島で、南の湖中には赤い大鳥居が建っているのが見え、その先には国道1号線である浜名バイパスの大橋も。
大鳥居を眺めているうちにジークがようやく到着。弁天島駅でジークを拾って、いよいよ浜名湖周遊の開始です。
浜名湖のほぼ半周、湖東から湖北にかけては快適な自転車道が整備されており、今日はその自転車道をメインに使います。
東海道線と新幹線の線路をくぐり、弁天島の北にある人工の島らしきものを渡って進みます。
三番目の渚園とある島の入口には小舟が数隻係留されていて、ここではまだ漁業が営まれていることが伺えます。
渚園の北に出れば視界が開け、いよいよ浜名湖らしくなってきます。
その先には浜名湖大橋が架かり、細長い中之島には、脇に自転車道らしきものが現れるようになります。
浜名湖大橋そのものには、専用の自転車道はありませんが、歩道がそれを兼ねているので、不安なく渡ることができます。
ちなみにこの橋の東側は庄内湖と呼ぶようで、西側が浜名湖のよう。浜名湖はいくつもの枝となる湖から成っているともいえます。
長~い浜名湖大橋を渡り切ると、右手は浜名湖ガーデンパークとなり、左手の浜名湖側には芦原が現れます。
ここは都内で一泊して北関東から駆けつけたベネデッタがみんなを引き連れます。
西へ向かっていた道が90度向きを変え、北に向かうと、そこには小さな浜が。ここは村櫛海水浴場というところ。
浜名湖は湖ですが、海が近いからか、小さいながらもこうした砂のビーチがいくつか見られます。
村櫛からは一段と広くなった浜名湖を左手に見ながら、どんどん北上して行きます。
浜名湖は遠州灘側を除く三方が小高い山に囲まれ、なかなか変化に富んだ景色が楽しめます。湖面にはヨットだかウィンドサーフィンだかの帆がたくさん浮かんでいます。
最初の休憩ポイントの舘山寺に到着。この地区の入口には赤い太鼓橋が架かっています。
舘山寺にはもちろん舘山寺というお寺があるのですが、現在はそのお寺よりも、浜名湖で唯一といっていい温泉街、舘山寺温泉として有名です。
しかし今日はここで温泉に浸かっている余裕はありません。足湯もある大きなホテル九重の周囲をぐるりと廻るようにして進めば、先に浮見堂が見えてきました。
浮見堂の正面には小高い大草山があります。その大草山には眺めのいい展望台があるというので行ってみることにしました。
大草山展望台にはもちろん自転車でも行けるのですが、軟弱ジオポタの面々は、全員ロープウェイがいいというので、協議すべくもなく、ロープウェイ乗り場に向かいます。
浮見堂を後にして東南へ進み、浜名湖パルパルという遊園地の間を縫うようにして進めば、その遊園地の一角に大草山に上る『かんざんじロープウェイ』乗り場がありました。
かんざんじロープウェイは、舘山寺と大草山を僅か4分で繋ぐもので、10分間隔で出ています。
このロープウェイは往復820円と少々お高いのですが、眺めがいいのでお薦めです。
正面のこんもりした森はお寺の舘山寺があるあたりで、左手の大きな建物がホテル九重。ゆったりとした観光船の白い航跡もこの景色に趣を添えています。
そして上った先の大草山の展望台からの眺めは、まったく素晴らしかった。
これは北の気賀方面を見たところで、
こちらは西を見たところ。先に小さく礫島(つぶてじま)も見えます。
この他、東には浜松市内の超高層ビル群が見え、南には遠州灘も見渡せます。とにかくここは、360°眺めがいい展望台です。
大満足の大草山展望台からロープウェイで舘山寺に戻り、浜名湖パルパルを後にして、昼飯処の気賀に急ぎます。
東名高速道をくぐり抜けると、細江湖(引佐細江)に入ります。
ここまで、最初に見かけた漁船以外に、漁業関係のものはあまり見かけませんでしたが、ここでは魚網が湖の中に吊るされていました。
昼飯処の気賀は、細江湖に流れ込む都田川を少し遡ったところにあります。その都田川沿いは桜並木で、ところにより七部咲きほどになっていて、なかなかきれい。
先に赤い『みおつくし橋 』が見えてきました。気賀の街はあの橋のすぐ先です。ちなみに澪標(みおつくし)は航路を示す標識で、水深が深くて安全に航行できる『澪』と、土砂などが堆積し浅くて座礁しやすいところの境界に立てられるものですが、この近くに澪標が立っていたので、あの橋の名はそこから来ているのでしょう。
時は12時15分也。ちょうどお昼にいい時間。浜名湖といえばやっぱり『うなぎ』でしょう。今回は大人数となったので、曳舟うなぎ家に予約を入れておきました。このお店は都田川の桜並木の横にあり、花見をしながら食事ができるのがいいところ。
うな重の上を。
さて、うなぎに満足したら、気賀の街を散策します。かつてここは『姫街道』の宿場町でした。姫街道は東海道の脇街道で、見付宿(磐田市)から別れ、浜名湖の北側を通り、気賀宿、本坂峠を経て御油宿(愛知県豊川市)で再び東海道に合流するまでの60kmの道です。
東海道の新居関所は、『女改め』と呼ばれる職種があったほど女に対する取り調べが厳しいところだったようで、この執拗な取り調べを嫌った女性たちが浜名湖の北を通るようになったのが、姫街道の発祥だそうです。
都田川から北へ向かうと気賀四ツ角とある交差点に出ます。かつてこのあたりに気賀の関所があったようです。
その交差点から西に要害堀という小さな水路が延びています。これは関所の警備のために作られた堀だそうで、舟で行き来する人も関所に入ることが出来るように、木戸が設けられていたとか。
この要害堀の一角には赤池様公園という小さなポケットパークのようなものがあります。
要害堀から気賀小学校方面に向かえば、小学校の前にちょっとした椎の木が見えます。このあたりは陣中と呼ばれ、旗本近藤家の陣屋があったところだそうです。
その椎の木から西へ進めば、楠の巨木がある細江神社に到着。
明応の大地震の際、角避比古(つのさくひこ)神社の御神体が流され、先の赤池に漂着します。その御神体は赤池の近くの仮屋で祀られていましたが、その後この地に社殿が建てられ、今はここに祀られているそうです。
かつてこのあたりは琉球い草の産地だったようです。細江神社の境内にはこの地にい草を広めた領主を祀る、藺草(いぐさ)神社もあります。
気賀の関所のあっちとこっちを行き来するには、この付近の住民でも通行手形が必要だったそうです。これはたいへん不便だったので、『犬くぐり』と呼ばれる抜け道が作られました。この細道、現在でもそれらしきものが残っています。これは動画でどうぞ。
さて、その獣道のような犬くぐり道を通り抜け、表通りに出れば、そこは枡形と秋葉灯篭があるところで、ここは気賀の西の端に当たります。枡形は外敵の侵入を防ぐ仕掛けの一つで、道を折り曲げたもの。かつては一対のL字型の石垣の上に土を盛り、矢来を組み、門が設けられていたそうですが、現在は一方の石組みのみが残っています。
この石組みの中には、瓢箪の形をした石が嵌め込まれています。瓢箪はかつてはどこにでもあったものですが、そのユニークな形が好まれたのか、全国各地でいろいろなものにモチーフとして取り上げられています。
この西には獄門畷(ごくもんなわて)があります。これは、桶狭間の戦いのあと、家康軍の遠州侵攻を防ぐため堀川城に立てこもった二千人が『なで切り』にされ、さらにその後捕らえられた700人がさらし首にされたところだそうです。
江戸時代に気賀四ツ角付近にあった関所は、現在復元され、気賀駅の南に建てられています。
1601年(慶長6年)、徳川家康によって創建されたとされるこの関所は、東に冠木門(かぶきもん)、北に取り調べ場所である本番所、南に牢屋のある向番所、さらにその南に遠くを見るための遠見番所、西に町木戸門という構成です。
関所は江戸防備のための施設で、『入り鉄砲に出女』といわれるように、武器が江戸に持ち込まれること、また、人質である大名の妻子などが江戸から逃げ出すのを取り締まっていました。
本番所の前にあるのは、容疑者を捕らえるための捕り物道具三種、刺又(さすまた)、突棒(つくぼう)、袖搦(そでがらみ)。
気賀で江戸時代の文化に触れたら、再び都田川の自転車道で細江湖に向かいます。
湖畔をどんどこ行って、西気賀駅近くにやってきました。浜名湖の自転車道は完全にフラットに近く、初級者は安全で楽しめます。しかし、上級者にはちと物足りない。そこで、この先は湖畔の自転車道を行く P(ポタ)組と姫街道を覗いてから奥浜名湖展望公園に上る S(スペシャル)組に分れることにしました。
ここからはS組のコースを案内します。そのS組が上りにかかると、すぐに小さなお堂の前に出ました。
これは姫街道沿いに建つ薬師堂で、1835年(天保6年)再建とあります。
薬師堂からさらに上って行くと、石畳が残る姫街道が現れます。 かつてはこんな道を姫君を乗せた籠が通っていたんですね。
この周りはみかん畑がいっぱい。浜名湖周辺は柑橘類の栽培でも有名なのです。
姫街道は気賀宿から引佐峠(いなさとうげ)を経て三ヶ日宿に至ります。さすがに石畳の姫街道は私たちのミニヴェロでは行けそうにないので、ここはアスファルトの舗装路で引佐峠に向かうことにしました。
アスファルトの舗装路とはいえ、この道、少々きつい!
気賀から山奥を通ってくる『奥浜名オレンジロード』に合流してからも、さらに高度を上げていきます。この道は浜名湖が見下ろせて気持ちいいのですが、勾配は相変わらずきつい。(TOP写真)
へろへろ~っと引佐峠の袂に到着。奥浜名オレンジロードをそのまま進めば、新しい引佐峠までは100mほど。しかしこの引佐峠の袂からは姫街道があるので、自転車を置いて、石畳の姫街道を少しだけ歩いて見ることにしました。
山の中を行く姫街道はずっと石畳です。江戸時代にこれだけの舗装をするのは簡単ではなかったでしょう。
こちらの引佐峠は奥浜名オレンジロードのそれのすぐ脇、車道が見えるところにあります。さらにその先には、きつくて象が鳴いたという『象鳴坂』があるというので向かってみましたが、そこにはなかなか辿り着きません。峠から少し先の標識によれば、さらに500mくらいありそうなので、これは断念。
姫街道を戻って、次は奥浜名湖展望公園を目指します。展望公園だからこれは当然標高が高いところにあるのですが、道はまず豪快な下り。え~っ!
つまり、いったん下って上り返すってことですねぇ。。
下り坂の途中で、右に上る急坂が出てきたと思ったら、その細道が奥浜名湖展望公園へ向かう道でした。ここからの勾配は半端でなく厳しい。
えっちらおっちら、のろのろ上り詰めて、ようやく奥浜名湖展望公園に到着。
よたよた~っ、と辿り着いた奥浜名湖展望公園の東屋で一服の面々。
展望公園っていうけれど、ここからの眺めはあんまり良くない。え~なんで~~ せっかく上ってきたのに~
実は、奥浜名湖展望公園はこの頂部の東屋があるところから少し下ったところに展望台があるのですが、ここまででへろへろなへたれジオポタの面々は、誰もその展望台まで行こうとせず。
「も~、ここでいいよぉ~」 と情けない。 まあ、上ってくる途中、それなりにいい景色が見られたので良しとしましょう。
ということで、ろくに眺望を楽しみもせずに奥浜名湖展望公園から下ります。この下りはみかん畑の中で、なかなか楽し。
寸座駅をかすめ、その先で細江湖に出ます。その先は東名高速道沿いをどんどこ。そして浜名湖佐久米駅の先で再び浜名湖に出会います。
三ヶ日青年の家の先からは車の道と完全に分離された、湖のすぐ近くを通る自転車道に入ります。ここは湖面が近くてとても気持ちがいい。
小さな漁船が浮かんでいたり、浜辺で貝掘りかなにかをしている人々の姿があったりと、生活感も感じられます。
湖面が近くて気持ちはいいのですが、海や川といった風を遮るもののない環境では、一番の強敵は向かい風。日が傾いてきて、その風が強くなってきました。
お~、きつぅ~
半島のように突き出した大崎を廻ると、礫島(つぶてじま)が現れます。
このあたりが浜名湖自転車道でもっとも素敵なところでしょう。
礫島を眺めながら一息ついたら、猪鼻瀬戸に向かいます。
猪鼻瀬戸は浜名湖と猪鼻湖を繋ぐ湖峡で、そこには新旧の瀬戸橋が架かっています。
そしてそのすぐ北側には猪鼻湖神社があり、小島につながる赤い太鼓橋があります。
さて、猪鼻瀬戸からは猪鼻湖の東岸を行きます。最初は湖沿いを通る地方道に併設された自転車道ですが、ほどなくそれは専用道になります。
この専用道もなかなか快適。
猪鼻湖の北と西は小高い山に囲まれており、その幾重にも重なる山が近いので、変化に富んだ美しい景色が楽しめます。
快適な自転車道を進んで行くと、正面に今宵の宿が見えてきました。
全員無事に宿に到着、と思ったら、あれ、ジークがいない・・・
ともあれ、その『お騒がせ大王』ジークもなんとか無事に到着。宴会組のケンボーとプリンちゃんも到着し、新旧のメンバーが交わったこの夜は、2001年の紀伊半島周遊をはじめとするかつてのイベントや、GWに予定されている済州島の話題で大いに盛り上がったのでした。
大草山展望台は素晴らしい眺めだったし、気賀の花見をしながらのうなぎもうまかった。湖畔の自転車道は初級者でも安心して楽しめ、姫街道の引佐峠ではかつての街道というものを感じることができました。奥浜名湖展望公園付近から見下ろす浜名湖は格別だったし、みかん畑の中を行く道も良かった。強風の先で湖中に浮かぶ礫島が見えた時は感動ものでした。
なにより、すばらしい仲間が集まった浜名湖はとても素敵でした。