一日ぽっかり時間が空いたので走ることにしました。故あって行方市の玉造にいます。この辺りだと霞ヶ浦に出てつくば霞ヶ浦りんりんロードがもっとも一般的なコースでしょう。しかしそれはこれまでに何度も走っているので、北浦に向かうことにしました。そのあとは潮来、香取、佐原、成田あたりになるでしょうか。まあこれはその時の気分次第です。
ここから北浦へは国道354号線がありますが、それは使わずカントリーロードに入ります。周辺は関東ローム層のきれいな畑で、春の植え付けの準備万端。
こちらはレンコン畑。蓮田とも言いますね。霞ヶ浦・北浦周辺はレンコンの一大産地なのです。ここでも作業が開始されていました。4月に入ればこの田んぼに種芋が植えられます。
道が県道山田玉造線に合流すると山田の天王宿に入ります。
その南を流れるのは山田川で、この川は北浦に流れ込んでいます。先に見えるのがその北浦です。
私たちが日常的に霞ヶ浦と呼んでいる湖は北浦に対して西浦と呼ばれることがあります。霞ヶ浦は広義ではこの北浦や外浪逆浦(そとなさかうら)などを含んだ水域なのです。
しかしおかしなことに西浦から見れば北浦はその東に位置しているので東浦とすべきではないかと思うのですが、なぜ西浦と北浦と呼ばれるのかについてはあまりはっきりしたことはわかりません。ある時、それは鹿島神宮から見た位置関係による呼称だと聞いたことがあるのですが、これはある程度説得力のある説だと思いました。
このペイジで霞ヶ浦と言う場合は誤解がないように『広義の霞ヶ浦』と記さない限り狭義の霞ヶ浦、つまり西浦を指すことにします。
このレンコン畑の前には小さな祠があります。何が祀られているのでしょうか。
さて、これより北浦の西岸を南下します。この土手道は特にサイクリングロードという表示はなく、一般車も通行できるようですが、この日はほぼ私の専用道路です。
何かの気配を感じるとすれば、湖畔で昼寝をしていた鴨さんたちが私の自転車の音に驚いて水の中に飛び込んで行く時くらいです。
左手に湖面、右手にレンコン畑、そしてその間を行く土手道という風景がしばらく続きます。
湖の周辺のレンコン畑の先にあるのは小高い丘。これは360°すべてがそうです。
先に北浦大橋が見えてきました。こちら側は行方市、向こう側は鹿嶋市。全長1.3kmというかなり長い橋で、これは淡水湖に架かる橋としては琵琶湖大橋に次いで日本で第2位だそう。そういえば湖の面積も霞ヶ浦は琵琶湖の次ですから、ここには二番手が二つあることになりますね。
湖の中にデッキのようなものが浮かんでいます。あれはおそらく鯉の網いけす養殖場だと思います。茨城県は養殖鯉の生産量が日本一で、そのほとんどがここで養殖されています。
北浦の湖岸を15kmほど走り、もうすぐ行方市から潮来市に入ろうというころ。そろそろ景色に飽きてきました。あと、なんだか向かい風がきつくなってきました。この時期は北風が多いと思うのですが、ツキがないのかな。
そこでここで北浦を離れ霞ヶ浦の出口へ向かうことにします。この北浦の畔にある集落は渚というところらしく、写真のお宅は漁業ではなく農業をされているようです。
今日は完全に無計画で事前に地図もチェックしていなかったので、細かいところはどこになにがあるのかよくわかっていません。湖畔を離れたので30mほど上って丘越えをすると、用水路のような小さな夜越川(よろこしがわ)に出ました。
ここは北浦と霞ヶ浦の間で、もしかすると谷戸かもしれませんがはっきりしません。それにしてもまっすぐな川ですね。まあ、ここは周囲が田んぼですから、ある時代に河川改修されまっすぐにされたのでしょう。
霞ヶ浦の出口にやってきました。霞ヶ浦の出口は北利根川という川で、そこには国道51号線の北利根橋が架かっています。
その北利根橋は狭くトラックがバンバン走るのでちょっと怖いですが、片側に歩道が付いています。
29もの河川が流れ込んでいる霞ヶ浦の出口だけあり、北利根川はかなり広いです。この北利根川も広義の霞ヶ浦の一部です。河川法では『霞ヶ浦(広義の)』は常陸利根川という利根川の支川としての扱いで、西浦から外浪逆浦までの流れは一般的に北利根川と呼ばれています。ちなみに外浪逆浦より下流側は常陸川ですが、近年は北利根川と常陸川を合わせて常陸利根川と呼ぶことも多いようです。
北利根橋を渡り終えたら交通量の多い国道51号線を離れ横利根川沿いに入ります。この横利根川は北利根川と利根川を結ぶ長さ6kmほどの流れで、茨城県と千葉県の県境を成しています。
佐原の『あやめパーク』の案内標識が出てきました。このあたりは水郷として知られる土地で、6月のあやめ祭りと『十二橋めぐり』が有名です。そういえば同じ水郷である、出発時点でなんとなくコースとして描いていた茨城県の潮来には結局行きませんでしたね。
あやめパークに行ってもこの時期は見るべきものはなさそうなので直進します。
何も考えずに走っていると再び国道51号線に合流し目の前に水郷大橋が現れました。利根川は広く水郷大橋は狭くうしろからトラックがバンバン来るので、ここでも何も考えずに橋を一目散に渡ってしまいました。
利根川を渡ると千葉県香取市佐原です。さてこのあとはどうしましょう。
佐原には古くからの街が残っているのでこれを散策しても良いのですが、今日はどうも観光という気分にはなりません。
特に方針が決まらないまま利根川の土手上に整備された大利根自転車道に入ってしまいました。
広い利根川の流れの向こうに関東平野の雄・筑波山(877m)が見えます。この雄大な利根川の流れと筑波山の眺めは悪くありません。
しかし大利根自転車道はすぐ横を国道356号線利根水郷ラインが通っており、なんだか落ち着きません。
神崎大橋が近づいてきました。筑波山は相変わらずですが、その周囲の山は手前の丘に隠れて見えなくなっています。
国道が煩わしいので神崎大橋で対岸へ。
利根川はやっぱり広い!
千葉県から茨城県に戻ってきました。ここは稲敷市ですが、かつては周辺町村とともに稲敷郡を構成していました。ところが2005年(平成17年)に稲敷市として郡より離脱したため、隣に稲敷郡が残ったままになっているからややこしい。
利根川の土手上は千葉県側は大利根自転車道が整備されていますが茨城県側はというと、特別な名称はないものの、こんなふうに自転車道のようになっていて問題なく快適に走れます。
稲敷市から稲敷郡河内町に入りました。ここは『十三間戸(じゅうさんまど)』というちょっと意味ありげな名の集落。
稲敷郡の郷土史にはこの集落は1602年(慶長七年)に開墾されたと記載されているようです。
常総大橋の北にコンビニエンスストアがあるので飲料水を補給し、再び利根川の土手へ。
弁当休憩に良さそうなところを探しているうちに黒牛さんが数頭飼われているところにやってきました。利根川の対岸には根木名川(ねこながわ)の久沼水門(新川水門とも言う?)が見えます。
先ほどから空には成田空港に向かっている飛行機が次から次へと飛んできているのですが、さてどうしましょう。
成田方面へ向かう国道408号線の長豊橋に出ましたが、結局成田にもあまり食指が動かず、このまま上流へ向かいます。
長豊橋を過ぎると土手に菜の花が咲き出しました。このあたりで弁当休憩にしましょう。
平三郎集落の前の利根川の窪みあたりに白鳥が二羽浮かんでいました。もう3月ですからそろそろシベリアへ帰らなければなりませんね。
菜の花が増えてきました。
いっぱいいっぱい! ここで昼寝しましょう。
風が強くて進まないし、昨夜は日付が変わるまで呑んでいたので眠気が襲ってきています。
昼寝の後もあまり考えずに走っていたら若草大橋に出てしまいました。
この橋を渡り南へ向かえば去年白鳥を観に行った『本埜白鳥の郷』があり、印旛沼から佐倉あたりに抜けることもできますが、ここからはもっとも簡単なルートを辿ることにしました。手賀川から手賀沼に入り、我孫子で上がることにします。
手賀川に入るには利根川右岸を行った方が良いので若草大橋で利根川を渡ります。
川も空もただただ広い!
再び利根川の千葉県側を行きます。
千葉県側の土手上には相変わらず広い自転車道が続いています。
手賀排水機場の先で利根川を離脱し手賀川沿いの我孫子流山自転車道に入ります。この利根川と手賀川の接続部の自転車道は一応繋がっていますが、ちょっと分かりにくいかもしれません。
我孫子流山自転車道は浅間橋から上流は手賀川の右岸に続くのですが、左岸も問題なく走れ、そのうち手賀沼遊歩道に入って行きます。
手賀沼の周辺は田んぼばかり。その向こう側に見えるのは我孫子市の南新木辺り。
手賀川から手賀沼に入りました。なんだか今日は水辺ばかり走って来てしまいました。
手賀沼の北岸に続くのは手賀沼遊歩道です。この遊歩道は自転車OK. もちろん歩行者優先ですがそう混雑していないので問題ないでしょう。
手賀沼周辺は全体が自然公園になっており、小さな広場があちこちに整備されています。滝下広場もそうしたものの一つで、ピクニックテーブルやトイレがあります。
手賀大橋に出たところで手賀沼を離れ、我孫子駅へ。
今日は無計画のライドだったので致し方ない部分もあるのですが、利根川は単調なので走るにしてももっと短くして、同じ利根川でも新利根川やその周辺の田んぼ、あるいは稲敷市や稲敷郡の台地部分を加えると良かったかもしれません。
しかし伸びやかな関東平野を存分に味わえたライドでした。