間々田駅
暑い夏が終わり、10月に入るととたんに気温が下がって暖房を入れなけらばならいほどになりました。そして毎日雨で台風がやってくるようになりました。
快適な秋はどこへ行ったんだと嘆いていると、ようやく11月に入り、最初の三連休の最終日の文化の日は珍しくも降雨確率0%! これはどこかへ出かけなければと、やってきたのはJR宇都宮線の間々田駅(栃木県小山市)です。
間々田のまちを行く
今日は、関東平野をのんびり走って筑波山と日光の男体山を眺め、城下町だった結城(茨城県結城市)で結城紬のおさらいをするという企画。
若干一名、電車輪行はいやだ、車で行くからループコースにせよ、という我儘ものがいて、今回は私たちにしては珍しく出発地点に戻ってくるコースになりました。
郊外へ
間々田のまちの中を進むとすぐに新幹線の高架橋をくぐり抜けます。すると周囲の景色が一変し、林や田んぼが出てきます。
田んぼ道
小山南高等学校の横の道は前回来た時は舗装されていたと思うのですが、これが剥がれていて走り難かったので、次回は田んぼの東側の道を行くことにしましょう。その南側の田んぼ道はこの写真の通り、ジオポタ好みの快適な細道です。
しかし風が出てきました。ここのところ天気が安定せず今日はしばらくぶりに晴れたのですが、気圧は西高東低の冬型配置で寒波が下がってきそうだとの予報です。風向きは北風で向かい風。ちょっときつくなってきました。
梨畑
果樹畑が出てきました。実は生っていなかったのではっきりとはわかりませんが、これはおそらく梨でしょう。小山市は梨の産地でもあり、幸水や豊水といったメジャー種以外に、栃木県産の梨として知られる日光と梨の音読み「リ」を組み合わせて名付けられた『にっこり梨』という品種があるそうです。ちなみに今向かっている結城は茨城県ですが、その梨の産地量は全国第2位です。
筑波山
畑の向こうに筑波山が見えました。関東平野の中に悠然と鎮座するこの姿はとてもきれいです。
長ネギ
ツンツンしたツノは長ネギでしょう。この白っぽい緑色と黒い土との対比がいいですね。
ここは小山市の塚崎あたり。再び田んぼが出てきたところで用水路に沿って北へ。そしたら砂利道になってしまいました。実はこれはコースミスだったのですが、計画ルートとロケーションが似ていたので間違ってしまったのです。最近目が悪くなってスマートフォンの地図が見えにくくなくなったので、ほとんど感で走っているのです。しばらくミスに気がつかずにおろおろ。大失敗でした。地図をよく見て正規ルートに戻ってやり直し。 😅
畑の作物たち
このあたりは長ネギ以外にも白菜やレタスといった葉物類に、にんじんや里芋といった根菜類まで幅広く作られています。
今日はこうした畑を眺めるのも楽しみの一つになるでしょう。
真っ黒な畑
そうした作物ができる土は真っ黒。この土は「黒ボク土(くろぼくど)」と呼ばれるもので、火山灰と植物の遺骸である腐植が長い年月をかけて蓄積し、化学変化を起こしてできたものです。黒ボク土は日本の国土の6分の1程度を占めるそうですが、火山灰の層である関東ローム層が広く分布している関東地方はほぼこれです。ローム層自体は赤褐色ですが、この深さ1m程度までの表層部分に腐植が豊富に集積し、黒ボク土となったのです。
血方神社
小山市田間の血方神社(ちかたじんじゃ)に到着。ここの主祭神は少彦名命(スクナヒコナノミコト)で、社名のとおり特に血の病に霊験があるとされているようで、医薬の神、血の神、女性の守護神として信仰を集めています。この神社で最も有名で重要なのが小山市指定無形民俗文化財に指定されている田間血方神社太々神楽(だいがくかぐら)で、これは天照大神の「天の岩戸」の神話をテーマにした岩戸の舞を中心とする12演目からなり、毎年4月の春例祭と大晦日に奉納されます。こうした行事がおらが村にあったら、年を取っても心に残っていることでしょう。
田畑の中を行く面々
血方神社で小休憩をしたら再び田畑の中をどんどこ行きます。
空は広く、気分爽快!
ベネデッタと筑波山
遠方に筑波山。
この眺めは素晴らしいです。
農民と筑波山
畑の中では白菜を収穫する農家の方の姿があります。2〜3年前に白菜がものすごく高額になったことがありましたが、今年は鍋ができる程度の価格に落ち着いてくれることを祈ります。アタシ、鍋好き! 😄
コスモスとペタッチ&コンタ
道脇の畑にコスモスが咲いていました。その前を行く2人はどう見てもこの可憐な花には似合いませんね。😝
日光連山
おっ、あれはもしかして男体山?
カーブを廻ると正面に大きな山塊が出現。日光連山です。その中でもひときわ目を引く整った三角形の山が男体山です。
畑の作物を眺めながら走るユッキー
田んぼや畑はどこでも同じようなものでそう大きくは変わらないものの、民家の表情や道のカーブといったものが微妙に異なり、退屈しないのがこうしたカントリーロードの良いところです。
結城駅
JR水戸線の線路を渡って、結城駅到着。
結城は中世以降、結城氏の城下町として重要な役割を果たした土地です。『結城』の名は大化の改新後に結城郡が成立しており、そのころからのものと考えられますが、より一般的に結城の名が知られたのは、鎌倉時代初期に小山氏の流れをくむ結城朝光(ゆうきともみつ)が源頼朝の挙兵に従い功績を挙げ、下総国結城郡を与えられ、結城氏を称し、鎌倉幕府の有力御家人となってからでしょう。朝光は結城に館を築き、以後約400年にわたり結城氏がこの地を統治しました。
旧旅館石崎
関ヶ原の戦いの後、結城の城は一時破却され、結城氏による下総での統治の歴史は幕を閉じます。江戸時代になると徳川家と縁の深い水野氏が入封し、結城城の再築が許され、再び城下町として機能しました。また江戸経済の大動脈であった鬼怒川の水運の要衝に位置したため、特産品の結城紬や農産物の集散地として大いに栄えました。
その繁栄は今も市街地に残る蔵造りの見世蔵(みせぐら、店蔵)などに見ることができます。ここからはその見世蔵巡りをしましょう。まずは結城駅から駅前蔵通りを北へ向かいます。この写真は昭和初期(昭和2年上棟)の木造建築で見世蔵ではないももの、なかなかいい雰囲気の旧旅館石崎。
磯田邸
これが見世蔵です。この建築は明治中期のもので、当時は乾物屋を営んでいたそうです。正面2階の外壁は漆喰仕上げで白と薄墨色の2色が使われているようです。
その隣に見えるのは地元で「金仏さん」と呼ばれる大きな阿弥陀様の仏像です。
喫茶カヂノキ
これは明治13年建築の穀物商の店で、現在は喫茶店になっています。時間が許せばこうしたところでお茶をしたいと思いますが、今日は残念。
この建物の外壁は黒い金属板で覆われているようですが、おそらく元は漆喰仕上げだったと思われます。
秋葉糀味噌醸造
交差点の一角に立つのは大正13年建築の味噌屋。ここは現在まで店舗兼住宅及び醸造蔵として利用されています。見世蔵としては大正時代のものは比較的新しいと言えますが、それでも今日まで当時と同じ商いをしているというのは希な方でしょう。
この外壁は一般的な見世蔵とはだいぶ異なり、柱の部分なのか白い縦筋があり、その間が土色の壁になっています。1階部分の腰には石が使われています。
会津屋本店
明治41年建築。当時は荒物商だったようですが現在は建材関係の事務所兼住宅だそうです。
外壁の漆喰には薄墨が入っているようで明るい灰色をしています。
小倉商店
小倉商店は明治4年建築で、結城紬の問屋店舗の付属施設として利用されているそうです。この頃の店は見世蔵と呼ばれるように火災から商品を守るために土蔵造りとした建物が多いのですが、この建物は一般的な木造建築です。
赤荻本店
明治20年頃に建てられた赤荻本店は、今日まで代々お茶の販売店舗兼住宅として使われているそうです。
菓子処真盛堂
結城で有名なものは結城紬、それに次ぐのは『ゆでまんじゅう』でしょうか。ここで一服して、その『ゆでまんじゅう』を真盛堂さんでいただきましょう。
ゆでまんじゅう
ゆでまんじゅうは、コシと弾力があるモチモチとした食感の皮が特徴です。これは小麦粉などとお湯を混ぜてこねた生地を蒸し上げたもので、中には小豆餡が入っています。
この真盛堂さんのゆでまんじゅうは、甘さ控えめの上品な味で、2つ3つ食べられそうです。
ゆでまんじゅうを頬張る面々
ゆでまんじゅうの起源についてはいくつかあるようですが、江戸時代末期、結城で伝染病が流行した際に、人々の無病息災を願い、城主が神社にお供えしたのが始まりとする説が有力のようです。結城の夏の風物詩である健田須賀神社(たけだすがじんじゃ)の夏祭りの時期に古くから家庭で手作りされていたようで、神輿が来るのに間に合わせるため、通常の蒸しまんじゅうより早くできる「ゆでる」製法が用いられたようで、これが名前の由来の一つとされています。
甘味茶蔵真盛堂(旧福井薬局)
さて、ゆでまんじゅうで小腹を満たしたら、見世蔵巡りを続けましょう。
この建物は明治30年頃の建築で、肥料・呉服商・薬舗を経て現在は真盛堂が経営する甘味処になっていますが、この日は残念ながら定休日でした。
1階はオープンな店としての造りですが、2階を見ると重厚な土蔵造りであることがわかります。白い漆喰壁と黒い屋根瓦の対比がきれいです。
秋葉喬庸商店
真盛堂のすぐ北の交差点に立つのは明治末期の建築で、元は農業資材関係の店舗だった建物。現在は住居として使われているようで、隣に見える車庫も立派です。
中澤商店
これは明治末期の建築で肥料商・紬問屋をしていた中澤商店。
中澤邸
その向かいに立っているのがこの建物で、建築年代は不詳ですが中澤商店の見世蔵及び主屋として使われていたそうです。
河野商店
河野商店は明治30年頃の建築でかつては結城紬の問屋をされていたようですが、現在は不動産屋の看板が掲げられていました。
結城駅からここまでは結城の中心部を南北に貫く『駅前蔵通り』を北上してきましたが、ここで U ターン。
結城中心街
やって来た道を大町交差点まで戻ります。
結真紬とふじの蔵
大町交差点からは結城の真ん中を東西に貫く県道264号線に入り、これを東へ向かいます。
ここは結城紬の卸問屋が多く集まっていた通りで、写真は結真紬の見世蔵です。明治40年頃の建築で、元々は呉服店として建てられたものですがその後紬問屋となり、現在は結真紬の問屋店舗兼住宅となっています。
結真紬の向こうに見えるそれとよく似た建物は『ふじの蔵』。明治20年頃の建築で、代々呉服屋を営んでいたようですが、現在は観光用の無料休憩所だそうです。
旧須関商店
これまで見てきたように見世蔵は2階建が多いのですが、この建物はめずらしく平屋建です。明治26年頃の建築で、当時は穀物商を営んでいたそうですが、現在は住宅となっているようです。
奥順
これは結城紬の製造卸問屋の老舗、1854年(安政元年)創業という奥順(おくじゅん)の店で、大正初期の建築。奥に見えるのはその蔵で明治19年の建築ですが、その後店舗に改装されました。これら二つの店は現在は社内的な用途に使われているそうで、残念ながら一般的な店ではなくなりました。この向かいには奥順の壱の蔵だった建物が立っています。
旧キヌヤ薬舗
奥順の並びにあるのは明治20年頃建築のキヌヤ薬舗。かつては自転車や和裁用品店が営まれていたそうです。その後薬屋の店舗となりました。現在はどうやら住宅となったようです。
結城蔵美館
キヌヤ薬舗の東には不動堂と二十三夜塔が立っています。この角を曲がって北へ向かうと、結城蔵美館があります。この蔵は明治中期頃に建てられたもので、当時は先ほど見た結城紬の奥順が営んでいた米穀商(米屋)の米の倉庫だったようです。奥順の創業者である奥澤順之助がまず始めたのは米屋で、のちに結城紬の事業に進出したのです。
現在は、左手に見える本蔵で地元作家の作品展示などを、右手の袖蔵で結城の歴史資料の展示が行われています。
結城蔵美館本蔵入口
結城蔵美館は入館無料なのでちょっと覗いてみましょう。この建物は土蔵造りですから外壁や扉はものすごく分厚いです。この扉、いったいどれくらいの重量があるのでしょう。
この時、本蔵では地元作家の絵画と絵手紙が展示されていました。袖蔵の歴史資料としては結城家縁の品を何点か見ることができます。
御手杵の槍
その中でも一番の見所は天下三名槍の一つとされる、晴朝公の愛槍である「御手杵の槍(おてぎねのやり)」のレプリカ(本物は第二次世界大戦末期の東京大空襲で消失)でしょう。これは穂(刃長)4尺6寸(138cm)、切先から石突までの拵えを含めた全長は約3.8mという桁外れの大きさで、重量も6貫目(22.5kg)とものすごいものです。その鞘は高さ5尺(150cm)、直径1尺5寸(45cm)とこれも巨大で、黒熊の毛で覆われていたと伝わっています。その形は餅つきなどに使う中ほどがくびれた大きな「手杵(てぎね)」に似ていたことから名が付いたとされます。
ぱんやムムス
結城蔵美館を出て北へ向かうとすぐ西之宮住吉通りとの交差点です。そのすぐ先にパン屋さんがあります。この日は定休日で扉が閉まっていたのは残念ですが、この建物は明治45年の建築で、当時は米穀商の店舗でした。
つむぎの館
西之宮住吉通りを西へ向かうとすぐ、『つむぎの館』があります。この施設は奥順が運営する結城紬の総合施設で、その歴史や製造方法を紹介する場であり、機織りなどの体験施設や陳列販売所などもあります。
この入口横の蔵が資料館で、
糸車
様々な道具や古い結城紬などを見ることができます。
機織り体験コーナー
資料館の横には機織り機がずらりと並んだ建物があります。ここで機織りの体験や小物作りができます。
結城紬は糸つむぎから始まり、絣(かすり)くくり、地機織という工程を経ます。この中の織だけ見ても、1日に織れる長さは熟練の織り手であってもわずかに5cm~10cm程度とされ、着物一着分の反物(約13メートル)を織り上げるには、単純な柄であっても30日~60日、絣柄が細かく複雑なものになると、半年から一年以上かかることも珍しくないそうです。
結城紬陳列館
ということでその価格は一般的な絹織物と比べて非常に高価です。もっとも安価な無地の反物でも50万円ほどはし、高額なものは500万円を超えるものもあるそうです。そんな反物を実際に展示販売しているのが中庭を挟んだ反対側に立つ古民家を移築したこの大きな陳列館。ここでは実際に結城紬を手にとってその感触を確かめることができます。
そんな高額商品に手は出せぬと言う方のために、総合案内所でもある建物では、紬の小物を手頃な値段で販売しています。
はなれ
つむぎの館で内部見学できる施設は以上ですが、これらの奥には奥順の施設がまだあります。これは明治19年建築の『はなれ』でNHKの朝ドラ『鳩子の海』の舞台になりました。
土蔵
その隣に立つ明治37年建築の土蔵は紬の保管に最適な環境を現在も保っているそうです。
山中石材店
『つむぎの館』を堪能したら、引き続き西之宮住吉通りを西へ向かいます。この通りには
明治28年建築の山中石材店があります。現在はどうやら住宅として利用されているようです。
鈴木紡績
そして明治39年建築の鈴木紡績。穀物・紡績商を経てここも現在は主に住宅としての利用でしょうか。ちなみに看板の薬局はこの隣で、薬局になったわけではありません。
弘経寺 裏門
西之宮住吉通りの西の突き当たりは弘経寺で、その裏門の前に出ます。この門は結城城大手門を移築したものと伝わります。
結城酒造の塀
結城には少し前まで酒造メーカーが二つありました。これはそのうちの一つ、結城酒造の塀です。
結城酒造の煙突
そしてこれはその煙突。非常に残念なことに結城酒造は2022年の火災で酒蔵などほぼすべてを焼失し、明治36年の建設と伝えられる煉瓦造のこの煙突だけが残りました。現在結城酒造の杜氏は北海道で酒造りをしつつ、再建を目指しているそうです。
武勇
そしてもう一つの酒造メーカーがこちらの『武勇』。立派な建物が立ち並んでいますが、古いものは江戸末期の建築だそうです。
保坂家住宅
その向かいには江戸時代から酒造武勇を営む保坂家の住宅が立っています。大正期に建築された木造平屋建の住宅と大正11年建築の土蔵が塀越しに見えます。
小西金物店
酒造武勇がある健田通りを東へ進むと、明治初期建築の小西金物店があります。当時は小西銅鉄店という名称だったようですが、現在は建材関係の事務所兼住宅となっているそうです。
桜井長太郎商店
明治後期建築の桜井長太郎商店は生鮮・乾物問屋だったそうですが、現在は干瓢を売る商店兼住宅として利用されているそうです。1階の格子戸と2階の窓の格子が揃っていますね。
旧鈴木新平商店
セブンイレブンの角を北へ曲がるとすぐ、明治16年建築と考えられている元は加賀屋と称した旧鈴木新平商店があります。加賀屋は江戸後期に加賀国金沢から移り住んだ呉服問屋とされています。土蔵造の現在の外壁は灰色ですがこれはかつては黒漆喰だったようで、典型的な江戸型の見世蔵形式だそうです。
さて、以上で結城の見世蔵巡りはおしまい。昼飯処へ向かいましょう。
健田須賀神社
その前に健田須賀神社(たけだすがじんじゃ)にお詣りを。この神社は健田神社と須賀神社を合祀したものですが、健田神社は延喜式神名帳(927年)に「下総国結城郡 健田神社」として下総国11社のうちの1社として記載されており、須賀神社は結城氏が1242年に尾張国津島神社より勧請を受けて「天王社」として創建したもので、結城家の氏神である古社です。
NORA NERO COTTO
本日の昼飯処はこちらのイタリアン。
ティラミス
メインディッシュは写真を撮り損ねましたのでデザートを。これはベネデッタとペタッチがオーダーしたティラミス。おいしゅうございました。
結城城外堀跡を行く
昼食の後はまず結城城跡へ。ここはかつての外堀で、現在は小さな水路が流れており、一部は公園として整備されています。
内堀跡
その水路から少し上ると空堀があります。これは結城城の内堀跡です。
内堀跡の向こう側に見えるのは桑の木でしょうか。結城紬は絹から作られ、その絹はお蚕さんの繭から作られます。お蚕さんは桑の葉だけを食べて育ちます。
桑の木
近づいて見るとやはり桑の木です。桑の木は半世紀ほど前まではそこら中で見られましたが、今日、それを見ることは非常にまれになりました。今はその季節ではありませんが、5月の下旬、孵化したばかりのお蚕さんが桑の葉を盛んに食べ始める時期を七十二候では「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」と言います。お蚕さんが桑の葉を食べる音は「蚕時雨(こしぐれ)」と呼ばれ、小雨が降っているような心地よい音と表現されることもありますが、一匹や二匹ならともかく数百匹も飼っていると、夜中はうるさくて眠れないほどです。
結城城本丸に立つ聰敏神社
桑の木があるのは内堀の内側ですから、ここがかつての結城城ということになります。現在ここは『城址歴史公園』として整備されています。その一角には水野家初代、水野勝成を祀る聰敏神社が立っています。
紅葉
江戸時代の1700年(元禄13年)、水野勝成の曾孫に当たる水野勝長(水野宗家6代)がこの地に転封され下総結城藩初代藩主となります。1703年(元禄16年)には結城城の再興が許され再び築城されます。勝長以後、明治維新まで水野氏10代がこの地を治めますが、1868年(慶応4年)、新政府軍に攻められ落城し廃城。
本丸より加波山を望む
この本丸跡からは東の加波山がよく見えます。
田川と男体山
結城城を後にしてカントリーロードを進み、出発地の間々田に向かいます。
結城城の東を流れるのは田川。その遥か北には日光の男体山が見えます。
畑と筑波山
東には筑波山。 いい眺め!
ネギと男体山
気持ちの良いネギ畑の向こうは男体山。
そうそう、関東地方のこのあたりでは男体山という言葉は慎重に使わなければなりません。なぜならこの日光の山も男体山ですが、双耳峰である筑波山の一方の峰の名もまた男体山だからです。
筑波山とペタッチ
筑波山を眺めながら走ります。
男体山は右側の峰で、左側のそれは女体山。筑波山はわずかに女の方が高いです。
水戸線
東結城駅の近くまでやってくると、JR水戸線の線路を渡ります。ちょうどそこに電車がやってきました。この路線は1時間に1〜2本しかなく遭遇率はかなり低いので、ラッキーです。
男体山をうしろに走る
うしろにドーンとでっかい男体山。その男体山を背負って進みます。
ところがこの辺りから風が強くなってきました。予報では北風のはずなのになぜか向かい風です。
鬼怒川自転車道
結城の東を流れる大河川は鬼怒川。ここまで来たからにはその姿を見ずには帰れません。というわけで鬼怒川の土手を上ります。
その上にはとても広い自転車道が延びています。鬼怒川は2015年(平成27年)9月関東・東北豪雨の際に決壊し、周囲に大きな被害をもたらしました。そのため緊急対策として、堤防の嵩上げと拡幅とが行われたのです。
ところが風を遮るものがない土手上は風がビュービューでまったく前に進まず、ベネデッタはハヒハヒ。
ユッキー・鬼怒川・筑波山
おいらはこんくらいの風ならへっちゃらさ。と、ベネデッタの風除けとなるユッキー。
風は強くなってきたのですが、予報ほどには気温は下がらず寒さは感じません。よかった〜
雲がとれた男体山
鬼怒川の自転車道はあちこちで途切れており、この先の川岸揚水機場のところもいったん下りなければならないので、その手前で離脱し、再び田んぼの中を行きます。
稲が刈り取られたあとの田んぼは来春まで休養でしょう。その向こうにはようやく頭の雲がとれたあの日光の男体山の姿があります。
東持寺 (梅寺)
田んぼの先にあるのは東持寺 。このお寺は梅寺と呼ばれており、梅の花で有名なようです。
土塁
ここは中世の武家屋敷跡でもあり、その周囲を囲むように土塁や堀の遺構が良好な状態で保存されています。築城年代は定かではありませんが、建仁年間(1201年〜1204年)頃に山川重光(結城朝光の三男または四男)によって築かれたとされます。重光はこの地を本拠として山川氏の祖となったことから、ここは山川館跡あるいは山川城跡とも呼ばれます。
田んぼの中を行く面々
さて、ここからはただ田畑の中を間々田に向かうだけです。
田んぼには二番穂が出ていますね。ここのところの米価の上昇で日本でも二番穂を再び収穫する「再生二期作」をするところがあるそうなのですが、このあたりはどうなのでしょうか。
畑と田んぼ
畑にはそろそろ収穫かという大きな白菜がいっぱい。
ぶどう
このあたりは結城市上山川というところですが、グーグルマップでぶどう園がたくさんあるのを発見しました。ぶどうの季節は過ぎましたがその中にキウイフルーツを販売しているところを見つけました。この近くの小山市では桑畑からの転作でキウイフルーツの栽培が始められたそうなので、ここももしかしたらそうなのかもしれません。
その農家が近づくとビニールハウスの中にぶどうを発見。でもやはりぶどうはすでに販売を終えていました。
キウイフルーツを買うペタッチ
国産のキウイフルーツは珍しいので買って食べてみましょう。648円/5個なので価格的にはスーパーマーケットで買うのとそう大きくは変わりません。買って店先で食べてもいいかと聞くと、なんとまだ熟れていないのでしばらく熟成させてくださいとのこと。ガビーン! 😞
VIETNAM SHOP
この農家の前の通りに面白い店を発見。その名も『VIETNAM SHOP』。ここはベトナム関係のものを扱っているに違いないと期待して入ってみました。
入口には中華の赤提灯がぶら下がっています。ベトナムには中華系の方も多く住んでいますからね。
VIETNAM SHOP内部
内部はこの通り、それらしい食材がずらりと並んでいます。
しかしよく見ればベトナムというよりタイのものが多いようです。
タイ味噌タオチオ
ペタッチはここでインスタントのフォーなどの麺を、私はタオチオ(เต้าเจี้ยว)というタイの味噌をゲット。
白菜
さて、だいぶ陽が傾いてきました。間々田に急ぎましょう。
ここまで白菜の畑はたくさん見てきましたが、収穫しているところはありませんでした。しかしついにここで収穫作業をしている現場に立ち会うことができました。でっかい白菜ですね。キムチにしてもいいし、鍋には欠かせませんね。
筑波山を横に畑の中を行く面々
筑波山は男体山と女体山が重なって頂が一つになりました。しかし今度は男体山のすぐうしろにある坊主山(ぼうずやま)が見えてきたので、またピークが二つあるようにも見えます。
藁ボッチ
藁ボッチ発見! 最近、稲はすべて機械で刈り取ってしまい稲藁の処理も機械が行ってしまうのでこうした藁ボッチを見る機会は非常に少なくなりました。
この近くに住んでいるコンタによれば、これは『どんと焼き』のためにわざと残しているのではないかとのこと。ん〜ん、なるほど〜
強風の中、坂を上るベネデッタ
風はここにきてますます強まってきました。幸いなことに今日のコースはほぼ完全にフラットなのですが、この風ではわずかな坂道でも堪えます。
よろよろとなんとか坂道を上ってくるベネデッタでした。
西日を受けて走る面々
陽の光が赤くなってきました。それを反射する景色もまた赤くなっていきます。
間々田美しが丘公園
間々田のまちに入ったところにある公園で一休み。ここは芝生広場があるなかなかいい公園です。しかし陽が落ちたので急に気温が下がってきました。ということで、呼吸を整えたらさっそく反省会に突入しましょう。
一品軒にて
今日は途中コースミスがありました。最近、目とともに頭も霞んできたようでまったく困りものです。😅
暑くてまったく走れなかった夏、そして雨が多くて思うように走れなかった10月が過ぎ、11月はようやくサイクリングの季節になったようです。
そろそろ関東地方の平野部にも紅葉が下りてくるので、このあとしばらくは紅葉企画ができるのではないかと期待しています。今年の紅葉はどんなでしょうか。
