2026年、あけましておめでとうございます。
今年の干支は「午」。丙午です。ということで新春ポタリングは馬に纏わる場所を巡りたいと思います。
上野公園大噴水
まずやっってきたのは東西南北から集まりやすい上野駅の目の前の上野公園。上野駅は山手線や京浜東北線はもちろんのこと、東北本線や常磐線が通っており、京成上野駅もあるのでかなり利便性が高いです。
お天気は快晴で風はなく、最高のサイクリング日和となりました。
今回の参加者は左から、紅一点サリーナ、東北方面から遥々2時間かけてやってきたコンタ、海の向こうからやってきたコテッチャン、昨夜新幹線で関西からやってきたジーク。川向こうからやってきたコムラン、カメラはいつものサイダー。
みなさん、今年もよろしくおねがいいたします。
馬形埴輪
みんなのうしろに見えている東京国立博物館ではちょうどこの時『特集 博物館に初もうで 午―神と人をつなぐ祈りのかたち―』をやっていました。馬と人との繋がりは遙か昔からあるのですね。馬は日本には古墳時代に大陸から伝来したそうです。
上野公園を行く
さて、では出発しましょう。まずは上野公園の中に馬に乗った方がいるというので探しに行きます。この辺が縄張りのコムラン先頭にゆっくり進みます。
小松宮彰仁親王像
いましたいました、馬に乗った方が。この方は小松宮彰仁親王という皇族で元帥陸軍大将でした。明治維新の功労者であり、のにちの日本赤十字社の発展に尽くし、その初代総裁に就任しています。
この騎馬像の横にある桜の木は「コマツオトメ」という品種で、小松宮彰仁親王像の近くにあったことからの命名だそうです。
不忍池
上野公園から下って不忍池(しのばずのいけ)を廻って進みます。
湯島天神 男坂
不忍池のほど近くにあるのは湯島天神(正式名称:湯島天満宮)。初詣はここにしましょう。
湯島天神はちょっとした高台にあり、不忍池から行くには坂を上らなければなりません。ここには3つの坂があります。男坂、女坂、夫婦坂。これらはみんな階段で自転車では登れないのでぐるっと廻って正面の鳥居に出ましょう。
湯島天神正面の銅製の鳥居
湯島天神の正面の鳥居(都指定文化財)は銅製で味わい深い姿をしています。
湯島天神 拝殿
ここは天神様なので菅原道真公が祀られています。ということでこの日も受験生やその家族が大勢お参りにやってきていました。
実はこの神社にも馬がいます。それも何千頭も! と言ってもそれは絵ですが。(笑) 多くの神社がそうであるように、ここの絵馬には干支が描かれます。今年は午年なので「馬」が絵馬に描かれるというわけです。
湯島天神 絵馬
拝殿の奥には合格祈願の絵馬がずらずらずら〜っと、ものすごくたくさんぶら下がっていました。
古代の日本では、馬は「神様の乗り物(神馬:しんめ)」と考えられていました。そのため、祈願や感謝の印として、生きた馬を神社に奉納する習慣がありました。しかし、生きた馬を奉納し、さらに神社側でお世話を続けるのは、奉納する側にとっても受ける側にとっても非常に大きな負担でした。 そこで、馬の像や、板に馬の絵を描いたもので代用するようになり、これが現在の「絵馬」の原型となったようです。
湯島天神から神田明神へ
天神様にお参りが済んだら次はその近くにある神田明神(正式名称:神田神社)に向かいます。
都心の道は車が多くて自転車ではあまり走りたくないところですが、お正月は商用車が走らないのでガラガラです。
「いつもこれくらい空いているといいのにね〜」と、先頭のコンタ。
神田明神 花手水
神田明神に着きました。
神田明神の大鳥居は中山道(国道17号線)に面して立っていますが、私たちはそこまで行かずに随身門前に出る道でアプローチしたので、まずは道端にある花手水が出迎えてくれました。
神田明神 隨神門
横を見上げれば壮麗な随身門が立っています。この門は1970年(昭和50年)再建で比較的新しいものですが、さすがに江戸の総鎮守の神社だけあり、総檜の入母屋造りで屋根は銅板葺きという立派なものです。
この二層目には平将門に由来するという金箔をほどこした「繋馬」の彫刻があるのですが、撮影失敗ピンボケでお見せできないのが残念です。
神田明神 隨神門下の行列
その原因の一つはここの大混雑でした。カメラを構えて随身門を写すのがやっとで、撮影した写真を確認できなかったのです。この写真にある2階の左右対になっているピカピカ光った金色のものがそれです。
明神様にお参りするには随身門のはるか先、大鳥居から続いている行列に並ばなければなりません。今日は時間はたっぷり取ってあるので並んでもいいのですが、『この行列ではね〜』と、これには誰も並ばず。
神田明神 御神殿
ではお参りは無理でも神馬の「明(あかり)ちゃん」に会ってこよう、と境内に向かいます。
明ちゃんは確か横の方にいたよね〜、右側だったような気がするということで随身門の右側から境内へ。
神馬あかりちゃんのスペース
ところが記憶違いだったのか場所が変わったのか、明ちゃんがいるのは反対の左側だといいます。この日は随身門から御神殿まではお参りの人々の専用通路になっていて、そこは横断できません。いったん外へ出てやり直し。
人混みを掻き分けてなんとか明ちゃんの小屋の前までやってきましたが、この日明ちゃんはスネていて出てきてくれません。まあ、そんなにこっちの都合には合わせてくれませんねぇ〜(笑)
練成通り
ということで明ちゃんは諦めて、次は蔵前へ向かいます。
ここで、正月早々朝寝坊したとかで遅刻したミッチーが合流。
蔵前
隅田川の辺りの一角に「蔵前」という地名のところがあります。このあたりは江戸時代に幕府の御用蔵があったところです。
厩橋
その近く、隅田川に架かる春日通りの橋の名は『厩橋(うまやばし)』。
ここには江戸時代には『御厩の渡し』がありました。その渡しが明治時代に入って廃止され、橋に置き換わったのです。現在の鋼製三連アーチ橋は1929年(昭和4年)に震災復興事業で架けられたもので、橋名はこの西岸にあった『御厩河岸』にちなんでいるそうです。
厩橋の橋名板とステンドグラス
厩は言わずと知れた馬屋、馬を飼っておく小屋のことです。この馬屋は蔵前の米蔵の米を運搬するの荷駄馬用のものだったようです。
橋の親柱には馬をモチーフにした装飾ガラスがはめ込まれています。
厩橋付近の街路灯
そして近くの街路灯には馬の浮き彫りが施されています。注意して見ないと見落としてしまいそうな細部ですが、橋名の由来を静かに伝えています。
江戸時代のこのあたりの風情を伝える私の好きな浮世絵を一点紹介します。歌川広重の名所江戸百景より『御厩河岸』。この絵の内容はかなり意味深いです。
厩橋から隅田川下流を望む
橋の上から眺める隅田川は穏やかで、晴れた新春の空を背景に冬の柔らかい日差しが水面に反射し、下町の風情を感じさせます。この日は川面を行き交う船の姿もなく、正月らしい静かな時間が流れています。
「駒」の看板
厩橋通りを渡るとそこは台東区駒形で、「駒」に関するもろもろを発見することができます。これはまさに『駒』という看板。
浅草寺駒形堂
厩橋の一つ上流に架かるのは駒形橋で、その袂に立つのが駒形堂。
ここは隅田川で発見された浅草寺の聖観音像に関わる由緒ある地とされ、古くから信仰を集めてきた場所です。ご本尊は 馬頭観音菩薩。江戸時代、浅草寺の参拝者が船でこの地に上陸し、まず駒形堂にお参りしたと言われるほど歴史深いお堂です。朱塗りのお堂は小ぶりながら存在感があり、道行く人々が自然に足を止めるスポットで、この日は風もなく、馬頭観音に祈願する地元の人の姿も見られました。ここの馬頭観音の開帳は毎月19日なので、残念ながらこの日はそのお顔は見られませんでした。
先ほど広重を出したので、ここは葛飾北斎を。『馬尽 駒形堂・御厩川岸・駒止石』
左馬
今日は天気が良く風もないので、昼食は隅田公園でお弁当を広げることにしました。ということでそのお弁当を見繕いに商店街に入ってみました。ここはオレンジ通りにある『浅草左馬』。
新鮮な食材を用いた珍味を作って販売しています。店先の「左馬」の文字は、馬を逆から書くと「舞」に似ることから、運が舞い込む、福が舞うという吉兆とされ、商売繁盛の縁起物とされています。
左馬の生珍味
店内には色とりどりの生珍味がずらり。
眺めるだけでも楽しく、「午づくし」の実感が一気に高まります。今日は走行が控えているのでお昼に頂く分だけを購入しましたが、ポタリングの終盤に立ち寄ったならもっとたくさん買い込んだことでしょう。
新仲見世から矢先稲荷神社へ
新仲見世の賑わいを抜け、次の目的地へ。少し喧騒を離れるだけで、浅草の空気がふっと落ち着きます。
矢先稲荷神社 手水
矢先稲荷神社に到着。
まずは手水で身を清めます。小さな境内ながら、正月らしい凛とした空気が漂っています。
矢先稲荷神社 拝殿
この神社の拝殿天井には、「日本馬乗史」を描いた百枚の馬の絵が描かれています。しかしこの日は境内から外の道路の遥か彼方まで、ずらりと行列が続いています。誰もその行列に並ぼうとするものはいないので、ここは馬の天井画を想像し、拝殿を拝んだだけで次に進みます。
浅草寺
続いては浅草寺へ。
正月の浅草はやはり特別で、境内は多くの参拝客で賑わっています。浅草寺のすぐ隣には浅草神社がありますが、ここは江戸時代には流鏑馬が奉納されていたとのことです。ここには馬場があったようです。
浅草寺二天門
二天門をくぐり境内を抜けます。この二天門のあたりは、江戸時代に馬市が開かれた場所だったそうです。
馬市は、毎年12月中旬、2歳または3歳の南部駒(なんぶこま)100~150頭を南部藩から曳いて来て、売買した市です。南部藩の馬宿(うまやど)をつとめる馬喰(ばくろう)3軒が藪の内にありました。馬市の場所は具体的には現在の台東区花川戸二丁目あたりに該当するそうです。
当時の馬市の様子が描かれた資料があります。『江戸名所図会 6巻』より『馬市』/斎藤長秋編 長谷川雪旦画
馬道交差点
二天門から細道を北へ向かいます。観光客の流れから外れるといつもの下町の表情が戻ってきます。そして『言問通り』に出て東へ向かうとすぐに大きな交差点に出ます。
その交差点の標識には『馬道』とあります。『馬道』はかつては町名でもあったもので、江戸初期の頃からあるといわれ、年月を重ね住居表示の変遷や町域の変更を経て、『浅草馬道』から『馬道』がなくなり現在の町名の『浅草』になったとのことです。
ちなみにこのあたりには現在の『浅草』になる前の旧町名『浅草馬道二丁目』の名を残した『浅草馬二町会』という町会があります。
馬道通り
馬道交差点。何気ない交差点ですが、地名の由来を知っていると、景色の見え方が少し変わります。
『言問通り』に直行するこの通りは『馬道通り』といいます。『馬道』の名には、新吉原へ行く遊客が馬に乗って通った道だったからなど諸説ありますが、かつて僧が馬術修練のため浅草寺の馬場へ馬を引いて通った道だったからという説が一般的なようです。現在は車通りの多い道ですが、地名だけが静かに往時を伝えています。
隅田公園で昼食
馬道を抜けて隅田公園へ。
隅田公園内は開けていて、ここまでの市街地とは一転、空が広く感じられます。青い空の下に東京スカイツリーがすくっと伸びています。
隅田公園では毎年4月に浅草流鏑馬が行われます。この流鏑馬は江戸時代に浅草神社の正月行事であったものを、台東区が1983年(昭和58年)に観光行事として復活させたものです。
正月らしい穏やかな日差しのもと、ここで昼食にします。各自持参した弁当や調達してきたものを広げます。今日は川風がなく、陽の光を十分に浴びて気持ちがいい。自転車談義をしながら、しばしのんびり過ごします。
白梅
ここには白梅と紅梅とが咲いていました。まだ寒さは残るものの、春が確実に近づいていることを感じさせます。
桜橋より隅田川上流を望む
午後は浅草を離れ、隅田川を北上します。観光地のにぎわいが遠のき、次第に生活の匂いが濃くなるエリアへ。
桜橋から東京スカイツリーを望む
まず東京スカイツリーを眺めながら桜橋を渡って向島へ。
白鬚橋
向島は首都高速道下の薄暗いゾーンを走るのであまり気分がよくありませんが、安全安心して走れます。白鬚橋に差しかかると雰囲気は一転、明るい雰囲気に。
隅田川右岸自転車道
そして白鬚橋を渡れば、隅田川右岸に快適な自転車道が続きます。路面は良好で信号もなく、集団でも走りやすい区間です。各自が自分のペースを保ちながら進みます。
東京スカイツリーがうしろに去っていきます。
石浜神社付近より隅田川上流を望む
この道の下には立派な石浜神社がありますが、今日は立ち寄らないで先へ進みます。
隅田川が空の青色を反射してきらきら輝いています。
千住東2丁目
再び隅田川を渡って千住の街中に入ります。古くからの住宅と新しい建物が混在し、下町らしい生活の気配が感じられるエリアです。
ここから道端の馬頭観音を巡る区間に入ります。
千住東の馬頭観音
千住の道沿いにひっそりと佇む馬頭観音です。今回のポタリングでは、こうした馬にまつわる史跡を巡ることも大きな目的の一つです。
千住東の馬頭観音2
この馬頭観音はこの地域がかつて交通の要所であったことを物語っています。
馬頭観音は馬の守護と供養を目的として信仰されてきた観音菩薩です。日本では特に、農耕や運搬、交通に欠かせなかった馬と人との深い関わりを背景に、各地で祀られてきました。千住は江戸・日本橋を起点とする日光街道において、最初の宿場でした。奥州街道とも重複する重要な宿場で、交通・物流の要衝でした。
この像はお顔がわからないほど風化劣化が激しく、これはそれだけ長い年月ここにおられたことを示しています。
千住の大踏切通り
千住の大踏切通りを行きます。北千住駅からほど近いこの場所は、いつも人と交通の流れが絶えないのですが、お正月のこの日は車が少なく、自転車でも問題なく通行できました。
荒川右岸サイクリングロード
千住の街中を抜け、荒川に出ます。荒川にはご存知のサイクリングロードがあります。街ポタは街ポタの楽しみがありますが、1日中ごちゃごちゃしたところを走り続けるとフラストレーションが溜まるので、ここで息抜きです。
視界が開け、風を感じながら気持ちよく走れる区間です。
西新井橋から荒川下流を望む
西新井橋の上から荒川下流を眺めます。大河らしい雄大な流れに、自然と足を止めてしまいます。
コテッチャンとコムラン
荒川の左岸に渡りました。川沿いに首都高速道がずっと続いている景色は、なにか子供の時に見た未来都市みたいだね〜、などと会話を交わしながらのんびりと進むコテッチャンとコムラン。
ジークとコテッチャン
関西から遥々やってきたジークと、そのジークをサポートしながら走るコテッチャン。
足立区扇の馬頭観音
荒川を離れ、足立区扇の住宅地の中を行きます。これはその細道に残る馬頭観音です。
小さな木祠の前にはきれいな花が供えられています。地域の人々に長い間守られてきたことがうかがえますね。
足立区扇の馬頭観音2
木祠の中はこんなふうで、右の石碑に馬頭観音の文字が見えます。
真ん中に立っておられるのが馬頭観音さまでしょうか。
足立区扇の馬頭観音3
馬頭観音の最大の特徴は、その姿にあります。一般的な観音菩薩と異なり、頭上に馬の頭をいただく、あるいは馬面を頂く忿怒相で表されることが多く、これは人々を苦しめる煩悩や災厄を力強く打ち砕く存在であることを示しているとされます。一方で、その本質は慈悲深く、馬と人の双方を救済する仏ともされています。
この像は忿怒相ではなく、一般的な観音菩薩さまのような穏やかなお顔ですね。頭の上にあるものも馬なのかどうかはっきりしませんでした。
サリーナと日暮里・舎人ライナー
再び荒川に戻ります。
サリーナのうしろを通るのは日暮里・舎人ライナー。都市近郊らしい風景です。
荒川左岸サイクリングロードを行く面々
ここはみんな揃って!
一人だけ並ばないのはいつものミッチー。
足立区宮城2丁目付近の隅田川
今日はコテッチャン開発のGPSナビゲーションシステムのテスト日でもあります。あれれ、現在地、出なくなっちゃったよ〜 とかあーだこーだしていたら、曲がり損ねた。道脇の柵を乗り越えて隅田川の辺りに出ました。やれやれ、このナビゲーションシステム、完成にはもう少し時間が掛かりそうです。
石神井川と首都高速
みなさんは石神井川をご存知でしょうか。上流部には石神井公園があり、春には桜で有名なあの石神井川です。王子駅付近を流れる川として知られていますが、その下流がどこかをご存知の方は意外と少ないかもしれません。この写真のすぐ先が石神井川が隅田川に流れ込む地点です。頭上を二段に重なった首都高速道が走り、その周囲には住宅やら倉庫やらが混沌と立ち並んでいます。東京らしい立体的な風景が広がります。
北区豊島2丁目の馬頭観音
このすぐ近くにも馬頭観音があります。北区豊島二丁目。
この馬頭観音は街中に溶け込んでいるいうか、埋もれているといったほうがよさそうな雰囲気です。
北区豊島2丁目の馬頭観音2
多くの馬頭観音は彫像ですが、ここのそれは像ではなく石柱に馬頭観音と彫られているだけです。
横に昭和二十三年と刻まれているので比較的新しいものですが、ちょうどここを通りかかった方の説明では、この前の坂道を馬が登ろうとしたが登れずに生き絶えた、その馬の慰霊のために建てられたものだそうです。
この馬頭観音も今でも地域の方に大切にされているようで、鏡餅とお酒とがお供えされていました。
都電荒川線
梶原銀座通りを行くと都電荒川線を渡ります。ちょうどそこにチンチンとやってきました。ゆったりとした時間が流れます。
北区上中里
そのすぐ先は東北本線、上野東京ライン、高崎線とが走る上中里の踏切です。ここは鉄道の音が常に聞こえてくる開かずの踏切で、先ほどの都電とは比べ物にならないほど騒々しいところです。上に見えるのは歩道橋ですよ、踏切が開かないからね。
この時もカンカンという音が鳴りっぱなしで、列車がゴーッという音をたてて通り過ぎていきました。
尾久車両センター付近
この線路脇には尾久車両センターがあります。てっちゃんなら見逃すことができないところで、線路がびっしり。そこにたくさんの車両が並ぶ様子は圧巻なのですが、アタシはてっちゃんじゃないので写真はなし。
それよりその関係の古びた建物がなんだかいい感じかも。
北区上中里の馬頭観音
そんなところの一角に馬頭観音があります。これを見ると、今回のルートが鉄道が通る遙か昔からの交通路であったことを改めて感じます。
馬頭観音の多くは道端に置かれ、その地域の方が管理しています。それで覆屋の形や質も場所場所で様々です。これはちょっと掘建小屋的な簡素な造りですね。
北区上中里の馬頭観音2
覆屋は粗末でも観音様には赤い衣装が着せられ、お供えもしっかりされています。ここの馬頭観音も大切にされているようです。
ちょっと面白かったのはこの中に目覚まし時計が置かれていたこと。いったい何に使うのでしょうか。
さて、以上で本日の道端馬頭観音巡りは終わりなのですが、馬頭観音があるのは道端ばかりではありません。ちゃんとしたお寺にもおられますよ。馬頭観音巡りの最後はお寺にある馬頭観音菩薩にお参りしましょう。
東覚寺 赤紙仁王様
東覚寺。ここは赤紙仁王様で有名です。真っ赤な紙の下に石の仁王さまがいらっしゃいます。この仁王像は大きくはないのですが、異様なその姿に圧倒されます。
仁王像は本来、寺の入口で邪気や悪霊を防ぐ守護神ですが、東覚寺ではその役割に加え、庶民の切実な願いを受け止める存在として、特に親しまれてきました。参拝者が病気平癒や無病息災を願い、自分の患部と同じ場所に赤紙を貼って祈願する風習が続いた結果、仁王像全体が赤くなったのです。赤色は古くから魔除けや病除けの力があると信じられており、その信仰が形として現れたものなのでしょう。先ほど訪れた上中里の馬頭観音もそうでしたが、地蔵様に赤い前掛けや頭巾が見られるのも、これと同じ意味合いですね。
東覚寺のわらじ
これは赤紙仁王様の横にある、奉納された草鞋(わらじ)です。草鞋はもともと長距離を歩く旅人の必需品であり、「足を守る」「無事に道を行く」という意味を持ちます。そのため、街道や寺社では道中安全や健脚を祈る象徴として、わらじが奉納される例が各地に見られます。
東覚寺 山門
東覚寺は日光街道にも近く、江戸時代には多くの人や物が行き交う土地でした。旅人や行商人、参勤交代の一行などが行き交った往時の記憶が、このわらじに重なります。ここは健脚祈願の寺でもあるのです。
さて、山門をくぐり、境内を一巡します。
東覚寺 本堂
本堂にお参りすると、なんとそこにルビオ登場。買い物ついでにみんなに新年の挨拶をしようと思ってやってきたのだとか。
東覚寺 馬頭観音
ルビオと話し込んでいてうっかり忘れるところでした。ここに立ち寄った本来の目的、境内にある馬頭観音さまに会わなくちゃ。
いらっしゃいました、馬頭観音さま。これまで見てきた馬頭観音はみんな石像でしたが、ここのそれは金属製の鋳造仏です。
東覚寺 馬頭観音2
お顔が三つもあり、おっかない顔をしています。ほかの観音様とはまるで違うお姿です、これぞ憤怒相ですね。そしてこれまでの像でははっきりしなかった頭上の馬の頭もしっかりその姿を認めることができます。
馬が移動手段だったことから、転じて現代では車やバイクの交通安全の守護仏としても親しまれているそうですから、わたしたちもしっかりお参りしておきましょう。
観音寺の築地壁とルビオ
さて、以上で馬頭観音巡りは終了。谷中霊園を抜け、終着地の上野へ向かいます。
上野界隈は江戸時代よりの寺町で、あちこちにお寺があります。これは観音寺の築地塀(ついじべい)。なかなか風情があります。
浄名院 六地蔵
今日の〆は新年会で、その開始までは少し時間があります。そこで浄名院に立ち寄ってみました。
このお寺はたくさんのお地蔵様があることで知られています。これは六地蔵だったかな。それにしては数が多いけれど。😅
浄名院 約三万体の地蔵尊像
そのうしろには三万体ともいわれる地蔵尊像が並んでいます。
ひっそりとした静かな空気に包まれた中にたくさんのお地蔵様、夕暮れ時ということもあってか、とても神秘的な雰囲気です。
新年会
新年会開始にちょうど良い時刻に上野公園に戻ってきました。2026年新春ポタリング『午づくし』は無事終了です。
このあとはお楽しみの新年会に突入! 🍺 わいわい楽しく、時が過ぎていきました。
夜の上野公園
今年も楽しく走りましょう!