乗り遅れちゃう〜
12月24日(金)
行程 | 備考 |
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Toronto12:00(AC988) →17:00Habana |
遅延トロント発1.5h-ハバナ着2h、自転車到着せず20:00空港発 夕:R.Hanoi オリーブ/野菜サラダ/鶏もも/魚フライ/ビール/14.6CUC 民泊:Liset y Orlando/30CUC |
1CD(カナダ・ドル)=1.13US$=119円/1CUC(キューバ・ペソ)=1.11US$=117円 |
クリスマスの朝、カナダのトロントで目覚めた私たち。辺りは真っ白な凍てつくような雪景色で行き先とは大違いだけれど、それでも午後にはキューバだとウキウキと空港へ。
ところがその空港、クリスマス休暇でカリブ海周辺へ向かう人々で大混雑。なんと私たちのカウンターDまでは100mはあろうかという行列で、とっても不安なサリーナでした。寒いカナダからはこの季節、暖かい地域へと民族大移動なのでした。
なんとかかんとかチェックインはできました。ところが今度はなにかの都合で飛行機が離陸しません。どうやら気温が低いのとバカンスの混雑で各所に遅延が生じているためのようです。
結局、予定より1時間半も遅れてようやく飛び立ちました。上空から見る雪景色のトロントはきれいではあるのですが、ム〜、今回の旅もなんか最初からあやしい!
雪景色とお別れして4時間すれば、あこがれのキューバ、ハバナの上空。そこにはトロントとは丸で異なる世界が広がっていました。
赤褐色の大地に灌水したところだけ緑が広がっています。丸いのは灌水装置が円形に動くからなんですね。
いきなり自転車喪失…
手荷物受取所で自転車の到着を待ちます。とにかく荷物が出てくるのに時間がかかります。ひと〜つ、ふた〜〜つ… 荷物が一つ出てくるたびに拍手が起こるくらいです。パッキングしていない自転車がガシャッとターンテイブルに出てきたのにはちょっとびっくりです。そうこうして待つこと1時間。出てこない。待つこと2時間、そのうち別便の案内に変わってしまいました。
『……こりゃあ、もう出てこないね。』 と、あきらめてロストバゲッジの窓口に行くと、そこのおばさん、不機嫌そのもので愛想もありません。動きはまるで牛かと思わせるくらいにのろく、指一本でキーボードに情報を入れ始めるも、入れているより消しているほうが多いくらいです。おいおい、わしが入れたるよ! と言いたくなるくらいでした。ああ、ここはあの社会主義国なんだ!(キューバの名誉のために補足しておきますが、みんながみんな、こんな調子ということではありません。)
自転車が来ない! やっぱり最初から相当にあやしい旅になりそうだ!!
民宿は楽し!
自転車は諦めて今日の宿へと向かいます。キューバにもインターナショナルスタイルのホテルはもちろんありますが、私たちは民宿を選びました。後ろに立つ2人が私たちの民宿の主人のオルランドとその奥様のリセット。オルランドが『やあやあ、よく来たねぇ〜。』と出迎えてくれました。
翌25日には『今日はクリスマスだからウチでいっしょに食事をしなよ。』と招待してくれました(写真)。とてもフレンドリーで好い感じです。この日は特別なので友人を交えたパーティーです。この奥方リセット、私たちがハバナ以外の宿を決めていないことを知ると、行く先々の民宿を紹介してくれたのでした。
民宿ではその家人と気軽におしゃべりしたり、同宿の旅行者がいれば情報交換したりと、ホテルとは違った楽しみがあります。
ハバナ旧市街散策
12月25日(土)
発着地 | 発着時刻 | ルート | 備考 |
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民宿 | 発09:45 | Aguacate | 民泊:Liset y Orlando/30CUC 朝食:ジュース/オムレツ/チーズ/パン/パイナップル・スイカ/コーヒー/2.5CUCx2 |
オビスポ公園 | 着09:50 発09:55 |
Obispo | |
ジョンソン薬局 | 着10:00 発10:05 |
Obispo | 薬局博物館 |
ホテル・フロリダ | 着10:05 発10:10 |
Obispo | |
ホテル・アンボス・ムンドス | 着10:15 発10:40 |
Mercaderes | ヘミングウェイの常宿 |
カテドラル | 着10:50 発11:15 |
San Ignacio O'Reilly |
キューバ・バロック様式/1704年建築 |
アルマス広場 | 着11:20 発12:15 |
Oficios | 1519年整備 隣接して市立博物館(元スペイン総督官邸) |
アラブの家博物館 | 着12:35 発12:50 |
Oficios | 市立博物館の別館 |
アッシジの 聖フランチェスコ広場 |
着13:00 発13:15 |
Oficios Mercaderes |
教会は1608年建築、広場は1628年に整備 |
オブラピア通り | 着13:30 発15:00 |
Obrapia | 昼食:Cafeteria Tore la Vega スパゲッティ/Fポテト/サンドイッチ/ビール4/7.95CUC |
革命博物館 | 着15:30 発16:20 |
自転車タクシー | スペイン・コロニアル様式 |
民宿 | 着16:50 発21:00 |
夕食:サラダ/ローストポーク/Yucca芋/ライス/ワイン/ココナッツとレモンの甘煮/麦焦がし/コーヒー | |
ホテル・イングラテッラ | 着16:50 発21:00 |
Hotel Ingraterra:モヒート | |
民宿 | 着22:30 | 民泊:Liset y Orlando/30CUC |
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1CUC(キューバ・ペソ)=1.11US$=117円 |
12月26日(日)
発着地 | 発着時刻 | ルート | 備考 |
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民宿 | 発10:00 | 車 | 朝食:グァバジュース/オムレツ/チーズ/パン/パイナップル・スイカ/コーヒー/2.5CUCx2 Rafaelの車で空港へ/20+10CUC |
空港 | 車 | ロストバゲッジの自転車をピックアップ |
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民宿 | 着11:30 発14:00 |
Av. Bélgica | 自転車組み立て/Aパンクで修理 |
Restaurante Puerto de Sagua |
着14:40 発16:10 |
Av. Bélgica | 昼:スープ/鶏とマカロニサラダ/小海老+大海老+ポークのグリル/小海老+チキン+魚の串焼き/ビール4/アイス/コーヒー/57CUC 流しの3人に歌ってもらう |
ホセ・マルティの家 | 着16:20 発16:45 |
Leonor Pérez | Casa Natal de José Martí |
子どもの空手 | 着16:55 発17:05 |
Leonor Pérez | |
パウラ教会 | 着17:10 発17:15 |
Iglesia de San Francisco de Paula | |
民宿 | 着17:40 |
民泊:Liset y Orlando/30CUC 夕食:サラダ/ローストポーク/Yucca芋/ライス/ワイン/ココナッツとレモンの甘煮/麦焦がし/コーヒー |
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1CUC(キューバ・ペソ)=1.11US$=117円 |
オルランドとリセットの家はハバナ・ビエハ(Habana Vieja)と呼ばれる旧市街にあります。
この旧市街はユネスコの世界遺産に登録されており、スペインコロニアル時代の面影が今なお残っています。
スペインが残した古い建物が今では大きな財産となっていて、ヨーロッパでも古い、いっぱしの都市のよう。そうした都市の多くがそうであるように、ハバナ・ビエハの道は狭く、その両側にびっしり建物が並んでいます。
さあて、自転車もないことだし、街歩きといきましょう。この街はとっても素晴らしいのです。道では子供達が駆け回り、その脇でオトッツアンが商売をしているといった具合。ここにはあまりに巨大都市と化して『生活』を失った多くの都市の例から外れた、本当の『都市』が今でも生き生きと息づいています。
オルランドとリセットの家があるアグアカテ(Aguacate)通りから、観光の中心であるオビスポ(Obispo)通りへ向かいます。
ハバナは、スペインの植民都市として16世紀に創設され、19世紀には砂糖、ラム、タバコなどを輸出する港として大いに発展しました。
その頃の街並みに1950〜60年代のアメリカン・クラシックカーが走るハバナ・ビエハは、歩いても歩いても、歩き足りないくらい面白いです。
これがそのアメ車。
前の写真のように、これ、走るの〜? というガタガタ・ボコボコのものもありますが、こんなにピカピカに手入れされている車もあります。
どうです、これ。日本でだったら立派なクラシックカーとして通用しそうですが、ここではこれが当たりまえなのです。
アグアカテ通りとオビスポ通りの交差点にはオビスポ公園(Parque de Obispo)があります。
ここから東西に延びるオビスポ通りにはきれいな建物とお店が並んでいます。ヘミングウェイゆかりのホテルやバーがあり、東の端にはアルマス広場(Plaza de Armas)があり、そこからはカテドラルも近いです。
オビスポ通りを東へ行くとアギアール(Aguiar)通りとの交差点に、立派な石造りでアーチの付いた窓がある建物があります。この内部がちょっと面白いので入ってみました。
壁と天井、そして棚が杉とマホガニーで造られたとてもクラシックな印象を受けるこの建物は、キューバ医薬界に大きな功績を残したジョンソン家の薬局(Droguería Johnson)で19世紀のものです。棚の中にずらりと並んでいるのは調剤が入った壷。実際にここで薬を買うことができるようですが、この時お客はおらず、ちょっと見ただけではここが何なのかすぐにはわからないようなところでした。
実はここは現在は薬局博物館(La farmacia museo de La Habana Vieja)でもあり、医薬品の準備、保存、調剤を目的としたキューバの4つの機関のひとつになっているそうです。
オビスポ通りをさらに東へ行きます。
今日はクリスマス。
入口の向こう側にクリスマスツリーが見えたので覗いてみると、そこはホテル・フロリダ(Hotel Florida)のロビーで、クラシカルが列柱が並ぶなかなか気持ちのいい空間が広がっていました。
ホテル・フロリダから2ブロック進むと、かのヘミングウェイが常宿としていたホテル・アンボス・ムンドス(Hotel Ambos Mundos)があります。
ここにはヘミングウェイがかつて使ったという部屋が当時のまま残されていて、見学することが出来ます。
アンボス・ムンドスの屋上から東を望むと、左に市立博物館が、そしてその先にアルマス広場が見えます。
そのアルマス広場はあとにして、ここからはカテドラルへ向かいます。
社会主義国家のキューバは、経済的にはかつてよりはいくらか良くなってきてはいますが、それでも資本主義国家ほどには豊かではないようで、旧市街の中にはかなりうらぶれたところもあるのですが、さすがにカテドラル周辺の建物はそれなりに手が入れられています。南国のキューバではこんなカラフルな建物がよく似合います。
カテドラルの前に出ました。横の通りからカテドラル広場に入った瞬間に感じたのは、カテドラルとその前の広場のスケール感が何とも素晴らしいとうこと。
キューバ・バロック様式のこのカテドラルは1704年建築で、珍しいことに塔は左右非対称です。
バロック様式は装飾過多でゴテゴテしたものが多いのですが、内部ではそれは最小限に押さえられていて、どっしりした印象です。
建設には主にメキシコ湾の珊瑚岩が使われており、ところどころで海洋化石が見られます。
カテドラル広場の周囲には歴史的な建物が立ち並びます。
カテドラルに向かって右にはロンビロ伯爵の宮殿(Palacio del Conde de Lombillo)とアルコス侯爵の宮殿(Palacio del Marqués de Arcos)が並んで立っています。
両方とも18世紀中頃のバロック様式の建築で、ドーリア式の柱のアーチが並びます。
カテドラルの正面は1720年に建てられたカサバヨナ伯爵の宮殿(Palacio de los Condes de Casa Bayona)。現在は植民地時代の美術館(Museo de Arte Colonial)として使われています。
キューバの人々は大変音楽好きで、こうしたところでは一日中音楽が奏でられています。
これは別の日の同じ場所。
カテドラルに向かって左はアグアスクララス侯爵夫人の宮殿(Palacio de los Marqueses de Aguas Claras)。1760年に完成したアンダルシア風の美しいパティオには緑色の熱帯植物がたくさん。その中にはカメがいる噴水があります。
ここには現在はキューバ料理と素晴らしいカクテルを専門とするレストランのエル・パティオ(El Patio)が入っています。ハバナのちょっとしたレストランでは大抵、おいしい食事をいただきながら素敵な音楽を聴くことが出来ます。
エル・パティオから北に延びる路地に入り、振り返ってカテドラルの尖塔を見たところ。
カテドラルの東の海に面したところにはフエルサ要塞(Castillo de la Real Fuerza) があります。これはスペインがカリブ海を支配していた時代の軍事建築です。
当時ハバナを守るためにこの近くに四つの砦が建設されましたが、フエルサ要塞はその最初に築かれたもので、南北両アメリカでもっとも古い石造の要塞だそうです。この場所にはかつて木造の要塞がありましたが1555年にフランスの海賊に襲撃され焼失し、1558年から1577年にかけて珊瑚石を使用した強固な石造りで再建されました。この周囲は珍しくも堀で囲まれています。
西の塔にはセビリアのヒラルダによく似た、La Giraldillaと呼ばれるブロンズの風見鶏が飾られています。このオリジナルは市立博物館にあります。
カテドラル周辺の散策後はアルマス広場です。この広場の歴史はハバナのそれとほぼ同じくらい古く、島の南岸にあったハバナが現在地に移された年である1519年に造られたイグレシア広場(Plaza de la Iglesia)まで遡ります。イグレシアの名は現在の市立博物館のところに立っていた教会から来ています。
1770年代に建てられた市立博物館の建物は1791年から1898年までスペイン総督官邸(Palacio de los Capitanes Generales)だったもので、キューバ・バロック建築の最高のものの一つとされています。その後1902年から1920年までは大統領官邸として、1958年までは市庁舎として使われました。この中の美しい中央パティオには、コロンブスの白い大理石像が置かれています。
現在アルマス広場には日曜日を除いて古本市が立っています。
ここにはキューバ革命関係のものがたくさん並んでいます。カストロとチェ・ゲバラは相変わらず人気です。
キューバの人々の音楽好きは先ほど言いましたが、当然彼らはダンスも大好きです。
街角で音楽が流れれば、そこには必ずといっていいほどダンスする人々の姿があります。
アルマス広場に面したところに素敵なレストランがあったので覗いてみると、ここでもバンドが演奏していました。
こういったロケーションで素晴らしい音楽を聴きながらいただく食事は最高ですね。
アルマス広場からは南へ向かいます。そこに市立博物館の別館となる『アラブの家博物館(Museo Casa de los Árabes)』があったので覗いてみました。
建物は18世紀後半から19世紀初頭に建てられたもので、アラブとイスラム教文化に関する展示があります。ここの主な目的は、アラブの習慣、伝統、芸術、建築を紹介し、キューバでのスペインの植民地時代からのアラブの存在を研究することだそうです。
『アッシジの聖フランチェスコ広場(Plaza de San Francisco de Asís)』までやってきました。この広場はかつてはスペインの船が停泊したハバナ港に面しており、輸出入の中心地でした。
広場周辺は16世紀に開発され始め、聖フランチェスコ会の修道院は1575年から1591年に建てられ、その名にちなんだ広場は1628年に整備されました。ここには最初、市場が設置されていましたが、僧侶たちが喧噪を嫌ったため、それは近くのビエハ広場(Plaza Vieja)に移転させられます。
広場の西側にはサンフェリペ侯爵とサンティアゴ・デ・ベフカルの宮殿(Palacio Del Marques De San Felipe Y Santiago de Bejucal)があります。この建物はほとんど紹介記事がありませんが1,890年の建築で、なかなかどっしりした印象です。
広場の北側にあるハバナ貿易取引所(Lonja del Comercio de La Habana Vieja)は1909年のオープンです。建物はルネッサンス様式で、かつてはマーケティングセンターや食料品店として使用されていたようです。
広場の中央には1836年に設置されたイタリアの彫刻家ジュゼッペ・ガジーニ作の白大理石の噴水があります。
広場の一角でウェデイングドレス姿の方がポーズをとって写真に収まっていました。絵になりますね。
テニエンテ・レイ通り(calle Teniente Rey )に差し掛かると、その東端付近の道の真ん中に何やら囲いがあります。中を覗くと石で組まれたトンネルのようなものが見えます。これは1566年に供給を開始した古い水道管だそうです。キューバには江戸時代より前から立派な水道設備があったんですね。
オフィシオス通り(Oficios)をさらに南へ行くとカトリック教会(Capilla de la Santa Veracruz)の南にキューバの大統領が1902年からキャンペーンや公式訪問に使用したという列車がありました。日本には天皇陛下用の列車はあるようですが、首相用の列車はなかったですよね。
そこから100mほど西にあるビエハ広場を紹介しておきましょう。ビエハ広場のViejaは古いという意味ですから『古い広場』と呼んでもいいと思いますが、面白いことにこの広場ができた当時は『新広場(Plaza Nueva )』と呼ばれていたといいます。
この広場はハバナの成長に対応して都市を拡大する最初の試みとして計画され、アルマス広場そして聖フランチェスコ広場に続くハバナで3番目のオープンスペースとして1559年に完成しました。18世紀になると聖フランチェスコ教会の前に置かれていた市場が移転してきますが、19世紀にクリスト広場(Plaza del Cristo)に新しく市場が出現すると、ここは『古い広場』と改名されたのです。
17世紀から20世紀初頭にかけてこの地域は、荘厳な住宅や商業建築などで開発されてきました。17世紀のバロック様式のサン・ファン・デ・ジャルコ伯爵の宮殿(Palacio del Conde de San Juan de Jaruco)やアールヌーヴォー様式のクエト宮殿(Palacio Cueto)などがあります。
オブラピア通り(Obrapia)まで戻って昼食です。まずはビール!
キューバにもいくつかビールの銘柄がありますが、よく飲まれているのは緑色の瓶のクリスタル(Cristal)と茶色の瓶のブカネロ(Bucanero)。クリスタルはごく一般的なラガータイプで黄金色のすっきり系。一方のブカネロはアンバー色でアルコール度数が少し高めです。サリーナはクリスタル派、サイダーはブカネロ派です。
食事を終えて午後の部に出発しようとすると、なんだか面白いものがやってきました。
お祭りなのか、派手な衣装を着た背高ノッポさんを始めとする人々が音楽を奏でながら行進しています。そのうしろには、鳥のような顔にどこかの旗のような布を胴体にしたものがやってきます。結局これがなんなのかはわかりませんでしたが、楽しいイベントです。
そんなお祭り騒ぎの表通りから一歩入った裏道では、子どもたちが荷車の上で遊んでいます。
こちらはコマ回し。このうしろでは鬼ごっこをしているものもいました。
こちらはテーブルと椅子を持ち出してドミノに興じる大人たち。ドミノって結構シンプルなゲームだけど、おじさんたちが熱くなっていました。
日本でもかつては路地は子どもたちの遊び場で、大人のコミュニケーションや交際の場だったんだよなあ〜、と思い出させてくれる風景です。
ハバナ・ビエハの通りは狭いので、建物の写真は広場以外は撮り難いのですが、ちょうど交差点にコロニアル時代のものがありました。
この建物、少し手を入れればかなり立派に見えると思います。
街中の建物はみんな前の写真のような立派な石造建築ばかりではなく、それらより新しく建てられたものも多く、それらの外壁にはペンキが塗られていてカラフルな街を作っています。
ちょっと街歩きを中断して革命博物館(Museo de la Revolución)に行ってみました。やはりここではキューバ革命は外せませんからね。その内容は写真ではお伝えできないので飛ばすとして、帰りは疲れたのでこれに乗りました。自転車タクシー(bici-taxi)。
自転車タクシーは公式には外国人観光客を乗せてはいけないそうですが、楽しい乗り物です。旧市街の狭いでこぼこ道を、人や対向自転車をかわしながらスイスイ走ります。
ガイドブックに紹介されている場所はカテドラル周辺が多いですが、旧市街の南側の散歩がまた楽しいです。
車1台がやっと通れるくらいの道には、人々の生活が溢れ出ていて、それはそれは面白いです。ここは私たちがお世話になった民宿があるアグアカテ通りです。ちなみにアグアカテはアボカドのことらしいのですが、なぜこの名が付いたのかについては不明です。
ここからは主に旧市街の南側を巡ります。
ここは少し広めの道で、馬車と自転車が混在しています。車も、と言いたいところですが、キューバでは車はあまり走っていないので。
なぜ車が少ないのかと言えば、カストロが革命政権樹立を宣言した1959年以降、アメリカとの国交断絶と経済封鎖により、車をはじめとした工業製品の輸入がなくり、鉄などの材料不足もあって、国内での車の生産ができなくなってしまったからです。
車の輸入そのものは許されているようですが関税がもの凄く高く、実質的にこれはほぼ不可能らしいのです。
そこでかつて走っていた1950年頃の車をなんとか使っていくことになるのですが、それって今から半世紀も前のものです。まあ当然と言えますが、エンストして道路で押しているものや、道端で修理中のものを数多く見かけます。
パーツなんてどうしているんだろうねえ。わあ、金づちで修理してる…
ないパーツをいろいろ工夫して修理しているんでしょうね。
旧市街の南側ゾーンの見どころはあまり多くありませんが、思想家にして革命家であり建国の英雄とされるホセ・マルティの生家(Casa Natal de José Martí)があります。
マルティは1892年にキューバ革命党を設立し、スペイン軍と熾烈な戦いをします。結局、彼は戦闘中に被弾し、キューバの独立を見る事無く1895年に生涯を閉じましたが、その思想はゲバラらに引き継がれて行くことになります。
彼の生家は市壁近くに19世紀初頭に建てられたもので、瓦屋根にモルタル壁といったこの地域の典型的な家の特徴が見られます。
この壁画はキューバ的というか、社会主義思想的というか、なにかそんな感じを受けるものですね。
今回のキューバの旅ではあまり社会主義を感じることはありませんでしたが、こうしたものを見ると、この国が社会主義国家であるということを思い出させてくれます。
狭い通りにドドドドドッっという音を響かせてアメリカン・オールド・カーがやってきました。手前の子どもたちはそれにはまったく見向きもせず、お菓子がなにかを頬張っています。
赤シャツの男が車に駆け寄り、運転手と一言二言。このあと車は男を載せてどこかに走り去って行きました。アメリカン・オールド・カーのほとんどは現在はタクシーだそうですから、この車もそうなのかもしれません。なんでも10ペソ程度で乗れるらしいのですが、公式には観光客は乗せてはいけないことになっているらしいです。
どこかから子どもたちの歓声が聞こえてきました。ちょっと大きな建物を覗いてみると、中では子どもたちの空手の試合が行われていました。
キューバでは、いろんなところで『日本人かい?カラテ、合気道!』って声をかけられました。『ブルース・リー、ジャッキー・チェンは親戚か?』っていう質問も。(笑)
子どもたち以上に熱いのが、応援団のお父さんとお母さん。『オレたちはドラゴンズだ!』とメチャ盛り上がっています。
燃えるお父さんから空手で挑まれそうになって、あわてるサイダーでした。
いつの間にかハバナ湾に面するパウラ教会(Iglesia de San Francisco de Paula)の前に出ました。
18世紀前半のキューバ・バロック様式で、平面はラテン十字、樽型の丸天井とドームがある身廊があります。ファサードの柱の間にある2つのニッチがスペインの影響を思わせます。
この聖霊教区教会(Iglesia Parroquial del Espíritu Santo)はハバナで最も古い教会で1640年に建てられましたが、現在見られるのは1863年に再建・改築された姿で、鐘楼は1898年のものです。
ハバナの教会はゴシック様式が多いのですが、これは例外で様々な様式が入り混じっているようです。
夕方です。建物を見上げると、夕涼みにバルコニーに出ていた人たちが手を振ってくれます。
『やあ、どうだい? キューバはすてきだろ?』
どこか上の方からトンテンカンと音がしました。見上げると、バルコニーで鍋を修理しているおじさんが。おじさんもこちらに気がついて、にっこりポーズをとってくれました。
ハバナ・ビエハの建物に記されている建設年次は1900年代なかばが多いようで、これらは50年〜100年を経た建物ですから、あちこち修理中のものや修理が必要なものも多いです。表面の壁だけが残っていて、中は壊れている建物もあります。改修はゆっくりゆっくり、街の人たちの生活の歩みとともに進められているように見えました。
そんなアパートのテラスに佇む男性とあいさつを交わします。
ここでも。
ハバナ・ビエハは歩いて廻るのが一番ですが、疲れたら馬車に乗るのも楽しそうですね。
街角の公衆電話です。サリーナが8年前の1996年にハバナに来たときには、みんな年代もののダイアル電話だったのですが、今やすべてカード式のピカピカになっていてビックリ。
キューバにとって1990年代はソビエト崩壊などの影響で、大変困難な時代だったのです。お店があってもそこに品物がない…という状態だったのですが、今回、モノはかなり豊富になっていました。
ハバナの市民の足はこれ、『カメリョ』(らくだ)って呼ばれている長〜いバスです。
外国人旅行者は乗れないことになっているそうな。『8年前は、走っている車といえばこれくらい(アメ車もあったけど)という印象だったけど、ずいぶん車も増えたなあ』とサリーナ。
キューバは社会主義国なので、人々には抑制が効いた落ち着きを感じます。しかし多くの人々にはアフリカやラテンの血が流れており、みんな表面にはあまり出しませんが基本的にはフレンドリーです。ラテン民族が社会主義国になるとこうなるのかと考えると、かなり面白いです。
自転車発掘!
ロストバゲッジの担当から連絡がないので予定を変更してハバナに2泊し、26日の午前中に空港へ出向いてみました。そしたらあの牛のおばさん、首を振るばかり… そんなことには構わず、捜しまわるとゴチャとした荷物の固まりのなかに、なんとちゃんとあるではないか、我らが自転車! 『なんと言われたって、100個も行方不明なんだから…』とは、ぶ然とした牛おばさんでした。。
とにもかくにも自転車がやってきた! 明日からサイクリングだ!!