さあ、キューバの自転車旅をはじめましょ、と身支度を整え、いざ出発のサリーナ。
今日はハバナを出て、フロリダ海峡に面したプラヤ・グアナボ(Playa Guanabo)まで。サイクリングの初日なので距離は短めに設定しましました。ハバナの旧市街からプラヤ・グアナボへ向かうにはハバナ湾を渡るフェリーがあります。これを使うと距離は30kmほどなので、その前にハバナの市街を少し巡ってみることにしました。
まずは旧市街の民宿からハバナ湾に出てフェリー乗り場をチェック。そこから湾沿いを北上し運河に入ると、対岸にモロ要塞(Castillo De Los Tres Santos Reyes Magos Del Morro)が見えてきました。
これはハバナ湾やスペイン艦隊の防衛のために4つ造られた要塞群の中の一つで、1640年に完成しました。海峡を挟んで手前にあるプンタ要塞(Castillo de San Salvador de la Punta)と向かい合うように立っており、外敵が間近に迫ると両砦間に太い鉄の鎖を渡して敵の侵入を防いだそうです。
ハバナ湾から続く運河沿いを行くのはカルロス・マヌエル・デ・セスペデス通り(Avenida Carlos Manuel de Céspedes)。
この通りには広い自転車レーンが設けられており快適に走れます。また、運河と反対側には広大な公園が続いていて、これも気持ちいいです。
運河が外海に出ると道はマレコン(Malecón)と名を変えます。
その岸壁にはメキシコ湾から波が打ち寄せ、激しい飛沫を上げています。
バシャ〜ン、バシャバシャ〜ン、ド〜ン! と、もの凄いです。
マレコンはメキシコ湾に沿った道路の通称であり、それに面した地区の名にもなっているようです。
この道には、先ほど出発した旧市街同様にスペイン時代の建築が張り付いており、所々に新しい高層ビルが立っています。
『ここは道は広いけれど、車は全然通らないのね〜』
車の少なさに驚きつつ、快調に走るサリーナ。
道は広く車が少ないので快適なのですが、ちょっとした波の度に海水が堤防で砕けて上空から降り注ぎます。バシャ〜ン!
『あちゃ〜、もうビショビショだよ〜』
キューバ革命から2年後の1961年にキューバはアメリカと断交したため、それまであったアメリカ大使館はこの時に閉鎖され、現在もそれはキューバにはありません。しかし1970年代にカーター政権によって設立された US Interest Section というものがあります。まあこれは実質上のアメリカ大使館です。
この写真はその施設の前に設置されているもので、イラク戦争で米軍が拘留施設として運営していたイラクのアブグレイブ刑務所で行った捕虜虐待を示す看板です。この事件は今年発覚したもので、大きな話題になっています。
マレコンをアルメンダレス川(Río Armendares)まで進んだら海岸を離れ、内陸路の9番通り(Calle9)とリネア通り(Línea)を使って新市街のヴェダード(Vedado)を走り抜けます。
ヴェダードは主に20世紀前半に開発された地区ですが、中には19世紀後半の古い邸宅もあります。そしていくつか高層建築も。
マレコンに戻りプンタ要塞のところからマルティ通り(Paseo de Martí)に入ります。
この通りは旧市街のすぐ西に位置するもので、1772年に建設され初め1830年代に完成しています。広い通りの真ん中はプロムナードになっており、中央公園(Parque Central)やフラテルニダー公園(Parque de la Fraternidad)に繋がっています。
さすがにハバナの目抜き通りだけあり、ここは車が多いです。そうそう、旧市街では1950年代のオールドカーを見ることが多いのですが、こちらはもっと新しいものですね。やはり実用にするにはこれくらいのものでなければということでしょう。しかしこうしたものは全部輸入車で、その輸入税はもの凄く高いそうです。
ガリシア・ロルカ劇場の前を通り過ぎて行くと、どこかで見たような建物が立っています。
これは旧国会議事堂(カピトリオ)で1929年の建築。当時のキューバの経済力が見て取れます。今となっては皮肉なことに、このモデルはアメリカの連邦議会議事堂です。
カピトリオからは鉄道駅まで南下して、そこから旧市街に入りハバナ湾に出ることにしました。
マルティ通りはフラテルニダー公園の南でマキシモ・ゴメス通り(Maximo Gomez)に突き当たって終わります。
ハバナ湾に出るとそこは完全に都市機能をサポートする湾岸施設でいっぱい。いくつもの埠頭があり、その周辺に様々なが施設がへばりついています。
そうした中の一つが、対岸のカサブランカ(Casablanca)へ渡るフェリー乗り場です。
ハバナからカサブランカまでは1CUC(約117円)で、自転車は無料でした。
乗り場の奥へ進むと、ここからはカサブランカ以外にも出ているようで、いくつかのレーンに分かれています。
この船、フェリーと言うより『渡し』と言った方が似合いますね。座席はなく、みんな壁に寄りかかったり立っています。私たち以外にも現地の方が自転車を持ち込んでいました。
12時20分にハバナを出航。
10分ほどフェリーに揺られるとカサブランカに到着。するとすぐに鉄道駅があります。
キューバでは列車に乗る予定がないので、ここでちょっとだけその姿を紹介しておきます。
線路を渡ったら、いよいよこここからプラヤ・グアナボに向けて出発。
カサブランカはハバナ旧市街からやってくるとその差に驚くほど、かなり田舎です。まあどこにでもある街とも言えますが。
そしてこれも驚いたことに、ハバナは真っ平らだったのに、ここではいきなり上りから入ります。
わっせわっせと最初から大変なサリーナでした。
下にハバナ湾から続く運河とハバナの市街が見えるようになってきました。
手前に見えているのはフエルサ要塞(Castillo de la Real Fuerza)、中央に見えるドームは先ほど訪れたカピトリオです。
ここから見るとハバナのスケールが良くわかります。
坂を上り切ったところにはハバナの方角を向いて巨大なキリスト像が立っています。高さは20mほどでイタリアのカラーラ産の白大理石でできています。この像はハバナ市内からもよく見えます。
ここに像が設置されたのは1958年のクリスマスイブだそうですが、その15日後にフィデル・カストロはキューバ革命を通じてバティスタ政権を打倒してハバナに入りました。皮肉なことにこの像はバティスタの妻が約束したものなのだそうです。
羊が草を食むキリスト像からハバナを眺めたら、かの文豪ヘミングウェイがしばしば訪れたという漁村のコヒマール(Cojimar)へ向かいます。周辺にはコンクリートブロック造の簡素な家が並んでいます。
今日の空にはどんよりとした雲がたれこめていて、風もかなり強いです。向い風… キューバってトロピカルなイメージがあるかもしれませんが、実は冬はそんなに暑くないんです。さわやかな気候で雨もほとんどなく、自転車旅行には最適のはずでした。しかし北米を大寒波が襲っていて、キューバもめずらしく荒れた天候となっています。
簡単な屋根が架かった掘建小屋は農産物の販売所です。
自転車のおじさんが山芋のようなものを買っていました。
カサブランカの街を出ると周囲は公園のようになりました。向かい風がきつい・・・
うしろに車が見えますが、あそこはハバナから海底トンネルで抜けてくる高速道路です。そのまた向こうに高層の住宅が立っているのが見えますが、あのあたりは新しく造られた街です。
コヒマールに入りました。ここはヘミングウェイの『老人と海』のモデルになった老人が住んでいるところとして有名です。ヘミングウェイの胸像などもあるのですが、私たちは『とにかくおなかすいた〜』と、パラダールへ。パラダールとは普通の家庭が家の一部を使って営業しているレストランのことです。
ここは2階のテラスを利用していていい雰囲気。写真は室内のように見えますが、実は半屋外のテラスなのです。カーテンはきつい日差しを遮るためのものです。ポークソテーとハムステーキを頼んだら、何と巨大なこと! 食べきれない〜!!
満腹で満足、と私たちが出発しようとしていると、パラダールの隣の家の方が出てきたのでちょっと情報収集を兼ねておしゃべりしました。ヘミングウェイのことやらコヒマールの海のことやら。
このあとヘミングウェイの記念碑や近くの要塞を見たのですが、なぜか写真がない! まあコヒマールは漁村としてはどこにでもあるようなもので、特にこの日は曇り空で海の色もあまり冴えなかったからね。
さて、コヒマールからはいったん高速道路まで戻って東へ向かいます。この高速道路沿いには自転車道があってのんびり走ることができます。しかし相変わらずの向い風です。
途中で出会った青年は、『自転車で旅してるって、いいね。こうやっておしゃべりしたり、ほんとのキューバに触れながら旅できるよねえ〜』 というわけで、分かれ道までおしゃべりしながら一緒に走りました。
自転車道は橋にさしかかってもちゃんとつながっていました。川辺まで降りてちっちゃい木造の橋を渡ります。
でもあまり人は通らないらしく、ワイルドな感じでちょっと荒れています。
タララ(Tarará)に入ったら高速道路沿いを離れ、海へ向かいます。このあたりの海は遠浅なのか彼方はコバルトブルーですが手前の方はもっと浅い鮮やかなブルーできれいです。
海は海抜0mで低いので、ダウンヒル。(笑) これまでずっと向かい風でしたが、ここは少しだけらくちん。
グワ〜ンと下って浜辺に到着。この浜が面しているのはフロリダ海峡で、向こう側にはアメリカがあります。
『わ〜、ビーチだ〜〜』と、キューバ初のビーチに歓声を上げるサリーナ。
しかしヤシの木を見てわかるように、風がビュービューでゆっくりビーチを楽しむことは出来ずに即退散。あーれま〜ぁ。。
ここから今宵の宿があるプラヤ・グアナボまでは3km。あとちょっとです。ちなみにこのあたりにはプラヤ(Playa)なんとかという地名が続きますが、プラヤとはビーチのことです。
道はビーチ沿いを行きます。しかしこの3kmが強風向い風の砂地獄でした。
ヘロヘロになってようやく午後5時半にプラヤ・グアナボの民宿にたどり着きました。
『よく来たね、うちに泊まる初めての日本人だよ!』とあたたかく迎えてくれたのはアンドレスとフアーニ。近所で伊勢海老を買ってきてくれておいしい夕食です。ここらへんでは伊勢海老が捕れるのですね。
このお2人、食後、ギアの調子がおかしいサリーナの自転車調整をずっと心配して励まして、夜中までつきあってくれました。息子さんが2人、長男はかっこいいプロのサルサ・ダンサーでした。