今日はバラデロからバスでハバナに戻り、新市街のベダード(Vedado)を散策します。
長距離バスはオムニブス(Omnibus)と呼ばれ、日本で言えば高速バスタイプでボディー下部に大きな荷物置場があるのですが、自転車を運べるのは私たちが今回使ったビアスル社(Viazul)のバスだけです。荷物置場の中で自転車が動かないように柱にしっかり固定します。
ハバナまでは2時間半。朝8時にバラデロを出発したバスは、途中で15分の休憩を一度して10時半にハバナ大学前に到着しました。定刻出発できっちり予定時刻に到着する、信頼できるバスでした。
さっそく自転車を組み立てて、宿へ向かいます。
この前は旧市街に泊まりましたが、今度は新市街のヴェダードの民宿です。予定していた民宿に到着するも、こちらの予約の仕方が悪かったのか予約が入っておらず、しかも生憎満室だと言います。しかしすぐ近くの知り合いの民宿を紹介してもらえました。
無事チェックインできて、ひとまず自転車を物置部屋に入れさせてもらいました。このお宅は物置というより、普通の部屋を物置代わりに使っているようです。
これが民宿の部屋です。特に可もなく不可もなく。私たちが泊まる部屋はだいたいこのようなものです。
荷物を置いて一息入れた後、『中華が食べたいな〜』と中華街(Barrio Chino)を目指すことにしました。中華街は民宿からは2kmくらいなので、手ぶらでいいよね、と自転車で走り出しました。
もうすぐ中華街、というところでサイダーが急停止。 『パンクしちゃった…』
パンクは珍しくもないのですが、なんと空気入れも工具類も宿に忘れてきてしまいました。
工具はない、どうするんだ、と街角に佇む私たち。けれどもすぐに4〜5人の青年が集まってきました。『パンクかい、そりゃ困ったね』とタイヤをつまむ人々。サリーナのタイヤまでごていねいにつまむ。
『修理してくれるところを知らないかい?』『よし、オレについてきな!』と筋肉隆々の青年が街角の修理工房に案内してくれた。
『パンク修理かい? まかせときな!』とそこのおじさん二人がかりで修理開始。
そのうち一人の男が建物の中に引っ込むと、古いゴムチューブを引っ張り出してきて適当な大きさに切り、その周囲にやすり掛けを始めました。おお、チューブを切ったものでパッチを作るのだ。キューバにはパンクパッチなどというものはないのです。
思い起こせば私が幼少のころは、日本でもこれと同じことが行われていましたっけ。
なんとかパッチができてチューブに貼って様子を見ますが、パッチがかなりぶ厚いのでチューブに貼ったまま上からやすりを掛け、薄べったくしていきます。手元が狂うとチューブをだめにしてしまうのでヒヤヒヤものでしたが、これはなんとかうまくいきました。
最後にタイヤを嵌めて空気を入れようとしますが、ここでフレンチバルブなのに気がつきました。しかしあわてることはないのです。おじさんがサリーナのバルブのキャップをはずし、先端を切って簡易アダプターの出来上がり。いやいや、恐れ入りました。(笑)
『ありがとう〜』とサイダー。しかしサイダーの前輪は分厚いパッチのおかげで回転するたびに振動するようになったのでした。
なんとかパンク修理が終わったので中華街へ急ぎます。
この中華街は旧国会議事堂(Capitorlo)の西のドラゴン通り(Dragones)からクチリョ通り(Cuchillo)辺りにあります。ドラゴン通りというのがいかにも中華っぽいですね。
ここは現在は100mくらいの長さの小さな中華街ですが、ちょうちんなどの飾りでインパクトはバツグン。自転車の乗り入れは禁止なので、おまわりさんに見てもらい、ついでにおいしいお店も紹介してもらいました。
ちなみにこの中華街はラテンアメリカの中では最も古いもので、またかつては最大規模で、世界的に見てもサンフランシスコのそれに次ぐものとされていたそうです。しかしキューバ革命によりここに住んでいた約25万人の中国人が去り、現在はその規模は縮小し、住民としては中国系キューバ人が住むだけになっているそうです。
ここで扱っている商品で目に留まったのはこれ。
水滸伝や小學習字帖はなるほとと思えますが、その上に見えるゴーギャンの画集はここと何か関係あるのでしょか。ゴーギャンはタヒチやパナマを旅したことは知られていますが、もしかしてキューバにもやって来ている?
さて、お腹がすいたのでお昼にしましょう。
ちょうどいい時間帯なのでどこも混雑していますが、私たちはおまわりさんに教えてもらったレストランへ。
ここでは春巻、鶏肉入りの焼そば、そして野菜チャーハンをおいしくいただきました。中華料理は偉大ですね。
腹ごしらえが済んだらベダードの散策を開始します。ベダードは旧市街より新しく、19世紀の終わりに建設が開始され、主に20世紀の前半までに整備された地区です。
そこには世界でも最大級の広場である革命広場があります。その中心には詩人にして革命家のホセ・マルティを記念する塔と博物館があります。ホセ・マルティは日本ではカストロやゲバラほどには有名ではないかも知れませんが、キューバでは建国の英雄として讃えられています。1892年にキューバ革命党を設立し、スペイン軍と熾烈な戦いを展開します。結局、彼は戦闘中に被弾し、キューバの独立を見る事無く1895年に生涯を閉じましたが、その思想はゲバラやカストロらに引き継がれていくことになるのです。
マルティ生誕100周年の年に蜂起し失敗して投獄されたカストロは、事件の首謀者について尋問されると「ホセ・マルティだ!」と答えたそうです。
ここでは毎年5月1日にカストロ議長の演説があり、その時、広場は数十万という人で埋め尽くされるとか。
うしろに見えるのはエンリケ・アビラ作のチェ・ゲバラの肖像とその言葉を記した内務省の建物です。
革命広場に立って、壮絶な人生を送ったチェの生涯に思いを馳せたら現実界に戻り、今流行のアイスクリームでもいただくことにしましょう。
向かうは、映画『苺とチョコレート』の冒頭シーンでも有名なアイスクリーム屋さんの『コッペリア』。
ここはキューバで一番有名なアイスクリーム屋さんだそうです。苺味を食べるのは女で、男が食べるとそれは『おねえ』ということになるらしいです、映画では。もっともハバナは以前からゲイが多いことでもかなり有名で、男同士のカップルを良く見掛けます。
苺とチョコレート2段重ねのアイスを賞味してご機嫌なサリーナでした。
さて、ここからはハバナでもっとも有名なホテル二つを巡ります。
これはキューバ革命の年である1959年にヒルトン・ホテルとしてオープンしたハバナ・リブレ(Hotel Habana Libre)。革命後すぐに現在の名に改称されたのでその名はわずかに8ヶ月しか使われなかったそうです。このホテルはキューバ革命ののちカストロが最初の数ヶ月間滞在していたことでも有名です。
今日は大晦日。せっかくヴェダードにいるのだし、今夜はキャバレーで年越しのショーを見ようということになりました。そこでガイドブックから選んだのがこの最上階にあるキャバレー。ホテルで聞くと、大晦日なので今晩はスペシャルイベントだそう。これは値段もスペシャルでしたが、予約して行ってみることしました。ということでここには今夜また戻ってきます。
こちらはハバナのシンボル的なホテル・ナシオナル・デ・クーバ(Hotel Nacional de Cuba)。
1930年築でコロニアル調でありアールデコや新古典主義などが混ざった独特のスタイルをしています。
ここで、海岸に面した庭でモヒート休憩を。
写真の冷蔵庫の上に並んでいるものはサトウキビですね。ここでは甘〜いサトウキビ・ジュースもいただけるのでしょう。
北東に目をやると、サン・ラザロの入江(Caleta de San Lázaro)とマレコンに立ち並ぶ建物が見えます。
いったん宿に引き上げて、改めて夕食のあとキャバレーのショーに行くことにしました。
ここのところ少々食べ過ぎなので夕食は軽めにと思ったのですが、このイタリアンがかなりおいしくて、ワインをたくさん飲んでしまいました。
さてキャバレーのショーは夜10時からと聞いたので10時に行くと、『まだ早い、10時半に来て』と言われ、ホテルのロビーで時間をつぶします。
ようやく10時半、お店に入ると最上階でさすがに眺めはよい。
入口で新年用のグッズをもらったので中を確認すると、それは変装用の仮面や付け鼻、メガネといったものでした。さっそく装着してみますが、なんだかへん!(笑)
飲み放題のシャンパンをいただきながら、『ショーはまだかな〜』と待つこと1時間。
ようやくバンドが入場し、演奏し始めるとすぐにカウントダウン、あっという間に新年の到来となりました。
それから会場はディスコに早変わり。かっこいい踊りを披露するラテンな人たちに混じって、『今日はショーじゃなかったのねえ』とつぶやきつつサイダーとサリーナも踊り、夜は更けていきました。
『新年おめでとう! フェリス・アニョ・ヌエボ!』