チェスキー・クルムロフのブジェヨヴィツェ門
目覚めは小鳥の鳴く声で。 爽やかな朝です。 今日からいよいよチェコのサイクリング開始です。
チェコは国を挙げてサイクリングの普及に力を入れており、全国に網の目のように細かく自転車ルートが張り巡らされており、バイクフレンドリーな宿やお店もたくさんあります。
今日は世界一美しい街といわれるチェスキー・クルムロフを後にし、そうしたルートの一つを使って、途中、かわいらしいバロック様式の民家のホラショヴィツェに寄り道し、南ボヘミア最大の都市チェスケー・ブジェヨヴィツェまで。
チェスキー・クルムロフ郊外
朝のチェスキー・クルムロフはひっそりとしていて、観光客で賑わう昼の表情とはまったく別の顔を見せています。 お城の塔をに別れを告げ、ブジェヨヴィツェ門のとんがり帽子を後にします。
少々車の多いR39を2kmほど進み北に折れるとすぐに周囲は田園となり、道端にはヒナゲシに似た花がオレンジの花を咲かせています。
牛が草を食むのどかな風景
穏やかな上り勾配の道の脇は麦畑か牧草地で、時折、牛が草を食んでいます。
木陰のある道を行く
夏のサイクリングでは道に木陰がなく苦労することが多いのですが、このルートにはしばしば街路樹が植えられており、快適。
穏やかな丘陵地
チェコは国全体が穏やかな丘陵地で高い山はありません。
この南ボヘミア地方もその例外ではなく、見渡す限りで一番高いのは前方に見える山だけです。
小さな集落
山岳コースはないのですが、平坦なところも少なく、いつも上ったり下ったりしています。
先に小さな集落が見えてきました。
黄色い野草の風景
そして道脇は相変わらず麦畑と牧草地が続きます。
ここは一面、小さな黄色い花の群落です。 これもきっと牧草なのでしょうね。
続く並木
ここはきれいな並木。
道端の花々
こちらは麦畑の前の花々。
ヒナゲシの仲間のようなオレンジの花、青いのはヤグルマソウの仲間のようです。
麦畑の中を行く
ここは道の両側とも麦畑ですね。
一時間ほど走ると、このあたりではちょっと大きめの村であるクジュムジェに到着したので、一休みすることにしました。
村の中心にはどこでも教会があり、主要なお店やレストランは大抵そのまわりにあります。
クジュムジェの中心部
最初のカフェは改装中、次の店は時間が早いからか開店しておらずちょっとうろうろ。 しかしなんとかスーパーマーケットの二階にあるレストランを発見することができました。
チェコではカフェ、バー、レストランの区別はほとんどなく、大抵の場合レストランを意味するRestauraceという看板が出ています。
快調サリーナ
このお店には地元のおじさんたちが数名たむろしており、すでに一杯やっています。 さすが国民一人当たりのビール消費量世界一の国です。
こういう時ラテン系の国ではカードが付きものですが、ここチェコにはその習慣はないようです。 しかし時間が経つにつれ、どんどんおじさんの数が増してきます。 しかも全員一つのテーブルに集まります。 ここは一種のコミュニテイー喫茶のようなものですね。
さくらんぼの街路樹
このルート上の街路樹には面白いものが実っています。 所によりそれはりんごだったりさくらんぼだったり。
どちらもおいしいです。 実のなる街路樹っていいですね。 ハンガーノックにならなくて済みます。(笑)
自転車や時には車で来てもいでいる人々がいるので、たぶんこれらは採っても問題ないものなのだと思います。
ホラショヴィツェの村の外
ホラショヴィツェが近づきました。
牧草地の向こうに小さな池(養殖用だそうです)があり、その先の木々の合間に赤い瓦屋根の家々が見え出します。
ホラショヴィツェ入口
これがホラショヴィツェの南側からのアクセスです。
この緑を抜けると、
ホラショヴィツェ
かわいらしい民家が並んでいます。
この村の歴史は中世、13世紀まで遡り、19世紀までシトー会派の修道院のものでした。 16世紀のペスト流行で村人はわずかに二人となりましたが、その後移民の流入により人口を増やしていったそうです。 しかし第二次大戦後のポツダム会談によるドイツ人追放の結果、村は放棄されてしまいます。 ベルリンの壁崩壊後の1990年から徐々に修復され、現在は22軒の農家があり140人が暮らすそうです。
博物館の中庭
こちらはそうした家の一つを博物館にしたものです。 ここの家々はみなこうした中庭を持ち、奥に家畜小屋があり、
馬のいる庭
その先にはこんな庭があり、さらに奥が畑になっています。
この村の家々は、南北に200m、東西に60mほどの広場に面して建っており、微妙に異なった破風のあるファサードを持ちます。 現在残っている建物の多くは19世紀の後半に建てられたものだそうで、バロック様式です。
ホラショヴィツェの家々
ちなみにどうしてこんなにかわいらしいデザインになったのか? それは他からお嫁さんを呼んでくるためだそうですよ。ホラショヴィツェには日に数本のバスしか足がないので観光客はまばらです。 その変わりチェスケー・ブジェヨヴィツェあたりからのサイクリングにはちょうどいい距離にあるので、サイクリストが結構来ています。
池のある景色
ホラショヴィツェの中にはレストランが二軒ほどあるのでその一つで昼食を済ませ、午後の部に突入。
このあたりにはホラショヴィツェで見たような小さな池がたくさんあり、魚の養殖が盛んです。 そんな池を横目にしながらチェスケー・ブジェヨヴィツェに向かいます。
とある村
これはホラショヴィツェの近くの別の村ですが、一部の民家のファサードはホラショヴィツェものと良く似ています。
ホラショヴィツェのあのかわいらしいファサードの造形は、かつては南ボヘミア一帯にあったもののようです。
穏やかな丘陵の中を行く道
チェコの自転車ルートのほとんどは一般道で自転車専用道ではありませんが、選ばれた道は交通量が少なく自転車で走って快適な道です。
しかし路面はちょっと荒れたところもあります。
チェスケー・ブジェヨヴィツェに向かうサリーナ
午前中は20°C代だった気温は午後になると30°Cを越え、日向は35°Cに達するようになります。 これは結構暑い!
しかし乾燥したヨーロッパの気候では、日本の同じ温度とは比較にならないくらい走りやすいのも事実です。
ホラショヴィツェからは下り基調で快調に飛ばし、21kmを70分で走り抜け、14時にチェスケー・ブジェヨヴィツェに到着です。
チェスケー・ブジェヨヴィツェの旧市街入口
チェスケー・ブジェヨヴィツェは南ボヘミア最大の町で人口は9万人を超え、政治・商業の中心都市です。 そしてカトリック教の大司教座が置かれてもいます。 こことリンツを結ぶ鉄道は大陸ヨーロッパで最古ということからも、かつてのこの地の繁栄を伺い知ることが出来ます。
そうそう、町の名のチェスケーですが、チェスキー・クルムロフのチェスキーと良く似ていますね。 実はチェスキーもチェスケーも『ボヘミアの』という意味だそうで、チェスケー・ブジェヨヴィツェはボヘミアのブジェヨヴィツェということです。 わざわざ『ボヘミアの』というからにはそうではないブジェヨヴィツェがあるはずで、それはもちろんモラビアにあり、そちらはモラヴスケー・ブジェヨヴィツェと呼ばれます。
さて、マルシェ川に架かるこの青いアーチ橋を渡ると旧市街です。
プジェミスル・オタカル2世広場
ボヘミア王オタカル2世によって作られたこの街の中心は、その王の名を冠したオタカル2世広場 。
市庁舎
ここの歴史はチェスキー・クルムロフやホラショヴィツェ同様、13世紀まで遡り、広場は中世とバロック様式の建物で囲まれています。
中でも目を引くのはこの大きなバロック様式の市庁舎。
噴水、聖ミクラーシュ教会、黒塔
広場の真ん中には噴水があり、その向こうに聖ミクラーシュ教会と16世紀建造の高さ62mの黒塔が見えます。
聖ミクラーシュ教会に向かおうとすると突然夕立です。 日本でチェックしていた天気予報では、このあたりのお天気は毎日なにがしかの雨マークが付いており、どうなることかと心配でしたが、昨日も雷雨があったように、この雨マークはどうやら一時的なもののようです。
黒塔よりオタカル2世広場を見る
中世に造られた広場の足元はアーケードになっており、その奥にはレストランやお店が並んでいます。 しばしこうしたお店を冷やかして時間つぶしをします。
小一時間で雨が上がったので黒塔に上れば先ほどまでいた広場が一望に。 ほぼ正方形のオタカル2世広場の一辺は約100mです。
Budweiser Budvar
チェスケー・ブジェヨヴィツェにはこの広場以外にとても有名なものがもう一つあります。 それはブドヴァイゼル・ブドヴァルという名のビールで、チェコでは唯一の国営会社が生産しています。 この地は13世紀からビール醸造の歴史を持っており、一時は神聖ローマ皇帝のための王立醸造所があったほどなのです。
ブジェヨヴィツェはドイツ語でブドヴァイゼル、これは英語発音ではバドワイザー。 どこかで聞いたことのある名ですが、バドワイザーはこの有名なチェコのビール産地の名を勝手に使ったものだそうです。
さて、今宵はそのブドヴァイゼル・ブドヴァルでチェコ初走行を祝って、かんぱ〜い!