ポウサーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ
昨日この周辺をぶらぶらするだけで過ごした私たちは、気力と体力を快復。
今日はジェレス山脈を離れ、祈りの町といわれるブラガを巡り、そしてポルトガル王国を建国したアフォンソ・エンリケス誕生の地ギマランイスに向かいます。
ボウロ近くの山と石畳の道
ボウロのポウサーダを出て昨日湖に行った道を再び進みます。
後ろにはこれまで越えてきた山が見えています。あの山ともお別れです。足元はここはまだボウロであることを示すように、石畳が続いています。
カーヴァド川対岸の山
カーヴァド川の対岸には昨日も見た山が連なっています。昨日は何気なく見ていた山ですが、今日はあの山を越えなければなりません。
ボウロを出る
石畳がいつの間にかアスファルトになると、周囲の建物も少なくなり、村を出たことがわかります。
カーヴァド川に下る
2kmほど進むと建物はまったくなくなり、そこにカーヴァド川に下る道の分岐が現れます。
この道を入るとなぜか路面は石畳に。石畳は村の中や旧市街地にはよくありますが、こういった道が石畳であることは珍しく、もしかしてこの先ずっとこれが続くのか、とちょっと不安になります。
カーヴァド川
この石畳の道を穏やかに下ってカーヴァド川に出ました。ここはダムの下なので、川の水量は昨日見た上流よりぐっと少ない。
最初の上り
橋を渡ると道は石畳からアスファルトに変わりました。よかった〜
しかしここから最初の上りが始まります。
パラーダ・ド・ボウロ
この上りはすぐに終わり、先に教会が見えてきます。カーヴァド川南岸の最初の集落パラーダ・ド・ボウロです。
この先で道は二手に分れ、細い道を示す『ブラガは直進』の標識が出ています。ここは川沿いのメインロードを行くつもりでしたが、先に新しい道ができた可能性があるので、『直進』を選んでみました。
激坂を上る
ところがこの道はすぐに激坂に。
今日も最初からあへあへです。
カーヴァド川北岸を見る
この激坂の道は少し先で少し広い道に合流しますが、その先には新しい道はなく、カーヴァド川に向かうしかありませんでした。さっきの標識はいったいなんだったのでしょうか。おかげで思いっきりヒルクライムしてしまったではないか。
しかしようやくここからはダウンヒル。カーヴァド川の先に私たちが先ほど出発したボウロあたりが見えてきます。
カーヴァド川に沿って下る
この先はしばらくカーヴァド川に沿って下るのですが、その先にはずっと山並みが続いています。
このあたりには山が見えない風景というものがありません。右手から道が合流してきました。この道がパラーダ・ド・ボウロから川沿いを通ってくるメインロードです。あ〜あ、こっちを来るんだった。。
モンスル
メインロードに合流するとすぐちょっとした上り返しがあり、その後もちょっとしたアップダウンがありますが、下り基調でモンスルにやってきました。
するとどこからともなく音楽が聞こえてきます。最初は近くの民家からかなと思ったのですが、どうも違うようです。この音楽はいったいどこから?
ごろごろの石畳
モンスルでN205に合流しますが、この道はブラガのボン・ジェズスには行かないので、すぐに枝道に入ります。進もうとしたのはこんな大きな石が敷き詰められた道で、しかも急坂。これはさすがに行けないでしょう。
さっきから鳴り続いている音楽が大きくなってきました。音源はどうやらこの近くにありそうです。
エスピゲイロの門
この石畳の道のすぐ先に適当な道が見つかったのでそれを入って行くと、ちょした教会が建っていました。お祭りでもあるのかその周りには飾り付けがされています。そしてこの教会の屋根に取り付けられたスピーカーから、あの音楽が鳴り響いていました。これはどうやらお祭りのお知らせのためのもののようですね。
この教会の先に、ペネダ・ジェレス国立公園内で散々見たエスピゲイロが門の上に載っている建物がありました。
エスピゲイロは伝統的な高床式の穀物倉庫ですが、いったいどうして門の上にあるのでしょうか。そういえば、数日前にもこれくらい高い位置にあるのを見掛けましたが、単なる飾りとして使っているのか、それとも何か別の理由があるのでしょうか。
教会?
このエスピゲイロの門はこの建物のものです。一見教会のようにも見えますが、誰かのお屋敷かもしれません。
このあたりには広範囲にぶどう畑が広がっており、近くにこれに類似した建物もあったので、もしかするとこれは荘園の主の家かもしれません。こうした家では私的な教会を持っていることもありますから。
ぶどう畑の中をブラガに向かう
エスピゲイロの門からは上りが続きます。
このあたりは北下がりの斜面地で、遠くにカーヴァド川の向こうの山が見えています。
山の上にブラガのボン・ジェズス
モンスル付近で標高60mまで落っこちたあと、徐々に高度を上げてきて、270mまで快復しました。そこはN103との合流点で、ついに先に、ブラガの郊外にある聖地ボン・ジェズス・ド・モンテが見えました。ド・モンテと付くように、それは当然山の上にあります。
しかし見えているのはドーム屋根です。ボン・ジェズスにドームはなかったような。もしかしたらあれはその近くに建つノッサ・セニョーラ・ド・サメイロ教会かもしれません。いずれにせよ、ここからあのあたりまで上らなければなりません。
テリャードからの激坂上り
この合流点から道は二本になり、新しい大きな道と旧道とがありますが、私たちは迷うことなく旧道を選択。こちらはほとんど車が通りません。道は快適に下り、途中で細道に入ってボン・ジェズスの北側にあるテリャードのロータリーに出ます。
このロータリーからいよいよボン・ジェズスへの上りが始まります。これは半端でなくきつい! 自転車を押し上げられないほど。やっぱりここはボン・ジェズスの正面からアプローチすべきでした。
聖地ボン・ジェズス・ド・モンテ
ボン・ジェズスの標高は400mで、下のロータリーは200m、距離にしてわずか2.6kmです。この200mを上るのに要した時間はなんと40分。
へろへろ〜っとボン・ジェズス到着。
ボン・ジェズス内部
ここは14世紀に最初の礼拝堂が建てられ、17世紀にはすでに聖地とされていたようです。
現在の聖堂は18世紀のもので、ネオ・ルネッサンス様式かな。
聖堂前の踊り場モーゼス広場
ここがなぜ聖地になったのかはわかりませんが、数日前に訪れた聖地のセニョーラ・ダ・ペネダがそうであったように、ここも山の上にあるからではないかと思います。多くの山は古来より信仰の対象となっています。これはヨーロッパはもとより世界中のどこにでも当てはまることだと思います。ブラガにはレコンキスタののち大司教座が置かれ、ここはその大司教の庇護の下に建てられたということも関係しているかもしれません。
ペネダの聖地の名が聖母マリアと関係があるのは以前述べましたが、ここのボン・ジェズス・ド・モンテは『山の善きキリスト』という意味で、もう少し噛み砕けば『山の上の善きキリスト』となるでしょう。キリストの名前を持つ教会は少なくありませんが、山の上にいるキリストとなると、そう多くないでしょう。
モーゼス広場より聖堂を見る
ここで現在観光的に有名なのは、下から聖堂まで続くバロックの階段でしょう。(TOP写真参照)
それは距離にして116m、段数にして581あります。敬虔な信者はこの石段を膝を着きながら一段一段上るそうですが、今でもそんな人がいるのでしょうか。
それはともかく、階段の最初の段の両脇には蛇が絡まったポールが建っています。蛇はキリスト教では邪悪のシンボルだったと思いますが、なぜそんなものがここにあるのでしょうか。
階段上からブラガの街を望む
そこを上って行くと踊り場に出ます。踊り場はいくつもあり、それぞれの突き当たりには噴水があります。この噴水は、五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)を現したものと三徳(信仰、希望、博愛)を現したものから成るそうです。
そしてその両側には小さな礼拝堂が置かれ、中にはキリストの受難をテーマとした3Dの展示がされています。
踊り場の最後の段は広くなっていて、そこはモーゼス広場と呼ばれるようです。きれいな花壇があったところがそこでしょう。
ポルトガル最古のケーブルカー
この階段を下から上ってくるのは容易ではありません。しかしここにはちゃんとケーブルカーが走っているのでご安心を。
このケーブルカーはポルトガル最古(1882年)のものだそうで、設計はリスボンのケーブルカーやサンタ・ジェスタのエレベーターを設計した人です。リスボンのケーブルカーも最初は水の重力を利用したものでしたが、それは現在は電力によって動いています。しかしここのは水を溜めるタンクを持っており、今も水の重力によって動いているそうです。
ケーブルで繋がれた二つの車輛のうち上駅にある方のタンクに水が入れられます。反対に下駅のそれからは水が抜かれます。すると重力によって上にある車輛が下りて行き、下にある車輛はケーブルに引っ張られて上って行くというわけです。
ボン・ジェズスからの下り
ボン・ジェズスは眺めがいいところなので、カフェで休憩しつつそこからの眺めを楽しみました。
一息ついてボン・ジェズスを下ります。これが正面からのアプローチ・ロードで、こちらからなら無理なく上れそうでした。
ブラガのレプブリカ広場
ブラガの街に下ってきました。
まず入ったのはレプブリカ広場です。ここは中心地区の東端になります。
ブラガの繁華街を行く
レプブリカ広場から真っすぐ延びるソウト通りは繁華街で、結構な賑わいです。
ここだけ見るとちょっとしたショッピング街のようで、ブラガは『祈りの街』?という感じです。
旧大司教館と庭
そのソウト通りから横道に入って出たのは旧大司教館のうしろでした。
ここに大司教座が置かれた頃の大司教というものは国王をも凌ぐ権力を持っていましたから、この都市はポルトガル一の宗教都市として栄えたようです。そんなわけでここには、もの凄い数の立派な教会が建っています。
ペリカンの噴水と市庁舎
旧大司教館の正面に廻ると、そこにはバロック様式の市役所があり、その前ではペリカンが水を噴いています。
今日の昼食はこのペリカンを見ながらベンチで、お弁当にしてきたサンドイッチです。
大聖堂
旧大司教館の脇の道を入って行くと大聖堂に行き着きます。ポルトガルの大聖堂はいくつか見ましたが、それらの多くは正面性が薄く、この大聖堂もその例に漏れず正面はメインストリートではなくその脇の道を向いていて、ちょっと存在感に乏しい。
しかも建物の規模は大して大きくなく、ファサードだけ見るとちょっとがっかりします。
大聖堂のアプス付近外観
しかしこれは12世紀のもので、ゴシック以降の大建築ができる遥か以前のものなのです。当時はこの建物の正面の道がメインストリートだったに違いありません。後世の都市計画により別の道がメインストリートとなってしまったので、この建物は正面性を失ってしまったのでしょう。
この建物は16世紀に大増改築がされますが、一部はロマネスクからゴシックの雰囲気を残しているようで、中に入ってからの印象は正面ファサードを見た時からずいぶん変わりました。
コインブラス礼拝堂
現在でも資産家の中には自家用の礼拝堂を持っている人はいると思います。今日の午前中にもそれらしきものを見てきましたが、それでもやはり歴史的な名家のものは一味違います。
これは16世紀のコインブラス家付属の礼拝堂です。右の建物はその邸宅だったところのようで、左が礼拝堂。
コインブラス礼拝堂内部
壁はアズレージョで、主要なところにはロココ調の金の装飾。
パイプオルガンが鳴っています。バッハのプレリュードとフーガ。今は礼拝の時間ではないので人はおらず、私たちだけです。このオルガンの演奏者はあるフレーズが気に入らないらしく、そこを何遍か繰り返し演奏していました。現在この施設がどのような位置づけになっているのかはわかりませんが、彼はここのお抱えオルガン奏者なのでしょうか。
アルコ・ダ・ポルタ・ノヴァ
ブラガは祈りの町といわれるくらいなので、教会は山ほどあります。また歴史的な遺構もそれなりにありますが、こうした中にはどうしても見たいと思うようなものがなかったので、この地の貴族の館を見てみることにしました。
メイン・ロードのソウト通りの外れにはこの町の入口を示すアルコ・ダ・ポルタ・ノヴァ(新しい門のアーチ)があります。これは18世紀のもののようですから、大聖堂ができた遥かあとの建造です。現在のソウト通りはおそらくこのアーチができた時代に整備されたものでしょう。
ビスカイニョス博物館
アルコ・ダ・ポルタ・ノヴァの近くに18世紀の貴族の館が博物館として残っています。
写真左に写っているのがそれで、現在はビスカイニョス博物館となっています。
ビスカイニョス博物館の中庭
スペインの住宅はパティオと呼ばれる中庭を持つことで有名ですが、ここポルトガルではどうなのでしょうか。
この貴族の家にはパティオに近いものがありました。
貴族の家の調理場
この博物館にはアズレージョの腰壁、絵が描かれた木の天井の部屋などがあり、ローマ時代のものから17〜19世紀の陶器、銀器、家具、絵画など、様々なものが展示されています。それらの中で面白かったのは、移動用の篭で、これは形状や装飾は違えど日本の殿様が乗るそれと基本的には同じで、意外と小さい。あとは馬の手入れをする部屋と馬車で、昔の貴族にとって馬はかなり大切なものだったことが伺えて、こちらも面白い。
表舞台ばかりでなくここは調理場も立派です。鍋釜の類いは銅製のものがずらり。奥の壁の三か所の窪みはかまどですが、これ以外にもっと大きなものもあります。このスペースだけで50帖くらいあります。
ブラガ郊外の丘の上に建つサンタ・マリア・マダレーナ
ブラガの街中のカフェで一休みしたのち、ギマランイスに向けて出発します。ブラガからギマランイスまではN101が繋がっていますが、これは有名な二つの都市を結ぶ幹線道なので交通量が多そうです。そこで丘越えをしてできるだけカントリーロードを行くことにします。
街中を出ると道はすぐに丘越えの上りになります。ファルペーラ通りを上って行き道が大きくUターンすると、ほぼこの丘の頂部に達します。そこにはサンタ・マリア・マダレーナ教会が建っています。
サンタ・マリア・マダレーナ前の並木道
サンタ・マリア・マダレーナの前の道は並木に覆われていて気持ちいい。
この道を少し行くと、右手に道が分岐します。
アーヴェ川の谷に下る
この道に入るとすぐに下りとなり、眼下にアーヴェ川沿いに連なる集落が見え出します。
カントリーロードを行く
丘を下り切るとそこはぶどうやトウモロコシの畑の中です。
こうした細道を繋いで繋いで、また繋いでと、あっちにいったりこっちにきたりを繰り返し、先に進んで行きます。
先にギマランイスを見ながらN206を行く
しかしこうしたカントリーロードもアーヴェ川で潰え、ついにN101に入ってしまいます。
N101は予想の通り交通量が多く走りにくいので、とにかくどこかへ避難しようと脇道に入ります。この時きちんと地図を確認すればよかったのですが、入った道が走りやすかったのでどんどこ行ってしまいます。しかしこの道の先は高速道路さながらのN206だったのでした。
ギマランイスの入口トウラル広場
N206は交通量が多く、しかも車はもの凄いスピードを出しているので走るのを躊躇しましたが、路側帯が広いので思ったより不安なく走れます。しかし街の入口のジャンクションでちょっと右往左往、戻ってやり直し。街に入るとたまたまバスターミナルの前に出たので、明日のレグーア行きのチケットをゲット。まあこれでN206を走ったのもいいことにしましょう。
中心部に近づくと道は石畳に。この石畳の道を上って行くと、旧市街の入口にあるトウラル広場の前に出ました。古い城壁には白い文字で『ここにポルトガル誕生す』と書かれています。
サン・グアルター教会
トウラル広場からも石畳の道をえっこらよっこらして、なんとか今宵の宿に到着。一休みして夕食に向かいます。
向かうのは旧市街の真ん中にあるサンティアゴ広場。そこに向かって行くと、途中、18世紀のサン・グアルター教会に出ました。この教会は大聖堂から延びる大きな通りの突き当たりにあり、19世紀の二本の尖塔がいいアイ・ストップになっています。
教会前の歌とダンス
その前では着飾った男女が、歌えや踊れやの大騒ぎ。
ホテルのレセプションの方によれば今日はお祭りで、ここともう一か所で夜中まで賑やかなイベントがあるそうです。
夜のサンティアゴ広場
この歌と踊りを楽しんだあとサンティアゴ広場に行くと、そこは観光客で大賑わい。さすがにポルトガル誕生の地です。
ホテルの方お薦めの店はいっぱいだったのとそろそろポルトガル料理でないものを食べてみたくなったので、その隣のイタリアンに。イタリアンはイタリアン。ポルトガル料理は平均のグレードは高いと思いますが、こうして食べ比べてみると、やはり洗練度ではイタリアンには及ばないようです。
大聖堂側からサン・グアルター教会を見る
夜のサンティアゴ広場の雰囲気を味わい、おいしいディナーに満足したあとはぶらぶらとやってきた道を帰ります。
するとサン・グアルター教会に続く道には電飾が施され、その先の教会はライトアップされていました。その背後の夜空の星もきれいです。
サン・グアルター教会前の太鼓隊
この景色を眺めながら道を下って行くと、サン・グアルター教会の前ではあの歌と踊りに加え、華やかな意匠の太鼓隊が見事な演奏を繰り広げていました。
さて、明日はここギマランイスを散策し、バスでドウロ川の畔のレグーアに向かいます。