サンタ・アポローニャ駅でAPに乗る
ポルトガルの初日をリスボンで過ごした私たちですが、この首都はあとでゆっくり散策することにして、二日目は早くもポルトガル第二の都市ポルトに移動します。
この朝の気温は23°Cと涼しく、とても快適です。そんな清々しい空気の中、石畳みの中心部を抜け、『くちばしの家』というちょっと変わった建物の前を通って、サンタ・アポローニャ駅にやってきました。
ヨーロッパでは列車よりバスの方が便利なことが多いのですが、ここポルトガルもその例外ではないでしょう。理由はいくつかありますが、一つには、鉄道の駅は街の中心にではなく郊外にあることが多い、ということがあげられます。
しかしリスボンとポルト間は列車でもバスでも大きな差はありません。鉄道駅はそれぞれ街の中心から2kmほど離れています。一方バスはといえば、ポルトのバス停は街のど真ん中なのですが、リスボンのそれは中心部から5kmほど離れていて、ちょっと不便。
私たちは早朝の移動なので、リスボンでの移動距離の少ない列車を選択したのです。旧市街の中心からサンタ・アポローニャ駅まではフラットで坂がない、というのも自転車での移動には有利なポイントです。
サン・ジョアン橋でドウロ川を渡りポルトに入る
リスボンーポルト間は、アルファ・ペンドゥラール(AP)という特急とインテルシダーデ(IC)という急行がほぼ一本おきに走っています。私たちが乗ったのは前者でした。この列車は最高時速200kmで飛ばし、3時間でポルトに到着します。
ポルトへの入り方は劇的です。サン・ジョアン橋でドウロ川を渡るのですが、左手にエッフェル設計のドナ・マリア・ピア橋が見え、その向こうに積み木が重なるようなポルトの街が見えるのです。
ポルトのカンパニャン駅
ポルトには街の中央にアズレージョで有名なサン・ベント駅があります。しかし、リスボンからの列車が到着するのはそこではなく、東2kmほどのところにあるカンパニャン駅です。この駅のファサードは花崗岩と漆喰という伝統的なものですが、プラットフォームの屋根は現代的なHPシェルを並べたもので、これはすっきりとしていて美しい。
このカンパニャン駅からサン・ベント駅には電車を乗り換えれば5分ほどで到着しますが、私たちはここで自転車を組み立てて街の中心へ向かいます。
カンパニャン駅からポルトの中心に向かう
駅を出るとすぐ石畳になります。勝手な想像で、カンパニャン駅は新しい駅でここから街まではアスファルトの舗装路だろうと思っていたのですが、これはどちらも違いました。この駅はすでに100年以上の歴史を持ち、サン・ベント駅より早く造られていたのです。当然ながら街の中心に向かう道もまた同じだけの歴史を持っています。
さて、ポルトガル初走りの感想はというと、リスボンもポルトも街中はほとんどが写真にあるような石畳で、これは18インチタイヤの私たちの自転車では、なんとか走れる程度、といったところです。もちろんあまりスピードは出せません。車は少なくありませんが、いやなのはトラムで、道が狭いのでこれが走っていると怖いし、走っていなくても線路が邪魔です。ですからできるだけトラムが通らない道を選んで走ります。
サンタ・カタリナ通り
この石畳の道を2kmほど走ると、ポルトの中心部にある賑やかなサンタ・カタリナ通りに出ます。
ここはポルト一の繁華街で、いつも人で溢れています。
我らが宿
サンタ・カタリナ通りを南に下るとバターリャ広場で、そこに私たちのポルトの宿があります。
ここに到着したのは昼前ですが、部屋が空いていたのでチェックインさせてもらえました。ここの部屋は決して広い方ではないのですが、機能的で現代的なセンスがあり、快適です。
サント・イルデフォンソ教会
宿のすぐ目の前に建つのはサント・イルデフォンソ教会。外壁のアズレージョが美しい教会の一つです。
このアズレージョは有名作家ジョルジェ・コラソによるもので、聖イルデフォンソの生涯が描かれています。
サンタ・カタリナ通りのトラム
宿でちょっと休憩したあと、街の散策に出かけます。ここもリスボン同様に石畳と坂だらけなので徒歩で。
そうそう、リスボンのトラムは有名ですがここポルトにもそれは走っています。リスボンのものの多くは黄色ですが、ここのはその黄色をより渋くしたような、黄土色をしています。この色はポルトの街によく合っているように感じます。
サンタ・カタリナ通りからクレリゴスの塔を望む
サンタ・カタリナ通りを北に進むとすぐ、左手に下り坂が現れ、その先にクレリゴスの塔が見えます。
この塔はポルトのあちこちから見ることができ、シンボルタワーのような存在です。
サンタ・カタリナ通りのカフェ・マジェスティック
さらにサンタ・カタリナ通りを進むとおしゃれなカフェがあります。
アールヌーボーのマジェスティックです。リスボンのカフェの代表がア・ブラジレイラならポルトのそれはここでしょう。
アルマス礼拝堂
さらにさらにサンタ・カタリナ通りを進むと、交差点にアルマス礼拝堂が建っています。ポルトの教会にはアズレージョで有名なものがいくつもありますが、これもその最右翼の一つです。
ちなみにアズレージョ(azulejo)とはご覧の通りの装飾タイルのことで、スペインやポルトガルで5世紀に渡り作り続けられています。
アルマス礼拝堂の外壁のアズレージョ
アズレージョという言葉は、青いタイルが多いので、青を意味するazulから来ているのかと思いましたがどうやらそうではなく、アラビア語の磨かれた石を意味する言葉が元なのだそうです。アラビアの影響を受けたタイル技法がスペインで発展し、ここポルトガルには15世紀にムーア人によりもたらされたようです。そして16世紀になるとポルトガル国内でも生産されるようになります。
最初は幾何学的な模様で色も青ばかりではなかったようですが、次第に独自の表現が完成してゆき、色もいつの間にか青一色となったのでしょう。
アルマス礼拝堂内部
18世紀の前半に建てられたこの礼拝堂の外壁には、青一色で聖フランシスコと聖カタリーナの生涯が描かれています。
礼拝堂の内部にもアズレージョが使われているのが見えます。
イワシとペルセベス(カメノテ)
さて、素晴らしいアズレージョを堪能したあとは、お決まりの市場を探索といきましょう。アルマス礼拝堂のすぐ近くにあるボリャオン市場です。
ここはポルトで最大の市場ですが、すでに13時過ぎと遅い時間帯だったためかあまり人はおらず、ちょっと寂しかったのは残念。しかしここで素晴らしいものを発見。それは私たちの大好物ペルセベスで、日本ではカメノテと呼ばれるものです。これはもちろん本物の亀の手ではなく、フジツボなどの仲間の甲殻類で、スペインのガリシア地方でよく食べられます。ポルトはガリシア地方に近いのでこのあたりでも採れるのでしょう。
買って帰りたいところですが、我が宿にはキッチンがないのでこれは断念。その後入ったレストランにはなかったので、しばらくおあずけです。食べ方は簡単、塩ゆでにするだけでメチャうまいのです。味はちょっと表現のしようがないのですが、プルンとしたシャコのようとでもいえばいいのか…
市庁舎
ペルセベスを食べられなかったことに歯がゆい思いをしながらも、街の探索を続けます。
午後の部はまず市庁舎から。
市庁舎前の広場
ポルトの市庁舎はたいへん立派な建物で、その前は大きな広場となっています。
そこには椅子ではなくソファーが置かれていて、大勢の人が寝転がったりおしゃべりを楽しんだりしています。こんなところにソファーというのは日本ではまず考えられませんが、ポルトガルの夏はほとんど雨が降らないから問題ないのでしょうか。時刻は15時、こんな時間帯に日向で暑くないのかと思われる方もいることでしょう。28°Cなので決して涼しくはないのですが、湿度が低いので日本ほど暑くは感じません。
この周辺には立派な建物が建ち並んでいます。おそらく官庁街といったところなのでしょう。
リベルダーデ広場からサント・イルデフォンソ教会方面を見る
市庁舎横のアリアドス通りを南下して行くとリベルダーデ広場に出ます。
この広場から東を見れば、その先には私たちの宿の前にあったサント・イルデフォンソ教会が建っています。
リベルダーデ広場からクレリゴス教会を見る
そして西を見れば、あの塔があるクレリゴス教会が。
見て分かるようにこの道はリベルダーデ広場が一番低く、東西ともに上って行きます。この坂はポルトの中では穏やかな方で、ここもリスボン同様に激坂と階段だらけです。
クレリゴス教会の塔
クレリゴス教会は18世紀のバロック建築で、塔は76mあるそうです。
クレリゴス教会内部
聖堂は上階にあり、円形ドームのイタリアンで、内部は外見から想像するよりずっと小さい。
この下階は確かお墓だったかな。
クレゴリスの塔からドウロ川を望む
225段の階段を上ると塔の上に出ます。
そこからはポルトの街が一望にできます。これは南のドウロ川方面を見たもので、左端は大聖堂、川の向こう側はポルトワインのワイナリーが集中するヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア。
レロ・イ・イルマオン
クレリゴス教会のすぐ北にはレロ・イ・イルマオンがあります。
これは世界一美しいともいわれる書店で、店名を直訳すれば『レロと兄弟』となりますから、この本屋さんはレロさんとその兄弟が始めたものなのでしょう。建物は19世紀後半建造のようで、外観はゴシック調のアールヌーボーといったところ。
ここは内部が大変素晴らしいのですが撮影禁止なので、WEB検索で見てください。ほれぼれするような廻り階段など、木の内装が見事です。ユニークなのは本を移動させるのに使うのだろうトラムならぬカートがあり、その線路が床に敷かれていること。
カルモ教会外観
美しい本屋さんの隣にはカルモ教会が建ちます。18世紀のロココ様式。
カルモ教会外壁のアズレージョ
側面に飾られたアズレージョは20世紀初頭のもので、ポルトガル最大のものだとか。
描かれているのは聖母マリアへの礼賛のようです。
カルモ教会内部
この主礼拝堂は金ピカ。
サン・ベント駅外観
ポルトの真ん中にあるのがこのサン・ベント駅で、建物は16世紀の修道院を19世紀末から20世紀初頭にフランスのボザール調で改築したものだそうです。
サン・ベント駅のホール
この駅は北部のミーニョ地方や内陸部のドウロ地方への玄関口となっています。
内部に入るとすぐに高い天井の大きなホールがあり、中央の時計の上の天井には『MINHO』、その反対側には『DOVRO』の文字が見えます。そしてそれぞれの下の壁はミーニョ地方とドウロ地方の農村風景を描いた見事なアズレージョで飾られています。
サン・ベント駅のホールその2
これらに対し、短辺の二面は歴史画で、
エンリケ航海王子のセウタ攻略の図
エンリケ航海王子のセウタ攻略を描いたものだそうです。作者はサント・イルデフォンソ教会と同じジョルジェ・コラソとのこと。
サン・ベント駅のプラットフォーム
このホールの奥は現代的なプラットフォームになっています。ここはターミナル駅なので出発を待つ列車が並んでいるのが見えます。
私たちが出発したリスボンのサンタ・アポローニャ駅もそうでしたが、ヨーロッパの主要駅はこうしたターミナル型であることが多いようです。
サンタ・クララ教会外観
ここで一旦宿に戻り一休みして、夕方にあらためてドウロ川クルーズに向かうことにしました。
この夕方からの散策は、18世紀のバロック建築のサンタ・クララ教会からです。
サンタ・クララ教会内部
地味な外観からは想像ができないのですが、内部に入るとあっと驚かされます。そこは超絶技巧の彫刻で埋め尽くされていました。
さらに驚くことは、この内部装飾はほとんど木でできているということです。 一部の装飾が木ということはあるけれど、ここまで徹底して木なのは珍しいのではないでしょうか。しかしこのあと他でも同様の例を見ることになるので、このころのポルトガルでは木の装飾はかなり一般的なものだったのかもしれません。
大聖堂からクレリゴスの塔を見る
ドウロ川に下りてゆく途中には大聖堂があります。
その前の広場からはポルトの街がよく見渡せます。これは北側で高い塔はクレリゴスの塔。
大聖堂からドウロ川を見る
こちらは南側のドウロ川方面です。川の対岸に浮かんでいるのは上流から樽に入れたポルトワインを運んでいたラベーロと呼ばれる小舟です。
大聖堂はすでに閉まっていたので、この紹介は次回に。
大聖堂からドウロ川に下る細道
大聖堂からドウロ川に下るには西を廻って行く方法と、南の細道を下る方法とがあります。
今回は南の細道を行ってみます。
大聖堂からドウロ川に下る細道その2
ここは急な階段が民家の間をすり抜けてうねうねと下に続いて行きます。
この通路には無造作な水場があり、そこに洗濯桶が置かれ、上の民家の窓からは洗濯物がぶら下がっています。まさに下町そのものです。
カイス・ダ・リベイラ
迷いそうになりながら、がちゃがちゃ、ごちゃごちゃとした通路を下って出たのは、カイス・ダ・リベイラというドウロ川のほとりの賑やかなところです。下町のすぐ先がこんなに華やかなところという対比が面白い。
ここはレストランが密集していて、いつでも観光客で溢れかえっています。
ドウロ川のクルーズに出発
レストランの向かいのドウロ川にはクルーズ船が停泊しています。その一隻に近寄ってみるとすぐに出航するというので、慌ててチケットを買って乗り込みました。どうやらこれが最終便だったようです。
目の前に架かるのは二層構造になっているドン・ルイス一世橋で、現在は上部をメトロと人が、川面に近い下部を車と人が通るようになっています。しかし、建設当時は両方とも車と人のためのものでした。なぜ二階建にする必要があったのかというと、ポルトは街が大きく上下に分れているからだそうです。この橋はかなり迫力があり、あちこちから良く見えるので、ポルトのシンボル的存在になっています。
空にはいつの間にか雲がかかり、気温もかなり下がってきたようで、長袖でも寒いくらいです。
ドウロ川から城壁を見上げる
船は上流に向かって進み出しました。ドン・ルイス一世橋をくぐるとすぐ左手に城壁のようなものが見え出します。
これは城壁だと思うのですが旅行案内書には解説がなく、どんなものかはよくわかりません。しかしこれだけの街ですからかつて何らかのお城があったことは間違いないでしょう。この部分の城壁はよく残っているように見えます。
積み木の家
ドウロ川から街を見上げると、ポルトがどのような地形をしているのかが良くわかります。川沿いは急峻な崖といって良いほどの地形で、そこに積み木のように民家が重なっています。
古くから天然の良港がある都市は、このポルトのように崖地のようなところが多いのです。それは地上の崖が海の中まで続き、大型船でも通れる水路と港を作るからでしょう。日本でも長崎や横浜は坂道だらけですね。
ドナ・マリア・ピア橋
船はなおも川上に向かっています。白い自動車道のインファンテ橋をくぐり、私たちがポルトに入った時列車で渡ったサン・ジョアン橋まで来ると、そこでUターン。
インファンテ橋とサン・ジョアン橋の間にあるのは、エッフェル設計の1877年に完成したドナ・マリア・ピア橋です。鉄道専用のこの橋の主スパンは160mで、これは当時、吊橋を除けば世界記録だったようです。パリのエッフェル塔は1889年ですからこの橋の方が少し古いことになります。現在この橋は隣にサン・ジョアン橋ができたために使われていませんが、取り壊されることなく保存されています。
ドン・ルイス一世橋
戻って再びドン・ルイス一世橋を見てみると、ドナ・マリア・ピア橋とそっくりなのに気付かされます。こちらの完成は1886年でドナ・マリア・ピア橋より少し遅い。
この橋の設計者テオフィロ・セイリグはエッフェルのパートナーで、ドナ・マリア・ピア橋にも係っていたらしいので、この二つの橋に共通性があるのも頷けます。
ドウロ川クルーズ船とポルトの街
このあと船は河口近くの橋まで行って引き返して来るのですが、どうせなら大西洋にちょっと出てほしかったな。
ところでポルト(Porto)は英語にすればPort、すなわち港ですね。ドウロ川の北岸に築かれたこの都市の起源は5世紀より古く、ここにあった古代ローマの港町ポルトゥス・カレ(カレの港)のポルトゥスがポルトとなり、町の名となり、さらにポルトガルという国の名の元になったといわれています。
夜のカイス・ダ・リベイラ
小一時間のクルーズを終えてカイス・ダ・リベイラに戻ったあとは、近くでディナーです。市場で見かけた魚介の中に欧米ではあまり食べない蛸がいたのですが、ここポルトガルでは良く食べられます。そこでその蛸の天ぷらと蛸のリゾットを試してみました。これは結構いけます。
そしてワインはもちろん、ぶどうから作られる蒸留酒のアグアルデンテ(Aguardente)もなかなか。水(agua)と歯(dente)って変な名前だなと思っていたのですが、後半はdenteではなくてardente(燃える)だって。確かにブランディとグラッパのあいのこのようなこれは、燃えるような水といっていいでしょう。
ライトアップされたドン・ルイス一世橋
満足のディナーのあとは、ライトアップされたドン・ルイス一世橋を眺めながらカイス・ダ・リベイラをぶらついて帰路に付きました。ここは夜もいい雰囲気です。
さて、明日もポルト散策です。サン・フランシスコ教会を覗き、対岸のカイス・ダ・リベイラのワイナリーでポルトワインの試飲をしたいと思います。そしてちょっとサイクリングも。