今日のコースは、カンタブリア山脈の中心ともいえるピコス・デ・エウロパの展望ルートです。そして洞窟で熟成される有名なブルーチーズを作るカブラーレス(Cabrales)の中の一つの村に立ち寄り、チーズ作りの場を見学し、おいしいチーズと食事をいただきます。
早朝のまだ日が出ていない時刻に、アストゥリアス王国の都だったカンガス・デ・オニス(Cangas de Onís)を出発。
今日はほぼ幹線道路を走ることになりますが、それ以外に道があるところは極力幹線道路を避けて進みます。ということで、まずは小さな川に沿った細道に入ることにしたのですが、曲がり角を通り過ぎてしまってあらぬところへ。戻ってやり直しです。
この道はひっそりしていて快適でしたが、3kmほどで幹線道路に合流です。
このあたりの幹線道路は日中でも大した交通量ではないのですが、まだ朝7時半とあって、通る車は皆無。
ソト・デ・カンガスのロータリーに来ると、右コバドンガの大きな標識があります。コバドンガはアストゥリアスにとっては特別な場所です。8世紀初頭、ペラーヨがこのコバドンガでイスラム勢力との戦いに勝利して独立を保ち、アストゥリアス王国を建国したのです。
幹線道路の枝道に入るとコラオ(Corao)村を通過。
ここには、かつてトウモロコシを入れていた高床式穀物倉庫オレオ(hórreo)が建っています。
いったん幹線道路に出たあと、8kmほどのところから再びカントリーロードに入ります。
ここはイントリアゴ(Intriago)という村のようです。
村の中を通過していると、ちょうど日の出を迎えました。
山影からすーっと太陽が昇って行きます。
周りは草原で、朝靄がきれい。
『わ〜、ここはきれい〜』 と朝靄の草原を行くサリーナ。
横の草原では気持ち良さそうに牛が草を食んでいます。
カンタブリア州やアストゥリアス州は肉牛でも有名で、放牧が盛んですが、この牛さんたちは夜も草原で過ごしたのでしょうか。
この草原の先で、ちょっと古そうな石橋を渡ります。
今日の出発地のカンガス・デ・オニスにあったローマ橋を見てもわかるように、このあたりの歴史は古く、こうした古い橋もいくつか残っているのです。
この石橋の先で再び幹線道路に出ました。山の裾野に広がる牧草地が、陽の光を浴びてきれいに輝いています。
道は穏やかな上り。幹線道路沿いには小さな村がところどころで現れます。そうした中の一つ、ベニア・デ・オニス(Benia de Onís)にはバルがあるのですが、残念ながらこの時はまだ開いていなかったので、小さな広場でおやつ休憩です。
上るにつれ視界が開けてきて、下に小さな村が見えだします。ラ・ロベリャーダ(La Robellada)のようです。
そこにある民家は数えられるほどで、せいぜい20〜30戸しかありません。このあたりの村はだいたいこの程度の規模のものが多い。
上りはまだ続きます。今日のピークは標高450m付近。ようやく標高が400mを越えました。ピークまであと少しです。
今日はピコス・デ・エウロパを眺めながら走るコースです。ピコスがどこからどこまでを指すのかははっきりしませんが、狭く捕らえるならこの道より南、進行方向の右手の山々ということになります。この写真でうしろに見えている山々はその外側にあるものということになります。
今まで東へ向かっていた進路が南を向くようになると、道は穏やかな下りに。
その先に、紛れもないピコス・デ・エウロパが現れました。そこに見える山は今日ここまで見てきたものとは明らかに違い、ごつごつとした岩肌を露にしています。
どうやらオルティグエロ(Ortiguero)に到着したようです。
道はこの先で僅かに上り返し、隣村のカナーレス(Canales)の入口から進路を東に変え、下り始めます。
カナーレスの先は大きな谷になっていて、ピコス・デ・エウロパとそれに続く山々を隔てています。
進行方向右手がピコス・デ・エウロパです。
谷の彼方まで続くピコス・デ・エウロパを眺めながらのダウンヒル。
この下りは壮快! グワーッと下り続けます。
谷をどんどん下って行くと、道は一本の川の奥へと誘われて行きます。
その先にデンと立ちはだかる山。このあたりは本当にすばらしい景色が続くのです。
ヘアピンカーブで川を渡り、さらにどんどこ下ってカレーニャ・デ・カブラーレス(Carreña de Cabrales)に到着。
洞窟で熟成されることで有名なブルーチーズ、カブラーレスの名を持つ村の一つに入ったのです。カブラーレスはこのあたり一帯の地域名で、その名を冠した村がいくつかあるのです。
順調に進んできたので、ここでバル休憩を。
ヨーロッパではスポーツとしてのサイクリングが盛んで、その人気は多くの国でサッカーと二分するほどです。ここスペインもその例外ではなく、レーサージャージに身を包んだサイクリストを見かけることは度々です。私たちがバルに入るとすぐ、数人のサイクリストがやってきました。
まだ午前10時ですが、彼らが飲むのは、ビール! ここはスペインなのだ〜
カレーニャのバルでひと息付いたあとは、本日のメインイベント、カブラーレスチーズの製産現場を見学しに行きます。
その村アシエゴ(Asiego)はここから分岐した山の上、250mほど上方にあります。
ということで、ここからはちょっときつい上りが始まります。
カレーニャから見えていた山々をうしろに、へこへこと上り始めます。
この上りから見える手前の山はなだらかで、木々に覆われ豊かな緑がありますが、そのうしろの山には木は生えておらず、かろうじて地面を覆うだけの薄い緑があるだけになります。
こうした山々を眺めながら、どんどん上って行けば、
手前の山の合間から、白い岩肌をむき出しにした山々が見え出します。
ピコス・デ・エウロパはヨーロッパの頂という意味で、こうした山々を見ると、そう名付けられたのも分かるような気がしてきます。そこには2,000mを超す山が幾座もあります。写真の細く飛び出した山は Picu Urriellu(2,519m)。
道脇に一本のりんごの木が植わっていました。この木はたくさん実を付けています。
山ばかりで畑も作れないこの地方には、かつてこれといった産業がありませんでした。山間の僅かな土地で牛や山羊を飼い、その乳を搾って生活していました。その後、なんとかりんごを植えることに成功し、現在は動物の乳とりんごで生計を立てているのです。
ようやく上にアシエゴが見えてきました。
村の入口に辿り着くと小さな教会があり、その前がちょっとした展望スペースになっています。
そこから南東を見れば、ピコス・デ・エウロパの岩山が版状に連なっています。(TOP写真)
この眺めを楽しんだら、村の中へ入って行きます。
赤茶色の素焼きの瓦がきれいな村です。
その中の一軒、カサ・ニエンブロ(Casa Niembro)がここの目的地です。ここでは『チーズとシドラの道』とでも訳すのか、Ruta'l Quesu y la Sidra という見学会を開催しており、洞窟で熟成されるブルーチーズ、カブラーレスチーズ(Queso de Cabrales)の製産現場の見学と、りんごの醸造酒シドラ(cidra)の作り方の説明が受けられます。今朝早く出発したのは、この見学会に参加するためでした。
ちなみにスペイン語でチーズは Queso ですが、ここではアストゥリアス語の Quesu が使われています。村の名もスペイン語のAsiegoに対し、現地表記はAsiegu。これを見てもわかるようにアストゥリアス地方もまた、バスク地方に劣らず独自の文化を持っているのです。
カサ・ニエンブロのバルで見学会の受付をして、しばし休憩です。
このバルでは、シドラがエスカンシアール(escanciar)という作法で注がれていました。瓶を高くかざし、腰あたりに構えたグラスの側壁に注ぎ落とすのです。これはワインのデキャンタージュと同じく、シドラもまた空気に触れさせた方がおいしく、かつ泡立てた方が口当たりがいいからだそうです。この泡が消えないうちに飲むのが良いとされているので、二口三口で飲み切れる分量が注がれます。
この日は日曜日だからか見学会は大盛況で、40人ほどの参加者が二つのグループに別れ、出発。
まず訪れたのは、村の中のごく普通の建物。この建物の中でカブラーレスチーズは作られています。
中に入ると、そこにはたった6帖ほどの部屋が二つだけ。驚くほど小さなスペースしかありません。
手前の部屋には動物の乳を混ぜるステンレスの小さな桶と、おそらく撹拌して温度調整をするための、これまた小さな釜のようなものが置かれています。かつてこうした容器には木が使われていたそうですが、現在は衛生上の観点から、ステンレスに置き換えられたそうです。
カブラーレスチーズに使われる乳は、牛乳を中心に羊や山羊の乳が加えられるそうですが、これは季節や状況により変化するそうです。
奥の部屋にはごく簡易な木のラックが置かれ、その上に様々な大きさのチーズが載っていました。
チーズ製造部屋を出ると、村の散策が始まります。
家々は斜面地にへばりつくように建っており、その向こうにピコス・デ・エウロパが見えています。
この村のほとんどの家は伝統的な石造りで、屋根には素焼きの赤い瓦が載っています。
こんな小さな村にもスペインバブルの波が押し寄せた時代があるといい、新しい工法や材料でこの土地の伝統とは無関係な家を建てた人もいたといいます。
Ruta'l Quesu y la Sidra は二人の兄弟が中心となって10年ほど前に運営を始めました。彼らは羊飼いであり、シドラの作り手でもあるのですが、そういった伝統的な生活やこの村が大好きなのだそうです。それが徐々に壊され、失われていくのを残念に思い、村のことや羊飼いのこと、ここでどのようにチーズやシドラが作られているのかを、人々に知ってほしいと思うようになったといいます。それが Ruta'l Quesu y la Sidra を始めるきっかけだったそうです。
ここは『緑のスペイン』。周囲には木がたくさん生えています。
ヨーロッパでは木が貴重な建築材料である地域がかなり多いのですが、ここはその例外で、バルコニーも伝統的に木で造られています。
私たちのグループの参加者は、私たちを除き全員スペイン人です。スペインの中ではなぜかアンダルシアのある町からの参加者が多く、団体で参加しているのかと思いましたが、これはたまたまだって。
解説はスペイン語のみなので、私たちにはちょっとハードルが高い。この地方ではアストゥリアス語が使われているので、それがどんなものかしゃべってみてくれましたが、私たちはもちろん、アンダルシア人も、今のはわからない、って。
建物を眺め、解説を受けつつゆっくり進んで行きます。しかしいくらゆっくり歩いても、ここは数十戸だけの小さな村なので、あっという間に外へ出てしまいます。
村の外は緑の山。
谷の向こうに隣村が見えています。プエルタス(Puertas)でしょう。あの村は当初訪れるつもりだったのですが、それには暗いうちに出発しなければならずに断念したのです。
案内してくれた羊飼いさんによると、あそこでもカブラーレスチーズが作られているそうです。
その村から視線を下に移すと、私たちが豪快に下った谷が見えています。その道端に赤い屋根の建物が見えます。その横には洞窟があり、そこではやはりカブラーレスチーズが熟成されているとか。
こうした景色を眺めながら、時に羊飼いの生活の話を聞き、時にりんごの製産の話を聞きます。このあたりには他の地方にはいない特別な山羊がいること。スペインで作られているりんごは百種類を越えるけれど、シドラに適したのは酸っぱみがあって秋に収穫されるものであること。
山を少し下ると、どうやらチーズを熟成させる洞窟の前に出たようです。このあたりの山は石灰岩でできていて、こうした洞窟が数多くあるそうです。
山の地形が複雑で洞窟も多いことから、このあたりの山に足を踏み入れる場合は慎重にということでした。なんでも年に一人か二人は行方不明になってしまっているそうです。
上の写真のすぐ奥に洞窟の岩壁があり、そこに人一人がやっと出入りできるだけの入口が開けられています。この入口にはガラス張りのドアが嵌められ、内部が伺えるようになっています。
そのドアから洞窟内を覗くも、真っ暗でほとんど何にも見えません。そこに懐中電灯の光が当てられると、うすぼんやりとチーズのラックが浮かんできました。丸いあのチーズが載っているのが見えます。しかしその数は想像していたものよりうんと少ない。
かつて世界的に有名なチーズの生産地でその工場を見たことがありますが、そこはべらぼうな大きさではなかったけれど、工場でした。カブラーレスチーズはほとんど手作業の伝統的なやり方で製産されており、原材料となる牛、羊、山羊もこの地のものが使われるので、大量生産はできないのだそうです。
この山々を見てください。このどこで牛や羊を育て、りんごの栽培をしているのでしょう。そんなことはほとんど不可能に思えるところです、ここは。
実際、案内人の羊飼いさんも、このあたりに羊がいるはずなんだけれど、今日は見当たらないね、って。
三時間ほどかけて村とその周辺を巡ったあとは、アシエゴ村の中にある食事会場で昼食となります。
その前にここで、季節的に見学できなかったシドラの製産についてのビデオ上映と解説がありました。りんごは秋から初冬にかけて収穫され、機械で潰されてりんご汁を搾り取り、発酵。そして瓶に詰められる。
ここでビールとはどのように作り方が違うのか質問が出ました。ビールは水、酵母、ホップといった副材料を使用するけれど、シドラには一切こうした副材料は使われず、りんごだけからできるのだそうです。
りんごの醸造酒であるシドラは、フランスのシードル、イギリスのサイダーと基本的には同じものですが、ここアストゥリアス州産のりんごの果汁のみを用いたものは、DOPのシドラ・デ・アストゥリアス(Sidra de Asturias)を名乗ることが許されています。
そしてこれはアストゥリアスグラスという定形の薄いグラスで飲まれます。そこに注がれるやり方は先に紹介したエスカンシアールですが、ここではシドラが天井から注がれたから、びっくり。
こりゃ〜うめ〜ぜ!
さて、いよいよ昼食会が始まりました。最初に運ばれてきたのはもちろんチーズです。中央がいわゆるブルーチーズのカブラーレスチーズ。それを取り巻くのはカビがない牛のチーズです。
私たちがよく食するブルーチーズは固めのものが多いのですが、このカブラーレスはとても柔らかで、クリーミーといってもいいほど。これだけで、いくらでもシドラが飲めます。
このあとはこの地方の伝統的な料理が並びます。リョリソ、挽肉そぼろ、白インゲン豆とチョリソやベーコンを煮込んだファバーダ、モルシージャ、豚の肩肉茹、そしてクリームにりんごソースのデザートで、超満腹に。
見学会と昼食で4時間の予定のところを一時間も超過して、その前後を含めると、ここアシエゴ村で過ごした時間は6時間近くになりました。しかしここは、それだけの時間を掛けるだけの価値あるところだったと思います。本当の豊かさとはなにかということを考えさせられる、貴重な体験ができたのですから。
Ruta'l Quesu y la Sidra の扉に写っている年老いた女性の顔を見てください。この方はこの村で、古くからりんごの製産を続けてきたのだそうです。こんな顔になれるのは、その人生がとても豊かだったからに他ならないでしょう。
重い腰を上げ、アシエゴ村を出ます。下りは来るときとは別の道を使ってみました。
そうしたら、そこは案の定ダート!
上の方は砂利が敷かれたばかりでちょっと難儀しましたが、ほどなく締まった路面に変わりました。
少し走りにくいものの、ピコス・デ・エウロパ目掛けてのダイブは気持ちいい。
アシエゴへの分岐点だったカレーニャまで下り、そこから本日の終着地、ラス・アレーナスを目指します。
右手は大きな谷。そしてその向こうには、あのピコス・デ・エウロパの山々がどこまでも続いています。
正面に犬歯のような出っ張りのある岩山が見えてきました。
ラス・アレーナスはあの山の麓当たりでしょう。
徐々に変化していくピコス・デ・エウロパの山々を眺めながら走っていると、アシエゴから見えた特徴ある岩山の一つがよく見えるところに出ました。
2,500mを超える Picu Urriellu です。この独特の形態を持つ山はとにかくよく目立ちます。このあとしばらくは、あの山を目印に走ることができるでしょう。
その周辺の山々も高いものばかりで、多くが2,000m級のものです。
ラス・アレーナスまではあと僅かな距離。
ピコス・デ・エウロパの山々を眺めながら、ゆったり進んで行きます。
ラス・アレーナスのすぐ手前のポオ・デ・カブラーレスまでやってきました。今日は幹線道路を走ることが多かったので、ここから脇道を使ってみることにしました。幹線道路は谷を流れる川の北側を走っていますが、ここからはその南側にも道があるようなのです。
ところが、川沿いを行く道は工事中で通行止め。いったん幹線道路に戻って反対側からアプローチしてみましたが、村はずれの教会を過ぎると道は砂利道になり、丘の上を目掛けて延びています。ということでこの道を進むのは断念し、戻って幹線を。
元の幹線を走ればラス・アレーナスまではあっという間。
ここはこのあたりの村の中では大きい方で、百ほどの建物が並び、バルに加えホテルやレストランも数軒あります。そして繁華街もあります。日本では100戸が集っても村でしかなく、そこには宿屋はおろか食堂さえないことが普通でしょう。しかしここは立派な街であり、すでに都市の様相を呈しているのです。
宿のセニョーラが薦めてくれた、繁華街の一角にあるバルの夕食はすばらしかった。その名もコバドンガという(このあたりでコバドンガといえば、それは水戸黄門の印籠のようなもの)サーモンとチーズとナッツのパテ(サワークリーム添え)はとてもデリケートで深い味わい。もちろんこのチーズはカブラーレス。パプリカ、アンチョビ、オリーブのバルサミコソースは、パプリカの甘みにアンチョビの塩とオリーブの酸味が適度に加わり、これも絶妙。こんな小さな村といえるような街で、極めて美味なものが食べられることに、ちょっとびっくりです。
さて、明日は小さな村々を巡りつつピコス・デ・エウロパの東側に廻り込み、ハイキングの拠点となる街ポテスまでのピコス・デ・エウロパ眺望ルート第二部です。