私たちの宿はガイランゲル(Geiranger)から程近い、ホムロン(Homlong)にあるキャンプ場だ。朝起きると身体中が痛い。筋肉痛だ。これは昨日のハイキングのせいだろう。
朝の気温は11°C。フィヨルドには大型客船が浮かび、その奥にガイランゲル村が見える。ガイランゲル側には雲が掛かっているが、反対側は青空。今日は晴れだ。最高のダルスニッバ(Dalsnibba)日和となった。
ダルスニッバはガイランゲルの南東、直線距離で6km、道路距離で21kmほどのところにある山で、ガイランゲルフィヨルドが望める展望台があることで有名だ。その海抜は1,500m。今日はそれに上る。
キャンプ場を出て、ガイランゲルへ向かう。走り始めは寒いが、清々しい陽気だ。フィヨルドのすぐ上には白い雲が浮かんでいる。遠ざかるとフィヨルドそのものは見えなくなるかもしれないが、この白い雲があれば、目印になるだろう。
ガイランゲルの中心部にあるバス発着所をちらりと見て、Rv63に入る。
ガイランゲルからダルスニッバまではバスがあるので、雨だったらこれに乗車するつもりでいたのだ。昨日まで今日の行程に不安を抱いていたサリーナだが、天気が良いためか、ここでバスに乗るとは言い出さない。
Rv63に入るとすぐに上りが始まる。
滝の横の遊歩道(Fossevandring)の入口にあるノルウェイ・フィヨルドセンター(Norsk Fjordsenter)を過ぎると、その滝になる川が道脇に流れるようになる。
その後ヘアピンカーブが続くようになると、南の山に谷が現れ、そこに何軒かの家が建っている。
この家々がガイランゲルのほぼ最後の民家だ。
下の遊歩道脇の滝は何本かの流れが集まったものだが、そのうちの一本がこれだ。
斜面に沿って流れているので、川のような滝のような流れである。
この滝を過ぎると道がカーブし、フィヨルド側に突き出した小さなテラスがあるところに出る。
ここからガイランゲルフィヨルドへの眺めは大変素晴らしい。
この展望所を出るとすぐ、ちょっとした駐車スペースが現れる。フリーダルスユーヴェッ(Flydalsjuvet)というところで、ここはガイランゲルの展望名所として大抵の案内書に出てくる。
下に、これもまたあの滝になる一筋の流れ、ガイラン川(Geirangelva)があり、その先にガイランゲルフィヨルドが広がっている。このすぐ手前には岩場が張り出しており、そこも展望所になっている。
ここに自転車に大きな荷物を積んだ女性がやってきた。彼女はブルガリアからやってきた学生で、二ヶ月間の自転車旅だという。ダルスニッバに上ったかどうか聞くと、昨日上ってそこで一夜を過ごしたという。どうやらテントはなく寝袋一枚だけのようだ。
『すっごくいいところでした。でも夜は凍えました!』
当然だ。海抜1,500mだ。平地とは少なくとも10°の気温差がある。明け方はもしかすると氷点下だったかもしれない。
『そうなの、そんなに素晴らしいところだったの?』 とサリーナ。
『ええ、ガイランゲルフィヨルドを見下ろす景色はとってもとっても素晴らしいです。でもそこまで上る坂はもの凄くきつかった〜』
『そんなに素晴らしいなら、行って見るかなぁ。。』 とサリーナ。
彼女と分れて、とにかくダルスニッバ方面へ向け出発だ。
谷沿いを行くRv63をシコシコと上って行く。
しばらく上って行くと、先に小さな石造の道路橋が現れる。ここは左手に岩場を切り通した新しい道路が作られているが、これが出来る前は高低差を解消するために、この道路橋が使われた。
これはただの道路橋ではない。19世紀の終わり頃建設されたループ橋だ。橋の歴史はほとんど人類の登場あたりからあったに違いないが、ループ橋はかなり新しいものだろう。270°のループを走って勾配を減少させ、左の新しい道路の高さに導いている。
このループ橋の先にダルスニッバが見えてきた。あの一番天辺にガイランゲルを望む展望台があるはずだ。ここで、
『え〜、まさかこれからあそこまで上るのぉ〜〜〜』 と奇声を上げるサリーナ。サリーナはまだダルスニッバに上る決意は固まっていないようだ。
ジリッ、ジリッと高度を稼いでいく。このコースに下りはない。ダルスニッバまで上り詰めだ。振り返れば、ガイランゲルフィヨルドから延びる谷がずっと続いている。フィヨルドはあの白い雲のところだ。
さらに上り詰め、道の勾配が若干緩むと、オプレンスケダールの滝とキャンプ場の入口だ。この滝までは近いので行って見るつもりにしていたが、サリーナは行かなくていいという。今日はダルスニッバに上るかどうかは別にしても、その入口に建つユープヴァッスヒュッタ(Djupvasshytta)までは上らなければならない。そこでさえ海抜1,000m以上あるのだから、なるべく体力を使いたくないということだろう。
このオプレンスケダールを過ぎると、ヘアピンカーブが連続し出す。
五つか六つヘアピンカーブをこなすと、先の山間から一筋の川滝が落ちているのが見える。あそこがガイラン川の源で、ガイランゲルフィヨルドから延びてくる谷の一番奥だ。
振り返れば、いつしかガイランゲルの上に掛かっていた雲が下に見えるようになっている。
道脇には海抜600mを示す石板が建っているが、まだダルスニッバ展望台までの半分も上っていない。。
横を見るとガイラン川から競り上がった肩にいくつか小屋が見える。
あれはおそらく農場だ。ちょっと遠いので現在も使われているかどうかは不明だが。
ガイラン川が落ちてきているところはヘアピンカーブになっており、小さな駐車スペースがあるので、ここでひと息付く。
この先は谷の南側の斜面を這い上っていく。
ここでフィヨルドとはしばし別れなければならない。
ヘアピンカーブの折り返しの先には雪を残した山の頂が見えている。
気温は15°Cまで上がっているが、風が出てきていて寒い。
カーブから500mほど行ったところにテーブルとベンチがあったので、ちょっと休憩がてら弁当の半分をいただく。ここからフィヨルドはもう見えないが、谷から立ち上がる山がきれいだ。
ここに一組のスペイン人の家族がやってきた。どうやらダルスニッバから降りてきたところらしいので、サリーナがどうだったか聞くと、
『それはあなた、とっても素晴らしいわ。自転車では大変だと思うけれど、是非行くべきよ。』 という。
『ん、わかった。トライしてみる。』 とサリーナ。
あれ、本当に行く気かな、と半信半疑のサイダー。
昼食後も上りは続く。
そしてカーブも連なっていく。この道はオプレンスケダールから20のカーブがあると言われている。
最後のヘアピンカーブを廻ると、正面にダルスニッバが見えた。あの一番高いところに展望台があるはずだ。
目をよく凝らして見てみると、頂部の平たく見えるところは人工的な構造物で、何人か人がいるのがわかる。
ヘアピンカーブが終わっても緩いカーブはまだ続く。そしてその横を、ガイラン川から見えた岩山の稜線が走っていく。
海抜900mを過ぎると、左手に川が流れ出した。この川は先のガイラン川の支流のようだ。
うしろにはガイランゲルフィヨルドから続く谷を形成する山々が見える。
このあたりは前も後ろも絶景だ。
海抜1,000mを越えると、それまで上りだった道はほぼ平坦になる。
左手の川がなくなると久々に建物が現れる。
その先で逆に右手に川が現れるようになると、道は穏やかに下り出す。
するとすぐに先に湖が現れる。ユープ湖(Djupvatnet)だ。
Djupは英語のDepthのことのようなので、この湖は深いということだろうか。
湖の畔にはユープヴァッスヒュッタが建っている。ダルスニッバへはその前の分岐を左に上がっていくのだが、ひとまずこのヒュッテで休憩だ。
コーヒーをすすり終わると、
『じゃあ、行くか。』 とサリーナ。
『ん、どこへ?』 とサイダー。
『ダルスニッバよ!』 とサリーナ。
『え〜〜〜っ!!』
いつのまにかサリーナはダルスニッバに上る決心をしていたらしい。一方のサイダーは、ここまでの景色で充分に楽しめたので、ダルスニッバには上らなくてもいいかと思うようになっていたのだった。しかしサリーナが行くと言うなら行くしかあるまい。だがいったん緩んだ帯を締め直すのは結構大変だ。
ダルスニッバへ上る道は私道だそうで有料道路だが、自転車はタダだ。料金所の人は私たちを見るとニヤリとして、『まあ、がんばんな。』という感じで見送ってくれた。
いよいよ上りが始まる。ユープヴァッスヒュッタは海抜1,030mで、ダルスニッバは1,500m。まだ500mも上らなければならない。これはここまでまだ2/3しか走っていないということだ。
しかも勾配はガイランゲルからここまでは6%ほどだったが、ここからは9%近くに跳ね上がる。上れるのか。
とにかくゆっくり、えっこらよっこらと上り詰めていくと、所々になにがしかの案内板が建っている。近付いて見てみると、これらはその場所の歴史などを解説したものだった。
そうしたところで足を停めて休憩をしながら上って行く。
ゆっくりでもなんでも前に進んでいれば、いつかは目的地に到達する。
目の前にヘアピンカーブが現れた。これが次から次へとやってくるから、心が折れそうになる。
振り返ればあのユープ湖がだいぶ下になっている。
そしてその手前には折り重なる道が見える。
連続していたヘアピンカーブを抜けると、道はほぼ真っすぐになる。
真っすぐな道の勾配は大抵は緩いものだが、ここは違った。益々勾配が上がったように感じる。いやこれは感じるだけで本当はどうなのか。先が見える直線の上りってものは、精神衛生上よろしくない。
右に緩いカーブを描きつつさらに上って行くと、ついに先に展望台が現れた。
この展望台の直前、なんとここに来て道は下ってから上っている。上りの途中の下りというのは、嬉しかったり悲しかったりといろいろだが、ここはあんまり嬉しくないかな。
まあそれでも目の前に展望台が見えるから、なんとか気を落とさずにがんばる。
下った底で右手を見ると、岩山がずっと続いている。
雪の原の上では南方から来た人々か、雪の感触を味わっているらしい。
左手は谷で、私たちがさっき上っていた、海抜900mあたりが見えている。
下りの反動を使って一気に最後の坂を駆け上ると、ようやくダルスニッバの展望台に到着だ。
正直、ここはきつかったぜ。
私たちが上ってきたのを見て、展望台にいた人々が拍手で出迎えてくれた。
『いや〜君たち、凄いね。おめでとう!』
『はい、がんばりました〜』 とサリーナ。
ここの拍手は正直、うれしかったなぁ。
展望台から振り返れば、たった今通ったばかりの、上りのあとの下り坂が見えている。
その向こう側には、まだかなり雪を残した山の稜線が続く。
肝心の展望台はというと、駐車場の先にガラスの手摺があるだけだが、この手摺のあるあたりは地面からかなり突き出ていて下が透けて見え、ちょっと恐ろしい。
北を見れば、ガイランゲル方面の素晴らしい景色が展開している。
奥にガイランゲルフィヨルド。そしてそのフィヨルドを取り巻く山々。下にはわっせわっせと這い上ってきたうねうね道が見える。
ダルスニッバ、最高です。上った甲斐がありました。
ひとしきり景色を眺めたら、テーブルで遅めの昼食をとる。昼前に弁当の半分をいただいているので、これは昼食というより午後のおやつか。
展望台で一時間ほど過ごしたら、下山だ。
このあたりの山はみんな標高1,500m程度だが、向かいのそれは高い方で1,600mを越えるためか、雪が一番多く残っている。
ここから見るとまったく人が入っていないようで、とてもきれいだ。
直線基調の下りは、豪快に滑るようにして下って行く。
これまでノルウェイで出会ったサイクリストは今朝のブルガリア人の女性だけだったが、この下りの途中で、カップルで上ってくるサイクリストに会った。しかしこちらは下り、あちらは上りなので、『ハーイ!』 と言って挨拶しただけだった。
直線の次はヘアピンカーブだ。ここはオーバーランしないように慎重に行く。
下にユープ湖が見えてきた。
ユープヴァッスヒュッタでトイレを借りて、身支度を整え直し、ユープ湖の畔を進んで行く。
今日の終着地はグロットリ(Grotli)だ。
ユープヴァッスヒュッタからそこまではもう下りだと思っていたら、このユープ湖の畔は緩いながらも上りだった。軽いショックを受ける。
ユープ湖が終わると道が下りになり、道脇には細い流れが現れて、下の湖に繋がっていく。
下の湖はラン湖(Langvatnet)だ。
Langvatnetは長い湖という意味で、その名の通りこの湖はひょろ長い。
この湖畔にちょっとしたテーブルが設えられているところがあったので、そこで小休止をしていると、隣のテーブルにやってきていた家族からお茶に誘われた。
彼らはUAEから来て何ヶ月か旅しているという。この三人の他に女性が数人いたが、彼女たちは宗教的な理由からか、写真には納まらなかった。
長いラン湖が終わると、Rv15が合流して交通量が多くなる。
ここからRv15の北に細道が続くようになるのだが、これは走り難そうな砂利道だった。ダルスニッバへ上らずに体力が残っていたら、この砂利道を進んだかもしれないが、この日はもうあんまりチャレンジする気分ではないので、Rv15を進むことにする。
小さな二つのベアリング湖(Lagervatnet)が連なり、ブレイダール湖(Breiddalsvatnet)へと続く。
ブレイダールの意味はわからないが、この湖はこれまでのものと比べるとかなり大きく、空間がぐっと広がる。
ラング湖からは下り基調だが、このブレイダール湖の畔には少しアップダウンがあって、これはちょっとこたえた。
なんとかブレイダール湖の東端にあるグロットリの宿に到着した。この宿は1860年に建てられたもので、外観はロッジ風。内部のパブリックの内装はシックでなかなかよい。
今日はかなり大変だったが、ダルスニッバに上ったのは正解だった。ユープヴァッスヒュッタまでの道のりだけでもかなり満足できるものだったが、やはりダルスニッバからの眺めは格段によい。
さて、明日は休養日としたいところだが、そうはいかない。明日はロム(Lom)でスターヴ教会を見て、ボベー谷(Boverdalen)を上らなければならない。85kmと、私たちにとっては少し長い距離になる。