灼熱の羽田空港
2025年の夏はとんでもない暑さになりました。統計を取り始めてからもっとも暑い夏だったそうです。そんな夏の初めに夏休みの計画を始めました。高地なら少しは涼しかろうと最初はピレネー山脈を予定していたのですがこれは宿で躓き、それならばとアルプスにシフト。しかしアルプスはきついので前半にブルゴーニュを組み入れることにしました。
ところが6月のフランスは猛暑も猛暑、かつてない暑さで、エアコンがない家が多いフランスの人々は、1日に何度もシャワーを浴びて凌いでいるとか。
ロアシー=アン=フランス
うわ〜、どうしよう〜 そんなんだったら家でエアコンかけて寝ている方がいいんじゃないか! なんて言っていたら、7月に入ると先月の暑さが嘘のように穏やかな気候になったという情報が。ホッ!
で、やってきました、パリに。写真はシャルル・ド・ゴール空港近くのロアシー=アン=フランスというところで、21時近くですがまだ明るく、気温は20°Cほどととても涼しいです。
いや〜、快適快適! はるばるフランスまでやって来た甲斐があるというものです。 😄
コンコルド試作初号機の車輪
ここが空港の近くだからか、ホテルの前の公園の一角に超音速旅客機コンコルドの試作初号機の車輪が展示されていました。
コンコルドはフランスと英国との共同開発で、初飛行は1969年、商業運航開始1976年、商業運航終了・完全退役2003年。マッハ 2.04 (時速 2,179 km)で飛び、当時、パリやロンドンからニューヨークまで7~8時間かかっていた時間を3.5時間にまで短縮しました。これは当時の東京-大阪間の新幹線とほぼ同じ時間です。コンコルドの形状は当時としては異例で、機体の後端まで続く三角形の主翼、そして離着陸時などの視界確保が必要な時は機首を下げ、高速飛行時には抵抗を減らすために水平にする可変機首を持っていました。子供の頃に憧れた飛行機です。
カルフール
夕食がまだなのですが、この時刻ではレストランに行くのはちょっと重いので、スーパーマーケットに買い出しに行きました。これは日本の幕張に進出したこともあるカルフール(Carrefour)。朝は7時、夜は22時までやっているので大助かりです。
この向かいにはライバルのカジノ(Casino)もあります。この2つのスーパーマーケットはちょっとした町には必ずといっていいほどあり、今回の旅ではかなり使わせてもらいました。
サンドイッチの材料
今宵の宿には小さなシンクと電子レンジはありますが火が使える機材はないので、買ってきたのは簡単にサンドイッチにできるもの。明日の朝食にもできますし、ランチボックスも作れますからね。
奥に見える『1664』はフランスでもっともポピュラーなビールと言ってよいクローネンブルグのラガータイプ。その横の黄色いプラスチックボトルはアモラ(AMORA)のマスタード入りのマヨネーズ。マスタードは日本ではマイユ(Maille)が有名ですが、アモラはより現代的でパンチが効いた味わいに仕上げられていて、こちらでは非常に人気が高いです。今回の私たちの旅ではこの2つにはとてもお世話になりました。
スーツケースに入った自転車
私たちは海外の旅ではいつも自転車はスーツケースに入れて持ってきます。日本での電車輪行の際よりは取り外さなければならない部品がありますが、とにかく飛行機では手荷物として預けられ、簡単に運べるので便利です。さっそく組み立てて明日に備えます。
ロアシー=アン=フランスのホテル前
07月30日、いよいよパリ・サイクリングの始まりです。今日はロアシー=アン=フランスの宿を出て、ウルク運河(Canal de l'Ourcq)、サン・マルタン運河(Canal Saint-Martin)と繋いでセーヌ川(Seine)に入り、パリ中心部を巡って19区の宿まで。
宿近くの自転車道
宿を出るとすぐに自転車道がありました。フランスはここ数年で自転車道の整備が物凄い勢いで進み、世界有数の自転車大国になったのです。
続自転車道
ここは空港の引力圏で、すぐ横には巨大施設が立ち並び大きな道が通っているのですが、それらから緑地帯で隔てられた自転車道は快適そのもの。
高速道路に架かるオーバーブリッジ
このあたりには高速道路や大きな道が何本も通っているのですが、そういったところもオーバーブリッジでストレスなく渡れます。
このあと入ったジョルジュ・クレマンソー通りは自転車は歩道を走る設定のようで、この歩道はちょっと狭いのですが、それでもきちんと繋がっていてウルク運河まで延びています。
ウルク運河降り口
ウルク運河を渡りました。運河への降り口には青い自転車マークの標識が見えます。
ウルク運河
この運河はナポレオンの時代である19世紀初頭に、急増するパリの人口に対応するため、飲料水や生活用水を供給することを最大の目的として、ウルク川の水を引いて建設されました。始点はマレイユ=シュル=ウルク(Mareuil-sur-Ourcq)、終点はラ・ヴィレット貯水池(Bassin de la Villette)で、なんとその全長は97kmにも及びます。
ヴェール・ギャラン駅近くの歩道橋の下を行く
当時のパリは劣悪な衛生環境で、道路の舗装や洗浄、下水道の整備に必要な水を供給し、これらも改善されていったのです。そしてセーヌ川と結ばれたため、穀物、木材、建築資材などの物資をパリに輸送する水路として機能しました。
上にヴェール・ギャラン駅 (Gare du Vert Galant)に繋がる歩道橋が見えます。この駅からシテ島(Île de la Cité)横のサン=ミシェル=ノートルダム (St-Michel Notre-Dame)駅までは電車で30分ほどです。
ウルク運河を行くサイダー
しかし運河の周囲にはかなり厚い樹木が配され、ほとんど森のようになっていて、ここが都市であることを完全に忘れさせてくれます。
凄いぞ、パリ!
『火薬工場公園の橋』
石造の橋が見えてきました。この橋の名はどうやら『火薬工場公園の橋(Pont du Parc de la Poudrerie)』というようです。かつてこのあたりにあった火薬工場の鉄道輸送を担うために建設されたものだそうです。現在その跡地は大きな公園になっています。
このあたりの運河沿いは地道で、時々水溜まりがあったりするのですが、しばらく行くと舗装路になります。
水門の歩道橋とカルガモ
周囲の木々が薄くなってきて家々が見え出すとセヴラン(Sevran)の『水門の歩道橋(Passerelle de l'écluse)』をくぐります。すると運河の幅が広がりました。水面ではカルガモが泳いでいます。
セヴランの水門
水門ってなんだろな〜と思っていると、このすぐ先に閘門がありました。閘門のすぐ隣には、運河の余分な水を放出するための越流堰が設けられているため、ここで運河の幅を広げたのですね。
『失われた庭園の歩道橋』
閘門を通過すると再び運河の幅は狭くなります。この運河には歩道橋がたくさん架けられていますが、オーネ・スー・ボワ(Aulnay sous Bois)のそれは緩いアーチを描く木造橋です。この橋の名は『失われた庭園の歩道橋(Passerelle des Jardins Perdus)』と言うそうですが、どのような庭園があったのかちょっと興味をそそられます。
広がったウルク運河
再び運河の幅が広くなりました。このあとはずっとこの幅で続きます。
運河沿いにはきれいな並木があり、その運河側と外側とに小径があります。運河側は地道ですが外側のそれは舗装路なので、外側が自転車用という設定なのでしょう。
浚渫船
運河は勾配が緩く流れが穏やかなので泥が溜まりやすく、これを放置すると堆積して船の運航に支障をきたすため、定期的に浚渫しなければなりません。写真の船がその作業をする浚渫船のようで、前方に泥を掻き出すための装置が見えます。
パンタン
周囲の景色は、森から戸建住宅、そして集合住宅というふうに建物が徐々に大きくなってきて、ついにオフィスビルが現れるようになりました。ここはパンタン(Pantin)という街で、元々は工業地帯でしたが、近年その産業遺産を活かした再開発が進みクリエイティブなエリアとして注目されています。正面に見える大きなビルはかつてあった巨大な製粉所の建物を再利用したグラン・ムラン・ド・パンタン (Grands Moulins de Pantin) で、このあたりのランドマークになっています。
ラ・ヴィレット公園
グラン・ムラン・ド・パンタンの先で環状道路をくぐるとパリの19区で、ラ・ヴィレット公園(Parc de la Villette)に入ります。その敷地は55haもあり、パリ市内でも最大級の規模の公園です。
この赤い建物はフォリー(Follies)といい園内にたくさんちりばめられているのですが、それぞれ、情報提供やカフェ、展示スペースなどの役割を持っています。
ラ・ジェオードとシテ科学産業博物館
ここは元は食肉処理場(屠殺場)でしたが、パリの再開発計画『グラン・プロジェ』の一環として、1980年代に文化・科学・レジャーが融合した広大な都市型文化公園に生まれ変わりました。
公園の真ん中をウルク運河が東西に通っており、北側には輝いたドームが目立つ映画館『ラ・ジェオード』とシテ科学産業博物館が見えます。
メリーゴーランド
ここで空から冷たいものが。雨です。今日の天気は曇ですが、ところによってはにわか雨があるかもとの予報でした。ここでそのにわか雨に当たったということですね。ということで雨宿りによい場所を探していると、メリーゴーランドがありました。
このメリーゴーランドのテーマはフランスの著名なSF作家ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)にちなむもので、『海底二万里』『八十日間世界一周』などをモチーフにしています。潜水艦のノーチラス号や気球、飛行船、ロケットなど、楽しいものがいっぱいです。
ポン・クラクール
公園を出るとラ・ヴィレットの街に入ります。そこには1990年代に廃線になったプティト・サンチュール線 (Ligne de Petite Ceinture) のポン・クラクール (Pont Craqueur) の愛称で呼ばれる鉄橋(1892年再建)が架かります。Craqueurは『きしむ』といった意味で、橋の名はかつて列車が通過する際に立てていた独特の軋む音に由来すると言われています。この鉄橋には現在もレールが残されており、何にも使われていませんが、それにぴったりくっつけられる形で歩道橋が設置されています。レール自体はこの場所の歴史的遺産としてそのまま残され、線路の上は整備が行われていないため立ち入りが禁止されているようです。
オテル・ティルド
ポン・クラクールをくぐるとウルク運河の終点のラ・ヴィレット貯水池に入りますが、それを眺める前に今宵の宿に立ち寄って荷物を降ろします。
ラ・ヴィレット貯水池
ラ・ヴィレット貯水池は1808年に注水されました。ウルク運河、サン・ドニ運河、サン・マルタン運河という歴史的な運河網を結ぶ重要な中継地点であり、パリ最大の人工水域です。このあたりはかつては商業の中心地でしたが、現在はレジャーと文化の中心地へと変貌を遂げており、カヌー、ボートなどのウォータースポーツはもちろんのこと様々なアクティビティ行われており、湖畔には映画館や文化施設が立ち並んでいます。
噴水とラ・ロトンド・スタリングラード
ラ・ヴィレット貯水池の南西端にはフランス革命直前の1788年に完成したラ・ロトンド・スタリングラード(La Rotonde Stalingrad)が立っています。ここは、当時パリに持ち込まれるすべての商品に対して税金を徴収するための税関でした。
そのため当時の市民からは非常に不人気な建物でしたが、現在はレストランやバーが入る複合施設として再生され、パリジャンにとって活気ある社交の場となっています。
サン・マルタン運河沿い
ラ・ロトンド・スタリングラードの前を通ってサン・マルタン運河沿いの道に入ります。この道をまっすぐ行くとセーヌ川に出ます。
サン・マルタン運河はウルク運河とともにナポレオン統治下で建設が決定され、1825年に開通しました。ウルク運河が主に上水道の供給という役割を担ったのに対し、このサン・マルタン運河は主に物資の運搬を担う水運ルートの役割を果たしました。この運河にはたくさん水門があり、そうしたところには魅力的な橋が架かっています。
アルレッティ歩道橋
これはフランスの有名な女優・歌手であるアルレッティ(本名: Léonie Marie Julie Bathiat, 1898–1992)にちなんで名付けられたアルレッティ歩道橋(Passerelle Arletty)。
その下に見えるのは水門(閘門)で、少し離れたところにもう一つ同じようなものがあり、水位を調整して船を通しています。アルレッティ歩道橋が大きなアーチを描いているのはその下を船が通るからです。
マリア・シュナイダー歩道橋
人名橋はまだまだたくさんあります。アーチ橋はマリア・シュナイダー歩道橋(Passerelle Maria Schneider)。その手前のサイダーが立っているのはベルナデット=ラフォン橋 (Pont Bernadette-Lafont)。この二人も女優だって。フランスでは橋に人の名を与えることが多いのですね。
ベルナデット=ラフォン橋は車も通れる橋ですが、これは歩道橋のようにアーチにするわけにはいかないので旋回橋になっています。
レピュブリック広場
サン・マルタン運河のすぐ近くにレピュブリック広場(Place de la République)があるので立ち寄ってみます。
ここはパリを象徴する重要な広場の一つで、その名の通り「共和国」を体現する場所であり、市民の集会やデモが頻繁に行われる社会的な意味合いの強い場所です。かつては車が入ってこられるところでしたが、10年ほど前に歩行者や自転車のためのスペースを大幅に拡大する大規模な再整備が行われました。
マリアンヌ
広場の中央には共和国のシンボルである記念像(Statue de la République)、マリアンヌのブロンズ像が立ちます。このマリアンヌはフランス共和国の擬人化された象徴であり、「自由」「平等」「博愛」の精神を体現しているといいます。1883年に設置されており、基部には共和国の理念を象徴する様々な彫刻が施されています。
それらの中でもライオンは非常に重要な象徴的な意味を持っています。共和国の価値観の基盤となる「市民による権利(普通選挙)」の強さを表現するために、像の最も低い市民に近い位置に置かれ、その横には普通選挙の投票箱があります。
ギマールのメトロ入口
レピュブリック広場付近から南のサン・マルタン運河は暗渠となり、その上部の多くは公園になっています。そんなところにメトロ5号線のブレゲ=サバン(Bréguet - Sabin)駅の入口がありました。これはエクトール・ギマール(Hector Guimard, 1867-1942)によるデザインで、アール・ヌーヴォー様式を代表するものの一つです。時代とともにこのタイプの入口は失われて少なくなっているのですが、長く残って欲しいデザインです。
バスティーユ広場
サン・マルタン運河の南の端近くにはフランス革命の始まりの地として有名なバスティーユ広場(Place de la Bastille)があります。この広場の名はかつてこの場所にあった強大な要塞(後に監獄に転用)であるバスティーユ牢獄に由来します。 1789年7月14日、当時の王政に不満を持った市民がバスティーユ牢獄を襲撃し、これをきっかけにフランス全土に革命の火が広がりました。この7月14日はフランスでは革命記念日(建国記念日)として祝日となっています。
広場の中央には7月革命記念柱(Colonne de Juillet)が立ちます。この塔はフランス革命を記念するものだとばかり思っていましたが、実はそうではありませんでした。これは1830年の7月革命(七月王政樹立に繋がった市民革命)の犠牲者を追悼するために建てられたものだそうです。塔の上には一般に『自由の天使像』と呼ばれる、黄金に輝く『自由の精(Génie de la Liberté)』の像が飾られています。
アルスナル港
バスティーユ広場の南はアルスナル港(Port de l'Arsenal)で、サン・マルタン運河はこの港を介してセーヌ川に接続しています。
アルスナル港はかつては貨物港でパリ市内の重要な貨物輸送拠点でした。ウルク運河、サン・マルタン運河を経由して運ばれてきた木材、石炭、穀物などが、ここでセーヌ川の水運網に積み替えられていました。しかし現在はレジャー用のマリーナへと生まれ変わり、市民や観光客にとって人気の水辺の空間となっています。
アウスターリッツ橋よりセーヌ川を望む
アルスナル港を抜けるといよいよセーヌ川です。遠くにノートルダム寺院の双塔と工事用の巨大なタワークレーンが見えます。
このあたりのセーヌ川は左岸が公園になっているので、アウスターリッツ橋(Pont d'Austerlitz)を渡って川辺に下ります。
セーヌ川左岸の公園
セーヌ川左岸の公園は広い遊歩道とでも言うべきもので、公園というほどの風情はありませんが、それでも水面が近いのでまずまずいい雰囲気です。
工事中のノートルダム寺院
シテ島が近づくとノートルダム寺院が見えてきます。その対岸のこちら側は地図にはモンテベロ港(Port de Montebello)とあり、セーヌ川のクルーズ船の乗り場になっているようです。
ノートルダム寺院のアプス側はフライングバットレスは見えますが、それ以外は工事用の足場で囲われています。ご存知のようにこの寺院は2019年4月15日からの火災により尖塔とその周辺の屋根が崩落し、現在修復中です。しかし尖塔と屋根はほぼ修復を終えたようで、ここからもはっきりそれらの姿が確認できます。
ノートルダム寺院南側
13世紀の壮麗なバラ窓は3つとも無事で、2つの鐘楼と正面部は損壊を免れたのことが不幸中の幸いと言えるでしょうか。ここからはバラ窓の中でも最も古いものとして有名な、直径13mもある南面のそれがよく見えます。
このノートルダム寺院がよく見えるセーヌ川の畔でランチボックスを開きました。
ノートルダム寺院付近の自転車レーン
この先のセーヌの公園は石畳になって走りにくいので、ここで上の道に戻ります。ノートルダム寺院は帰りに立ち寄るとしてエッフェル塔へ向かいます。ところがここで再び雨。幸いにしてそう長い時間は降らなかったのでちょっと雨宿りをして再出発です。
パリは数年前から自転車レーンの整備に取り組んでおり、メジャーな道路にはすべてと言っていいほどにそれが設えられていて、安全に通行できます。ノートルダム寺院付近の歩道には観光客向けの絵画を売る店がずらりと並んでおり、それを横目に自転車レーンを進んでいきます。
ルーヴル美術館
対岸はルーヴル美術館。長大な建築物です。この建物は元々はフランスの王宮でした。ルーヴル美術館が現在入っている建物全体は『ルーヴル宮殿(Palais du Louvre)』と呼ばれ、その歴史は非常に古く、複数の段階を経て変遷してきました。
最初の建物はヴァイキングなどのセーヌ川からの侵入者からパリを守るための要塞として、12世紀後半にフィリップ2世によって築かれました。16世紀になるとその中世の要塞が取り壊され、イタリア・ルネサンス様式を取り入れた壮麗な王の居城(宮殿)へと大規模な改築が進められました。その後、アンリ4世やルイ13世、ルイ14世といった歴代の王によって増築が続けられ、広大なルーヴル宮殿が形成されたのです。しかしフランス革命後の1793年、『諸芸術中央美術館』として王室の収集品が一般に公開され、正式に国立美術館として開館しました。
オルセー美術館横を行く
ルーヴル美術館のセーヌ川を挟んだ対岸には印象派の作品を中心とする19世紀美術専門のオルセー美術館が立ちます。
この建物は、元々はフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナル駅で、内部には美しいボールト天井があります。
アレクサンドル3世橋
パリで最も美しい橋として名高いアレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)。豪華なベレ・エポック様式で1900年のパリ万国博覧会に合わせて開通しました。
エッフェル塔の麓からセーヌ川クルーズへ
エッフェル塔(Tour Eiffel)の近くまでやってきました。ここはブルドネ港(Port de la Bourdonnais)でセーヌ川のクルーズ船がたくさん並んでいます。私たちが買った航空券にはバトー・パリジャン(Bateaux Parisiens)というクルーズ会社のチケットが付いていたので、乗ってみることにしました。ルートはここエッフェル塔の麓からセーヌ川を上り、シテ島の東に浮かぶサン・ルイ島(Île Saint-Louis)を回って戻ってくるというもの。私たちが今自転車でやってきたルートを逆に辿るわけです。
さて、いざ、クルーズへ出発!
グラン・パレ
アレクサンドル3世橋の一本西側のアンヴァリッド橋までやってくると、その北には巨大なガラス張りのグラン・パレが立っています。グラン・パレは、「大きな宮殿」という意味で、パリの文化と芸術を象徴する壮麗な建物です。1900年のパリ万国博覧会のメイン会場として建設されました。ボザール様式(古典主義)の外観と、鉄骨とガラスを大胆に使用したアール・ヌーヴォーの融合で、当時の最先端技術と伝統が組み合わされています。用途としては基本的にはイベント会場で、2024年のパリオリンピック・パラリンピックでは、フェンシングとテコンドーの会場として使用されました。
セーヌから見たアレクサンドル3世橋
アレクサンドル3世橋までやってきました。この橋は見てわかるようにセーヌの中に橋脚を置かない、低い単一の鋳鋼製アーチ橋です。ここから見ると『最も美しい橋』というのも頷けます。
アレクサンドル3世橋中央部の彫刻
その中央部にはニンフ(水の精)をモチーフにしたブロンズ像が置かれています。この下流側のものは『セーヌ川のニンフ(Nymphes de la Seine)』で、上流側にはサンクトペテルブルクを流れるネヴァ川を象徴する『ネヴァ川のニンフ(Nymphes de la Neva)』があります。
続々クルーズ船
そうそう、この前のパリ・オリンピックの開会式は見事でしたね。このセーヌ川のクルーズ船に各国の選手たちが乗って、それが何十隻と連なっていました。私たちの船の前にも後ろにも同じようなクルーズ船がたくさん走っています。ここにはいったいどれほどのクルーズ船があるのでしょう。
オルセー美術館全景
自転車でその前を通った時は全景を写せませんでしたが、セーヌからのオルセー美術館の全景です。こうして見ても、この建物がかつては駅だったとはとうてい信じがたいです。
ノートルダム寺院の2つの鐘楼
ノートルダム寺院の2つの鐘楼が見えてきました。外壁はきれいに洗浄され、ここからは火災の形跡は見当たりません。しかし北の塔の8つのカリヨンは損傷を受けたのですが、現在は修復を終えて塔に戻されたと聞きました。これでミサで鐘が鳴らせますね。よかったですね。
シテ島を過ぎ、サン・ルイ島の先のアウスターリッツ橋が見えたところで船はUターン。シテ島からサン・ルイ島にかけてはセーヌは一方通行で、上りは島の南側を、下りは北側を通ります。
サン・ルイ島横のパリ・プラージュ
サン・ルイ島の北側にはパリ・プラージュ(Paris Plages)、直訳すると『パリのビーチ』というものがあります。これは猛暑の夏にバカンスに出かけられないパリ市民や観光客に、リラックスできる場所を提供することを目的に設営されたもので、ここはブルーのパラソルとデッキチェアが並んでいます。大抵観光地ではこうしたものは有料ですが、パリのビーチは無料だそうです。
マリー橋
シテ島とサン・ルイ島周辺は、『パリ発祥の地』にふさわしく、歴史的に重要かつ有名な橋が多く架かっています。これはサン・ルイ島と右岸(マレ地区)を結ぶマリー橋 (Pont Marie)。1635年に完成した当時の古い姿を比較的保っており、歴史的な趣があります。
この橋、船がぎりぎりですね〜
ポン・ヌフ
シテ島の西端で右岸と左岸を繋ぐポン・ヌフ (Pont Neuf)は「新しい橋」という意味ですが、完成は1607年でパリの現存する橋の中で最も古いものです。
パリで初めて橋の上に家や店が建たなかった橋であり、歩道が設けられた画期的な橋でした。その中央にはアンリ4世の騎馬像が立っています。
ポン・ヌフのマスカロン
ポン・ヌフを船から見上げると、橋のアーチの側面にたくさんの顔の彫刻並んでいます。これは『マスカロン(Mascarons)』と呼ばれています。
マスカロンはゴシック様式やルネサンス様式以降は単なる装飾として用いられることも多くなりましたが、建物を邪悪なものから守るための魔除けとしてローマ時代から用いられてきたものです。この橋にはなんと380個を超えるマスカロンが取り付けられているそうです。
アレクサンドル3世橋とエッフェル塔
アレクサンドル3世橋まで戻ってきました。橋の四隅にには高さ17mの花崗岩の柱が立ち、その頂部にはペガサスや女神像など金色のブロンズ像が飾られています。これらは「芸術」「科学」「商業」「産業」などの寓意を表しているそうです。
セーヌからエッフェル塔を見上げる
エッフェル塔の下まで戻ってきました。いや〜、1時間のセーヌ川クルーズ、パリの見所の半分は見た気分です!
エッフェル塔の前で
以上でセーヌ川クルーズは終了。エッフェル塔の下まで行ってみましょう。
このエッフェル塔の下の公園にはかつて噴水があったと思うのですが、この時は見当たりませんでした。ここはオリンピックで使われたようなので、その影響でなくなってしまったのでしょうか。ちょっと残念です。
自由の炎
さて、エッフェル塔からはセーヌ川を渡ってシャンゼリゼ通りへ出てみましょう。アルマ橋の北詰めには『自由の炎(Flamme de la Liberté)』があります。これはアメリカの自由の女神が掲げる炎のトーチの正確なレプリカで、その高さは約3.5m。金色ですがブロンズ彫刻です。
これが置かれているところにはダイアナ広場(Place Diana)という名が付いています。英国のダイアナ元妃は、この炎のモニュメントの真下を通るアルマ橋のトンネルで亡くなったのです。
凱旋門
シャンゼリゼに出ました。ツール・ド・フランスのゴール地点である凱旋門。
相変わらずこの通りは車が多いですね。
ブラッスリー・フーケ
パリの「黄金の三角地帯」の中心に位置するのはブラッスリー・フーケ(Brasserie Fouquet's Paris)。歴史とエレガンスを体現する老舗の伝統的なブラッスリーです。豪華で洗練された内装、赤いオーニングが目印の広いテラス席が有名です。
プティ・パリ
シャンゼリゼにも自転車レーンはあるのですがちょっと走りにくいので、グラン・パレがあるウィンストン・チャーチル通りで離脱。これは小宮殿という意味のプティ・パレ(Petit Palais)。グラン・パレの向かいにあり、ほぼそれの鏡写しのように設計された建物です。グラン・パレと同じく、1900年のパリ万国博覧会の際に美術作品展示施設として建設されましたが、現在はパリ市立美術館になっています。
アレクサンドル3世橋を渡る
アレクサンドル3世橋は是非渡らなければならないでしょう。この橋の広いこと広いこと。しかもその幅の半分を歩行者と自転車のスペースとして使っています。いや〜、これにはびっくり。パリ、すごい!
正面は軍事博物館(Musée de l'Armée)ですがこれは元はオテル・デ・ザンヴァリッド(L'Hôtel des Invalides)という施設で、ルイ14世が、戦争で負傷したり、老齢や病気で軍務を続けられなくなった傷病兵や退役軍人のための居住・療養施設として創設したものでした。
コンコルド広場
コンコルド広場(Place de la Concorde)の中央には高さ約23mのオベリスクが立っています。これは古代エジプトのルクソール神殿にあったものです。そこにはヒエログリフが刻まれており、頂上は金色に輝いています。
この広場の歴史には血なまぐさいものもあります。かつてここにはギロチン台が設置され、ルイ16世やマリー・アントワネットをはじめ、多くの王侯貴族や革命家たちが処刑されたのです。
少し前までここは車のロータリーでしたが、オリンピックの会場となった影響でか、今日は車は入ってこられないようです。パリはオリンピックを契機として交通体系などの見直しを図っているように見えます。
ポン・ヌフを渡る
ポン・ヌフを渡ってノートルダム寺院へ行きましょう。この橋も結構広く、とても17世紀初頭の建造とは思えないほど立派です。
カフェ
ちょっと疲れたのでカフェで休憩です。パリのカフェはどこも居心地がいいです。ただし円安と物価高で、ハンバーガーも600mlの麦酒も3,000円近くしますし、ランチは5,000円で食べられればいい方なので、財布の紐を締めないとすぐに破産してしまいまいそうです。
ノートルダム寺院のファサード
一服してノートルダム寺院の前にやってきました。西側のファサードは洗浄されてきれいになっています。とにかくこのファサードがなくならなくて本当によかったです。すでに内部の見学もできるようでしたが、かなり長い行列だったので今回はパスしました。
パリ・プラージュを行く
船から見たサン・ルイ島の北側のパリ・プラージュです。なるほど、こんなふうにのんびりできるところがあったらいいですね。
ジェーン・バーキン歩道橋
さて、以上でパリ中心部のサイクリングは終了です。サン・マルタン運河に入って宿に戻りましょう。
これは朝立ち寄らなかった『ジェーン・バーキン歩道橋(Passerelle Jane-Birkin)』です。例のごとくジェーン・バーキンも女優、歌手、モデルだそうです。
閘門の中の船
このジェーン・バーキン歩道橋を上ったら、下の水門に向かって船がやってきました。見ていると向こう側の水門が閉じ、こちら側の水門が開いて向こう側の水門との間の水路に注水し、その水位が手前側と同じになったら水門が全開して船が出て行くという仕掛けです。
サン・マルタン運河を行く船
ゆったりとした時間が流れていきますが、この船はいったいどこまで行くのでしょうか。この運河には数百mごとにこのような閘門があるのですよ。せっかちな人間には運河の船旅はできませんね。
北ホテル
サン・マルタン運河で最初に紹介したアルレッティ歩道橋のすぐそばに、現在はブラッセリーになっているオテル・デュ・ノール( Hôtel du Nord)があります。ここはマルセル・カルネ監督の映画『北ホテル』のモデルとして知られますが、実は映画は巨大なセットを使って撮影されたそうです。しかし観客の多くはここで撮影したものと思っていたそうで、映画の成功によって実在の建物が現在まで観光名所として残ることになったのです。
パリは久しぶりです。今日はその変貌にかなり驚きました。街はきれいになり、自転車レーンがほぼ完璧に整備され、人々は英語を話すようになりました。これはオリンピックの影響もある程度あるのだとは思いますが、やはりフランスの実力、底力、時代の流れといったものを感じずにはいられません。さて、明日はパリを離れブルゴーニュ地方の入口の街オーセール(Auxerre)へ向かいます。
