南仏のアヴィニョンに真夜中にやってきた国際列車はちょっと厳つい顔付で、その車両の長いこと長いこと。しばらく座席がわからずにうろうろして、どうやらここらしいという席に着くと間もなく、その列車はガタゴトと音を立てて出発しました。私たちの乗った車両には人っ子一人居ず、車掌もやってこないのでちょっと不安です。こちらの列車は日本のそれのように乗り口に行き先の表示がなく、車体の外側のところどころに表示されているのは列車の出発地なものだから、乗った車両が本当にバルセロナまで行くのかどうかさっぱりわかりません。
ほどなく電灯が消えて真っ暗に。通路にはごくわずかな灯りが灯ってはいるものの、日本のそれに比べれば点いていないも同然の明るさです。見知らぬ国の誰もいない列車の真っ暗な車両というのはかなり不気味なものです。この旅は急ぐ旅でもないので腹をくくり、横になりました。フランスとスペインの国境近くのポルト・ボウというところでガッタンと止まった車両は一向に動こうとしません。噂に聞く軌道幅の違いを調整するために車輪幅の調整でもしているのでしょうか。
そのうちにイミグレーションの役人が来て、パスポートのチェックです。ところがこれが、パスポートにスタンプも押さない。フランス側の出国スタンプもスペイン側の入国スタンプもなし。ちょっと拍子抜けです。
どうやらそろそろ日の出の時刻らしく、あたりは徐々に明るくなってきています。窓の外に地中海がキラッ、キラッと輝き出しました。
スペインの第一歩はバルセロナ。グラシア通りの宿の窓からはあのガウディのカサ・ミラの屋上に建つ巨人が見えます。
いよいよスペイン、ここはカタルーニャ、バルセロナ。ガウディがいて、ミロがいて、ピカソがいて、カザルスがいる!
バルセロナは地中海の街、ここは食べ物がおいしい! 夜行列車の疲れを癒すべく、海の見えるレストランでプチ豪華な昼食です。
アルルではスープ・ド・ポアッソンと呼ばれていた魚介のスープは、ここではソパ・デ・マリスコスと呼ばれていました。それとスペインということでパエリャを。魚介と米はやはりうれしい組み合わせです。
昼食のあとはカテドラルやレイアール広場のあるゴシック地区に向かいました。
ゴシック地区はその名のとおり13〜15世紀頃のゴシック期の建物が多く残っているところで、観光客がとても多いところです。
街はがっちりした中にもしっとりとした雰囲気があり、同じゴシックでもパリなんかとはやっぱりちょっと違います。
そのゴシック地区の裏道を歩けば、建物と建物を繋ぐブリッジさえもゴシックです。
ゴシック地区の中心はカテドラル。
13世紀末から建設がはじまり15世紀の中頃にほぼ完成したそうですが、ファサードは15世紀の設計図を元に20世紀初頭にネオゴシック様式で造られたものだそうです。
鐘楼は正面にではなく廻り込んだうしろの方に、左右対称に二本立っています。
これはがっちりしていていかにも古そう。
内部は壮大なゴシック。かなり見応えがあります。
カテドラルからうねった細い道を南西へ向かうと、コロンブスの像が建つ港の交差点からカタルーニャ広場まで続くランブラス通りに出ます。この道はバルセロナの目抜き通りで、ミロのモザイク画が施された広い歩道があり、花屋や本屋、そして宝くじの売店などがびっしり並んでいて、観光客もたくさん。
ミロのモザイクの近くにあるサン・ホセ市場を覗くと、そこはびっくりするぐらい大きな生鮮の市場で、野菜、果物、魚、肉が所狭しと並んでいます。
天井からびっっしりぶら下がった肉の塊(豚の後脚=ハモン・セラーノ)は圧巻です。このハモン・セラーノ(生ハム)とオレンジを少し買いました。オレンジはとても瑞々しく甘く、ハモン・セラーノは今まで食べていた生ハムは何だったの?というくらいに味が凝縮されていておいしい。
バルセロナはサッカーチームのFCバルセロナがある街としても有名ですね。こちらのサッカー中継を見ていると、すばらしいゴールが決まったときに解説者が 『パタネグラ、パタネグラ、パタネグラ!』 と叫ぶことがあります。
これは、『素晴らしい、素晴らしい、最高!』 といった意味ですが、そのパタネグラというのは特別なハモン(ハム)のことで、イベリコ(イベリア)豚をペジョータ(どんぐり)で飼育し、長期間熟成させて作ったもので絶品とのこと。ハモン・セラーノは白豚ですが、パタネグラを含むハモン・イベリコは黒豚だそうです。
さて、ぼちぼちガウディ巡りといきましょう。
ゴシック地区にある人々が集うレイアール広場は元は修道院で、19世紀の後半に改修され現在の広場となったようです。ヤシの木が植えられたこの四角い広場の真ん中には噴水があり、その隣にガウディの処女作である街灯(広場中央付近に小さく写っているもの)が立っています。
これはギリシャ神話の神ヘルペスをモチーフにしていると言われ、つば付の帽子と魔法の杖、そして鉄兜らしきものが見えます。ガウディの街灯はパラウ広場にもあり、こちらはランプの数が3つ、レイアール広場のものは6つです。
このレイアール広場のランブラス通りを挟んだ向かいには、パラシオ・グエル(グエル邸)があります。
鉄兜のような紋章の両側に、ガウディの作品にたびたび登場するカテナリー曲線のアーチの大きな玄関が見えます。玄関は馬車が出入りするためにこの大きさなんだとか。
パリ万博でガウディに出会ったエウセビオ・グエルはフィンカ・グエル(Pavellons de la Finca Güell)に次いで別邸としてこの建物をガウディに依頼しましたが、ここが大いに気に入り本宅にしたといわれています。
内部は豪華! 玄関同様のアーチやステンドグラス、そしてかなり細かい木彫の装飾などがあります。屋上にはカサ・ミラにある煙突に似た、よりカラフルなそれが何本も立っています。
ランブラス通りと同じくらいバルセロナでは有名なグラシア通りには、ガウディのデザインした六角形のタイルが敷き詰められています。このタイルは元はカサ・バトリョ(カタルーニャ語ではカザ・バッリョ)のためにデザインされたもので、20世紀の初め頃、市がオリジナルの型から新しいタイルを造り敷いたものだそうです。
グラシア通りのほぼ中央にあるのがそのカサ・バトリョ。
ドラゴンの背中を思わせる屋根と魚の鱗のような外壁の模様が外観の特徴です。
もう一つの特徴は鍾乳洞か人骨を思わせる窓とベランダの造形。
この建物、ガウディの仕事は増改築で、5階と地下室を加えたほか、玄関ほかのインテリアをデザインしたようです。
ちょっと不気味。
内部はホールの上部に天窓が取られて明るい。
共用部に貼られたブルーを基調とした濃淡のタイルが上部から降り注ぐ光を反射して美しい。
ここは海底洞窟をイメージしたともいわれています。
カサ・バトリョからグラシア通りを北西に向かうとディアゴナル通りとの交差点近くにカサ・ミラがあります。カサ・バトリョのために考えられ、グラシア通りに敷き詰められている六角形のタイルは、最終的にこのカサ・ミラの女中室で使われました。
曲線だけで構成された、波打つようなバルコニーが外観の特徴で、世界の建築の中でも最高に異様な威容を持っています。建設当時、人々はここをのラ・ペドレラ(石切場)と呼んだそうですが、さもありなん!
ここは屋上が名物。
どこかの島にある巨人の像を思わせる煙突や階段室が立ち並びます。この屋上からはガウディの傑作、聖家族教会を望むことができ、ぐるっと廻れるようになっていました。
カサ・ミラには採光のためと思われる中庭が設けられています。
大きいものが2つと 小さいものが2つ。
玄関もユニーク。
こうして見るとガウディは光をかなり意識した建築家だったといえそうです。
上の玄関を入るとここに導かれます。
管理室のように使われている小部屋はアールヌーボー調の装飾が施されたガラス張りで、ホール側から見ても内部の光が漏れて、きれいです。
この最上階ではまたもやカテナリーアーチが採用されています。
さて、次は大作の聖家族教会(サグラダ・ファミリア)。
この建物は1882年にある建築家の設計によって着工されましたが、その9年後にガウディが責任者として引き継ぎ、全面的な設計の見直しを行ったものです。最終的には18本の尖塔が建つ壮大な計画ですが、この時点で完成しているのは8本です。
ガウディは1926年、ここに埋葬されました。
建物の平面形はこの段階ではほとんど想像ができませんが、それは幅45m、奥行95mのラテン十字で、東、西、南の3つのファサードを持ち、北はアプスのようです。
3つのファサードはそれぞれ4本の12使徒に捧げられた鐘塔を持ち、さらにアプス上に大きな聖母マリアの塔、平面十字の交点にはキリストに捧げる巨大な中央塔であるイエスキリストの塔が、そしてその中央塔を取り巻くようにマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの塔が立つことになっています。現在完成している塔は東と西のファサードのそれぞれ4本、合計8本です。
東のファサードはキリストの誕生を物語る『誕生のファサード』で、ガウディが最期を迎えた時には、ここの一本の塔だけが完成していたそうです。
『誕生のファサード』には、希望、慈愛、信仰、の3つの扉があり、その上には聖家族や受胎告知の場面などが彫られています。ほぼ完成しているように見えますが、彫刻がまだいくつか残っているそうです。
西のファサードはキリストの死をテーマにした『受難のファサード』で、『誕生のファサード』に比べ直線的なデザインで彫刻が少なく、あさっりした印象です。
こちらは1976年に完成しているそうです。磔刑のキリスト、キリストを売るユダ、マグダラのマリア、などの彫刻がありますが、『誕生のファサード』の彫刻が具象的でリアルなのに対し、これらはディテイルが省略され、やや抽象的でまだ未完なのかと思わせるような表現です。
完成している8本の塔だけでも相当に巨大で立派です。しかもこれらの塔は一番低い塔なわけですから、すべてが完成したらどんなものになるのか見当もつきません。この時点では聖堂の壁の部分の工事が進行しています。
南のファサードはメインファサードで、キリストの栄光を物語る『栄光のファサード』。未着工ですが3つのファサードのなかでは一番大きなものとなります。『誕生のファサード』と『受難のファサード』は対比的な表現がされているので、この『栄光のファサード』がどんな表現になるのか楽しみです。
塔の頂部には『Hosanna』(ヘブライ語で『救い給え』。キリスト教で『万歳!』といった歓呼の叫び、または神を称讃する言葉に変化)と『 Excelsis』(ラテン語で、高い所)という文字が見えます。
そして中間には『Sunctus』(ラテン語で、神聖な)という文字がたくさん。ミサ曲の通常文の中のサンクトゥスのようです。
Sanctus, sanctus, sanctus, dominus deus sabaoth.
pleni sunt caeli et terra gloria tua.
Hosanna in excelsis.
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主よ。
天と地はあなたの光栄にあまねく満ち渡る。
天のいと高きところにホザンナ
その塔の内部はというと、外から見えたスリットには小さな開口部がたくさん設けられていています。
ガウディはカテナリー曲線をひっくり返したカテナリーアーチをよく用いたので、この塔もおそらくそれによるものでしょう。
大作の聖家族教会の次はカサ・ヴィセンス。
これは聖家族教会の起工式が行われた翌年の作品で、ガウディの初めての建築作品です。直線的なデザイン、四角いタイルなど、のちのガウディとはちょっと違った作風で、イスラム建築の影響が強いと指摘されています。
ガウディの晩年に別の建築家による大規模な増築が行われましたが、ガウディの意見を聞きながら設計されたとのことで、どこが増築部分なのか一見してはわかりません。
ガウディは門をはじめとする鉄の仕事も多く残しています。
ここには広がったシュロ(確か)の葉をモチーフにした鉄の門があります。
建物もまだガウディ特有のスタイルが築かれていないのと同様、この門も後年の仕事のような大胆さはなく、一つのモチーフの繰り返しなので、ガウディにしてはおとなしい感じです。
次はグエル公園です。
グエルとガウディはここにガーデン・シティーを造ろうとしました。60区画ほど計画されたようですが、結果的に売れたのはガウディとこのプロジェクトの発注者のグエルの2区画だけでした。グエルの没後、市に公園として寄付されたのがこのグエル公園のはじまりです。
公園に入るとまず、地面の土がそのまま立ち上がってできたような、連続した何本もの柱が目に止まります。
その表面のテクスチュアと造形は場所により少しづつ変わっており、ここは松の木の幹のようにザラザラでかなり凹凸があり、上部が広がっています。
周囲にヤシの木が植えられているからか、ここはヤシの木に見えますね。
ぐりぐりの渦巻き!
とにかく自由だ。
グエル公園の上に上ってみます。
するとそこは人工地盤上の土の広場で、周囲に曲線を描いたベンチが廻っています。
それには砕いた美しいタイルで装飾された、うねった背もたれが付いています。
ここからはバルセロナの街を一望にできます。
おとぎ話に出てくるようなユニークな門番小屋と東屋も。
ディズニーランドにあってもおかしくないですね。
ガウディの最高傑作としてコロニア・グエル教会を上げる人は多い。
バルセロナの街中から電車に乗り、西の郊外の無人駅で下車して15分ほど歩くと、そのコロニア・グエル教会です。
バルセロナ郊外のこのあたりは、畑以外にはなにもない、のんびりした所です。グエルはここに工場労働者のための住宅をつくり、その中に教会を建てました。
松林のなかを進むと、ひっそりと、という感じでこの教会が立っています。教会というにはあまりに奇妙なかたちです。尖塔がない上にひらべったく地を這うような姿をしています。実はこの教会は未完に終わったものなのです。
完成図を見ると聖家族教会に似た壮大な計画で、現在あるのはその地下(1階と言った方が良いが)の部分であることがわかります。
ガウディは後半生を聖家族教会の仕事に専念することにし、その他の全ての仕事から手を引くことにしたために、その時点で完成していたこの地下部分だけが残ることになったのです。グエルは後でこの上部に教会を建設しようと考えていたようですが、これは実現しませんでした。
入口上部に聖アンデレ十字が見えます。
ガウディが去ったあと、礼拝のための教会をオープン出来るように、暫定的な屋根と小さな鐘楼が加えられました。
聖堂内に入ると、これぞガウディというインテリア。
少し斜めになったいびつな柱。ここには垂直な柱が一本もありません。
その頂部からヤシの木のように放射状に広がるレンガの梁。
ステンドグラスは花のようで、紐を引っ張って開けると蝶になります。ベンチはウネウネした独特の形状で、オリジナルとそのコピーとが置かれています。
外部の南側、前庭には地下聖堂もしくはその上部に計画されていた教会のためのものなのか、石柱が何本か横たわっていました。
さて、ここからは門を三題。
フィンカ・グエル(グエル別邸)の門はドラゴン。これはギリシア神話に登場する黄金の林檎園の番人の竜の象徴だそう。
東洋の龍とはかなり違って、恐竜のようにも、アニメのキャラクターのようにも見えます。
完成当時は鮮やかな彩色が施され、門扉の開閉で動く仕掛けになっていたようです。
ガオ〜〜
フィンカ・グエルはグエルがガウディに依頼した最初の建築でした。しかし邸宅本体は現存せず、門と塀、そして門番小屋、厩舎、調教舎が残るのみです。
門の周りには奇妙な形の塔が建ち、門番小屋が見えます。黒い影のところにドラゴンの門があります。
フィンカ・ミラーリェスは門とそれに続く塀のみをガウディは設計しました。
完成当時の庇は現在のものよりずいぶんと張り出していたそうです。その庇は螺旋状に加工された鉄の板で吊られています。
フィンカ・グエルの近くに大学のゾーンがあります。その中にぽつんとあるのがこの門。
あまり知られていないものですが、ガウディの作だそうです。このデザインにはカサ・ヴィセンスと同様にイスラム的な要素が見受けられるので、初期の作品でしょうか。
ガウディはサンタ・テレサ学院の設計を前任者から引き継いだようです。そのためか、めずらしく四角い平面を持ち、ファサードも比較的おとなしいムデハール調。
しかし、レンガによる放物線アーチが連続する窓などはやはりガウディならではのものです。内部は見学出来ませんが写真を見ると、廊下には真っ白く塗られたこの薄いアーチが連続していてきれいです。
カサ・カルベットは依頼者のための商業施設と住宅、そして賃貸住宅から成ります。
上の条件やブルジョアが多く住む地区に建てられたことからか、この建物はシンメトリーで整然としたリズムを持っており、ガウディが手がけたものの中でもっとも平凡なものといっていいでしょう。もっとも当時、市から芸術的建築年間賞が与えられているので、一般的には高く評価されていたことが伺えます。
一見バロック調に見えるファサードですが、よく見れば細部の取り扱いにガウディの片鱗が見て取れます。
さて、以上でガウディはおしまい。次はガウディと同世代のドメネク(Lluís Domènech i Montaner)を。ドメネクはムデハル様式からムダルニズマ(モデルニスモ)に至り、装飾的でありながら合理的な構造を持つ建物を設計した建築家でした。
カタルーニャ音楽堂は20世紀初頭にムダルニズマ様式で設計されたコンサートホールです。ドメネクの作品ではこの音楽堂以外にサン・パウ病院も見事です。
ムダルニズマはバルセロナを中心としたカタルーニャ地方で19世紀末から20世紀初頭に流行した様式で、華やかな装飾や曲線の使用といったアール・ヌーボーと共通する要素を持ち、文芸復興運動と民族主義的な伝統への関心から、それにムデハル様式が加えられた独特なスタイルといえるでしょう。 ガウディもこのムダルニズマの中に置かれています。
バルセロナでは必見の美術館があります。その中から二点を。まずはピカソ美術館。
マラガで生まれたピカソは14歳の時にバルセロナに移住し美術学校に入学します。その後パリに行くまで約10年間の青年時代をここで過ごすことになります。
ピカソ美術館はピカソが存命中に企画され、最初はマラガが候補地として上がったそうですが、ピカソ自身がバルセロナがより適切だと判断したといわれています。ここは13〜14世紀に建てられた複数からなるゴシック様式の建物で、ピカソ自身のコレクションを中心に彼の生涯の前半に制作された作品が収蔵されています。
ここでは最初期の作品、そしてこれは例外的ですが人生後半の作品であるラス・メニーナス(1957年)シリーズなどが見られますが、やはり『青の時代』に魅力を感じます。
次は私が大好きな美術館、モンジュイックの丘にあるミロ美術館です。ミロの作品とバルセロナの空気、そして建築空間が一体になって、見事な美術館になっています。
ここはミロ自身によって設立された財団の美術館で、通常ミロ美術館と呼ばれています。コルビュジエに学んだバルセロナ出身のホセ・ルイス・セルトの設計で1975年にオープンし、ミロの作品をメインにカルダーの作品なども展示されています。
ミロは私が好きな画家の一人ですが、その作品を一般的な美術館で観ると、どこか違う、と感じてしまうことがあります。その思いはこの美術館で吹っ飛びます。ここにはミロの空があり、ミロの光があり、ミロの空気がある、と感じられます。それくらいすばらしいミロのための美術館。ここにあるミロの作品はすべてが生き生きと私に特別になにかを語りかけてくる。
ミロの輝かしい色彩をより豊かなものにするため、この美術館はハイサイドライトの大きな開口を屋上に飛び出させて、そこから自然光の取り込みをしています。自然光の取り込みは作品の保護という観点からは負の要素に上げられることが多いのですが、この大きな採光窓はこの美術館を特徴付けている大きな要素です。私はここから取り込まれた日の光の下で観るミロの作品が大好きです。
モンジュイックの丘からはロープウェイに乗ってバルセロネータの海岸へ。
このロープウェイ、驚くほど高いところを通ります。高所恐怖症の方はご注意を!