8802

ロンダ

スペイン 5

開催日 1988.09.10(土)- 09.12(月)

渓谷の上に建つロンダ
渓谷の上に建つロンダ

旅の紹介

◆ アンダルシアの深い渓谷の上に建つロンダ。恐ろしいほどの高さにある橋を渡り、南北に分かれた新市街と旧市街を散策します。有名な闘牛場で闘牛を観、近くのピレタ洞窟で旧石器時代の壁画を楽しんだら、『おともだち』と夜のお祭りに。

地図:Googleマップ

行程表

day 月日 行程 備考
19 09.10
(土)
Málaga → Mijas → Ronda
旧市街散策、新市街祭り、闘牛
レンタカー:Málaga12:30 → Mijas → 17:30Ronda
夕:bar/トマトとエビのマリネ、骨付牛煮込み、ワイン、500pts/人
泊:Apartamento*/2,400Pts
20 09.11
(日)
アラブ人の浴場、ピレタ洞窟、遊園地 夕:宿の隣/サラダ、ソパ・デ・マリスコス、イカフライ、メロン(プリン)、800pts/人
泊:Apartamento*/2,400Pts
21 09.12
(月)
Ronda12:00 → Arcos de la Frontera
→ Jerez de la Frontera
レンタカー
泊:Hostal Trujillo**/2,500Pts
1Pts(ペセタ)= 1.1円、時差: -7h(夏時間)

ロンダ付近ロンダ付近

グラナダで借りた私たちの車セアット・イビザは、コスタ・デル・ソルを行き、マラガ、ミハスと通り、マルベージャの先で海岸から内陸に進路を変え、街らしきものがほとんどない山の中のうねうねした道をロンダに向かっています。

海岸から50km近く走ったところでようやく、穏やかな上り坂の向こうの丘の上にロンダの街が見えてきました。

ロンダ旧市街北西部より新市街方面を望むロンダ旧市街北西部より新市街方面を望む

ロンダはグアダレビン川によって作り出された渓谷によって、南の旧市街と北の新市街に別れています。

この渓谷を覗くと、お〜〜、た、高い〜。ちょっと足がすくむくらい。

新市街/ビルヘン・デ・ロス・レメディオス通り新市街/ビルヘン・デ・ロス・レメディオス通り

この渓谷をさっそく散策してみたいところではありますが、観光は後回し、まず宿さがしです。

旧市街には宿は少ないので、ロンダの南東に広がるシエラ・デ・ラス・ニエベスの山々を眺めながら、新市街の適当なところに向かいます。

かわいらしい衣装の子供たちかわいらしい衣装の子供たち

するとかわいらしい衣装を着けた子供たちがたくさん。何かイベントがあるのでしょうか。

この旅ではこれまで宿の確保は問題がなかったのですが、ここはかなり混んでいるようで、目当ての Hostal Ronda Sol は満室! しかしアパルタメントなら空いているということでそこへ。よかった〜

通りで踊る人々通りで踊る人々

なんでもロンダは今お祭りの最中で、しかも今日は土曜日。この週末には有名な大きな闘牛が行われるとのことで、宿は満室に近いらしいのです。先ほどの子供たちはこのお祭りにために着飾っていたのですね。

宿に荷を解きさっそく出かけると、なるほど街中はあちこちでフラメンコやらダンスやらと大賑わいです。

通りで踊る人々2通りで踊る人々2

どこかにお祭りのメインの会場があるのかもしれませんが、とにかく通りという通りで、華やかな衣装を身に着けた人々が踊りを楽しんでいます。

ヌエボ橋付近から東を望むヌエボ橋付近から東を望む

賑やかなお祭りを眺めながら旧市街に向かいます。グアダレビン川には三本の橋が架かっており、このうちメインとなるのはヌエボ橋(新橋)。

このヌエボ橋は、谷底からゆうに100メートルはあろうかという、もの凄いところに架かっています。絶壁の際に建つ建物はいまにも落っこちてしまいそう。

ビエホ橋(旧橋)付近より新市街を望むビエホ橋(旧橋)付近より新市街を望む

ヌエボ橋の東に架かるのはビエホ橋(旧橋)で、これは17世紀に再架されたものが今日まで残っているそうです。

フェリペ5世門フェリペ5世門

このビエホ橋を渡ると南岸は旧市街。そこにはフェリペ5世門が立っています。

かつてここにはアラブ時代の門があったようなのですが、初代ヌエボ橋が架橋から6年後に崩壊し、再びこちらのビエホ橋が主要ルートとなったため、都市の入口として門の改善の必要性が生じ、スペイン・ブルボン朝初代国王フェリペ5世の治世に建て替えられたのだそうです。

石造の二重アーチで3つの尖塔を冠し、写真の反対側の面にはブルボン王室の盾が据えられています。

フェリペ5世のアーチから旧市街方面を望むフェリペ5世のアーチから旧市街方面を望む

フェリペ5世門をくぐるとその先には、荒野に急激に落ち込む旧市街の端っこが見えます。ロンダは標高700m強の台地の上にあるのです。

遠くに見えるのは聖霊教会(Iglesia del Espíritu Santo)、その手前は中世イスラム統治時代のシハラの城壁(Muralla de la Xijara)です。

サルバティエラ宮殿サルバティエラ宮殿

フェリペ5世門の先の坂道を上って行くと、サルバティエラ宮殿(Palacio de Salvatierra)の前に出ます。

1798年に造られたバロック様式のファサードは、両側にまぐさとコリント式の柱があり、 バルコニーの上には4人の南米インディアンの像に支えられたペディメントがあります。

像の男は舌を突き出し、女は個人的な部分を控えめに覆っています。

サルバティエラ侯爵は今でもここにお住まいだそうです。

サンタ・マリア・マヨール教会サンタ・マリア・マヨール教会

旧市街の中心は市庁舎があるあたりで、その前にサンタ・マリア・マヨール教会が立っています。

ここにはローマ時代には寺院があったと考えられており、その後、アラブ人によってモスクが建てられました。キリスト教徒が都市を征服すると教会が1485年から建設され始め、それは17世紀の終わりに完成しました。

白い壁にスペイン瓦が載る家白い壁にスペイン瓦が載る家

新市街も旧市街もこのあたりの家々は、たいてい白い壁に素焼きの瓦です。

だいぶ日が傾き、夕方らしくなってきました。街角のバルでセルベサ(ビール)を飲みながら夕涼みをしていると、近くでなにやらひっかけているおじさんが声をかけてきました。

マキ(中央)とアルフォンソマキ(中央)とアルフォンソ

『や〜君たち、観光かい? どこから来たの? へ〜日本、ちょっとめずらしいね。日本人はここにはあんまり来ないからね。』 とか、なんとか、かんとか。

ああだ、こうだ、とつたないスペイン語と英語でやりとりしていると、このおじさんがなかなか面白い。考古学者で博物館に勤めているらしく、『おともだち』という日本語を知っていて、親しい日本人が付けてくれた『マキ』という日本名を持っているといいます。どうやら『槙』らしい。

ピレタ洞窟の前でピレタ洞窟の前で

『ピレタ洞窟を知っている? アルタミラみたいな旧石器時代の壁画があるんだ。よかったら案内してあげるよ。』 とマキがいいます。なんか良くわからないけれど面白そうだから行ってみることにしました。

翌日、待ち合わせの同じバルに行くと、マキと彼の友人アルフォンソが待っていました。4人で小さなセアット・イビザに乗り込むと、さすがに少々窮屈です。マキがちょっと寄り道するからと言って案内する道はとても狭くて、小さなイビザでもこすっちゃいそうです。知人からアンダルシアを廻るなら小さい車のほうがいいよ、とアドバイスがあったのですが、その意味がよく分かりました。

洞窟の小さな入口洞窟の小さな入口

『バーモ、バーモ!』 マキが叫んでいるのですが、なんていう意味? と聞いたら『バーモス(行け)、バーモス(行け)!、という意味さ。アンダルシアでは最後のSを食べちゃうんだよ。』 とのこと。なるほど、アンダルシアでは最後のSは発音しないらしい。

バーモ、バーモ! と、ちょっと重いセアットを飛ばしてロンダから西へ向かいます。街を出ると、道は谷間の川に沿って山の中を進み、30kmほどでピレタ洞窟に到着しました。そこは多少は観光化されているのだろうと思っていたら、廻りには土産物屋はおろか、本当になにもないところでした。

『えっ、本当にここ〜 ・・・』 洞窟の入口には鎖が張られ、なにやら小さな看板があります。えっ、今日は休み? と思われしも、実はそうではなく、定時にしか人を入れないらしい。しばらく待つと係の人がどこからともなくやってきて、鎖をガチャリ。

『じゃあ僕たちはここで待っているから観ておいで〜』 とマキ。あれ、いっしょに入るんじゃあないの? 案内するって洞窟の中じゃあなくて、ここまでという意味だったのか?

なんだか良くわからない絵なんだか良くわからない絵

鎖を外した係の人はガイドに早変わり。そのあとに続いて洞窟の中に入ります。

かなり暗い洞窟をしばらく進むと、ガイドのライトに照らされ、闇の中にボ〜と浮かび上がったのは、なんだか良くわからない線のようなもの。

馬の絵馬の絵

しかしそのうち具象的な絵が現れるようになってきます。

お〜、いたいた。これははっきり『馬』とわかる絵。

洞窟の巨大魚洞窟の巨大魚

牛や鹿も。そして1m以上ある巨大な魚!

この壁画、なんでも今から2万5千年ほど前のものらしい。気が遠くなるほどの長い年月をこの壁画は生き抜いてきたわけです。

マエストランサ闘牛場マエストランサ闘牛場

洞窟から戻った私たちは、闘牛を観ることにしました。

闘牛は午後6時からで日本ならりっぱな夕方ですが、ここアンダルシアではまだまだ日は高く、真っ白な闘牛場の外壁が目に痛いくらいです。

マエストランサ闘牛場入口マエストランサ闘牛場入口

このマエストランサ闘牛場は1784年開場とされ、スペイン最古の闘牛場の一つで、現代闘牛発祥の地として有名です。

現在は標準になっている、闘牛士のマントと牛の前に差し出す赤い布を始めたのは、18世紀のこの地の闘牛士だそうです。

闘牛場内部闘牛場内部

席の値段は何段階かに分れますが、面白いことに、日なたと日影で料金が違います。

私たちの席はソル・イ・ソンブラ(日なたと日影)という席で、グレードとしては真ん中よりちょっと下。2,000ペセタ也。実際この席、見始めは日影だったのですが、時間が経つと日なたに。日なたはとってもとっても、とっても暑い!

日なたと日影席日なたと日影席

一般的な闘牛って、闘牛士一人と牛一頭の戦いではないのですね。一人の闘牛士マタドールは通常、銛撃ち二人、馬に乗って槍を突くピカドール一人を従えているのです。

私たちがイメージするこの代表的なスタイルのものは昨日行われたようで、今日はこれとは違うRejoneo(騎馬闘牛)というものです。馬に乗った闘牛士が一人で最初から最後までやるもので、助手が一人(だったと思う)。このスタイルはここロンダで現代闘牛が行われるようになる前からあるものだそうです。

開演/貴賓入場開演/貴賓入場

ファンファーレが鳴り響くとまず、この地の重鎮だか貴族だか、偉い方が入場してきて貴賓席に着きます。

再びファンファーレが鳴ると、今度は闘牛士たちが入場してきてなにやら儀式のようなことを始めました。顔見せ挨拶のようなものでしょうか?

入場する闘牛士たち入場する闘牛士たち

闘牛の起源は、牧畜の豊穣を祈願して神様に牡牛を捧げたことに始まるそうで、『真実の瞬間』(死)までの運びが厳密に決められているそうです。

首筋を槍で突き、ひらひらの付いた飾り銛を撃ち込み、最後に首の付け根の急所を剣で一突き。

馬に乗る闘牛士たち馬に乗る闘牛士たち

この最後の一突きも馬の上から行われますが、これで牛が絶命しなかったら、闘牛士は馬から下りて戦わなければなりません。

上手な闘牛士にかかると、馬の上からの一撃で見事に牛は倒れますが、下手な闘牛士だと、牛がかわいそうなくらいに何度も刺さなければなりません。こんなときは客席からブーイングが起こります。

飾銛を撃たれた牛飾銛を撃たれた牛

助手の役目は闘牛士が危なくなった時に牛の気を引いたり、追われる闘牛士をゲートを開けて闘牛場の外に出したりすることのようです。たまには銛を撃ったかもしれませんが。

騎馬闘牛の最大の見せ場は、なんといっても襲いかかってくる牛を見事な手綱捌きで交わすところでしょう。時に牛の頭に帽子を被せたりという芸当も披露されます。馬の軽々としたステップが見事。馬ってとても俊敏な動物だったのですね。

馬を下りて戦うヘタッピイ馬を下りて戦うヘタッピイ

見事に牛を絶命させると、観客席は総立ちで白いハンカチを振ってオーレ!と叫びます。闘牛士はその牛の耳を切り取って持ち帰るらしいのですが、そのあと耳をどうするのでしょう? 万事うまく運べばこうなりますが、中には牛に追われて、かなり惨めな姿をさらす闘牛士もいます。

一日の闘牛で絶命する牛は6頭。閉幕すると闘牛場の土の上に入れるのですが、そこは血の臭いが立ちこめていて、吐き気がするほどでした。観るのは一度でいいかな。

広場のフラメンコ広場のフラメンコ

闘牛の後はちょっと観光をして、夜に再びバルでマキに会いました。フェリア(お祭り?)があるから遊びに行こうと誘われていたのです。まずはバルのはしご。そこでアルフォンソのお兄さんパコとその娘アライア、友人のホセに会い、みんなで近くのお祭りに出かけました。

セアットで祭り会場からちょっと離れたところに着くと、小さな移動型遊園地があり、賑やか。飲んで踊って、昔日本の遊園地にもあった天井から電気を取って走る電気自動車のようなものに乗ってみんなでぶつけ合いをしたり。とにかく楽しく賑やかに夜は更けて行き、帰りはなんと午前3時! あ〜、楽しかった〜

絶壁絶壁

ロンダを離れる日の朝、グアダレビン川の渓谷に下りる道があるので行ってみました。

褐色の崖に地層が幾重にも重なっているのが見え、その向こうにはオリーブの畑がうねるように続いています。

新旧の街の間に架かるヌエボ橋新旧の街の間に架かるヌエボ橋

下って下って、さらに下ったところで振り返ると、新旧の街の間に架かるヌエボ橋が谷底からグッと立ち上がっているのが見えます。

このヌエボ橋は二番目に架けられたもので、なんと42年の歳月を掛け、ようやく1793年に完成したそうです。

ヌエボ橋とサリーナヌエボ橋とサリーナ

『うわ〜、ヌエボ橋、すごい〜〜』 

100m近い高さの橋に感動のサリーナ。

赤茶けた大地とオリーブの木赤茶けた大地とオリーブの木

午前中をロンダで過ごし、昼頃アルコス・デ・ラ・フロンテーラに向けて出発しました。

ロンダからアルコス・デ・ラ・フロンテーラまでは、焼け付くような太陽の下に、赤茶けた大地とその中にポツポツと生えるオリーブの木がどこまでも広がっていました。

マラガ〜ミハス フランス+スペイン TOP アルコス+ヘレス
サイダー&サリーナの世界の旅 GEO POTTERING home