雲仙地獄
いよいよ2011年GW企画の最終日です。
朝早めに起き出し、温泉神社のとなりにある噴煙上げる雲仙地獄巡りをしました。ここの地獄は別府のそれに比べればかなり規模は小さいのですが、それでももくもく煙が出るのを眺めながらの散策は楽しい。宿に戻りこの地獄から引いているという温泉に浸かりながら、今日一日のコースを考えます。
雲仙温泉から橘湾に下り、雲仙岳の北側の中腹を行く地方道で雲仙岳をぐるりと廻り、島原に下る予定です。
おしどりの池
この計画ルートにアップダウンが結構あると見抜いたケロガメは、昨日充分に上ったので今日は上りなしコースにしよう、と言い出しました。ジークもこれに同調するので計画変更です。
橘湾の猿葉山の海岸線を行く道にはかつて鉄道が走っており、その廃線跡が気持ち良さそうなのでまず富津に下り、そこからこの廃線跡を辿って千々石に出、愛野で上がりというコースにしました。愛野から島原は島原鉄道で輪行です。
雲仙温泉を出るとすぐに『おしどりの池』の脇を通ります。
雲仙温泉から北西を望む
『おしどりの池』を過ぎると、道は急激に下り出します。その先にはこんな景色があります。
新緑から万緑に変わろうとする木々を抱えた山々が幾重にも連なっています。遥か彼方には橘湾の向こうの長崎あたりの山も見えています。
豪快に下り出す
この連なる山並みのきれいな景色の中、豪快に下り出します。
道はいくつもヘアピンを作りながら高度を下げて行きます。下には緑の中に延びる道が、へびのようにのた打っているのが見えます。
橘湾
高度が下がり、山の合間から橘湾が見え出します。これからあそこまで一気に下るのです。
下るケロガメとサリーナ
雲仙温泉へのアプローチは島原と小浜からがメインなので、この道は車が少なくて安心して下れます。
時には林を抜けて
おおむね視界のいいこのルートも、時折こんな風に林の中を抜けて下ります。
富津へ怪しげな道を下る
豪快に600mほど下り富津の集落が近づくと、これまでの道を離れR57からちょっと怪しげな道に入ります。この道、本当に下まで繋がっているんだろうかと思わせるような道です。
富津の集落
急勾配の細道の先に橘湾に面した富津の集落が現れます。肩を寄せ合うようにして建つ民家は、山間の小さな平地に作られる集落の特徴です。
富津を行く
平地とは言ってもそれは急峻な山に対しての比較であり、実際は本当の平地はほとんどなく、多くの民家は斜面地に建っています。
その上部を廻るようにして進むのはr201。これはれっきとした地方道です。
鉄道跡の緑の道
この道はかつて鉄道が通っていたところで、なんとその名は『温泉軽便鉄道』! 名前からするとあちこちの温泉を繋いでいたのでしょうか。
村はずれから道が狭まり、いかにもかつての線路跡といった雰囲気になります。
狭い切り通し状のところを行く
ここを走っていたのはトロッコのような小さな列車だったのでしょう。車がすれ違うのが困難なほどの道が続き、小さな切り通しのようなところでは、天井に伸びた木々が覆い被さり、緑のトンネルと化しています。
『あ~、おぅ~』 と緑の天井を見上げるケロガメ。
このトンネルを抜けると左手に海が開けます。橘湾がぐるりと見渡せ、南は島原半島からぴょこんと飛び出す国東半島、西は長崎半島の先端まで続きます。(TOP写真参照)
緑のトンネルをくぐって
再び初々しい緑のトンネルが現れ、その中をくぐり抜けて進みます。
木津
下の海辺には小さな集落が。どうやら木津のようです。
石造のトンネル
木津からも緑のトンネルを抜け、その先に今度は本当のトンネルが現れます。これは古びた味わいのある石造のトンネルです。ここを走っていた汽車はどんなものだったのでしょう。
千々石の海岸
4kmほどこの緑と石のトンネルがある楽しい道が続いた後は、千々石(ちぢわ)に出ます。天正遣欧少年使節の千々石ミゲルはどうやらこのあたりの出身のようです。
千々石の街中を行く
千々石の集落に入るとそこにはちょっとした味わいのある民家が並んでいます。たいへん立派な石垣に囲まれた家がとても多いのですが、なぜでしょうね。
千々石のビーチ
村の中を抜けて海岸に出ると、そこはなが~い砂浜のビーチ。後ろに見えるぽっこりした山が猿葉山で、あの海側をぐるりと廻って来たのです。
『さっきの緑の道、よかったね。あんな道なら今日は70km走ってもいい~』 とはショートコースの言い出しっぺ、ケロガメでした。
ビーチからは上り
このビーチからは国道を行けばよかったのですが、国道嫌いのサイダーは怪しげな道を上って行きます。
『この先、道、よくないよ。』 と畑で野良作業をしていたおばさんが教えてくれます。でも一応国道には出られるとのことなのでそのまま進むと、道はすぐにダートに、そして激坂。
ちょっとしたガレ場もあり、全員押してなんとか進みます。
千々石観光センターからの眺め
高台に鯉のぼりがたくさん見えてきます。その鯉のぼりが揚がっている建物の足元をぐるっと廻るようにして、なんとか千々石観光センターに到着。ここから見る橘湾はとてもきれいです。鯉のぼりの下に見える浜が先ほどまでいた千々石のビーチです。
へろへろ~と上ってきたケロガメ、
『さっきの言葉、撤回。もう上りはいらない~~』
愛野へ下る
千々石観光センターでじゃがちゃんやアイスクリームで一服したのちは、愛野駅に向けて出発です。国道でちょっと上ってからは畑の中のダウンヒル。
愛野駅
着いたのはこんな駅でした。そこにやってきたのは黄色い一両編成のかわいらしい電車。これに乗って島原方面へ向かいます。
有明海の向こうに多良岳
愛野駅を出てしばらくすると、車窓に有明海が映り、その向こうに多良岳が見えます。 一瞬、あれは島だったかな? と思うのですが、もちろんあっちもこっちも九州本土にくっついています。このあたりは本当に地形が複雑ですね。
神代町駅近くの神代川
輪行にしたので今日は充分に時間ができました。そこで国見町の神代町駅で下車します。ここには重要伝統的建造物群保存地区の神代小路(こうじろくうじ)があります。
神代小路は神代川、みのつる川、神代城址によって囲まれた周囲から独立した地区で、長屋門や石垣、水路、生垣などの伝統的な要素が残っています。
長屋門
神代の歴史は南北朝時代に始まるようで、神代城はそのころ造られたようです。その後、江戸時代の初期に鍋島佐賀藩の所領となり、神代鍋島領ができます。
神代町駅から来て最初の橋を渡った正面にあるのがこの長屋門。
鍋島邸
その先には、立派な石垣の先に元禄期の大きな長屋門を持つ鍋島邸があります。この時は残念ながらその長屋門などは解体改修中で見ることができませんでした。
写真は明治から昭和にかけての座敷。
本小路
この鍋島邸の前の道を本小路(ほんくうじ)といい、矢竹の生垣の足元に小さな水路が巡ります。
石垣と水路を渡る石橋
本小路を進むと道がクランクしており、その先は上小路になります。この道のクランクは武家屋敷によく見られる外敵の侵入を防ぐ仕掛けの一つで、かつては神代小路から外に繋がる道の出口のすべてにこの仕掛けがあったようですが、現在見ることが出来るのはここだけです。
石垣と生垣
面白いことに石垣は何種類か見られ、大きな石をきっちり組み上げたもの、大きいけれど乱積みに近いもの、ゴロ太石ほどの小さな石を積み上げたものなどがあります。屋敷の格式の違いによるものでしょうか。
島原駅前
神代小路の散策を終えて島原まで移動です。島原駅前からは島原城が見えています。ここでジークが一足早く離脱。
島原城
残った面々はまずその島原城へ向かいます。この島原城は昭和時代に再建されたもので、キリシタン資料館などになっています。
武家屋敷を行く
島原城の西には一本の水路が流れ、その両側に石塀と古い武家屋敷が残る一角があります。
島原城のあとはこの武家屋敷です。ここは島原藩の下級武士たちの住まいでした。
武家屋敷の水路
ここに流れる水路は熊野神社を水源とする清流で、かつては飲料水として使われており、水奉行により厳重に管理されていたのだとか。
水路廻りの様子
一人の女性がこの水路で洗い物をしています。この水は現在は飲料ではなく、こうしたちょっとした日常の用途として使われています。
篠塚邸
洗い物をしていた女性は一軒の茅葺きの建物に入って行きました。この方、実は篠塚邸でボランティアをしているのだそうです。
このあたりの屋敷はみんな90坪で、この篠塚邸の人々は書記や代官といった役職だったようです。武家屋敷ではここの他、山本邸、島田邸が一般公開されています。
眉山の向こうに平成新山
武家屋敷付近から西を見れば、手前には眉山が立ちはだかり、その向こうに平成新山が見えます。
雲仙岳の1990年(平成2年)からの活動は記憶に新しく、翌1991年の土石流の発生、溶岩ドームの形成、そして時速100kmもの火砕流が島原を襲う衝撃的な映像を見たのもこの時でした。
しまばら湧水館
武家屋敷から島原の街中に移動すれば、そこは鯉の泳ぐまち。道端の水路には錦鯉がたくさん。
その通りの中にある『しまばら湧水館』には、島原の水脈と湧水のしくみを説明した展示があり、『ろくべえ』というサツマイモを原料とした麺の手作り体験が行われていました。庭の池にはここにも錦鯉。
白土湖
しまばら湧水館の隣には大きな池のある四明荘。ここで『かんざらし』という名物が島原にはあると聞き、商店街の『しまばら水屋敷』を教えてもらいました。
『かんざらし』は白玉粉で作った小さな団子を冷やしたもので、甘く冷たいシロップをかけて食べます。ほんのり甘い、素朴な味。
この『かんざらし』をいただいたあとは島原外港に向かいます。その途中にあるのが白土湖(しらちこ)。この湖は、江戸時代に雲仙普賢岳の噴火により眉山が崩壊し、多量の地下水が湧出して一夜にしてできた湖だとか。水の豊かなこの地を物語る現象ですね。
雲仙・島原をあとに
島原外港に辿り着いた私たち。島原名物でまだ食していないものは、と考えれば、『そうめん』があるではないですか。運良く港の入口にこの『そうめん』ののぼりを発見。ん~~ん、これは腰があってすっきりさっぱり、いくらでも食べられそう。
港を出れば、あの眉山と雲仙岳がうしろにデ~ン!