ビニャーレス(Viñales)の民宿でおいしい朝食をたっぷりいただいたら、今日からハバナ(Habana)に向かって移動を開始します。
まず目指すのは、鄙びた温泉保養地だというサンディエゴ・デ・ロス・バニョス(San Diego de los Baños)。走行距離は60kmちょっとです。
天気は快晴。ビニャーレスの街を出て北へ向かうと、一昨日に見た大きなモゴーテ(mogotes)が見えてきます。
道端では馬に乗ったおじさんと自転車の男がおしゃべり。
モゴーテは左にも、そして奥にも見えます。
モゴーテはこのあたりの景観を特徴づける丸っこい山々で、石灰岩の地層が侵蝕されてできたカルスト地形の一種です。
先ほど見えたモゴーテの間を通り抜けて行くと、前からお馬さんがパッカパッカとやってきました。日本の道で馬に乗った人を見掛けることはまずありませんが、ここキューバでは先ほども見掛けたようにそう珍しくありません。
うしろのモゴーテの頭の形が面白いですね。
ビニャーレスから10kmほど行くとラ・パルマ(La Palma)方面とサン・カジェタノ(San Cayetano)方面とが分かれる T 字路に出ます。ここまでは穏やかな下りでしたが、ラ・パルマ方面へ向かうと道は上りに。
小さな集落のミア・ラ・コンスタンシア(Mina La Constancia)が近づくと空が広くなり、ヤシの木が並んでいるのが見えるようになります。ここは山と山の間の平場のようなところです。
ミア・ラ・コンスタンシア付近のモゴーテ。
ここから森の中に入って下って行くと、
再び空間が開き、ミア・ラ・コンスタンシアの一本北の筋のどん詰まりの集落に出ます。
集落とはいってもここは街にはなっておらず、家々はパラパラと密度低く立っています。家の周囲に畑があるので農家なのでしょう。
ビニャーレスの民家の屋根は素焼きのスペイン瓦か陸屋根でしたが、郊外ではこんなふうに草葺きの屋根の家もあります。材料はヤシの葉でしょうか。
地図には1kmか2kmおきに集落の名が見えるのですが、そこはせいぜい20軒ほどの家が固まってあるだけで、それを過ぎるとこのようなカントリーロードが続くだけになります。
『うわ〜、ここ、なんにもないわね〜』 と、この景観にちょっと驚きのサリーナ。
あるのは遠方の山並み、ヤシの木、そして赤茶色の土に緑色の畑。
素晴らしいカントリーロードです。
そして時々このような集落を通り抜けます。
名前は忘れましたがここも地図に名が載っている立派な村です。
キューバでは食料を確保するのは結構大変なので、ビニャーレスの民宿でもやっていたように、多くの家が庭で動物を飼い、食料になる植物を植えます。植物はヤシの木やフルーツが生るものが圧倒的に多いのですが、ここにはそれらしくない大きな木があります。
何の木かちょっと気になりますね〜
ラ・パルマまであと5km。
道は先ほどから穏やかに上っています。先に見える小山のあたりがラ・パルマでしょうか。
サイダーの横の畑には見慣れない植物が。ピンと突き出した葉っぱの畑。
ん〜ん、これは一体何かな? と思って良く観察すると、茎が延びた先にちっちゃいパイナップルが。
写真の下の方に小さな実がなっているのが見えますか? 葉っぱだと思っていたツンツンしているものはすでに実を穫ったあとの茎なのでした。
これはタバコ畑。
タバコはこのあたりの主力農産物で、11月から12月に苗を植え、約50日後、人の背丈ほどに生育した木から葉の収穫を始め、翌年4月頃まで続けます。
ラ・パルマの直前1.5kmあたりになると、これまで上っていた道が穏やかな下りに転じます。11時過ぎにラ・パルマに到着。ここまで素晴らしい景色の連続でした。
ラ・パルマは出発地のビニャーレスより大きいくらいの立派な街です。ここを過ぎるともう終着地のサンディエゴ・デ・ロス・バニョスまで食事ができる街はなさそうなので、ちょっと早いけどお昼にしようと街角の小さなホテルのレストランへ。
でもレストランには誰もいません。横のバーのおじさんに『食事できますか?』と尋ねると、『いや、12時半から。』とあっさり。
じゃあ黄金水でも…と頼もうとすると、『ない!』
何だよ〜『バー』って書いてあるのに! と怒りつつ、飲み物を求めて通りをさまよいます。ところがやっとお店を見つけたものの、そこには何十人もの行列が・・・
その店で買うのは諦めて、せめてジュースでも… と元のレストランのバーに戻りました。
おじさんにレモンソーダを注文したあと『ここはバーでしょ? 何で黄金水がないの?』と質問してみました。そしたらおじさん、『え、飲みたいの? 昨夜飲んじゃったから今ないけど、買ってきてやるよ』と言って買ってきてくれた上、『ひょっとしてお腹もすいてるの? 鶏でよかったら急いでつくるよ』『フレッシュジュース飲む?』とものすごく親切なのでした。
そうか、ここは社会主義の国なんだ、とこの時始めて気が付きました。キューバの人たちには商売っ気というのがまるでないのです。でも情の熱いラテン系、困っている人を見たらほっておけないのです。出て来たチキンのランチは結構いけました。資本主義の観念にどっぷりと染まった自分を思い知らされた出来事でした。
ゆっくり食事をして外に出ると、公園の木の下で少女たちが仲良くベンチに腰掛けていました。みんなお揃いの制服らしきものを着ているので、今日は1月の3日ですが学校があるのでしょうか。
満腹のあとは、いきなり激坂です。その上りをなんとかこなすと先にまたモゴーテが見えてきました。
このあたりはモゴーテだらけです。モゴーテは一つずつ特徴があって面白いですね。
右に見えていたモゴーテが左に移動すると、その右にさらに別のモゴーテがいくつも現れます。
これは壮観!
いったん穏やかに下ったあとは、先ほど見えたモゴーテに向かって上りが始まります。
ここの勾配は推定15%! よろよろです。そこに後ろから一台のトラックが私たち同様にのろのろと上ってきました。
このトラックの荷台には人が満杯。最初は農作業にでも行く人たちかと思いましたが、作業着らしい服を着ている人はおらず、みんな普段着です。
これはトラックをバス代わりに使っているのではないでしょうか。
道端に寄って満員のトラックバスをやり過ごしたら、きつい坂道を再び上って行きます。
なんとか上ってモゴーテの中のピークまでやってきました。
後ろに見えている山は先ほどまで見えていたモゴーテの一部です。
上のピークから下ったらサン・アンドレス(San Andrés)方面へ向かう道からエントロンケ・デ・エラドゥラ(Entronque de Herradura)方面へ向かう道に入らなければならなかったのですが、ここはうっかり間違えてしまいました。戻ってやり直し。エントロンケ・デ・エラドゥラ方面に向かうとほどなく、道は穏やかに下り出します。
彼方にはまたまたたくさんのモゴーテが見えています。ここも素晴らしい景色!
右カーブが左カーブに転じたその先は激坂下りでした。
通常の路面はアスファルト舗装ですが、ここはコンクリート舗装で箒目仕上のノンスリップ仕様です。
私たちがこの激坂をダーっと下っていると、向こうから女性サイクリストがもの凄いスピードで走ってきました。
うしろの荷台に荷物を満載しているので長距離を走るツアラーでしょう。一瞬でしたが『ヤァ!』と声を掛け合ってすれ違いました。今回の旅ではこのようなツアラーに何人も出会いました。キューバはサイクリストにとって良いところなのでしょう。
エントロンケ・デ・エラドゥラへ向かうメインロードからサンディエゴ・デ・ロス・バニョスの手前にあるラ・グイラ(La Güira)へ向かう道に入りしばらく行くと、これが激坂上りでした。
しかしその後、道はほぼ直線のフラットに。
と思ったら、ここからいったん下って、
またまた激坂上り・・・ 景色がダイナミックに変化する楽しいコースなのですが、
『あたしゃあもうやってられません・・・』と押しに入るサイダー。
ここは人も車も全く通りません。ずっと続く上りに、今日は温泉保養地にたどり着けるのか? こんなところにタクシーなんてないぞ! と一抹の不安がよぎります。(笑)
やっと下りになったと思ったら、今度は穴ぼこだらけに。この穴ぼこがどこまでも続くからいやになっちゃうよ。
ガイドブックによれば、ここはキューバ最高の自転車レース『ブエルタ・ア・クーバ』の2000年のコースだったというからびっくり! スピードを出すと危ないのでゆっくり行きます。
なんとかラ・グイラに下ってきました。ここにはかつて裕福な地主で政治家であった方の邸宅と広大な土地がありました。キューバ革命で亡命した彼の財産は没収され、ラ・グイラ国立公園となりました。
写真のゲートの奥にかつての邸宅と庭とが残っています。
くたくたの汗まみれで温泉保養地サンディエゴ・デ・ロス・バニョスに辿り着いたのは午後4時過ぎ。ここでは民宿ではなくホテルに宿をとり、とにかく体を冷やそうとプールに飛び込みました。 ひゃ〜冷たい!
ひと泳ぎしたあとは定番のモヒートを飲みながら、プールサイド・カフェのDJたちとおしゃべり。するとその中の一人フアン・カルロス(Juan Carlos)が、『ここの温泉はいいぜ! 明日行くといいよ。』と教えてくれたので、せっかくだか明朝行ってみることにしましょう。